82 希望
◆◇◆
2週間後。
金沢大学病院。
北陸最高峰の病院に、柚子香ちゃんは転院した。
個室のベッドで寝そべって、アラフォーの女医さんの診察を受けている柚子香ちゃん。
俺、桃香、氷室さんは窓際に立ち、見守っている。いつもどおり俺は学生服、桃香はセーラー服で、氷室さんはグレーのスーツ姿。
柚子香ちゃんは新しい薬が投与されて1週間が経った。はたして効いているのかどうか。
顔色は良くなって見えるのだが……酸素マスクは付けていないし。
「はーい、深呼吸してください。吸って、吐いてー」
女医さんが柚子香ちゃんの胸を開けさせて聴診している時は、俺は顔を背けている。
「はい。いいですよ。うん、効いてますね、薬。続けていきましょう。どんどん良くなると思いますよ」
女医さんの言葉に震えがくる。
「うおおおおおおおおおおお、やったぜ」
「やったー」
俺と桃香は跳び上がって喜ぶ。
女医さんが退室した途端に、桃香と柚子香ちゃんは抱き合って泣き始める。
「良かったなあ柚子香」
「お姉ちゃん、夢じゃないよね。体が痛くなくなるなんて」
俺は氷室さんに話しかける。
「ミコ糖症は今の医学では治せないって言ってたのに、どういうことなんですか?」
「ふ、私の話は少し誇張してありました。幸斗さんを試させていただくためにね」
氷室さんは腕組みして話す。
「本当は治せるってことなんですね……騙したんだ。あれ、でも今岡市民病院では全然治せなかったのに……ダメ病院だったってこと?」
俺にはわけがわからない。
「実は半年ほど前に、アメリカの研究者がミコ糖症の原因となるDNAの欠損部位を特定したという論文を発表していたんです。DNAは人体の設計図。柚子香さんは普通の人と、わずかにDNAが違っているためにミコ糖を分解できないってことです」
「はあ。俺はバカだからよくわかんないけど、続けてください」
「DNAを特定できるのは、病気が発生するメカニズムを明らかにして、どんな薬を使えばいいかっていう大きなヒントになります。その研究者は人工知能で解析して、ミコ糖症に効きそうな薬を選び出したんです」
「おおお、すげー 超頭良さそう」
「私は研究者に連絡を取って、金大病院の医者に情報提供をしてもらったんですよ。今岡市民病院よりも、大学病院の医者の方が最先端の研究を取り入れてくれますからね」
「氷室さんが全部お膳立てをしてくれたんだ!」
「幸斗様のお金の一部を研究資金として提供しましたからね。快く協力してくれることになりましたよ。お金使って良かったですよね?」
「もちろん。使って使って」
「このまま治るんだよね、柚子香は?」
桃香の声。振り向けば桃香が泣き顔で立っている。
柚子香ちゃんも強張った顔でこっちを見ている。
「希望は大いにあります。私は治ると信じています」
氷室さんが笑顔で応える。
「うわあああ、ありがとうございます」
桃香が氷室さんに抱きつく。
「ちょ、ちょっと桃香様、治るのは絶対に確かじゃありませんよ」
「あたし、うれしいんです。柚子香が生きていけるって思えるなんて」
「え、でも、この薬が効いて治るんじゃないの?」
俺はもう解決した気分。
「薬は病気の進行を遅らせる程度のものでしょう。根本解決には、ミコ糖症を引き起こすDNAの欠損を修復しないといけません」
「うう……話が難しいけど、原因を取り除かないといけないってことだね」
「最先端の医学はもはや魔法のようでして、DNAを書き換えてしまうゲノム編集という治療方法が実用化されつつあります。いずれ柚子香さんのDNAを正常に書き換えてしまうことができるようになるはずですよ」
「全然わかんないけど、すげー」
「ぐすっ 柚子香の……柚子香の体が……病気じゃなくなるんですね」
桃香の泣き声は喜びに溢ている。
「はい。薬で時間を稼げるから、20才を過ぎてもきっと大丈夫でしょう。そしてゲノム編集を使えるようになるのを待てばいい。健康な体になれます。ただし……」
氷室さんが言葉を切るから、ドキッとする。
「何か問題があるんですか?」
俺は恐る恐る尋ねる。
「ゲノム編集には何億円という費用がかかるでしょう。何十億かも」
氷室さんが俺の方を試すように見る。
「……全然安いじゃないですか。俺が払いますよ」
拍子抜け。金で解決できることなら、現金だけでも千億円持っている俺なら楽勝。
「それでこそ幸斗様です」
氷室さんは満足そうに頷いた。




