繰り返す世界の中で、ただ一つの忠誠を
扉が閉まる音が小さく鳴って、数秒の沈黙に包まれた。
また、僕の把握できない謎のやりとりが始まる前に、口を開くなら今しかない。
そう思って、姿勢を正した。
「あの、僕が連れてこられた理由は?」
前のバーでは、僕とトラヴィスの間に面識を持たせておいた方がいいという、エーレの判断だった。
今日、連れてこられたのにも他の理由があるはずだ。
すると、トラヴィスが僕を見て、にっこりと微笑んだ。
「私が、僕ちゃんを呼んだのよ」
「トラヴィスさんが?」
一度しか面識のない彼が、僕に何の用だろう?
「ヴィクちゃん」
しかし彼はすぐに答えることなく、それだけをはっきりと告げる。
この部屋で一番の大男が、可愛らしく(と本人は思っているのだろう)首を傾げながら、綺麗なウインクをする様に、僕は困惑を覚えた。
――まさか僕に、その名で呼べと言っているのだろうか? 呼ばないと話してくれない?
まるで、何か試されているような異様な心境になって、どうしようかと逡巡していた時。
「いいから、さっさと用件を話せ」
隣からそんな声が挟まれて、僕はホッと胸を撫でおろす。
「せっかちな男はモテないわよ~」
急かしたエーレに、トラヴィスが揶揄うように言った。
しかし、何も言い返さないエーレを見て、トラヴィスは肩を竦めると、僕へと向き直る。
「僕ちゃん。貴方に伝言を預かってるの」
伝言?
「貴方の護衛騎士……元と言った方がいいかしら?」
「……! アルフォンスですか?」
そういえば、アルフォンスがあの後どうしていたのか、聞きそびれていた。
彼が、トラヴィスに保護されたということしかしらない。
「彼の家族はこちらで保護したの。そして彼も無事、ご家族に再会できたわ」
「え、どうしてトラヴィスさんが」
アルフォンスの家族と彼自身が無事なのは、朗報でしかない。
けれど、どうして前の男が保護したのか?
考えられる理由は、一つしかなかった。
トラヴィスの視線が隣のエーレに注がれ、僕も思わずそちらを見る。
「どうして、エーレが……」
しかしエーレはこちらを見ようとせずに、逡巡するように眉を寄せた。
事前にアルフォンスの事情を知り、トラヴィスにその家族の保護を求めていた?
その背景を考え、僕は先日のやりとりを思い出した。
彼らの持つ権能――回帰している彼らにとって、それは当然のように知っている情報だったのかもしれない。そうだとしても……
「今後のために、都合がよかっただけだ」
何かを抑えたような声色が、隣から聞こえてきた。
「相変わらず、言葉足らずなのね、エーレちゃんは」
それを見たトラヴィスが、微笑ましそうに口元を緩める。
そしてそのまま、エーレとは違う色を宿した漆黒の瞳が、僕をまっすぐとらえた。
数瞬の沈黙を破ったのは、引きつった声色ではない――落ち着いた男性のものだった。
「‘’ユリウス様のご恩に報いるため、今一度、私の全てをかけて、忠誠を示すことを誓います‘’
アルフォンスからの伝言よ」
「それって……」
せっかく家族を再会し、皇帝の支配から抜け出したというのに、アルフォンスは何をしようとしているのだろうか?
「彼は私の傘下に加わって、貴方の力になることを望んだのよ」
トラヴィスの傘下――つまり情報屋の一員として、これから動いていく。
僕は状況がうまく飲み込めなくて、もう一度エーレを見た。
「あの男が自分で選んだことだ。好きにさせてやればいい」
「でも、情報屋の一員として動くなんて危ないんじゃ……」
隠密行動を余儀なくされる情報屋。それはきっと、護衛騎士とは別の意味で命の危険に晒されることも出てくるだろう。
「勿論、危ない仕事よ。彼が今どこで何をしているのか、それは言えないけれど」
人差し指を口元に添え、目を細めたトラヴィス。
「僕は、そんなこと望んでません」
アルフォンスが、そんな危険なところに身を置くことを僕は望まない。
「だから?」
おかしいことを聞いたように、トラヴィスが僅かに首を傾げた。
「だからって……」
「彼がそれを望んだのよ。僕ちゃんの側ではなく、裏で僕ちゃんの力になることをね」
僕は何も言えずに、ただただ目の前の男を見た。
アルフォンスが望んでいる。けれど、僕はそれを納得して飲み込むことが出来ない。
トラヴィスは、まるで子供を宥めるように、そっと小さく首を傾げて続けた。
「勿論僕ちゃんは、それを拒絶することだってできるわ」
拒絶。
僕は望まない。だから危ないことはやめて、平穏に暮らしてほしい。
そうやって、アルフォンスに退いてもらう?
