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重なる気持ち

今回は長めです。大体今までの2話分くらい。

 ニコはゴニョゴニョ誰かと連絡しあった後、ランプを片手に歩き出す。


 今までどうやって魔術の使えないはずの短命種が仲間と連絡を取り合ったりしているのか謎だったが、何の事はない。

 彼の左手首に巻かれている地味な腕飾りがそのための魔具だった。


 連絡先がほんの少し気になったので聞いてみたところ、例のいけすかない男だとわかった。

 さらに、渋る友人に食い下がり、なか恐喝きょうかつして聞き出したことには、今までも自分の行動は逐一ちくいち奴に報告されていたらしい。


 聞いてから嫌そうな顔を隠そうともしないティアに、だからあんまり言いたくなかったのにー! と短命種は嘆いた。

 うっかり口を滑らせた本人の責任でもある気はするが。



 そんなこんなで連れられてやって来たのは、こじんまりとした小部屋の前らしい。

 扉の前に、赤毛の騎士が立っている。


「直接会うのはこれが初めてだな、見習い近衛のシーグフリード殿」


 自分に先んじてリリアナの側に侍る男の気配に殺気立ったティアだが、声を聴いた瞬間態度が軟化する。


 ハスキーであるが高い声、それと竜の嗅覚の判別結果、相手の性別が女だとわかったからである。

 女なら結婚はできないから大丈夫だ、というごくごく単純な思考回路である。

 魔人の百合なる文化をティアが知らなかったことが、ここでは幸いしたらしい。


 ……いつの間にかニコが少し遠いところに隠れている。先ほどの一瞬の殺気に敏感に反応したようだ。正しいような、どことなく情けないような。



 ともかく、女性にしては少し体つきが勇ましすぎる気がしないでもない女近衛はフィリスと名乗る。喋り口調もなんだかずいぶん(騎士たちの言うところの)一般女性と程遠い。


 魔人には珍しいタイプの女だなあ、なんて思いながらティアはしげしげと眺めているが、そんな態度に慣れきっているのか、向こうはさして気にした風はない。


「君の噂はかねがね。近衛の方からも、殿下の方からもね。

私は今のところ殿下の専属近衛としてはたらいているんだ。女で戦い専門ってのは少ないからな。

――今までは君が来た時は空気を読んでいなくなってたから、私の事は知らなかったのだろうけど」


 はて、ではなぜ今回はいるのだろうか、とティアが首をかしげると、フィリスはなんだかわざとらしいため息をつく。

 ご丁寧にやれやれと首を振る動作までおまけでついた。


「だって、今の殿下は引きこもり状態だから誰とも会いたがってないから。非公式面談なんだよ、これ」


「要するにとりでにこもってる殿下に君は奇襲をしかけようとしている、そういうことです。まあ仮にも騎士見習いですし、さすがにこう言えばわかりますよね、ねえ?」


 フィリスの説明にわかったようなわからないような顔をしていたティアは、後ろの方から、明らかに挑発まみれに投げかけられた声にさっと身体を強張らせた。


「……会長? ややこしくなるから出てこないって言ってなかったっすか?」


「こっちの方がこの後面白いかなと判断しました」


「……面白い?」


「あ、もちろん僕が。殿下は知りません」


「そうっすか……」


 ニコが控えめに言うと、うきうきした声で男は返す。フィリスに至ってはどこか諦めた目で一瞬そっちを見てから明後日の方をうつろに眺めている。



 久方ぶりにきちんと見た男の顔は、相変わらず嫌味なほど整っている。

 かのリリエンタールも美男子だが、なんていうかあっちが正当派王子顔とでも形容できるものなら、こっちは崩れているのにその崩れが均整をとっている――要するに庶民派で、さらに言うなら悪人面よりの美形である。

