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母親殺しの憂鬱

「ばあやは私の祖母でもあり、母親代わりみたいなものでもあった」


 リリアナはティアに抱きしめられたまま、ぽつりぽつりと話し出す。崩れた本の山のいくつかに彼女が視線を向けると、触れてもいないのに浮かび上がって元の位置に戻っていく。


「もともとはお母様の乳母――というか、世話係だったヒトでね。私が生まれる頃にはもう年を理由に引退していたんだが……まあ、いろいろあって、再び城で私の世話係として働くようになった。といっても、お前と出会う前の話なんだけどね」


 素早くリリアナから聞いた情報を頭の中で整理しながら、ティアはそっと問いかける。リリアナの生まれた頃にあったいろいろ。彼には心あたりがある。


「いろいろって、お父さんとのこと?」


 彼女は一度ティアの方に顔を向け、にらむように強いまなざしでのぞきこんでくる。それから大きなため息を吐いて、またもたれかかるような状態に戻った。


「お前本当に、変なところで妙な勘が働くな。そうだよ。お父様は最初、私の世話がうまくできなかったし、私をうまく扱えるヒトは誰もいなかった。それでばあやが呼ばれたんだ」


 リリアナの声にはどこか疲れのような色がにじんでいる。ティアは彼女がどこまで自分の過去を知っているのか曖昧だったが、なんとなく彼女はかなり細かく事情を知っているのではないかとその口ぶりから思った。城で誰かから言われたのかもしれないし、自分で調べたのかもしれない。いずれにしろ、あまり良いことでないように思える。なぜならリリアナの空気は相変わらず重い。


 どさどさと、彼女がティアに身体を預けながら整頓を続けている本達がまた一山音を立てながら積み上がっていく。彼はを珍しくも思考をフル回転させて、リリアナの顔色をそっとうかがいながら話しかける。


「でも……お母さんが死んだのは、リリアナのせいじゃないでしょ?」


 すると彼女は微妙に嫌そうな顔をした――気がした。ほんのわずかに眉が動いたのである。

 言うべきではなかったのか、と慌てるティアの服の裾がつかまれる。ティアはそれを合図に停止して、黙って見守った。息を吸って、吐いて。無表情にリリアナは答える。


「そう、私のせいではない。不幸な事故、不運の積み重ね。私が責任を負うべき問題ではない」


 リリアナはそこで、はっと大きく鼻を鳴らした。頭を左右に振ると彼女の見事な金髪がさらさらと揺れる。


「――と、本来なら模範的には回答するべきところだが、お前相手だからな。残念ながら私が母親殺しであることはれっきとした事実だよ、ティア=テュフォン」


 実に皮肉っぽく、髪の毛をいじりながら彼女は話を続ける。目を丸くしているティアから少し身体を離そうとするので、こちらも肩に回していた手から思わず気圧されるように力を抜く。彼女はそのままソファの背にもたれかかって行儀悪く足を組み(それでもリリアナがやるとどこか品良く見えるから不思議だ、と思ってしまうあたりティアはいつでものんきである)、ぷらぷらと動かした。


「母殺しは我らが元凶、おじいさまからの伝統芸さ。仕方ない。私たちの一族は保有する魔力量が幼少の頃から異常すぎる。体内にこんな劇物を抱えさせられて、か弱い母体が耐えられるはずがないんだ。紫水晶の女もヴィクトリアもエバ=ダリアも普通のヒトだった。だから皆死んだ。当然の結果。私たちは生まれてくるときから誰かを殺さずにいられない。生まれてくるときから一人にならざるを得ない。そういう血筋なんだ。そういう……」

「リリアナ」

「化け物ならなぜ化け物の腹から生まれないのか。得られるはずもない母に、伴侶に恋い焦がれ、せめてヒトであろうと抵抗する。それでも声は止まらない。奴を殺せと声がする――」

「リリアナ? リリアナ!」


 リリアナの話し方は何かに憑かれたようなところがあり、瞳には不気味な暗い光が宿り、表情はどこか恍惚としたような色を帯びている。少なくとも平静とはとても言えない。ティアは不安になって彼女の肩を揺する。身体に刺激が与えられると、彼女ははっと気がついたようで、子竜の顔を見て呆けたように瞬きを繰り返す。


「リリアナ。やっぱり今日少し変だ。大丈夫?」

「……なんでもない」


 ばさり、と遠くで相変わらずリリアナに操られていた本の束が落っこちていく音が聞こえる。リリアナは左手で顔を覆った。小さくうめき声を上げる彼女が心配で、ティアは思わず残った右手を握ってくいくいと気を惹くように引っ張ってみる。力強くではないが、握り返してくる感覚があった。


「ばあやはね。でも、こんな私に、いつでも味方をしてくれた。子どもの頃の話さ。ティア、知ってるか? ほ乳を必要とする生き物はね、子どもが泣いたら親がすっ飛んできて甲斐甲斐しく世話をするんだ。そうやって私たちは世界への信頼やら社会性やらを学習する。お父様にその親子の基本を教育したのはばあやなんだ。真面目で偉大なる当代魔王は、今でも律儀に守ろうとしていらっしゃる。実に勤勉で努力家なあの方らしい……」


