自由を奪い返すための勝利
剣先を突きつけられたカイの体は硬直したまま、かけていた眼鏡が不意に光を反射した。
その口元が僅かに揺れ、何か言葉を飲み込んだようにも見えた。
あれが……片手剣の使い方……
最小限の動き、無駄のない踏み込みと剣の流れ。
僕には、あの一太刀がまるで、舞のように美しく見えた。
「そこまで!」
職員の声が静寂の余韻を破り、近くから誰かの息を吐き出す、音が聞こえてきた。
両者が剣を収めて離れても、エーレがすぐに踵を返す様子が目に映っても、僕はただ呆然と前に向けた視線を逸らすことが出来ずにいた。
何が起きたのかわからない。
ただエーレは、カイの鉄壁の防御を砕き、純粋な剣術で圧倒した。
「ね? 大丈夫だったでしょ?」
隣から、シュトルツの誇らしそうな声が聞こえた。
こちらへと歩み寄ってくるエーレが、僕を一瞥したのがわかって、視線を向ける。
けれど、その時にはそのその瞳は、僕の隣へと視線を移していた。
彼は塀の内と外を繋ぐ、小さな引き戸に手をかけると「参考になったか?」と尋ねてきた。
「参考になるもなにも、何が起きたのかすら、わかりませんでしたよ」
「器用なことやるわね、ほんっと、そういうところむかつく」
右隣で、ミレイユが鼻を鳴らした。
通路へと入ってきたエーレは、ミレイユを一瞥すると鼻で笑って見せる。
そこに賭け客を伴った女性職員がやってきた。
「皆さん、お疲れさまでした。私は報告書を作成してきますので、賭け金の分配は、後程」
彼女はキリリとした表情で、面々を見渡し、「あと」と続けた。
「この件に関しては解決したものをみなします。わかりましたか? わかりましたね?
これ以上騒ぎを起こした場合。レギオンマスターへ即報告しますからね?」
一瞬、水を打ったような沈黙が流れた。
そこにいた全員が、黙って頷く。
レギオンの人たちが、こんな素直に従うなんて。
レギオンマスターってどんな人なんだろう……
頭の中で、まだ見ぬレギオンマスターを想像しているうちに、賭け客の3人がエーレに詰め寄ろうとしていた。
エーレは彼らをひと睨みして、寄せ付けず、彼らはすごすごと女性職人に続いて、訓練所を出て行ってしまった。
「エーレくん、さすがだね」
彼らが消えるまで続いた沈黙を破ったのは、後ろからやってきた高めの掠れたハスキーボイス。ゼレンだ。
振り向くと、ゼレンが少し通路側――僕の左手にいたエーレに歩み寄っていくも、エーレは嫌そうに手を払っていた。
ふと、頭に先ほどの戦闘と、ミレイユの言葉が過る。
風の本質のうちの一つ‘’不和‘’、特性の‘’伝達‘’
「エーレは風の魔法で、あの結界を破ったんですか?」
「そ、不和は阻害魔法にもなるんだよね。外から壊せなくても、内から徐々に砕いて行けばいい」
ゼレンに絡まれているエーレの背を見たシュトルツ。
「そんなこと出来るんですか?」
するとリーベが、狭い通路を塞ぐように、シュトルツの隣へ歩み寄ってきた。
「どんな魔法でも、全て一定の生命力を維持できる人は少ない。
いくら強固な結界であっても、つなぎ目のような、小さな綻びがある。
エーレはそこから、風の魔法を侵入させて、内から砕いた」
「ま、俺らには到底、無理な芸当だけどね」と肩を竦めたシュトルツ。
「はー、後天風の私ですら、そんなの出来ないわよ。
あいつ二次性質でしょ? 頭おかしいんじゃないの?」
右隣でミレイユは、エーレへとちらり、と視線を投げながらも、まだ憤慨している。
「お前のコントロールが下手なだけだろ」
悪口だけはしっかり聞き取っていたらしいエーレが半身を逸らして、ミレイユへと眉を寄せた。
「あんたそれ、ちょっとやり方教えなさい」
「あ、僕も知りたいです」
一歩進み出たミレイユに倣ってみると、エーレが嫌そうに眉を寄せた。
「ミレイユはまだしも、お前はまだその段階じゃねぇだろ。その前にさっさと初歩的な制御を覚えろ」
後天本質として風の力が発現してからというもの、一度も練習していない。
暗殺ギルドの奇襲で、魔法を暴走させて以降、時間もなければ余裕もなかった。
力が発現したから、すぐ使えるなんて都合のいい話はない。どんな力も制御下に置けないと宝の持ち腐れだった。
自然と肩が落ちてしまった僕の背後から、何やら不穏な気配を感じた。
思わず、振り返るとそこには鬼の形相をしたカイが塀を挟んで、エーレを睨んでいた。
「認めん、認めんぞ! 私の鉄壁の防御が、崩されるわけがない!
何かイカサマをしたに違いない!」
眼鏡の奥の瞳がギラリと鈍く光る。
僕の隣で、ミレイユが声をあげようとした気配があった。
「お前が納得しようがしまいが、俺には関係ない。
勝ちは勝ちなんだ、俺たちは自由にさせてもらうからな」
しかし、その前に大きくため息と共に牽制したエーレに、ミレイユが勢いよく息だけ吐き出す。
どうやら仕組みを説明するつもりはないらしい。
決闘が始まる前に一つ、約束が交わされた。
もし、カイが勝てばルールに従うこと。エーレが勝てば、カロンはルールに縛られず自由に過ごせること。
これで、このレギオン支部でも自由は勝ち取れたわけだ。
どうして結界が破られたのか、わからなければカイも納得しようがないだろう。
けれど。
「カイくん、みっともないよ。それに魔法なしの剣術であっさりエーレくんに負けてたじゃない。あれがエーレくんの実力なんだから」
潔く負けを認めろ、とエーレの奥側にいたゼレンが目を細めて促す。
「いいえ! 今まで私の結界が破られたことはありません!
剣は魔法の補助のようなものです。それで勝敗は決しません!」
カイは一度、強く首を振って、意見を覆さない。
一瞬のピリピリとした緊張感。両者譲らない姿勢を見て、ため息を吐きかけた時――
「カイ兄の敗因はそこだって。剣術は魔法の補助なんかじゃないんだから」
どこかから、知らない声が飛び込んできた。
軽く跳ねる綿のような声。
びっくりして視線を彷徨わせた先、ゼレンの後ろに隠れるようにして、そこには――春の妖精がいた。