けれど、それはそれでまた違う気もした。
僕の望みとアルフォンスの望みが食い違っている。
けれど、それはお互いを思っての食い違いで……
わからないまま、僕はそっと視線だけ落とした。
トラヴィスの手首につけられた、イグリシウムのバンクレットが鈍く光る。
「けれどもし……」一拍置いて、更に続けられた言葉の先を、ジッと待つ。
「そうしないというなら……僕ちゃんは、その忠誠にどう応えてあげるの?」
予想していなかった言葉に、僕の視線は自然と前の男を捉えていた。
「応える」
聞いたことがない言葉をなぞる感覚で、口の中で呟いた時、隣でエーレが立ち上がった。
「用は済んだ。行くぞ」
「え、ちょ……」
さっさと出ていこうとするエーレの背に、僕は咄嗟に手を伸ばした。
「まぁ、時間はあるわ。ゆっくり考えることね」
体を後方へ捻った僕の背から、トラヴィスの声。
その言葉と重なるように、シュトルツがエーレを呼んだ。
「エーレさん、肝心なこと忘れてるって」
その声にドアノブに手をかけたエーレがぴたりと止まった。
「ああ、そうだ。トラヴィス、お前。聖国の神徒の中に、2重スパイを抱え込んでるぞ」
半身を逸らしたエーレが低く言う。
その顔は、忌々しそうに歪められていた。
「2重スパイ?」
顔を険しくしたトラヴィスがゆっくり立ち上がる。僕もそれに倣って、自然と立ち上がっていた。
「教育部門か財務部門の所属だ。それ以上はわからん」
その場に、水を打ったような小さな沈黙が訪れた。
顎に手をあてたトラヴィスが考え込むように、床に視線を落とす。
「根拠は?」
相変わらず高めの声ではあったが、同時に低く真意を確かめるように静かだった。
エーレの鋭い眼光が、トラヴィスを射抜く。
「あるにはあるが、言えない。信じるも信じないも、お前次第だ。
これからのことに関わってくるだろう。一度洗っておくことを勧める、それだけだ」
言い終えると、今度こそエーレは扉を開いた。
「じゃ」シュトルツが、それに続く。
考え込んでいるトラヴィスを一瞥したあと、僕は「ありがとうございました」と礼だけ言って彼らに続いた。
狭い通路を上り、店内を抜ける。
その間、会話はなかった。
何故かエーレはピリピリしているし、シュトルツも何も言わない。
明るい光に一瞬目を閉じて、カーテンの先から聞こえたのは――聞きなれてしまった、騒がしくて勝気な声色。ミレイユの声だった。
どうして、ミレイユがここに……
前から、大きなため息が聞こえてくる。エーレだ。
その時になって、ようやく僕は疑問を口にした。
「どうしてトラヴィスさんが、2重スパイを抱え込んでるって、わかったんですか?」
おそらく……アルフォンス保護と同じ理由だろう、と思いながらも口にした。
すると、シュトルツが僅かに首を振り向かせて、苦笑する。
その苦笑を聞き取ったエーレが、舌打ちを飛ばした。
「‘’前回‘’のことなんだけど。そのせいで、俺ら酷い目にあってねぇ」
「思い出したくもねぇ」
吐き捨てるように、呟いたエーレ。
前回。やはり3度目の回帰であったことなのだ。
アルフォンスのことも、スパイのことも。そして他にもあらゆることが。
「酷い目って……大丈夫だったんですか?」
服の並ぶ、開けた場所まで出ると、今にも暴れ出しそうなミレイユを抑えているリーベがいた。
「どうにかなったよ」
前回彼らがどんな行動をとってきたのか、何も聞いていない。
酷い目が一体、どんなことなのかも想像がつかない。
前に進み出て、隣に並んだシュトルツを見ると、彼はミレイユを見ていた。
「もう二度と、ごめんだけどな」
彼の越しのエーレも、ミレイユを見ていて、ちらりとシュトルツを一瞥する。
彼らは目が合うと、何かを思い出したように失笑した。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
この話に出てくる、3度目の回帰で、2人があった酷い目に関しては(残酷シーンがありますが、2人の関係とミレイユとの関係の深堀のため)、そのうち番外編として、投稿しようと思っています。
いつもありがとうございます。
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