 リリアナの言葉にはさっきから違和感しかない。彼女は自分の事、自分の父や家族のことを語っているはずだが、その割にどの言葉にも突き放したような冷たさを感じる。父親のことをうっとうしそうにしながらも、どこか親しみを持って温かく接している普段の姿はどこに行ってしまったのか。今の彼女の語り方からは、彼に対するなんとも言えない敵意のようなものが、少なくともティアが今まで知っていた親子関係とは全く異なる物が見え隠れしている。


 ――血は水よりも濃い。


 ――逆鱗に触れることになる。


 ぞわぞわと悪寒のような感覚が、ティアの背筋から身体に広がっていく。


 彼女の手を握った。彼女も手を握り返した。それなのになぜか、さっきよりも離れてしまった気がする。何かの距離が、断絶が。見えないけれど、確かにここにある。リリアナはうなされるように喋る。


「あのヒトが大丈夫だと言ってくれると安心した気がした。私のことをいつだって信じてくれて、私は悪くないといつだって言ってくれた。それが私が物心ついてすぐ、ついに身体に限界が来て城にいられなくなった。元々具合を悪くしていた上に、私の癇癪にだって何度かつきあわせてしまったから、覚悟はできていたよ。だけどお父様と同じで、駄目だ駄目だと言い続けてからもそれなりに持っていたからね。すっかり油断していたんだ。でももう今度こそ持ち直しようがない。あのヒトは死ぬ。……はは。これで二度目の親殺しってわけだな。本当に嫌になるよ」


 ぐいぐいと右手を引っ張ると、リリアナは顔を覆っていた手をどけてティアの方に視線を向ける。少しだけひそめられた眉、どろりと濁った金の瞳、皮肉っぽくつりあげられた口角を前に、ティアは思わずつばを飲み込み、おずおずと尋ねる。


「ひょっとして、自分を責めているの? ばあやが死んじゃうのは自分のせいだって?」

「責めるも何も、事実だ。昔にだって言っただろう? 私の力は誰かを容易に傷つける。……その場にいるだけでもな」

「だけど……別にその、ばあやがリリアナに恨み言を言ったとか、そういうことじゃないんだよね? ばあやは、その、好きで仕事をして、まっとうしたんじゃないの? じゃあ、リリアナがそんなに怖い顔をする必要は、ないんじゃないかな」

「嬉しいことを言ってくれるね、ティア。でもね。誰よりも私自身が、私を一番許せない」


 ぴしゃんと横っ面をひっぱたかれたような衝撃だった。

 彼女はきっぱりと言い切ってから手も離し、椅子の上で膝を抱え、顔を埋めてしまう。聞いたことのない彼女の声に、見たことのない彼女の姿だった。


「ああ、憎らしい。どうしてこんな血筋なんだろう。好きになった相手を不幸にせざるを得ないんだ。私たち全員、誰一人として例外なく」


 彼女をこのまま放っておくのは良くない気がした。単純に心配でもある。けれど彼には彼女が自分との間に何か明確な線を引いていることもうすうす察している。事実、リリアナが語るばあやのことはなんとなく理解できても、彼女がなぜ今ここで祖父や父親、血筋の話題を執拗に出すのかいまいちティアにはピンとこない。


「俺はリリアナの側にいるけど、何も変わらないよ? ずっと一緒にいるよ? 不幸なんかじゃないよ? ねえ、リリアナ――」


 ティアはなんとか彼女に元気になってもらおうと、元の調子に戻ってもらおうとして声をかけ続ける。

 すると彼女は顔を上げた。急に身を寄せてきて、至近距離で見上げてくる。ティアの心臓は高鳴った。彼女の小さく細い指が彼の胸をなで上げ、首に上がり、喉の奥に触れる。急所を指がかすめて彼はぶるりと全身が震えるのを感じた。


 無邪気な二つの金の瞳。そこには、彼に対する慈しみと、愛情と、


「それはね、愚かな私の子竜。まさしくお前が異常だってことの証なんだよ」


 そしてわずかに憐憫のような感情が見えている。けれど声音はどこまでも優しい。彼の柔らかな急所を指の腹でなだめるように撫でながら、ささやきかけてくる。


「でも私はどこまでもねじ曲がっていて疑り深いから、こんなに愛してくれるお前のことすら、時折こういう目で見たくなる」


 リリアナの手がティアの身体をなぞりながら上がっていき、そっと両手で彼の両耳を塞ぐ。彼女がそのまま首元に頭を寄せると、口の動きが見えなくなって子竜には彼女の喋る内容が伝わらなくなる。