 だから、今みたいな悪いことを考えている笑顔がとてもよく似合う。


 が、リリエンタールのアレが天然ものなら、これはどう見ても計算して配置された、整っているはずなのにどこか人工的で不自然な顔立ちにティアは感じていた。

 この男にいつまで経っても警戒心を抱き続けるのは、こういった印象のせいもあるのかもしれない。

 それと今までは赤毛に分類される髪色に見えていたが、文字通り燃えるような赤毛のフィリスと並ぶと普通の茶髪に見える。



 早速喉の奥でうーっと威嚇音を上げているティアに、ヒューズはひらひらと手を振って見せた。


「いや、言っときますけど今回の君、全く僕に頭上がりませんからね。

殿下は大泣きするわ、慰めるために連れてきたばあやは鬼婆で杖を振り回すわ、部下たちの一部は無駄な報復行為をはたらこうとするわ、おまけに陛下まで普段鈍感なのにこういう時に限っていろいろ察知しそうになるわ。

物理的に首が飛ぶかと思いましたよー、ははっ。誰のせいだと思ってんだこの野郎」


 他の事はともかく、リリアナが大泣きした、その一点だけでもうティアには心臓が止まるかと思うほどのダメージである。


 見事に情けない顔になった近衛見習いに、ヒューズは満足そうにふふんと鼻を鳴らす。


「あ、それが言いたくてわざわざ出てきたんすね」


「いや、でも正直今回の件に関してはとんでもなく仕事したと思うぞ。これくらいは言ってもいいと思う」


「は、っすか?」


「これで日ごろの度重なるセクハラと、何より私の性癖暴露(ばくろ)と言う一大事件を起こした張本人でなければ、もう少し尊敬して差し上げてもいいんだが」


「えっでも暴露された結果、これで仲間も増えたし何よりもう隠さずに済むっておっしゃってた気が――すみませんすみません、何も言ってないっすごめんなさい許して姐さん!」


「だから誰が姐さんだ!」


 こそこそと見守る二人が後ろで話している間に、ヒューズはあろうことか意気消沈しているティアのその首根っこをひっつかむと、ちょうど彼が今から心の準備をして入ろうとしていた扉を流れるようにもう片方の手で開け、優美な曲線を描いて思いっきりその中に投げ飛ばした。


 ティアは対応しきれず、その辺の家具にぶちあたって、振ってきた本の下敷きになる。

 本棚がぎっしり詰められ、そこら中にも所狭しと本が積み上げられている部屋だった。

 常人だったら軽く本の嵐に気を失っているところかもしれないが、そこは頑丈だけが取り柄の男なので一応怪我はない。怪我はないが、大量の本に襲われれば痛くなくても呆然とはする。


「ちょっ、会長、いくらなんでも雑すぎる――」


「いいんですよもうこれくらいで。あ、任務完了するまで出しませんので、死ぬ気で謝ってくるように。以上」


 そんな言葉を最後に、扉はバタンと閉じられた。本当に、外側から鍵がかけられ、しかもその上から厳重に術が施される気配がしている。


 色々と出遅れてすっかり反撃する機会を失ったティアは、理不尽な行為に怒りを覚える間もなく、近づく気配に頭が真っ白になる。


「ヒューズ、緊急事態か? それにしても、随分派手な音が――」


 そう言いながら部屋の奥の方から様子を見に来たリリアナは、ティアの悲惨で間抜けな姿に絶句する。

 直後、きびすを返そうとし――。


「リリアナ!」


 慌てて呼びかけると止まった。

 それから、すっかり肩を落としてなぜかこっちに帰ってくる。


「……逃げても無駄だった。この部屋、ほかに出口ないもんな」


 それに逃げちゃいけないことだろうし、というかあいつ逃がすつもりないみたいだし。

 ぼそりと入口の方の厳重な閉じっぷりにちらっと目をやってつぶやきながら、彼女はティアの近くまでやってきて、ちょうど手近な椅子に、見るからに手触りの良さそうなクッションを抱え込んで座り込む。


