19.マリアの罪
圭ちゃんがいなくなったあと、私は日向にできるだけ温かい普通の環境を与えようと思いました。
そして、圭ちゃんを失った澤口の両親に、極力寂しい思いをさせないようにしようと誓いました。そうすることで、日向もより家庭らしい環境を得られると思ったからです。
私は、日向の母親として、もっとちゃんとした人間になろうと思いました。人に馬鹿にされない、弱みにつけ込まれない人間になろうと思いました。
圭ちゃんも、私にちゃんとした両親がいればあんなことを言わなかったかも知れません。
親のことはどうにもならないので、私は大学院に行って大学に就職したいと思いました。修士課程が終わると、アドバイザーの先生がすぐに聖マシュー大で英語を教える非常勤講師の仕事を紹介してくださいました。
先生は、私に博士課程に行くことも勧めてくださいましたが、日向が中学に上がるまでは日向との時間を大切にしたいと思いました。
それに、非常勤講師でも、大学で教えていると言うと、世の中はそれなりに認めてくれました。
大学で週3日教えて、日向がいないときは、大学の授業の準備をしました。澤口貿易は、圭ちゃんが死んだあとも、ずっとお給料をくださっていたので、通訳や翻訳が必要なときはできるだけお手伝いしました。
残りの時間は、英語学の論文や本を読んでいました。英語圏の映画もたくさん見ました。日向は、父親はいませんでしたが、素直で優しい子に育ちました。
心理学部の渡辺学部長とは、私が担当した学生のことで何度かお話したことがありました。その渡辺先生から、心理学部の研究プロジェクトに被験者として協力して欲しいと言われました。
心理学ではありませんが、いずれ大学に戻って研究しようと思っていた私は快く引き受けました。
アンケートに答えたあと、4月16日、私の授業後に私のインタビューを担当したのが石川先生でした。石川先生は物腰の柔らかい、いかにも大学の先生という感じの知的な雰囲気の方でした。
最初に、個人情報保護について、研究のために知った内容を被験者が特定できるかたちで第三者に漏らさないこと、アンケートやインタビューの記録には実名や固有名詞を記載して残さないことを説明くださいました。
インタビューでは、私は差し障りのない程度に自分の身の上に触れ、あとは仕事の満足度や、仕事で嬉しいとき、困ったときはどんなときかなど、訊かれたことについて話しました。
石川先生は、私が何か言う度に、「それはいいですね」「それは素晴らしい」と感心したり褒めてくださったりしました。私は気分良くインタビューを終えました。
ところがこうおっしゃったのです。
「論文が完成するまでは一時的に、被験者の方のお名前を入れてこちらにデータを保存しているんです。今日の記録も後で入れませんとね」
石川先生は、青いUSBメモリを机の引き出しにしまいながらそうおっしゃいました。石川先生は、個人情報の管理に注意を払っているということを強調されたかったのだと思います。でも私は、USBメモリに自分の名前があると知って少し動揺しました。
そして石川先生は、思いついたようにおっしゃいました。
「そうだ、よかったら、また別の日にもう少しお話聞かせていただけませんか」
あまり気は進みませんでしたが、承諾しました。
するとこんなことをおっしゃったのです。
「いやぁ、澤口先生は実に興味深い方です。先生は、1人の人間でいらっしゃって、同時にいろいろな側面をお持ちだ。なのに、そのいろいろな側面がよく調和を保って、澤口美羽さんという素晴らしく魅力的な人間を構成している。先生のような面白い事例にはなかなかお目にかかれません」
私が別人だということに気づかれてしまったのか。私は急に不安になって、2回目のインタビューを引き受けたことを後悔し始めました。
また同時に、自分のことを研究対象の単なる物のように言われたことで、ひどく侮辱された気がしました。
私も、私の人生も何一つ面白くない。辛いことだらけで、それでも必死に生きてるのに、この人はいったい何を言ってるんだろうと怒りを感じました。
石川先生の経歴は知っていました。こんなお坊ちゃん育ちの人に私の何が分かるんだろう。心理学者なんて、知識がいくらあっても、人の心が本当には理解できるはずがないと思いました。
そんな人に、私の人生を邪魔されたくないと腹が立ちました。私は石川先生をなんとかしようと決意しました。
帰るまでに。私はソファと本棚の間に、40センチほどの硝子のマリア像があることに気づいていました。お礼を言う石川先生に別れを告げながら、私の頭の中で計画が出来上がって行きました。
