悪夢:嘘ではない嘘
ピッと軽い音が鳴る。リリアナは今日も今日とて山と積み上げられている机上の書類に向かい、かりかりと忙しそうにペンを走らせていたが、受信の音が聞こえると顔を上げ、近くにあった石版を引き寄せる。彼女が慣れた手つきでノートほどの大きさのそれに手を滑らせると、少し間を置いてから文字が浮かび上がった。
ほんとうに? ほんとうに おれが いなくて だいじょうぶ?
博士お手製の魔術機械は離れた場所にいる人物からのメッセージを伝えてきていた。目を通して彼女は苦笑する。片手で手早く操作をすると、文字が浮かび上がる。
うん。平気だ。
タン、と小気味いい音をさせて動作を終了させると、送信した合図のピロン、という音が鳴る。石版を横にやって作業を再開させるが、そうしている間にすぐまた何かメッセージが受信した音がして彼女は中断する。
なんで そんな ひどいこというの? リリアナを まもれるのは おれだけだよ?
メッセージを読み上げる目が途端に生ぬるくなった。
落ち着けティア。近衛はお前だけじゃない。
ふっ、とため息のような音を漏らし、彼女は半笑いで文字を打ち出している。
そりゃ、悪いことしたなとは思ってるよ。降りる時期が一緒だってこともあるし、私だってできればお前を連れて行きたい。
リリアナ。
それでも定期視察は必須事項だ、お前のためだけに時期をずらすことはできないし、まして外すわけにはいかない。いいか? 実際に現場を見て回って、実態を把握したり中身を吟味したりすることだって重要だけど、こういうのはやること自体に意味があるんだ。定期的に魔王が各地に行く。それで秩序が生み出される。でも、お父様は今とても城から出せるような状態じゃない。だったら代わりに私が行くしかない。理解できるな?
長文を送りつけた彼女はしばらくの間本職に集中することができていたが、ピッと音が鳴って石版がちかちか点滅する。
リリアナは おれいがいの おとこに まもられたい っていうの。
いや、それとこれは別。公私は違うものだろうが。
今までは少し考えて穏やかな苦笑を浮かべながらのものだったが、これだけは即時返信で真顔だった。彼女は無表情のまま追撃する。
お前こそ私の心を疑うのか? 私がお前以外の誰かに何かされたいとでも?
理詰めで納得してもらえず感情勝負を持ちかけられたのなら仕方ない。戦略を変え、こちらも情で打ち返すのだ。あちらも今度の返信は妙に早い。
そんなはずないじゃないか リリアナは おれだけのものだ
文章だけでも今までとのテンションの差を感じ取ったのだろうか、今まで強気だった相手の動揺がうかがえる。リリアナはうっすら口元をつり上げながら、左手を石版に、右手のペンを書類の上に走らせる。
馬鹿だなあ。
リリアナ。
私だってそんなの知ってる。もちろん同じ気持ちだ。私はお前のもの。お前は私のもの。……あっ、後で消せよ、このメッセージ! 消さないと許さないからな!
リリアナリリアナリリアナリリアナリリアナりr
はいはい、わかってるよ。じゃあもう納得して我慢してくれるな。
リリアナは送信を終えると、一仕事終えてやった、と言うような顔になる。しかし、返信画面を見て彼女は思わず頭を押さえてのけぞった。
やだ。それと これとは べつ。
だだをこねるガキか貴様は、私より年上のくせに!
だっぴしても おれの リリアナへの おもいは かわらないよ!
ほう。「!」が打てるようになったのか、よかったな。その調子でもう少し読みやすい文を打ってくれるようになると、もっと嬉しいな。
リリアナ……! でもね びみょうに しおたいおう だよ!
ニーコー? お前横で奴に変な知恵仕込むのはやめろ。あとそこにいて覗き込んでコメントしてるぐらいなら、もうお前が翻訳しろ。魔術機械の操作は間違いなくティアよりうまいだろう。
深く深く重たい息を吐いてからリリアナがメッセージを送信し終え、後ろのソファに石版を放り投げてしまうと、室内にはペンをかりかりと走らせている音だけが響く。十枚ほど片付けてから、彼女は肩に手を置いてぐるりと頭を回した。成長して角が四本も生えてきた頭はそれなりに重い。デスクワークをしていると簡単に肩が凝ってしまう。放っておけばすぐに治りはするが。
彼女は作業机から立ち上がって伸びをしながら、ソファに歩いて行く。石版を拾い上げて確認すると、あれからいくつかメッセージが追加されている。
なんでわかったっすか!