「……あんまりじろじろ見るな」


 言われてごめんなさい、とは言うが、やっぱり観察はやめられない。


 非公式面談、という意味をティアはなんとなく理解した。

 今日の彼女は、男でも女でも着られるような、ゆったりした部屋着に身を包んでいる。いや。よく見たら上衣とスカートが一体になっている服――スカート! 女物だ! この際別に男でもスカート型の服を着ることはあるだろなんて野暮な知識には家出していただく。

 なんという希少価値リリアナ様。惜しむらくはもう少し丈が短かったらアングル的に見えていた。何が? さらなる神秘への扉が。



 深刻なこの状況でなかったら興奮してうっかり飛びかかっているが、如何せんティアはただの変態ではない。

 本人がやる気を出した時だけ空気を読める男だ。

 自分のやるべきことを果たそうと、頭にかぶっていた本をどけ、床に胡坐あぐらを組んで――いや胡坐から思い直して正座に座りなおしてから声を上げる。


「リリアナ」


「ティア」


 ちょうど同時に言い出そうとしたらしく、二人の声が重なる。


 はっとした後お互いに視線をそらし、気まずい沈黙が続くが、耐えられなくなったのか今度は先にリリアナが口を開いた。


「いや、そっちからでいいぞ」


「リリアナが優先だ」


 ティアが即座に言い返すと、うっと彼女はひるむ。


「わ、私のは後でいいから」


「じゃあ、俺から言う」


「あっ、でも――」


「やっぱり先にする?」


「いや……うう……」


 リリアナはすっかり困りきった顔で、うなりながらしどろもどろしている。


 しばらく見守ってから、ティアはこちらが先に喋ってもいいと判断して口を開いた。


「許してもらえるかわからないけど」


 切り出すと、彼女は黙り込み、しっかり聞いてくれる体勢になる。


「俺、リリアナの事傷つけた。……裏結びの事、知らなかったんだ。でも、知らなかったからって、やっていいことじゃない……」


 語っているうちに自然と目じりが熱くなり、頬を何かが伝い落ちていく。


 妙な間の後、リリアナが思いっきりぎょっとした顔になった。


「なっ、なんで泣く? なんでこのタイミングで、お前が泣くんだよっ!?」


「だって――だって、俺――ぐすっ――リリアナに、ひどいことして――うっ――こんなんじゃ、側に居られない――ひっ――俺が守るって思ったのに――」


 本格的にしゃくりあげつつも合間合間に声を発していると、盛大なため息の後、近づいてくる気配がする。


 たどり着くまでに地味に本の群れと戦いを繰り広げてから、小さな指が目元をぬぐってくれた。


「わかったよ。――でも謝らなくちゃいけないのは、こっちの方だ。私の話も聞いてくれるか? あと、頼むから泣くな。いろんな意味で落ち着かない」


「うんっ」


 言われたのでごしごしと顔を乱暴をこすり、ふうっと盛大に息を吐いてから即座に真顔に戻る。


 リリアナはちょっぴり微妙な顔になってから、気を取り直してゆっくりと語りだす。


「ごめん。わかってたんだ。お前が今も十分頑張ってること。私がいろいろと無理させてること。だけど、お前は文句ひとつ言わずに何でも言うことを聞いてくれるから、それが当然になってたんだ。――甘え過ぎた」


 そんなこと、と言いかけるのを制してリリアナは続ける。


「それに、クローディアは私よりきれいだし、女らしいし、優しいし。そりゃあ、言うこと聞く気にもなると思う。私は、お前にいつも会えるわけじゃないし、会うときは呼びつけてるし――」


 そんなことない、リリアナの方がずっときれいだし可愛いし優しいし、とティアが続けそうになったので、困ったように、どこか泣きそうな顔で微笑んでから彼女は続ける。


「お前の贈り物、純粋に私を喜ばせるためだけにしてくれたんだって、わかってたよ。あの程度のいじわるだったら、今までだってなかったわけじゃない。――でも、耐えられなかった――だって、だって! ティアのくれた、初めての贈り物だったのに! それを、お前はっ――そう思ったら、止まらなく、なって」