「一体どこまでが真実お前のもので、どこからが私がお前に強いているものなのかしらね?」


 首筋に歯が立てられる、甘い感触がした。子竜が思わずうめくと、彼女は笑いながら離れていく。




 そしてちょうどそのタイミングを見計らったように、あきれた男の声が二人に投げかけられた。


「困りますよー、オイタは」


 いつから侵入していたのだろうか。部屋の入り口の方で腕を組んで書棚にもたれかかりながら、セオドア=ヒューズは相変わらずどこか軽薄さに満ちた顔である。その片手に靴が握られていることに気がついたティアがさっと不機嫌そうに耳を動かすが、リリアナはくすくすと笑った。彼女の横顔には先ほどまでの鬱屈した暗い影はなくなっていて、彼の知っている星の光のような、太陽のような笑顔に戻っている。


「どうせ私が何も言われなくたって、お前には全部わかっているんだろう? シアルは優秀だから」


 からかうように声をかけられると、子羊たちのとりまとめ役はわざとらしく肩をすくめた。


「そりゃね、わかってはいますけど、一応あなた偉いヒトだ最近あれなんですからもうちょい自覚を持ってですね」

「うるさい。いいだろう、たまには好きにしたって」


 リリアナは言いながら子竜の首に手を回して胸元に顔をうずめた。きゅうん、と思わず感激の声を上げる一方、目で空気読めよと男に全力で威嚇しているティアである。もちろん男は涼しい顔でティアのむき出した牙やら何やらを流している。


「また今日はずいぶんと荒れているなあ。はい、そこの童貞も唸らないの。これでもサービスしてあげた方なんですからね。……ああはいわかりましたよ。あと5分だけね。あんま盛り上がんないでくださいね。皆に言いふらしますから」


 やがて抵抗むなしく二人の甘い空気は断絶させられ、引っぺがされてしまう。リリアナも十分彼女なりに堪能したのか、連行されていくティアを引き止めてくれる様子はない。


「また今度な」


 といっそ薄情なほどに素っ気なく別れを告げられる。切ない。

 ただ、彼女が大げさに別れを惜しんでくれることなんてまず滅多にないし、冷たくされればされるほど燃え上がる物もあるし、今日は別れ際が素っ気なくてもいろいろイチャイチャしてもらえたので、子竜としてはそれなりに満足である。

 その一方で、今日得た物は浮かれてばかりもいられない情報もあった。


 恨めしげに廊下で先導するヒューズの背中を見ながら、今日の彼女との会話を振り返っていたティアは、ふと思い出す。


「シアルってお前のことか」


 リリアナ補正か今夜はさえている。先ほどリリアナが何気なく呼びかけた言葉。かすかに頭の片隅に引っかかった情報が、たった今意外なところと結びつく。

 前を行く男はぴくりと反応し、いかにも不機嫌そうに振り返った。


「だとしたら何か?」

「あの時、邪眼が言ったんだ。シアルの代わりに暇つぶしをしようって」


 しっかり見据えながら言うと、へえ、と男は声を漏らし、腕を組んで首をかしげる。その瞳が瞬時に虹色に染まった。


「今日は殿下からいろいろ有意義なお話をしてもらえたでしょうし、あなたにしては大分情報を集めてきたみたいじゃないですか。それで? だからどうしたんです?」


 穏やかに聞かれ、子竜は口を開けたまま硬直する。

 だから、なんなんだろう? 邪眼が狙っていたのがこいつなことはなんとなく前からわかっていたことだし、それが今明らかになったところで何か――。


「暇つぶし。そう言ったんでしょう、あれは。だからそういうことですよ」


 突っ立ったままでいると、セオドア=ヒューズは苦笑してからくるりときびすを返し、背中を向けたまま低く告げる。


「別に近衛と遊ぶことはどうでも良かったんじゃないかな。他に目的があったんだから」


 は、とティアが顔を上げると男はてくてく歩いて廊下の角に姿を消す。慌てて追いかけていって見回すが、どこにどう移動したのやら、中途半端なヒントだけ残していなくなってしまった。ティアは途方に暮れてから、ふと気がつく。さっと顔から血の気が引いていく。


 ずっと感じ続けていた違和感。あっさりと死んでいった邪眼の子、邪眼本人――その意味。


 けれどそこまで思いついたところで、彼にはやはり邪眼の真の目的とやらにはさっぱり心あたりがない。何かのど元に気持ちの悪い塊が上がってきているが、はき出すことも飲み下すことも難しい。

 しばらく考え込んでいたティアだが、やがて手詰まりに思い至ると、大人しく部屋への帰路をたどり始めた。今日は本当に、少しばかりたくさん情報を得すぎた。帰って寝て、すっきりしてからなんとかしよう。ふらふらと歩いてく子竜の影を、廊下のどこか頼りない照明が照らしている。




 彼は気がつかないが、その様子を少し離れた暗がりから二つの虹色の目が見守っていた。


「リリィ。あんた本気か? 下手すると全滅しかねないけど? ……いや、今更ではあるけどさ」


 ナイトメアは闇の中で騎士の後ろ姿を見送ってから、そっと小さく声を上げ、少し間を置いてから目を伏せる。


「はいはい、いいよ、わかりました。あんたと俺で約束した、そうだったよ。……どうぞご自由に、我が君」


 彼のつぶやきは誰に届くこともなく、城の孤独な闇の中に吸い込まれていった。

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