第二百十七話 dead dance on the palm⑤
「魔族じゃと?」
范焱が呆然と呟く。竜人である彼女から見ても、やはり魔族とは忌避される存在らしい。あのアナベルですら、目を見開いて動揺を露わにしている。
「大丈夫です。彼女は信用出来ます」
フルートとの関係を説明すると長くなるので、今はこれで済ませておく。少なくとも魔族として、約束は守る奴だと思ってる。
「フルート、お嬢様が受けた呪いを解けるか?」
「これはエルフの呪弾オーディラムだな。もうすでに失われたと思っていたが、使える者がいたのか。解けるか解けないかで言えば、解ける。だがあの時の借りはこれに釣り合わないな」
一瞬安堵しかかったが、続く言葉は再び絶望に突き落とすものだった。
「命の代価は命に他ならない。君にとって彼女が大事なら、救うには相応のものを要求せねばならなくなる」
「だったら俺の魂でも―」
「馬鹿者! そんな事をして、オリビアが喜ぶと思うのか! 冷静になれ!」
俺は思わず進み出たが、范焱に肩を掴まれ引き戻された。
確かにオリビアは悲しむと思う。
でも、他に方法なんて無いじゃないか!
「だから代わりに、解呪薬の作り方を教えてあげよう」
「……作れるのか?」
フルートがあまりにもあっけなく言うから、一瞬理解が追い付かなかった。
「可能だとも。他が良いならそうするがね」
相変わらず無駄に嗜虐的なフルートはこちらの内心を嘲う様な言い方をする。
「まずは材料だが、ギンドロのトレントの灰、魂殺しの毒液、そしてスピカリリーの蜜。」
スピカリリーとギンドロはともかく、魂殺し?
その名前だけで危険そうなのが想像出来てしまう。
「無茶な物ばかりね」
アナベルが憮然と呟く。錬金術のプロである彼女がそう言うのだから、よっぽどなのだろう。
「ギンドロ自体は少し珍しい程度だけど、更にトレントってなると難しいわよ。ギンドロを植樹している地域の材木商にコネがあっても運次第ね。それに魂殺しの毒液って、そんなの神話に出てくるような代物だわ」
「でもスピカリリーなら! 一般にも流通している花ですし、難しくありませんよね?」
「スピカリリーは夜に月の光を浴びて咲くのだけれど、蜜は花が咲いてすぐに気化してしまうの。蜜が採れるのは花が咲いてから五分以内よ。普段見ているものは既に蜜が無くなっているし、香りも残り香でしかないわ」
アナベルの指摘に言葉が続かなくなる。身近にあったスピカリリーが、こんなに面倒な物だとは思っていなかった。
「魂殺しの毒液は五千年前にコトミワをいう大蛇が吐いたものがレイバナ国に残っているのは、きみも見ているようだが」
フルートが教えてくれるがそれは希望を抱かせるものではなく、より深い絶望に追い詰めるものだった。
「もしかして、浦戸家の祭礼殿地下にあったやつか?」
「ああ、きみのペットの蜘蛛が落ちたアレだ」
あんなの採取している訳が無い。
いや、採取して置けばよかったんだ。収納空間を使えば触れる危険も無いんだ。そうしていれば、オリビアを助ける事が出来たのに。
「……もしかしたら!」
ふと思い、収納空間の中を確かめる。
もしかしたら……
「これは、どうなんだ?」
取り出したのはバーナード領で入手した白い皮が特徴の木材と、魔法学校の寮で作られたシューもどきを凍らせた紫色の塊だった。
「何だ、あるじゃないか」
声音が少し残念そうな気がするのは俺が焦っているせいだろうか。
「間違いないんだな?」
「光の女神ブランセス様と闇の女神ノワレル様に誓って」
フルートが最高神の二柱に誓うというのなら、まず間違いは無いだろう。
俺はギンドロのトレントの范焱に渡す。
「范焱、これを燃やして灰にしてくれ」
「任せろ!」
その間に俺は毒液を錬金鍋に放り込み、魔法で加熱して解凍する。
「それで、スピカリリーはどうするの? 今から未開花や咲いたばかりなんて探すのは不可能よ」