めっちゃシーグフリードさんににらまれてるっす。
でも頑張るっす。ここからはおれっちが代筆するっす。
以下はシーグフリードさんからのメッセっす。
……後でフォローしてくださいっすよね!
でも、それで話をそらしたつもりなら、ダメなんだからね。
だ、そうっす。
ってか返信くださいっす。
おれっちが圧力で死にそうっす。
お、お仕事中っすか? せめてこう、現状報告を。
いやいやいや、その、すみませんっすおれっちそんなつもりじゃ。
……あの。シーグフリードさんが壁殴りをはじめているっす。
仕事をしているときは気むずかしそうにしかめられていた顔が、文字列の意味を認識するとふわりとゆるむ。
そうか。
リリアナ、遅いよ!
ごめんな。
淡泊っていうんだよ、そういうの!
知ってる。
ひどいよ!
だろうな。
ちゃんと真面目に話ししてくれてる?
私がお前に不真面目で不誠実だったことがあるか?
リリアナ……!
だから、ちゃんとおつかいに行ってきてくれるな?
リリアナ
だまって聞け。
はい。
いいか、私はお前だから何も言わなかったんだ。信じているから離れても大丈夫なんだ。理解してくれ。お前に任せるのは、とても重要な任務なんだぞ。お前だけにしかできないんだ。わかってくれるな?
任せて! リリアナ愛してる!
リリアナは自らの勝利を確信すると、鼻を鳴らした。ソファにもたれかかっていた身体を起こして石版を置こうとするが、ふとまだ浮かび上がった石版上の文字に目を細める。今までやりとりしていたティアのものではなく、ニコが個人的に送りつけてきたもののようだった。
シーグフリードさんがもてあそばれてるっすー。
彼女は首を振ってから、石版に手を伸ばす。
私はティアが思っているほど正直者ではないけど、お前が思っているほど嘘つきでもないんだよ、短命種。
送信を確認すると、今度こそ石版の起動式を切り、ほいっと後ろに投げ捨てる。するとそれを受け取るパシンという小気味いい音が響いた。
「ちょっと。僕がいるからって雑にしないでくださいよ。これ割と精密なんですからね。博士が泣いちゃいます」
「うるさいな」
「にしてもニコには僕も同感だ。あなた本当に悪い女ですねえ」
「……文字媒体にしても横から読めるのか」
「そりゃまあ、入力出力が非音声でもテレパシー使ってることには変わりないですし」
リリアナは作業机に戻ろうとしたが、男が出て行こうとしないので椅子に座ったまま振り返る。
「どうした? まだ何か用か?」
博士の開発のたまものを指でなぞりながら、彼女の部下は伏せていた目をゆっくり上げる。
「このタイミングで行くということは――本当に、いいんですね」
「くどい。何度も言った」
「だけど」
「今更怖じけづくのか? それとも気が変わった? 復讐を諦めると?」
「俺は死ぬまで絶対に諦めない。けど……あんたを巻き込んだことを、少し後悔している」
偽りの碧の目を見据え、リリアナは低く声を上げる。彼女は椅子ごと振り返ると行儀悪く足を組んで片手でほおづえをついた。
「らしくないな、シアル。一体どうした? 約束したじゃないか、私たちは共犯者だと」
「共犯者……なんですかね」
「どういう意味だ?」
男は微笑みを浮かべたまま黙って答えない。少女の目が剣呑に細められた。
「それとも、他に何か私に言うことがあるのか?」
途端に部屋の空気がさっと冷気を帯び、リリアナの金の瞳が不気味に輝き出す。
男を偽装している怪物は表情をなくした彼女を見つめたままだった。
「いいえ、何も」
やがて答えがあると、緊張が嘘のように霧散する。
「そうか。なら問題ないな」
「はい。……すべてあなたの思うままに」
「うん。よろしく頼む」
朗らかな微笑みを浮かべた彼女に頭を下げて、男は部屋を出て行こうとする。
「ヒューズ。私はこれでもね、お前のことが結構好きな方だと思うんだ。お前はなんだかんだ言って、一番最初だったし」
すると扉に手をかけたところで、先ほどと打って変わった優しい声がかかる。
「少なくとも、お前を切ったら私はそれなりに後悔するよ。墓だって作るかもしれない」
男はほんのわずかの時間動きを止めてから、いつも通りの穏やかでうさんくさい微笑みを浮かべ、おどけたように軽く返す。
「僕もです。あなたには、できるだけ長い間生きていてほしいですし、その姿を見ていたいですからね」
出て行く瞬間、ほんのわずかにその唇が動いた気がする。
しかし、それはリリアナの角度からは見えなかった。
でも、それ以上にはなれないんですよね。