 リリアナは急に顔を上げると、急にティアの胸元をどんどんと叩きはじめる。泣き出しこそしなかったが、瞳はうるみきっていた。


「なんで、お前――簡単に言いくるめられて、なんだよっ。そんなことまで言わないとわかんないのか! 私がずっと見張っていられるわけじゃないんだ。これからだってそうだ。何のために、私がなるべく会わずにいたと――」


 どん、どん、と叩かれるたびに、胸の奥が震える。痛いのは、心だ。


「プレゼントなんていらない! そんなの、いらないから――」


 ティアはされるがまま、じっと立って聞いている。

 リリアナはしゃくりあげながら、かすれた声で尋ねた。


「私が呼んだときに、側にいてほしいと言ったら、お前はそうしてくれるか?」


「俺の全部は、リリアナのものだから――リリアナが、それをいいっていってくれるなら」


 ティアが真剣に答えると、リリアナは叩いていた手をぎゅっと握りしめて、伏し目になる。


「あんなこと、許すから――私のことも許してほしい。あの時、お前に何も説明できずに逃げ出した私を」


「許すだなんて――」


 彼が言おうとすると、リリアナはきっと眉を吊り上げた。――少しだけ、いつもの表情に似ていた。


「それじゃダメだ。なかったことにするのはけじめがつかない。……だから、お前も私を許してほしい。それで……仲直り、しよう」


「……わかった。許すよ。これでいい?」


 うん、とリリアナはうなずく。彼がほーっと安心する直後、彼女はまだなんだか言いたいことがあるらしい。気配に視線で促すと、目を細くしてリリアナは聞いてくる。


「……一応最後に確認しておくけど、クローディアのことは、なんとも思ってないんだよな?」


「えっ――だって、何か思いようがないじゃないか。なんでそうなるの?」


「いや、その、ああいうのが好みなのかなってちょっと気になったって言うか」


「俺の好みは金髪のストレートで四本の角があって翼があってでもめったに見せてくれなくて金の目でたれ目で吊り型の眉であんな気持ち悪い暗い白いんじゃなくてもう少し色がついてる肌でというかもっとずっと可愛いヒトで」


「わかった、わかったもういい、やめろ!」


 リリアナは即座に、どう考えても独りの人物の特徴を、一部盛大な主観混じりでピンポイントに挙げているだけのティアのセリフに、顔を赤くする。


「……それなら、いいんだ。ただ、今後はなるべく女性と二人きりになるなよ。ゴシップのネタにされるぞ」


「ゴシップ……?」


「噂話。単なるうわさと侮るなよ。それで死人が出たこともある」


「わかった」


 ティアが答えると、リリアナもほっとした顔になって、黙り込む。



 今度の沈黙は、嫌ではなかった。

 ただ、気恥ずかしさのようなものを感じて、彼は頬をかき、彼女は再び椅子に逃げ戻ってクッションをぎゅうっと抱え込んでいる。


 ――抱え込みながら、しばらく考えて、もじもじと言うことには。


「それと……なんていうか、これからは、私ももっと会える時間とかを増やそうと思うんだ。こう、今まではむきになったり、あとはあんまり呼ぶとお前の邪魔になるかなって思ったりしたんだけど……。もう少し、会いたい。あと、お前はいっつも頑張ってるから、たまにはこう、何か私からも、できることがあったらするというか……そうだ。私にしてほしいことはあるか? 何でも聞くぞ?」


