隠蔽の魔鉱石
まだ陽は高い。
「ヘルメスの時、第一刻(18時)に、エントランスホールへ集合」
エーレからの伝言を、シュトルツが教えてくれた。
レギオン支部の二、三階の一部は、宿屋として機能しているらしい。
部屋に入ると、シュトルツはすぐにどこかに行ってしまった。
彼の行先を気にするよりも、目の前のベッドを見て、そこに体を投げ出さずには居られなかった。
もう、一歩も歩きたくない。
たしかアボロンの時、第一刻(15時)を少し過ぎた頃だったから、仮眠くらいならできるはずだ。
目を閉じたら、自然と眠りがやってくるだろう――そう思ったものの、中々睡魔はやってこない。
無意識に吐き出した大きなため息が、広くない部屋へと吸い込まれていく。
大きく深呼吸をしつこく繰り返しているうちに、少しずつ体の強張りが抜けてきたようだった。
その時、何かを置く音がして、慣れ親しんだ香りが鼻腔をくすぐった。
「一旦、これでも飲んで休んでおきなよ」
いつの間にかすぐ近くにいたシュトルツ。
気配も物音もなかった彼に驚くよりも早く、サイドテーブルに置かれたカップが目に入って体を起こした。
その中には黄金色のお茶。鎮静作用があると言って、城でよく入眠前に口にしていたものだった。
「ありがとうございます」
疲れきっていたので、彼の気遣いが身に染みた。
いなくなったと思ったら、これをわざわざ持ってきてくれるためだったのかもしれない。
ユリウスは冷え切った両手でカップを包むように持った。温かい。
慣れ親しんだ味と香りで、一気に力が抜けていくのがわかった。
「時間になったら起こしてあげるから。一人で外出歩かれてのも困るからね。君は目立つし」
ユリウスが数口味わったのを黙って見ていたシュトルツの言葉に、ユリウスは小首を傾げる。
「目立つって言っても、魔鉱石を付けてたら問題ないって……」
結局、隠蔽が何なのかわからない。
でも、僕を見て皇太子だと気付いた人は、いないみたいだった。
すると、シュトルツは可笑しなことを聞いたかのように、肩を竦めた。
「君の立ち振る舞いは、レギオンじゃ目立ちすぎるってこと。
それに隠蔽は、錯覚を利用してるだけなんだ。
先入観が極端にない人には、効果が薄れるようになってる」
それを聞いたユリウスは、ハッと息をのんだ。
出来るだけ気を付けていたはずではあったけど、皇族として幼いころから身に染みついている所作は、そんな簡単には変えられない。
レギオンにいる人たちに紛れると、たしかに目立つのかもしれない。
「まぁ、隠蔽の効果が薄くても、フード被ってればわからないけど。
その長い髪がねぇ。顔も中性的だし」
ユリウスの髪――水の精霊との同調率が極めて高いとされる色だ。
能力の高さを誇示するため、皇族は髪を伸ばす習わしがあった。
「まぁとりあえず、エーレさんから貰ったブレスレットは肌身離さずつけておいてね」
彼に言われて、自分の腕のブレスレットを再度確認する。
それを見て、ふと疑問に思って再び、首を傾げた。
たしか彼らも、隠蔽の魔鉱石のブレスレットを付けていたはずだ。
「あれ? じゃあもしかしなくても、僕が知ってるシュトルツさんたちの外見って……」
「あー、君に初めて会った時は付けてなかったからね。
君から見た俺たちは、隠蔽のかかってない、正真正銘の俺たちだよ。
だから今こうして付けてても、君に効果はない」
腕を少しだけ上げて、ブレスレットを示した彼。
なるほど、と納得した。
隠蔽は先入観を利用した魔法――つまり、本人の正体を知ってしまっていると、効果は発揮されないのだ。
先入観?
ふと受付の女性――ダリアの反応を思い出して、恥ずかしさで顔が火照るのを感じた。
可愛らしいなら、まだいい。最後の言葉は、どう考えても女性だと思われていたに違いない。
「そんなに僕、女の子っぽいですか……」
「大丈夫だって。先入観を利用した錯覚っていったでしょ?
