再会
四試合目が終わって、彼は最後の相手を待つ。
彼がちらりと見上げると、リリアナははちょうど別の方を向いていた。その横顔をうっとり眺めながら思う。
(もうすぐ……。もうすぐ、約束が、果たせる)
彼はその時に胸を高鳴らせながら、深呼吸してはやる心を落ち着ける。
エッカがこちらにあとちょっと! とサインを送ってきている。
父親は相変わらずどこか厳しい顔だが、彼が見ていることに気が付くと、うなずいて見せる。
それにしても、最後の相手はなかなか出てこない。そういう様式なのだろうか。
確かに、いつだったか、リリアナが聞かせてくれた話の途中、どうしてそのヒトはなかなか出てこなかったのと聞いたら、偉いヒトって言うのはもったいをつけるからやたら登場が遅いんだとか、言っていたような。
もったいって何と聞いたら、説明が面倒になったのか、要するにみんなアホなんだと雑なことを言われた気もする。
しかし、彼が手持ちぶさたに待ち続けていると、観客もだんだんと不安そうな顔になってきた。どうにも様子がおかしい。
あちらこちらがざわざわと騒がしくなる中、一人の男が審判のもとに駆け寄ってきて、何事かを告げている。
審判はひどく困惑しているようで、男に何か言い含めた。一礼して、彼は去っていく。
すると、すぐに王のところにも動きがあった。臣下の一人が王に耳打ちし、王はしばし考え込んでいる。
やがて王は何事かを指示すると、ちらりとこちらに妙な表情をして見せた。
リリアナの方を見てみると――なぜだろう、彼女はほのかにだが笑っている。周囲の何人かと話しながら、ゆったりと椅子に深く腰掛けて、すっかりくつろぎの体勢になっていた。
ややあって、再び伝言を受けたらしい審判が、一瞬だけ戸惑う顔になり、王の方をうかがい、そして改めて旗を上げる。
「五人目は、この試合を棄権した。よって、決勝戦は挑戦者の不戦勝となる。これにより、五試合すべて、挑戦者の完全勝利とする!」
彼はぽかんとした。会場もいったん静まり返ってから、怒号に包まれる。
「ふざけるな! これからが楽しみだっていうのに!」
「御前試合の最終戦で棄権だと?! どうした、腰抜けめ!」
前代未聞だ、横暴だ! と観衆は声を上げる。が、王がさっと手を上げて立ち上がると、すぐに会場は静まり返る。
「我が国民たちよ。そなたたちの怒りももっともだ。本来なら、このような興を削ぐような真似、許されぬだろう。
だがしかし、五試合目の出場者、ヘイスティングズは、先ほどの第四試合を見て、我にこう申し出てきた。
挑戦者の腕前は只者ではなく、手加減して勝てる相手ではない。
王に選ばれた騎士の一人、また最後の一人である立場では、自分もまた無様に負けるわけにはいかぬ、本気を出さざるを得ない。
しかし、己が本気を出すとはすなわち相手を本気で殺しにかかると言うこと。
さすれば挑戦者もさらに本気を――いや本能に目覚め、この場は御前試合ではなく、古の闘技場――あの忌まわしい、剣闘士たちの殺戮場になってしまうだろう、と」
はっと何人か、特にせっかくの楽しみをぶち壊しにされて真っ先に抗議の声を上げた貴族たちが、互いに目を見合わせて口を閉ざす。
――先代魔王が元剣闘士であったことは、公然の秘密だ。王になってから自ら闘技を主催したこともある。
その頃の闘技とは、どちらかが、あるいは両方が死ぬまで殺し合いをさせられたり、武器も与えられず獣に食い殺されたりと、要するに今の魔王が一番嫌うところの「野蛮」なものであった。
闘技は血を流すもの、血の娯楽。
父が過酷な過去を背負いながら、けれど自らもその残酷な見世物を他者に強いた事実、そして国民がそれに熱狂した事実、この王にとっては許しがたい過去なのだ。
――現に自ら剣闘士、と口にしたその瞬間、温厚な王の顔は苛烈なものへと変じた。口にするのも忌々しい記憶なのだろう。
だからこそ、現在の御前試合では互いの殺生が禁じられている。
ティアが無駄だとかきついだとかさんざん嫌がったごてごての鎧を着せられるのも、より挑戦者に危険が及ばぬように配慮しての事である。
もちろん、危険なことをする以上、万が一試合の傷がもとで死んでしまう、そういったことが起きた場合に、相手に咎が及ぶことはない。
あくまでもこの見世物は互いの技量を競う平和的な戦い、スポーツであり、殺し合いではない。
「我は当代魔王として、断固としてそのような事態を許すわけにはいかぬ。
御前試合は臣民の娯楽ではあるが、その娯楽が血を流すものであってはならぬ。
また、それを渇望すると言うなら、そのいやしい心も我はけして許すことはできぬ。
――ヘイスティングズは近衛騎士らしく、我の意図をよく汲んでくれた。
ゆえに我は、棄権を許可した。誠に残念なことではあろうが、どうかそのように理解し、受け入れてほしい」
王が話し終えると、辺りはしんと静まり返るが、反論するものはない。
――いくら平和を望み、血を厭う性格だとしても、先代の血を受け継ぎ、またその先代に王として指名された男なのだ。逆らえばどうなるかは、簡単に想像がつくか、あるいは身に染みている。
王は周囲を見渡してから、ティアの方に向き直る。
「――よくぞ勝ち抜いた。素晴らしい戦いぶりであった。あとでゆっくり、語らおうぞ」
が、彼は途中からその言葉を聞いていなかった。
――皇太子がひらりと自分の席を飛び出して、どよめく周囲をよそに観客席を下へ下へと、闘技の場の方へ――彼の方へと降りてくる。
彼もまた、走り出す。降りてくる彼女に向かって、まっすぐに。
彼女がちょうど一番下の席までたどり着いたころ、彼も彼女の正面にたどり着いた。
観客席と試合場を隔てる柵越しに並ぶと、今はだいぶ彼のほうが背が高い。じっと見下ろすと、彼女は下の方から上まで眺めて、それでふっと眉根を寄せる。
「――でかくなったな」
彼は一瞬だけきょとんとしてから、ぱっと笑顔になった。
「もう、女の子みたいだなんて、言いませんね?」
「……言わないよ」
その低い声、そして口調を聞いて彼女は驚いたような、そして彼の言葉にばつの悪そうな顔になった。
「殿下!」
「姫!」
周囲の取り巻きや王が立ち直って彼女に声をかけると、リリアナは肩をすくめ、もとの場所に戻ってしまおうとする。
「リリアナ」
彼が呼び止めると、一瞬振り返った。
「またあとで。その時に」
彼女はざわめきの中を、上っていく。
――彼はエッカが抱きついてくるその時まで、ずっとその後姿を追っていた。
五試合あると言ったけれど、五試合書くとは言ってない。