 さて。今現在、仲直りできたと安心して浮かれている男に、愛しの彼女がこんな提案をすれば、当然彼はつけあがる。調子に乗って、ろくでもないことをする。


 途端に、爽やかすぎて一周まわってゲスに見えなくもない、そんな気持ち悪い微笑を浮かべるティアに、ひっとリリアナが声を上げて引いた。


「今、俺の言うこと、何でも聞いてくれるって言ったよね? そういうことだよね?」


「――あ、あくまでも私のできることならだからなっ! 無理だったら無理って言うからな!」


 不穏な空気を察知してか、申し訳程度の言い訳が追加された。


 ティアは早くも後悔しつつあるらしいその目を覗き込んで、真剣に、しかし熱っぽく訴える。


「じゃあ俺、リリアナとキスしたい。それで、全部報われる」


 リリアナは黙り込む。

 最初はぽかーんと、何を言われたのか分からない顔をしているが、それが徐々に桜色に染まっていく。


「なっ、ななななななな――」


「だめ、かな? あ、もちろん口と口で。できれば今。できるよね、今?」


 ちゃっかり更に要求を付け加え、畳み掛けているむっつりスケベである。


 リリアナはしばらくわなないていたが、我に返るとクッションを投げつけ、その後も椅子の周辺を叩きまくっている。


「ばか、ばかあっ! なんてこと言うんだ! いいか、口と口のキスは結婚する男女しかやっちゃいけないんだ! 夫婦しかやっちゃだめなんだ!」


 ……あれ、魔人業界でももう少し軽い感じにキスはできるものだった気がするが、これまたリリアナは古風な、と思いながらも、ティアは食い下がる。


 仲直りが無事できた変態に躊躇ちゅうちょする理由はない。攻めるのみである。


「でも、リリアナは俺と結婚するよね? だったら大丈夫だよ。責任取るし」


「うっ――だ、だけど、まだ私未成年だし」


「未成年でもキスはできるよ?」


「ふっ――不純異性交遊だっ!」


「何それ?」


未成年こどもはその、あんまり過激なお付き合いをしちゃいけないものなんだ――ってお父様が言ってた」


 あ、なるほど。どうも親馬鹿に特殊教育を施されているんだな。

 ここに至ってようやく、ティアは彼女のやたら固いガードの理由をなんとなく知るが、そんなことごときで大人しくなる男ではない。

 世界の終焉にかかわるリリアナの怒りに比べれば、世界をべる男の怒りなんてどうということはない。

 妹が聞いたら色々突っ込んでくれるだろうが、彼の脳内文章なのでそのまま自己完結して終わる。


「不純じゃない、健全だ。それに全然過激じゃない。エッカなんかもっと――」


「えっち! スケベ! それ以上言ったら許さないぞ! わかった、それは文化の違いということにしておこう。魔人業界こっちでは不純なんだ!」


 上気しきった顔でののしられることに関しては、諸手もろてを挙げてもう一度お願いしたいくらい歓喜の極みなのだが、キスごときで不純呼ばわりされる事実に、圧倒的不満を顔に一瞬出しかける。

 そのままいかにキスから始まる身体のふれあいの正当性と素晴らしさたるやを語ろうとしかけたが、リリアナが耳たぶまで真っ赤になってうつむきながら手をすり合わせているのを見ると、少し考えを改めた。黙ってじいっと見つめる。


 彼女は消え入りそうな声で言う。


「だって、そ、そんな恥ずかしいことできない……むり……」


「恥ずかしくないよ?」


「お前はそうだろうな、私の話だよ!」


「目を閉じてくれればすぐ終わらせるよ。何も苦労させないよ」


 リリアナは少しずつ、妥協しようとしているらしい。

 前から薄々感じていたが、結構押しに弱いのである。

 ――ティアが執拗しつように食い下がるから、仕方なくやっている面もなきにしもあらずなのだが、執念深さは本人の自覚しているところではない。


 彼の基本動機は、リリアナのためとほんのちょっぴり自分の欲望のためである。

 つまり、どう聞いても彼の欲望を満たすためだけの要望に聞こえていても、本人としては圧倒的善意に基づいて行動している。


 そしてこの殿下は、割と好意の返報性に忠実なのである。

 すなわち、悪意には容赦ようしゃない悪意で返すが、好意にはぎこちない好意を示す。

 もう少しその好意の中身が真に是と言い切れっていいものなのかどうか熟考していただきたいが、まあそれは若年の恋する乙女、多少判断が緩くなっても多めに見ていただきたいところだ。

