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調和の王〜影から継がれたもの〜  作者: 俐月
2章

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102/233

秩序に抗いし者は光を帯びて

 



 コツン、と軽い足音が一歩耳に届いた――



「’’Zar-zael-do’’(跪け)」



 ぽんやりと低く奏でられた旋律が白い聖堂へと吸い込まれていったーー

 途端、空気が色を変え、錘のように体にのしかかってきた。

 まるで重力が数倍になったような感覚に、息を呑む。

 前から金属音が耳に届いて、ハッとエーレを見ると、その場に崩れ落ちるように膝をついていた。

 そこに、足音が一歩一歩こちらへと響いてくる。



 そこには――ゼファがいた。

 彼女はエーレの前まで進み出ると、フードを取って、エーレを見下ろした。

 森の中で長い間風化したような、オリーブグリーンのくすんだ髪が僅かに揺れる。

 小さく尖った耳が、その中から見えた。

 エメラルドの瞳は感情を宿さず、冷ややかにエーレに向けられている。



「我らが女王に剣を向けるなど、許されることではない」



 エーレは立ち上がらない。立ち上がれないのだろう。

 グッと体を強張らせて、どうにかそれ以上崩れ落ちないように耐えている風にも見えた。

 隣で、シュトルツが半歩前に踏み出した気配があった。

 それを察知したゼファが、こちらへと鋭い眼光を向けた。



「’’Zar-ka’’(動くな)」



 刹那――シュトルツが息を呑む音が聞こえた。

 彼の踏み出そうとしていた足が、ピタリと止まる。

 僕は、この状況を外から見ているような錯覚に陥っていた。


 この場の精霊の全てを、ゼファは掌握している。

 まるで僕たちの体の中にある生命力すら、思うままに動かせないような圧迫感。

 イグリシウムの枷をつけられたような――あの不快感が湧き上がってきた。


 動揺と恐怖を抑えられなくて、僕は彼女に命令されてもいないのに、その場を動けずにいた。

 その間にエーレに視線を再び、落とした彼女はエーレの髪を乱暴に掴むと、無理やりに顔を引き上げた。



「身の程を知れ。我らが女王に剣を向けるということは、私たちを敵に回すということだ」



 氷のような冷たい口調と共に、その手が空を裂き、エーレの頬を打った。

 ほんの一拍遅れて、鋭い破裂音が聖堂に響き渡り、鼓膜を震わせる。

 あのエーレが手も足も出ない。

 彼女がエーレの髪ももう一度掴んだ時、どこかからか歯を食いしばるような音が、ヤケに大きく耳に届いた。

 それがシュトルツだったのか、エーレだったのかわからない。

 それを聞いて、僕はグッと拳を握って、足に力が入る。


 再び、彼女の手が振り上げられたとき――僕は気が付けば駆け出していた。

 咄嗟にゼファが、こちらを向いて口を開く。

 けれど、僕はその言葉をかき消すように叫んだ。



「僕は貴方の命令は聞かない! 聞いてたまるか、僕は貴方に屈しない!」



 そのままエーレの前へ進み出て、両手を広げた。

 すぐ前のゼファを真っ向から睨みつける。

 透き通るようなエメラルドの瞳が、おぞましいものに見えた。

 無意識に体が動いて、ゼファの前に立ちはだかった。

 そんな自分の行動を自覚して、ようやく恐怖が追い付くと、体の底から怖気が湧き上がってきた。

 生命力が呼応して、内からあふれ出していく。


 怖い。怖いけど、引けない。

 例え霊奏を使われても、僕は絶対に屈しない。屈してなんかやらない。

 心の中で自分に言い聞かせながら、僕は更に強くゼファを睨みつける。



「貴方の主がリクサでも、僕たちには関係ない。理不尽にエーレを傷つけないで」



 ゼファの冷めた瞳が、まっすぐ僕の瞳を射抜く。

 絶対に目を逸らさない。

 その口が開かれそうになった時――



「そこまでにしなさい、ゼファ」



 と、前方から声がかかった。

 途端、その場を支配していた精霊が霧散していくのを感じた。

 それを知って自然と肩から力が抜けていくと同時に、すぐ後ろから息を吐き出す声。



「エーレ」



 次いで、シュトルツの声を聞こえてきた。

 ゼファは呆気ないほどに、リクサの言葉を素直に聞き入れると、そのまま数歩下がり、踵を返す。

 僕は、胸にくすぶる恐怖を抱えて、自然とその背を追っていた。

 入れ替わるように、リクサが立ち上がり、足音もなく近づいてきた。


 足音もなく――違う、まるで宙に浮いているかのような静かな歩みだった。

 僕は我に返って、後ろを振り向くと、エーレが顔を顰めながら僕を見ていた。

 口の端から、血がにじみ出ている。



「余計なことしなくていい」


「余計なんかじゃないです。僕はこんなの黙って見てられない」



 確かに先に剣を抜いたのは、エーレかもしれない。

 けれど、圧倒的な力で押さえつけて、殴るなんてやりすぎだ。

 これでは、恐怖支配と変わりない。


 僕の隣まで進み出てきたリクサ。その背丈は僕より小さかった。

 彼女は立ち上がったエーレへと、そっと手を伸ばす。

 小さくて白い子供のような手。

 エーレはそれを見て、嫌そうに顔を背けた。



「触るな」



 その声は、いつものような刺す色合いはなく、弱弱しく震えているように聞こえた。

 けれど、エーレはその手を払うでもなく、ただ拒否するだけだった。



