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2. 不器用な教え子

 1時間も経たぬうちに、守山署の機動(きどう)捜査隊、刑事課の捜査員、鑑識(かんしき)、そして県警本部一課の捜査員が到着した。12号館は立入禁止となった。騒ぎに気づいた大学の職員、教員、学生で、正面玄関付近に小さな人だかりができていた。

 誰かがSNSに投稿したのだろう。あっという間にメディアに()ぎつけられ、大学への取材申し込みや問い合わせ、批判や苦情の電話が殺到した。

 聖マシュー大学の理事の一人、清水健吾(けんご)は、県警本部刑事部長の島田清澄(きよすみ)警視正(けいしせい)の高校の1年後輩だった。その島田の(きも)いりで、特別捜査本部が守山署に設置され、島田が捜査の総指揮を取った。

 守山署からはベテラン捜査員とともに、初動(しょどう)に関わったとして袴田と山口も特捜本部に加わった。

 解剖の結果、死亡時刻は4月19日の未明午前2時頃から午前8時頃と推定された。しかし、事件当日の午前5時5分に、大学の教職員用駐車場ゲートが、石川のIDカードで開かれた記録が残っていた。

 独身の石川は、論文を書くためによく早朝出勤していたという。それで推定死亡時刻は午前5時5分以降、午前8時前後までの間と(しぼ)り込まれた。

 死因は(どん)器、具体的にはクリスタル硝子(がらす)製のマリア像による撲殺(ぼくさつ)だった。複数回にわたって頭部や肩に鈍器による外傷が認められた。飛び散った血液の形状から、殺害時、石川はソファに座った状態で殴られたと判断された。

 研究室は荒らされた様子はなく、かと言って、失くなっている物があるともないとも断言できる者は誰もいなかった。

 石川修准教授は享年(きょうねん)42の独身、東京生まれで慶応大学出身、カリフォルニア大学バークレー校で博士号を取得した。同じ慶応出身の渡辺学部長の縁で、聖マシュー大学の准教授の職に就いた。

 いわゆるエリートであったものの、出世や名誉にはあまり関心がなかったという。研究熱心で学会や研究会で積極的に発表し、本も論文も(しる)していた。学生のウケもよく、ゼミの学生とはゼミ旅行やホームパーティも行っていた。

 翌々週の土曜日を迎えるまでに、動機があり、かつ推定死亡時間に石川研究室に行くことができたと思われる3人の容疑者が浮上した。

 1人目は、前年度の秋学期に石川と揉めた大学院2年生の井口聡子(さとこ)だった。学部長の渡辺貞人は、将来ある学生を容疑者にするようなことを言いたがらなかった。

 しかし、変にかばいだてすることで、かえって井口聡子に疑いの目が向けられることを恐れた。それで石川から受けていた報告をもとに証言した。

 井口聡子は必修科目の「心理学専門演習I」の単位を落とした。学期末が締め切りとなっていた修士論文の研究計画書と参考文献一覧を提出しなかったのだ。

 秋学期の成績発表のあった3月4日、井口聡子は12号館の石川研究室を訪れた。石川と話しているうちに激高(げっこう)して、机のペン立てにあったはさみを(つか)み、机を挟んで座っていた石川に切りかかった。

 はさみは石川に届かず、石川がすぐに井口の手首を掴んで落ち着かせたため、大事には至らなかった。

 大学側は、精神科の診断を受け、必要に応じて治療を受けること、休学することを条件に不問に付した。表沙汰になって、大学の評判に傷がつくことを恐れたという本音も見え隠れした。

 井口聡子は勤勉で成績優秀だが目立たない学生だった。人付き合いはあまり得意ではなかったようで、大学には友達らしい友達がいなかった。

 うまく自分を表現できず、人と親密になれないことを気に病んでいたようだった。そのことに気づいていた石川は、そんな井口聡子が安心して石川に相談に来られるように気遣っていた。

 実際、井口聡子はしばしば石川に相談に来ていたそうだ。問題の日も、課題を提出し忘れたことを謝罪に来たという。しかし、単位はもらえないと改めて告げられ、興奮状態に(おちい)った。

 井口聡子は石川に対して信頼を寄せていたからこそ、自分の「ちょっとした失敗」が大目に見てもらえないと知り、石川への怒りを爆発させたと思われた。

 大学生と言っても、昨今の子供たちは成長が遅い。大学での成績は良くてもきめ細やかな配慮が必要になる学生も少なくない。

 そうした配慮は大学教員の仕事ではないと、学生へのこの手の配慮を一切しない教員もいる。しかし石川は人間が好きだった。いいところも悪いところもひっくるめて人間だと思っていた。配慮したがために刺されそうになったことは皮肉だった。

 井口聡子は心療内科にかかり、不安が極端に強く脅迫的であるとして、投薬とカウンセリングを受けていた。「完璧な成績」が取れないこと、修士論文が思ったように進まないことが聡子をひどく追い込んでいた。

 通学時間を短くすればもっと研究の時間が取れると考えて、修士過程1年目の秋に大学近くで一人暮らしを始めたことも逆効果だったと医師は言う。

 治療を受けながら修士過程2年目を迎え、井口聡子はなんとか学生生活をこなしているように見えたという。

 同じ石川ゼミの同級生に尋ねても、「いつもどおり」とくに元気そうではなかったが、問題を抱えているようには見えなかったそうだ。石川研究室での出来事も、治療を受けていることも知らなかった。

「ずいぶん冷たいもんだ。近頃の大学生は、ゼミ仲間が元気がなくても尋ねもせんのか」

 捜査会議で報告を聞いていた県警本部刑事部捜査第一課の城島(じょうしま)警部は、最近の若者の人間関係に荒涼たる思いをいだいた。そして、この井口聡子という女子学生に同情さえ感じた。

 一人暮らしをしていた井口聡子は、犯行の推定時刻は早朝で、しかも前夜から気分が優れずずっと自宅で寝ていたと証言している。

 しかし、一人暮らしでは証明は難しい。井口聡子のアパートから大学までは徒歩でも15分あまりと近い。

 また大学という場所は、徒歩でならどこからでも入ることができると言っても過言ではない。しかも、大学自治や学問の自由の風潮は、日本の多くの大学では未だに多かれ少なかれ健在だ。教員や学生を防犯カメラで監視するという発想は、なかなか歓迎されるものではない。

 聖マシュー大学では、防犯カメラは、部外者の入構を監視する目的で、車が通過する3箇所の門、教室のある講義棟と生協や学生食堂のある厚生棟の入り口に設置されているだけだ。

 警察は、未遂に終わったものの、石川を傷つけようとした井口聡子に疑いの目を向けた。石川研究室では、相談に頻繁(ひんぱん)に訪れていた井口聡子の指紋が、当然のことながらいくつか検出された。

 しかし、事件当時に研究室やキャンパスで目撃されたわけでもなければ、凶器から指紋が検出されたわけでもなかった。

 身長178センチもある男の石川を、身長156センチの女である井口聡子が約3キロあるマリア像で撲殺できるか。

 これについては、油断した状態で背後から殴られ、衝撃で見当識(けんとうしき)が奪われたところでさらに殴られたのであれば可能だと判断された。

 石川の人柄を考えると、自分をはさみで刺そうとした井口聡子に対しても、自分の教え子であるということで、気を許していたことは想像に難くなかった。

 26歳の袴田は、特別捜査本部に当てられた大会議室の一番後ろで、捜査員たちの報告 

一言一句いちごんいっく聞き逃すまいと耳を傾けていた。自分が現場に一番に駆けつけたのも、特捜本部に参加するのも、これがはじめての経験だった。


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