誰が、エーレに賭けるのか?
シュトルツが、テーブルの上の料理を全て胃の中に収めた頃に、エーレが戻ってきた。
数歩後ろには、いなくなったと思っていたゼレンがいる。
その隣には不機嫌そう眉を寄せながら、ゼレンを睨みつけているミレイユもいた。
この十数分で何があったのかというのか……
この距離からでも見て取れるほど、3人の間に漂う空気が険悪になっていた。
「シュトルツ、あれ」
僕はシュトルツに顔を寄せて、目だけで後ろのエーレたちを示し、合図を送る。
ジョッキに残っていた数杯目のエールの残りを呷っていた彼は、視線だけを下げてそちらを見た。
「エーレさん、超不機嫌モードじゃん」
僕には、カイ・オルドレンに絡まれていた時点で、すでに不機嫌に見えていたけど、シュトルツがそう言うのだから、先ほどよりも更に不機嫌になっているらしい。
隣のリーベがちらりと、エーレたちを一瞥したのがわかった。その視線が、僕の隣へ移動してくる。
その視線の先――足音もなく、隣にやってきたエーレが「おい」と唸るような声で呼びかけてきた。
左から聞こえたそれに、嫌々ながら首を回す。油の足りない機械人形になった気分だった。
「何かあったのか?」
後ろからリーベが尋ねる。
エーレは顎で来た方向を指すと
「忘れててな、黙らせるために、カイと決闘することになった」
とだけ、説明した。
僕にわかったのは、エーレとカイ・オルドレンが、何故か決闘をすることになったという事実だけだった。
けれど、シュトルツとリーベはその言葉の意味を理解したらしい。
「あ~、完全に忘れてたね」と、いつもの飄々とした口調のシュトルツ。
「失念していた」一方、リーベはうんざりしたような表情を見せた。
「もう! 僕だけ置いてけぼりにしないでって何度言えば……」
「クランカロン。マスター、エーレ!
私と尋常に勝負だ!」
そこに後方から介入してきた大きな声――振り向くと、眼鏡の先からエーレを強く見据えるカイ・オルドレンがいた。
カイの宣言に、水を打ったような沈黙が漂い、エーレの吐き出したため息だけが、ヤケに大きく響いた。
それを合図として、レギオン支部内をざわめきが包んだ。
「第2位のジュティケイター第3席と、第4位のカロンマスターの一騎打ち?」
「大丈夫なのか、それ」「職員が許可するなら、大丈夫だろ」
「2位と4位だろ? カイさんが圧勝するんじゃないのか?」
「でも、カロンはどのクランとも関わらないから、誰も実力知らないって聞くぜ」
「俺はカイさんに賭ける!」「俺も俺も、いくら賭ける?」
そんな声が、次から次へと聞こえてくる。
決闘まで発展したことへの心配よりも、その勝敗を利用して、賭け事をしようとするなんて……
「お。じゃあ、俺はエーレに賭けようかな。どう?」
その声に楽しげに便乗したシュトルツの前で、リーベがスッと立ち上がった。
「私もエーレに賭けよう。職員に決闘の許可と、胴元としての協力を求めてくる」
それだけ言うと、さっさとレギオン案内カウンターへ行ってしまった。
え……えっ?
あのリーベが賭け事!?
僕は彼の言葉が信じられなくて、カウンターへ向かっていくその背を追っていた。
「じゃあ、私もエーレに賭けて、儲けさせてもらうわ。
負けることなんて、許さないからね?」
先ほどまでゼレンを睨みつけてきたミレイユが、いつの間にかすぐ近くにいた。
「ちょ、決闘で賭け事なんて……
ミレイユさんはダメでしょ!? 絶対ダメですよ!」
彼女は聖女の肩書がある。それは今、法衣を脱いだミレイユ個人だったとしても、許されないことだろう。
しかし、ミレイユは「は?」と僕をひと睨みして、ズカズカと歩み寄ってきた。
「何回言ったらわかるの? 今の私はただのミレイユ!
つまり私が何をしようと、自由なの」
小さく細い指が、僕の額をつつく。油断していたのもあるけれど、思った以上の衝撃があった。
「それに」そう言って、彼女は首だけでゼレンとカイ・オルドレンを見る。
「売られた喧嘩は買わなきゃ……でしょ?