まぁ、ダリア嬢のことは、気にしなくていいんじゃないかな」
「他の人も、そう見えたりするんじゃないですか?」
「黙ってれば、何の問題もないでしょ。まぁ言葉遣いも綺麗だし。一人称を"私"に変えたら、完璧かもね?」
相談する相手を間違えた。絶対にこの男、楽しんでいる――
楽しそうに笑うシュトルツを見て、ユリウスは小さな苛立ちを覚えた。
仮眠から起きたときには、外は暗くなっていた。
部屋にシュトルツの姿はない。
壁にかけられた時計を見ると、エーレからの伝言の時刻が近づいていることを知って、すぐに部屋を出た。
階段に差し掛かると、喧騒と料理の匂いがここまで漂ってきていた。
夕食時なのだろう。
階段の途中で、エントランスホールを眺める。
テーブルは満席になっていた。
彼らは、どこにいるんだろう……
ユリウスはまず、フードをしっかり被れているか確認した。
隠蔽の効果があったとしても、女性だと間違われて、絡まれることは避けたい。
階段を下りながら彼らの姿を探したが、見当たらない。
彼らの外見はユリウスに劣らず、特徴的だ。
見ればすぐわかるはずなのに。
ふと、階段を下りた先の右手側――壁だと思っていたものは仕切りで、その奥からも喧騒が聞こえてきた。そちらにもテーブルが並んでいるのだろう。
こっちかな? そう思って足を踏み出した時――
「……ウスに話さないの?」とすでによく知る声が聞こえた。シュトルツに違いない。
思わず、足を止める。
エーレの声もするが、うまく聞き取れない。
「ルークって………………、咄嗟…………こないんだよねぇ」
シュトルツの声だけが、僅かに耳に届くだけだった。
途切れ途切れに聞こえてくる彼らの会話に聞き耳を立てて、そちらに集中していた時。
突然肩に軽い衝撃を覚えて、びくりと体が跳ねる。
「どうしたの?」
振り返るとそこには、片手に料理の乗ったトレーを持っているダリアがいた。
「あ、いや。みんながどこにいるかわからなくて……」
咄嗟にフードを引いて答える。
「ああ、丁度カロンのところに持っていこうとしてたから、一緒に行きましょう」
手招きをした彼女は、颯爽と仕切りの向こうへと歩いて行った。
テーブルにはすでに三人が揃っていて、それぞれ手元には飲み物が入ったジョッキが置かれてあった。
「ちょっと貴方たち。この子置いていくなんて、あんまりじゃないの?」
彼らの顔を見るや否や、ダリアは声を上げて、乱暴に料理をテーブルに置く。
「あー、ごめんごめん。気持ちよさそうに寝てたから……」
ジョッキを煽りながら、シュトルツが軽く答える。
彼らの座っているテーブルは、一番奥の角際だった。
一番奥にリーベ、その隣にエーレ。こちらに背を向ける形でシュトルツが座っている。
「それでも普通は放っておかないでしょう?
ほんとに……カロンはそうだから、他のクランに睨まれるんですよ」
カロン――先ほども、ダリアは彼らのことをそう呼んでいた。
「あーあれ、睨まれてたのかぁ」
シュトルツは白々しく言いながら、ユリウスを手招きした。
それを見て、空いた一番手前の席に腰を下ろす。
「まぁ、カロンは実力のあるクランですから、誰も文句いいませんけど。
もう少し協調性を持ってくださると、レギオンとしては有難いんですけどね」
どうやらカロンというのは彼らのクラン名で、レギオンに所属しているようだ。
そのことを知って、ユリウスは門を簡単に通れた経緯に納得することができた。
レギオンが彼らの身元を保証している。
その実力のあるクランが保護している護衛対象だから、だったのかもしれない。
「キョウチョウセイ? 初めて聞くなぁ」
隣の男は、本当に口が減らない。
ちらりと目だけでシュトルツを見ると、彼は先ほどまでジョッキにたっぷり入っていたはずのものを、飲み干そうとしていた。
「ダリア嬢、エールおかわりお願い。
あと、お子ちゃま用の飲み物も持ってきてあげて」
空のジョッキを差し出したシュトルツを見て、ダリアは首を振りながらため息をつく。
ちらりと、こちらを見た彼女と目が合った。
何か言いたげに眉を下げていたが、何も言わずそのまま踵を返して行ってしまう。
ふと、先ほど聞こえてきた、シュトルツの言葉が思い出された。
しっかりは聞き取れなかったが、ルークという名前が咄嗟に出てこない、と言う風に聞こえた気がした。
彼らは何を話していたんだろう……
テーブルには見たことのない料理が並んでいた。
それをシュトルツは丁寧に小皿に取り分けると、手元に持っていくのではなく、斜め前へ差し出した。
エーレは無言で、それを受け取った。
ユリウスの分は勿論、リーベの分も取り分ける気配はない。
思わず、首を傾げたくなった。
どうするべきかわからず、前に並ぶ料理を見つめる。
聞きたいことは沢山あるが、先ほどまで会話が聞こえてきたのが嘘のように、そこに会話はない。
「さっさと食え。じゃないとなくなるぞ」
小皿の上に乗せられた料理を、ちまちま口にしていたエーレがちらりと視線だけ投げてきた。
ユリウスはそう言われて、やっとどんな味か全く想像のつかない料理に、手を伸ばした。