「貴方に指一本、触れるようなことはしませんよ。ただ傷を癒すだけです」



 リクサの手から光が溢れた。それは一瞬で、エーレの頬の傷を癒す。



「ゼファが失礼しました。誤解を招いてしまったようなので、しっかり伝えておこうと思います」



 そう言った彼女は半身を逸らして、ミレイユを見た。



「彼女は私に仕える神徒ではなく、私の客人です。

 今回は少し……少し誤解を招く方法ではあったと自覚しております。

 けれど貴方なら、私の気持ちが少しは理解できるはずだと信じております」



 どこまでも丁寧で、冷静な口調。

 エーレは舌打ちを一つすると、ミレイユを見た。



 お前はそれでいいのか――

 僕には、そう問いかけているように見えた。

 フードに隠された彼女の表情は見えない。けれど、彼女は小さく頷いた。

 それを知ったエーレは踵を返す。



「貴方たちが休めるように、部屋は開けてあります。

 そこで、ゼファから報酬を受け取ってください」


「ふざけるな、本題はここからだ。

 そのために俺たちを呼び、俺たちもここにきた」



 エーレの背へと声を投げかけたリクサは、その時初めて表情らしい表情を見せた。

 その口元が、小さく釣り上げられる。

 一拍遅れて、エーレがリクサへと振り向いた。



「そうですね、大事な話があります。

 今回の歴史を大きく揺るがそうとしている、小さな介入者――‘’彼‘’のことについてです。

 そしてルシウス、貴方のことについても……」



 すぐ前のリクサ――ベールに隠された奥の瞳が、僕をまっすぐとらえたのがわかった。

 その口元が微笑まれる。



「ルシウス。光を持つ者――’’光を自ら選びし者’’

 もう一度、彼らの話を私から説明いたしましょう」












「すぐに出る。少し待機しておけ」

 そう言ったエーレはシュトルツを伴って、大聖堂から繋がる扉の先へ消えた。

 ゼファもそれに続き、僕とリーベ、そしてリクサだけがその場に残された。



「ゆっくりお掛けになってください」



 再び、玉座に戻った彼女の小さな手が、椅子を指し示す。

 先に椅子に腰かけたリーベに倣って、僕を彼の隣へと座ることにした。

 大聖堂に入って、リーベは一度も口を開いていない。

 ちらりと彼を見ると、疲れたような表情で僕を見ていた。



「何もできなくてすまなかった」



 きっとリーベたちは、ゼファとの圧倒的な力の差を身に染みて実感していたのだろう。

 だから、無暗なことはしない。

 彼らも強大な力を持っている――なのにエルフ相手では、こうも力量がはっきりと分かれる。



「リーベが謝ることないと思います。今回は、僕の無謀さも役に立ちましたね」



 そう言いながら、笑って見せた。

 普段なら、諫められるこの蛮勇とも言える無謀さ。

 それでも僕は、黙っていられなかった。



「エルフは人間とは造りが違う。人間より精霊に近しい存在だ。

 彼ら相手では、魔法や霊奏で私たちは太刀打ちできない」



 口でも塞いでしまえば、少しは勝機もあるのだろうが……

 彼は、リクサには聞こえないくらいでそう続ける。



 エルフを従えるリクサ――神の化身。

 先ほどの話で、彼女は自分のことは、何も話さなかった。

 首都付近で現れた少年に対して、知っている少しの情報と、すでに僕が知っていた3人の事情を話しただけだった。


 正体が気になって、ふとリクサを見ると「気になりますか?」と尋ねられた。



「私のことを知っていようと知らずとも、今後のことに支障はないでしょう。

 しかしそれでは、あまりにも礼節に欠ける。

 私が貴方のことを知っているのに、貴方が私のことを知らないのは、あまりにも不公平だと存じます」



 僕の返答を待たずに続けた彼女は、そのまま正体を明かした。



「リクサとは彼らと同じく、戒めの名でしかありません。

 私が秩序神テミスの化身になる、遥か前の名はアメリア。

 この世界の人々が、聖アメリアと呼ぶ者です」


「え」



 にわかには信じられなかった。

 ’’聖アメリア’’と言えば2000年前、レヒト教会を立ち上げた教祖だ。

 混沌とした世界の光として立ち上がった彼女は、こうも呼ばれていた。



 ‘’神の灯火‘’



 エルフと同じ、お伽噺の世界の住人。

 実際いたのかも確かめようのない、遥か昔の偉人。

 彼女の服装をどこかで見かけたことがあると思ってはいた。

 それは、随分昔のレヒト教会神徒が身に着けていた法衣だ。



「私にも一つ、譲れない目的があります。

 けれどテミスは彼らの授かった、クロノスの権能をそのまま見過ごすことは出来なかった。

 だから仕方なく加護枷(かごか)を与え、代わりに私は彼らに協力することにしたのです。

 彼らの望む未来の先に、私の達したい目的は存在しております」



 リクサは、目的については語らなかった。


 利害の一致――なのにどうして……

 どうして彼女は、僕たちをあえて危機に晒すようなことをしたんだろうか?

 彼女は2000年という、気が遠くなるような月日を、どうやって過ごしてきたのだろうか?



「ルシウス。私は彼らの敵ではありません。

 貴方は貴方の望むまま、信じたいものを信じてください。

 それが彼らの光となることを、私は心より祈っています」






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