その上で完膚なきまでにぶっ潰す。
調子に乗ってるやつらを黙らせる、一番効果的な方法よ。よく覚えておきなさい」
横から見えたその眼光は鋭く、冗談を言っているわけではないらしい。
その視線に込められた怒りに、僕の背中に小さく怖気が走った。
一体、何があったというんだろう。
それを黙って聞いていたエーレが小さく苦笑を漏らした。
「お前も賭けとけ。ゼレンならまだしも、カイに負けることはあり得ない」
「いや、僕は……」
思わず、口からついて出た声は言葉にならずに、周りの雑踏に消されてしまった。
少し遅れて、リーベが女性職員を伴って、戻ってきた。
職員の登場に、その場は湧き立つ。
僕はそれを遠目で眺めながら、一抹の不安を感じていた。
たしかに、エーレなら負けることはないだろう。
けれど……彼には制約がある。
目立つ行動は避けていた彼だ。どうやって戦うつもりなのだろうか?
勝算があるからこその発言なのだろうが、どうしても僕は、胸に渦巻く不安を追いやることは出来ずにいた。
レギオン支部の地下には、広い訓練所が設けられてあった。
その外側には鉄造りの低い塀で、ぐるりと囲まれていて、まるで簡易型の闘技場のようにも見える。
その塀の外側に、ゼレンと僕たちカロンのメンバー、ミレイユ、駆け客代表で3人がいるだけだった。
他の人たちは、乱闘の騒ぎを避けるために、入場は許可されなかった。
決闘はまだあるとしても、それによる賭博は良しとはされず、レギオン支部の管理者の裁量で許可されたらしい。
「もし、わがままを言うようでしたら、決闘自体を取りやめにします」
にっこりと笑った女性職員のその一言で、他のクランの人たちは引き下がるしかなかったようだ。
遵守事項の下部にも書かれてあった、走り書きがふと浮かんだ。
――職員の言うことはよく聞くこと! あと喧嘩を売らない! 職員に何かあったら、半殺しにする――
レギオン職員の立場は、所属するクランの人たちより圧倒的に高いのかもしれない。
顔も名前すら知らない、レギオンマスターの強面が頭に過った。
訓練所中央にはすでに、エーレとカイ・オルドレンが数メートル離れて、向かい合っていた。
エーレはいつもと同じ格好――軽装で防具の一つもつけていない。
それに対して、カイ・オルドレンは重そうな甲冑を身にまとい、大振りの両手剣を持っていた。
「どうやって戦うつもりなんですか? エーレ」
体をほぐしているカイ・オルドレンを見ながら、隣のシュトルツに声をかける。
「レギオンでは一応、エーレの本質は風と氷になってるから、そこらへん組み合わせていくんじゃない?」
エーレの本質は闇だ。
けれど、闇の本質を持つ人は、この世界にほとんどいない。だからこその偽装なのだろうが。
「カイ・オルドレンは?」
「彼の本質は土と光。まぁ、相性だけで言えば、最悪だよね」
シュトルツは目を細めて、カイ・オルドレンとエーレを見つめていた。
やけに楽しそうな表情だ。
僕は属性同士の相性に詳しくない。
属性の具現化による相性なら、誰もが知っている。炎と水とか、土と雷、炎と氷とか。
けれど、それはあくまでも具現化した魔法同士のぶつかり合いの話であって、それぞれ本質の持つ特性となれば、そんな単純なものではなかった。
「エーレの方が、不利ってことですか?」
「まぁ、見てればわかるよ」
塀に両腕を乗せて、頬杖をついたシュトルツを見て、彼越しにリーベを見た。
彼は頷くだけだった。
そこに職員と話していたミレイユが戻ってきて、右隣へとやってくる。
「あいつがどんな戦い方するのか、楽しみね~」
その声は跳ねていて、今から決闘を見るものの声色だとは、到底思えない。
彼女だけではない――この場にいる全員がそんな感じだった。
常に戦闘に身を置くものたちにとって、決闘なんてイベントの一つでしかないのかもしれない。
その時、空気が震えて、視界を揺らした気がした。訓練場の塀一帯から生命力を感じる。
この慣れた波動――結界の魔鉱石だ。
魔法の流れ弾を防止するためだろうけど、僕の中の嫌な予感がどんどん大きくなっていく。
「それでは、数を数えていき、‘’はじめ‘’の合図で開始します。
どちらかが降参するか、明らかに勝敗が決まった場合は、すぐに剣を収めてください」
女性職員の声が、高らかに宣言した。
塀の外側から観戦する、全員の視線が闘技場中央――2人に集まった気配を感じた。
凛とした声が、10から数を刻んでいく。
「ルシウス。よく見ておきなさい。片手剣の使い方ってものをね」
ミレイユの声にハッと、僕はエーレを見た。
そうだ、僕も片手剣を使いこなせるようになりたい。
そのためにエーレが戦う姿を見るのは、貴重な勉強でもあった。
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明日は決闘回です!
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