「それも大丈夫です」
俺は部屋の窓を開け放ち見上げると、夜空に月が輝いていた。
収納空間から取り出したのは、今日摘んだばかりのスピカリリーだ。
閉ざされた白い蕾が月の光を浴び、ゆっくりと綻び始める。開いた花弁が反り返り、奥の青を露わになった。瞬間、芳しくも濃密な香りが部屋中に広がる。
「フルート、これでいいか!?」
「蜜は先に抽出しておいた方が良いな」
「だったらそれは私がやるわ」
「頼みます」
アナベルにスピカリリーを預け、毒液の状態を確認すると既に解凍は済んでいた。
「こっちも出来ておるぞ」
「スピカリリーは最後だから先に作り始めるか。と言っても作るのは何ら難しくないのだが」
フルートの指示の下、解呪薬作りが始まった。
まず錬金鍋の中で魂殺しの毒液とギンドロのトレントの灰をしっかり混ぜ合わせ、沸騰させる。
錬金鍋を火から下ろし、スピカリリーの蜜を入れて掻き混ぜる。
「アナベル先生」
「ええ、出来ているわ」
小瓶を受け取って中の蜜を鍋に注ぐと、毒液の濁った紫色が透き通った緑色に変わる。
その後、冷やしながら粒状に形成して固める事で解呪薬は完成した。その色合いから、エメラルドの様な見た目だった。
「これで良いんだよな?」
「ああ、間違い無く出来ているよ。早く飲ませてやると良い」
言われるまでもない。
水を用意して、オリビアを起こす。
「お嬢様、薬が出来ましたので飲んでください」
「ん…?……うん……」
衰弱しているオリビアは意識が希薄そうだが、それでもしっかりと口を開けてくれた。解呪薬を口に入れると、差し出したコップの水を口に含み、ゆっくりとだが嚥下した。
再び寝かせると、夢現だったオリビアは夢の方に引かれ、そのまま沈んで行った。心なしか表情と呼吸が安らかになった気がする。
「これで、治ったのか?」
「ああ。保証する。後はただ休ませるだけでいい。特に看護も必要無い。とは言え、生命力を大きく消耗しているから完全回復までは時間が掛かるだろうがな」
「……そう、か…」
一気に緊張が解けてその場にへたり込んでしまった。
よかった…本当によかった……
その後、フルートはいつの間にか居なくなっていた。元々友人と言う仲でもないし、魔族とはあまり関わるべきではないのだが、せめて一言礼を言いたかった。
アナベルを客室に案内し、少し相談に乗ってもらった後、自分の部屋に戻った。
身軽な服に着替えてから部屋を出る。
オリビアの部屋に入ると、彼女は規則正しい寝息を立てていた。さっきの様な弱々しくも乱れた呼吸とは違い、呪いが本当に解けたのだと安堵する。
「オリビア……」
ベッドの隣に立ち、その名前を呟く。するとその瞼の端に水滴が煌めくのが見えた。
「……お母様…」
「……」
か細いうわ言に、思わず拳を固く握り締める。
あんなに仲の良かった親子だ。たとえ偽物でも、戦う事がつらくない訳が無い。
オリビア。
強引なアプローチには困らされたが、それ以上にいつも救われていた。
俺の存在意義であり、最愛の人。
「オリビア、ありがとう」
こんな俺を好きになってくれて。
オリビアに唇を重ねる。柔らかい温もりが伝わってくる。
ずっとこうしていたいと思うけれど、そうはいかない。
身を起こすと、俺の手をオリビアの手が握っていた。起こしてしまったかと思ったが、オリビアはいまだに眠っている。
「ごめん……」
オリビアの手を丁寧に外し、部屋を後にした。
そのまま玄関を出る。空はまだ暗い。
歩を進め、門へと向かう。
「行くのか?」
背後から声を掛けられ、足を止める。驚きは無い。范焱には見抜かれている気はしていたのだ。
「ああ」
「オリビアは悲しむぞ」
解っている。
きっと悲しむだろうな。怒るかもしれない。嫌われるかもしれない。
それでも―
「……結局、俺はこんな方法しか出来ないんだ」
ドミニクの狙いがオリビアなら、またいずれ襲ってくる。その時にはまたあれを戦力として利用するだろう。
