影を紡ぐ者たち
剣を置いたのは、随分と陽が傾いてからだった。
全身が悲鳴をあげていたけれど、最初よりは上達を感じられて、満足感もあった。
続けてシュトルツが教えてくれている間に、エーレはいなくなっていた。
一緒にいなくなったと思ったミレイユとリーベはしばらくして戻ってきて、僕の稽古を眺めていた。
何度かそちらをちらりと見ると、リーベが困りながらミレイユを宥めていることがわかった。
それにしても、ミレイユはどうしてレギオンに留まっているのだろう。
僕への指導だけが理由ではないのだろうか?
前で剣を収めたシュトルツは、汗の一滴も流していない。
勿論、息も上がっていないし、少し散歩してきました、みたいな表情だった。
「シュ、トルツの体力、どう、なってるんですか……」
一方で僕は肩で息をしながら、どうにか呼吸を整える。
「慣れだよ、慣れ」
彼は苦笑して、塀の外へと向かっていく。
普段は忘れかけるけれど、彼は王家の剣であるグライフェン家の嫡男なのだ。
幼いころから鍛えて、剣を握り続けてきたに違いない。
僕は大きくため息を吐きだして、その背を追った。
塀の内側に腰を預けて、2人は話し込んでいた。
話し込んでいたというと語弊がある。ミレイユは一方的にしゃべり続けて、リーベが頷いていた。
何やら剣術と魔法の話のようだ。
そういえば……
「ミレイユさんって聖女なのに、どうして剣を使うんですか?」
彼女があまりにも当たり前のように剣を教えてくれて、意見しようとしてくるので、聖女が剣を取るという違和感すらなくなってきていた。
レヒト教会の神徒でも、有事の際は前衛を受け持つ人たちもいるとは聞く。
けれど、それとは訳が違う。ミレイユは聖女なのだ。
後方で、一番に身を守られなければならない存在だ。
ぽつり、と控えめに口にした僕に、シュトルツは僅かに歩を緩めて、頭を少しだけ後ろに倒しながら、「ま〜」と歯切れの悪い反応をした。
そのまま彼は前に視線を戻すと
「ミレイユが、ミレイユなりの正しさを貫くダメなんじゃない? 聖女としての」
そんな漠然とした答えが返ってきた。
前からはミレイユの声が聞こえてきて、自然とそちらを見る。
聖女としての正しさ?
それと剣を取ることと、なんの関係が……?
首を傾げてしまいながら、僕とシュトルツが近くに行くと、彼女は話すのをやめて、塀から離れた。
「あいつ、外で待ってたわよ」
ミレイユはすぐに、エントランスホールへ続く扉を顎で示した。
「あっれ、エーレさんよくジッと待ってたね?」
途端、歩を速めて扉へと向かうシュトルツ。
彼に全員が続いた。
「何かあるんですか?」
「あー、言ってなかったね。ちょっと用事があってさ」
扉を抜け、エントランスホールへ続く階段を上がる。
その短い沈黙の中、前で揺れる綺麗な金の髪に、聞いてみるか迷った。
けれど、結局タイミングを失ってしまい、聞けずじまいになってしまった。
そのまま開けたエントランスホールに出る。
他のレギオン支部なら、すでにこの辺りまで喧騒が響いてくるのに、首都エルディナの支部は静かなものだった。
ホールに戻って、辺りを見渡すと、室内灯に照らされた黒髪をすぐ見つけることが出来た。
その隣には白水の髪――ゼレンだ。
そして、2人の周りをぐるぐると駆け回るルカもいる。
トップランカーがホールの中央を陣取っているせいか、周りにいる他のクランたちが息を殺したように、過ごしていた。
僕はなんだか申し訳なくなりながら、シュトルツに続く。
「エーレさん、お待たせ」
シュトルツが軽く手を上げると、エーレは小さく頷いた。
こちらを勢いよく振り向いたルカが、シュトルツへと一目散に駆け寄ってくる。
「シュー兄! あそぼ!」
見えない羽があるように、軽く駆け回り、ぴょんぴょん跳ねるルカ。
その度に淡い春色の髪が揺れて、妖精のように無邪気に笑った。
‘’正義のヒーロー‘’
そんな単語が頭に過って、思わず首を振る。
「悪いな、チビ。俺ら今から用事があるから。また今度な」
シュトルツは優しい微笑みを浮かべて、ルカの頭を撫でた。
昨日、初めて知った彼の新しい一面。彼は子供が好きなのかもしれない。
エーレが、ちらりとミレイユを見たのがわかった。
「お前はさっさと帰れ」