石川先生はインタビューのとき、その頃は、毎週末朝6時には大学に来て仕事しているとおっしゃっていました。
私はその週の土曜日、4月19日の朝に実行することにしました。その時間帯なら日向にも気づかれず、計画を成し遂げることができると思ったからです。
金曜日の夜は、日向と映画を見ることが恒例になっていました。4月18日、前日の夜は『ワイルドスピード』を見たと思います。
普段はそこで日向を寝かしましたが、その日は映画を見たあと、日向と人生ゲームをしました。日向は久しぶりの人生ゲームで、コマが進んで何か指示を読む度に大声を上げてはしゃぎました。
午前3時頃、のどが渇いたという日向に、私が処方してもらったレンドルミンを砕いて入れた冷えたほうじ茶を飲ませました。レンドルミンは睡眠薬で、ときどきひどい不眠に陥る私が処方してもらっていた薬です。
日向を自分の部屋に連れて行くと、薬の効果を待つまでもなく日向はすぐに寝付きました。
私は、ジョギング用の紺色のトレーニングウエアの上下に着替えました。ジョギングのときと同じように、つばのある帽子を被り、鼻から下をスポーツ用のフェイスカバーで覆い、日焼け止めの紺色のシルクの手袋をしました。
万が一見られても、ジョギング中だと思ってもらえるし、顔を隠していても不審に思われないと思いました。
大学から徒歩20分ぐらいのところにある、夜間も開けっ放しの公園の駐車場に車を止めました。40台ほど入る駐車場には、十台ほどの車が止まっていました。
6時過ぎぐらいに着くように大学に向かって歩き出しました。石川先生の研究室のある12号館の近くの、人と自転車だけが出入りできる扉もない小さな通用口からキャンパスに入りました。
エレベータを使わずに階段で3階に行き、314号室の石川先生の部屋のドアをノックしました。
中から「どうぞ」という声が聞こえたので、ノブを回してドアを開けました。
「澤口先生、どうされましたか、こんなに早く」
石川先生は少し驚いた顔をされましたが、嬉しそうに私を招き入れてくださいました。石川先生は机の向こう側から出てきて私にソファを勧めてくださいました。
私は言いました。
「昨日から息子が祖父母のところに泊まっていていないので、気分を変えて大学の周りでジョギングしようと思ったんです。早くいらっしゃるっておっしゃってたので、今朝もいらっしゃるかなと思って」
すると石川先生は無邪気におっしゃいました。
「そうだ、ちょっと待っててください。澤口先生にどうかなあと思った本があったんです」
ソファに座って本を1冊膝の上に広げてぺらぺらとめくり始めました。
思ったよりずっと早く訪れたチャンスに、私は「今だ」と思いました。マリア像を指差して尋ねました。
「マリア様、触ってもいいですか」
石川先生が顔を上げないままおっしゃいました。
「綺麗でしょ。どうぞ、どうぞ」
私は、立ち上がってマリア像を手に取り、逆さに持ちました。そして、ずっしり重いマリア像の台座で、下を向いている石川先生の頭を思い切り、まず1回殴りました。
石川先生は驚いて、一瞬怯えた目で私を見たような気がしましたが、私はもう1度殴りました。それから、何度も殴りました。
気づくと、石川先生は養父の源次や圭ちゃんみたいに血の中に倒れていました。
両手で持っていたマリア像を頭が上、台座が下に来るように持ち直しました。
台座は血で汚れていましたが、マリアの顔は綺麗で微笑んでいるように見えました。20年前、クリスマスの翌日に死んでしまった美羽のことを思い出しました。
私は、いつの頃からか信じていました。
妊娠したマリアは、離婚されて、行き場を失い生まれてくる赤ちゃんともども死んでしまうことのないように、自分は処女で神の子を宿ったと嘘を付いたのだと。
教会や社会が勝手に決めたルールに屈せず、世の中を欺き、自分と子供を守ったのだと。
血を踏まないように、奥の机にそっとマリア像を置きました。そして、目を閉じて、手を合わせて世の中がよくなるように、美羽や私のような目に遭う人間がいなくなるようにと祈りました。
目を開けると、机の端に青いUSBメモリが置いてあることに気づきました。私は、とっさに掴んで上着のポケットに入れました。
また血を踏まないように気をつけながら、入り口まで行きました。ドアの内側と外側、両方のノブを注意深く拭い、前回残したであろう指紋を消し去りました。
来た道を戻り、帰宅したのは7時過ぎでした。3時過ぎまではしゃいでいた日向は、薬の効果もあったのかまだぐっすり眠っていました。