 ……最終的にそれで苦労するのは本人だが。ともかく。



 彼女はしばらくうーうー言いながら考えていたらしいが、結論が出たらしい。

 おびえ混じりに、けれどどこか覚悟したような顔になる。


「……痛くしないか?」


「うん、任せてっ」


 弾むような答えに、リリアナは慌てて用心深く付け足した。


「あっ、あれだぞ。なんかいろいろ絡み合うディープな奴じゃなくてこう、触るだけの奴だからな」


「えっ」


 予想通りだがその通りになってほしくなかった間抜けな顔を見て、彼女はきっと眉を吊り上げる。


「やっぱりなんかするつもりだったな――いいか、触るだけだっ!」


「口開けてくれるだけでいいのに……」


「やだ! ぜったい開けない!」


「気持ちいいよ?」


 ティアが情熱的に言いつのると、徐々に徐々に後退して距離を取っていた――いや、彼も一緒になってじりじり移動していたから全然離れられていない、むしろ部屋の狭さを考えるなら追いつめられている――リリアナは止まって半眼になった。


「ほーう。何をそんなに根拠にしてるんだ? 実体験か? つまみ食いでもしたのか? まあ、キス位なら、うん――いやでも――うん」


「ううん。前にも言ったけど、俺こういうことするのはリリアナだけって決めてるし、リリアナじゃなきゃその気になんないから。だから、エッカや先輩たちからいろいろ聞いて、自主鍛錬シミュレーションで練習を重ねて、その結果――」


「あ、うん。嫌な予感がするからそれ以上語らなくていいぞ。今のも聞かなかったことにするから」


 あまりにもさわやかな笑顔の奥の、知らなくていい現実を察知したのか、リリアナはそれ以上深入りしようとしなかった。実に賢明な判断だ。


 嘆かわしいのはこのまま順調に成長すればいずれは嫌でも真実を知るときが来てしまう、その残酷な事実だろう。それはさておき。


 リリアナは、一度上目づかいにティアを窺う。


「大丈夫だよ」


 ごく自然に密着し、両手を包むように握ってティアが言葉を重ねると、一瞬視線を揺らしてから、彼女はゆっくり瞼を伏せ、そして完全に閉じる。

 わずかにだが、顔を少し上向きにして待ち構えるその身体は小刻みに震えている。


 ここにきて、彼女の緊張がこっちにも伝わってきたらしい。ティアはシミュレーションを重ねたにも関わらず、自分の手が震えるのを感じた。やはり本番はいろいろと違う物なのか。


 ――違うに決まってる。


 温もりが。肌が。髪が。吐息が。

 虚構が本物に勝るはずもない。


 ティアは不安げに、それでも自分に身をゆだねて待ってくれている恋人に、改めて愛しさがこみ上げるのを感じた。



 二つの陰は寄り添い、やがて一つに重なる。



 名残惜しげに身を離し、ティアはそのままリリアナの華奢きゃしゃな身体を抱きしめた。

 つぶさないように、そっと。


「どうだった?」


「……聞くなよ、そんなこと」


「駄目だった?」


 そうは言っても気になる。

 情緒やムードなるものをまだ学習しきれていないティアが想いのままに尋ねると、彼女は胸元にうずめた顔を横に振った。


 ――否定。すなわち、ダメじゃない。ダメじゃないということは――。


 胸の中に、急速に温かさが沸き上がる。


「好き。大好き。愛してるよ、リリアナ」


 言葉の返事はなかった。

 それでも、ティアは確かに彼女の返答を聞き届け、これ以上ないほどの幸福に包まれた。

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