すぐに反駁すると思われたミレイユだったが、何も言わずに、ふいっと顔を背ける。
それを見て、僕は首を傾げた。
すぐ前では、エーレはさっさと踵を返した。
そういえば……そう思って、外に続く扉を潜る前に一度振り返ると、そこには目を細めてぼんやりと微笑むゼレンがいた。
「どこに向かうんですか?」
「トラヴィスに会いに行く」
それだけ答えたエーレの足が止まったのは、大きな建物の前だった。
【ヴェールノワール】
洗練された看板には店名がかかれていて、どうやら仕立て屋らしい。
彼は迷うことなく、その扉をくぐる。鈴のようなドアベルの跳ねる音が、頭上から聞こえた。
髪を結いあげた美しい女性が、すぐさまやってきて、両手を腹部に添えてお辞儀をする。
「いらっしゃいませ」
「ゼウス第二刻(18時)に、礼服の影紡ぎを頼んだ者だ」
エーレの言葉を聞いた女性が、ちらりとこちらを一瞥した。
彼女は、にこりと張り付けた微笑みで、さっと半身を逸らして、奥を示した。
「お待ちしておりました。ご案内いたします」
「少し待ってろ」
エーレはそれだけ残して、女性に案内されて、奥へと進んだ。
ここまでついてきたのに、僕たちはどうするんだろう・
その間にシュトルツは店内を回り、服を見始めていた。
「僕たち、どうするんですか?」
「直に呼ばれる」
リーベの言葉通り、しばらくして戻ってきた女性が「ご試着が終わりました。皆さまもこちらへ」と奥へと案内した。
女性が案内したのは、並んだ試着室の奥から2番目だった。
カーテンが開かれるが、勿論そこは狭い個室で、奥には鏡。
しかし、それは仕掛け扉だった。移動した鏡の先に続いたのは、狭い通路。
「どうぞ、ごゆるりとお寛ぎなさいませ」
道を開けた彼女を背に、僕たちはその先へ進んだ。
道は一直線だったが、途中何段もの階段を下りていった。
「相変わらず、トラヴィス良い趣味してんよねぇ」
どこか皮肉の籠ったシュトルツの声色が、狭い通路の中をくぐもるように反響した。
「前のバーでも思いましたけど、合言葉ですか?」
「なんだ、エーレは説明していなかったのか。
今回は私が事前に連絡を取ってきていたからな。
その時によって、合言葉はさまざまだ。その人専用の言葉もある」
リーベが説明を続けようとしたとき、前に一つの扉が現れた。
先頭のシュトルツが扉を開けると「いらっしゃい」、すぐに引きつったトラヴィスの声が僕たちを迎えた。
「今日は、みんなお揃いなのね」
トラヴィスに進められて、僕たちは狭い部屋の中、それぞれソファーや椅子に腰かける。
「特に意味はない」
「そう。でもあんまり、ぞろぞろ動くのは感心しないわ」
「わかってる」
トラヴィスとエーレは向かい合って、ソファーに座っていた。
苛立ちを含んだエーレの言葉に、眉を下げたトラヴィスがちらりと僕を見た。
「まぁ、いいわ。そのための仕立て屋なんだもの。
紳士淑女が綺麗な洋服を求めて、お店に入るのは珍しいことじゃあない」
僕は、エーレの隣に腰を下ろしている。
そのソファーの少し離れたところで、シュトルツとリーベは立っていた。
「対価はしっかり受け取ったのはいいとして。今日はどういったご用件で?」
対価――暗殺ギルドのマスターがいる現在の拠点のことだろう。
一瞬だけ、首都に着く前のことが過った。拷問の末、シュトルツに殺された暗殺ギルド員――
しかしそれも、視界の端から進み出たリーベの姿で、消え去った。
彼は、懐から取り出した一枚の紙をローテーブルの上へと置く。
僕の目に映ったそれは、白紙だった。
しかし、トラヴィスはそれに疑問を覚えた様子もなく、スッと取り上げて、見つめると目を細めた。
そして顔の前の紙を少しずらして、エーレを見つめる。
「この依頼、受けましょう」
その瞬間――彼の持つところから、紙は灰になって、崩れ落ちていく。
息を呑みそうになるのを堪えた。
一度見たことがある。あれは闇の魔法だ。
「お前にも利があるはずだ。頼んだ」
「そうね。うまくいけば、私の対価として有り余るくらいね」
目を伏せ、眉を下げたトラヴィス。
相変わらずの謎のやりとりに、僕はちらりと目だけでエーレを見た時。
「エーレ、私は先に出ておく」
リーベが後方で短く残して、部屋を後にしてしまった。