そうなれば、オリビアはまた母親と同じ姿をしたものと再び対峙する事になる。それはオリビアの身も心も傷付け、オフィーリアの尊厳も踏み躙る行為だ。
そんな事はさせたくない。させる訳にはいかない。
「お嬢様を頼む」
「引き受けよう。じゃが、弁護はしてやらんぞ」
「充分だよ」
たとえどう思われても、俺はそれを受け止めるつもりだ。
「ほれ、預かり物じゃ」
思い掛けない台詞に振り向くと、黒い球体が宙を舞っていた。取り落としそうになりながらもなんとか受け止めると、それは鋼糸の糸球だった。
「アリアから選別じゃ。『こっちは心配するな』と言っておったぞ」
アリアもお見通しか。つくづく敵わないな。
「それと、あ奴は連れて行ってやれ」
視線を向けると、屋敷の陰からこちらを窺う巨躯があった。
「エリカ……」
「しゃー」
元々俺を慕って付いて来たんだから、此処で置いて行くのも可哀想か。
「解った。行くぞ」
「シャアッ!」
屋敷に背を向け、今度こそ出発する。
俺の後にエリカが続く。
苦しい戦いになるのは間違いない。それでもやると決めた。
オフィーリアは、俺が殺す。
朦朧とする意識の中、思い浮かぶのは戦った相手の姿だった。
お母様。
死んだ筈だ。なのに目の前に現れた。
偽物だと割り切って戦ったのに、一撃打ち込む度に、撃ち返される度に、確信が揺らいだ。
顔には出さない様に努力したけど、本当はつらかった。
『オリビア、ありがとう』
耳に届いた声。
ナタリアだ。
唇に伝わる感触。
頭の冷静な部分が、キスされたのだと理解する。
嬉しい筈なのに、全然そう思えない。
『ごめん……』
その一言が耳に残った。
ナタリア?
どうしてそんな悲しそうな顔をしているの?
待って。
駄目よ。
行かないで。
お願い!
傍に居て!
待って!
「ナタリア!!」
伸ばした手が空を切る。
「……あ…」
暫くして、自分が目を覚ました事に気付いた。
外はもう明るく、窓から日の光が差し込んでいる。
「……夢…?」
そう、よね。
悪い夢、よね。
ベッドから下りようとして、膝から崩れ落ちた。身体に力が入らない。
体力の消耗だけじゃなくて、魔力も空っぽだ。
それでも、壁を伝って、半ば這うようにしながら部屋を出る。
ナタリアの顔が見たい。
傍に居るんだって、安心したい。
きっと怒られるだろうな。こんな身体で無理に動いて、って。
ああ、そうだ。謝らなきゃ。
今までナタリアが自分を犠牲にして私を庇う度に怒ってたけど、自分が同じ状況になったら考えるより先に身体が動いてた。きっとナタリアも同じ気持ちだったのよね。私は何も解ってなかった。
謝ろう。
そして大好きだって、ずっと傍に居て欲しいって、一緒に乗り越えようって、伝えたい。
ねぇ―
ナタリアの私室の扉を開けると、そこには誰も居なかった。
勢いで此処まで来てしまったけれど、日中ならナタリアは家事をしている筈で、部屋に居る訳が無い。
「……うん、そうよね…」
自分に言い聞かせる様に呟く。
なのに、ああ、ベッドの上にある物に気付いてしまった。
止めておけばいいのに、私はふらつきながらもベッドに近付き、それが何なのか確かめた。
確かめてしまった。
それは丁寧に折り畳まれたメイド服であり、その上には従魔登録証の真っ赤な宝珠が置かれていた。
「……っ!」
その意味が察せてしまった。
ナタリアが何をするつもりなのか、今までの彼女を見ていれば予想が付く。
きっと、また一人で背負うつもりなのだ。
その不器用な優しさを好きになったのに、今この瞬間だけは何よりも恨めしかった。
視界が滲み、大粒の水滴が溢れ出す。
「ナタリア…ナタリア……」
応えてくれる声は無い。
「ナタリアああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
追い掛ける事すら出来ない今の私は、あまりにも無力だった。




