第百八十九話 一恋托生
ルリさんの提案はシンプルで、お酒の席で勢いに任せてナタリアの本音を聞き出すというものだった。
夜になって、事前に打ち合わせした通り、ルリさんがナタリアを連れ出し、私は少し時間を置いてから部屋を出て、二人の酒盛りを陰に隠れて覗き見ていた。
そしてルリさんの合図で姿を現した私を見たナタリアは、今にも泣きそうな顔をしていた。
違う。そんな顔をさせたかった訳じゃない。
『御自身も、ナタリアも傷付けてでも、これが原因で全ての関係が壊れるとしても、暴く覚悟がありますか?』
ルリさんが言っていた意味が、今になってやっと理解出来た。
「オリビア……」
小さく呟いたナタリアは私に背を向け、そのまま駆け出してしまった。
「ナタリア……っ!」
呼び止めても待ってはくれなかった。
「待って!」
即座に駆け出して、ナタリアの後を追う。
闇夜の中を、月明かりを頼りに走り、庭園に敷き詰められた砂利が音を立てて跳ねる。
逃げないで!
私も、もう逃げないから!
「ナタリアっ!」
伸ばした手が、ナタリアの手を掴む。
「放してっ! 俺、わ、私はっ!」
それだけは聞けない。
「待って、ナタリア!」
手を握り締めて、必死に叫ぶ。
漸く諦めたのか、ナタリアの手から力が抜ける。それでも、私はこの手を放そうとは思わなかった。
「聞いていたんですね……」
「……うん」
それから、ナタリアは少しずつ話してくれた。
別の世界で生まれた男の人で、死んだと思ったらこの世界で魔導人形になっていた事。
最初は楽しんでいたこの世界の中で、不意に感じる不安と前世との違い。
お母様と約束したのに前世を引き摺って、どちらにもなり切れない中途半端な自分。
「幻滅したでしょう? これが俺なんですよ」
ナタリアはそう言って自嘲する様に笑うけれど、私にはそれが泣こうとしている様に見えた。だけど涙は流れず、悲しみを吐き出せずに、内に溜め込んでいた。
お母様が死んだ時、ナタリアは泣いている私を受け止めてくれた。
なのにナタリアは泣く事すら出来ない。ナタリアが今までどんな気持ちで傷付いて来たのか、想像もしなかった。
「ナタリアの心が男の人でも、私の気持ちは変わらないわ」
それに私は幻滅なんてしていない。
確かに驚きはしたけれど、それと同時に今までのナタリアの言動の理由に納得もしていた。
「いけませんよ。俺には誰かに好かれる資格なんて無いんです。だからお嬢様も、俺なんかよりもっと相応しい人を好きになってください。その方が幸せな筈です」
「それは違うわ」
ナタリアの気遣いだというのは理解出来るけど、私はそれを否定する。
「私の幸せを、勝手に決めないで」
少なくとも、私にとっての幸せは自分で選んだ先にしかない。
たとえどんなに苦しくても、無茶に思えても、悪い結果になったとしても、自分の道は自分で決める。
「でも…俺なんか…貴女に好かれる価値なんて無いのに……」
「私が悲しかった時に支えてくれたのも、毎日お世話をしてくれたのも、全部ナタリアじゃない。そんなナタリアを、私は好きになったの。“俺なんか”なんて言わないで」
「それは…誰でも出来る事ですよ…同じ立場なら、誰だってそうします……」
「もしかしたら同じ事をしてくれる人はいるかもしれない。でも、してくれたのは他の誰でもないナタリアよ」
今にも崩れ落ちそうなナタリアを掴む手に、つい力が入る。
「ナタリアの言う事は解るわ。でも私の気持ちは変わらない。それだけは知っていてほしいの」
「……お嬢様の事が嫌いだとか、好みじゃないとか、そういう訳じゃないんです。むしろとても魅力的で、俺もお嬢様が…好きなんだと、思います……」
最後の一言に、少し顔が熱くなってしまう。
「でも今俺が居るのはオフィーリアのお陰だから、オフィーリアが死ぬ時にその恩を返さなきゃいけないって、オフィーリアにお嬢様を守るって約束したのに……」
「お母様なら反対なんてしないわ。きっと喜んでくれるわよ」
「ええ、俺もそう思います。でも……俺は…オフィーリアの事が、好きでした」
「うん、知ってる」
ナタリアがお母様の事を話す時の表情で、そんな気はしていた。今でもナタリアの心の中に居るお母様に嫉妬した事もある。
「なのに……時々、お嬢様の姿がオフィーリアに重なって見えるんです。お嬢様がどれだけ俺の事を好きだって言ってくれても、俺はオフィーリアの事をまだ引き摺ってて、お嬢様を代わりにしか思ってないんじゃないか。違うって、お嬢様自身が好きなんだって言える自信が無い。俺は、俺自身が信じられない……」
吐き出す様に言うナタリアを、私はそっと抱き締める。
「……ありがとう、言ってくれて」
ナタリアがその気なら、お母様との約束も私も捨てて、本当に自由になる選択だってあった筈だ。
魔導人形が世間で魔物扱いされても、捻じ伏せるだけの力だってある。
自分勝手に生きるなら、私にお母様の面影を見ても気にしなかった。
でもナタリアはそうしなかった。そうする事で、私や他の誰かを傷付けたくなかったから。
「少しだけかもしれないけど、やっと進む事が出来た」
ナタリアが本当に駄目な人なら、誰かを傷付けたって何とも思わない。でもナタリアはそうじゃない。
「やっぱり私はナタリアが好き」
傷付きたくなくて、そんな自分の弱さに傷付かずにはいられない、何も誰も捨てられない、悲しいほど臆病で優しい、この“人”が好き。
たとえ身体が人形でも“心”は何処までも“人間”のナタリアが好き。
「前世か今か、どっちかに決める必要なんて無いのよ。全部含めてナタリアなんだから。ナタリアの弱さも身勝手さも、私は全部受け止めるわ」
抱き締める腕に力を籠める。
「大好きよ、ナタリア」
「お、俺は……俺はッ! あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
ナタリアは声を上げて泣いた。涙は流れなくても、きっとそれがナタリアにとって、この世界での本当の産声だった。
暫くして、落ち着いたナタリアと一緒に部屋に戻ると、誰も居なかった。
お布団の用意はしてくれているのに、范焱もクラリッサもアカネもエリカも居ない。
「皆、どうしたのでしょうか?」
ナタリアが不安そうに私の袖を掴む。
やだ、可愛い。
「あ、これ」
よく見ると部屋に書置きが残されていた。
『オリビアへ。リューカが別の部屋を用意してくれたと言うので、儂らはそちらで寝る事にする。お前さんとナタリアの込み入った事情は知らんが、その部屋には防音の魔法を掛けておいた。周囲の部屋も人払いはしてくれているそうじゃが、程々にな』
凄くお膳立てされてる?
これもうやっちゃっていいの?
「お嬢様?」
「え、あ、うん、皆は他の部屋に行ってるみたいよ。私達はこの部屋のままでいいって」
「そう…ですか…」
ナタリアは思案する様に少し俯くと、布団の上に腰を下ろした。
そして突然、自分の脚を切り離してしまった。戦いの時にしている神経糸で繋がった状態ではなく、完全に取り外している。
「どうしたの!?」
思いがけない行動につい声を上げてしまう。
「後で戻せますから大丈夫ですよ。これは逃げない為です」
ナタリアはそう言いながら、胸元のリボンを緩める。
「お嬢様……しても、いいですよ」
何を、とは思わなかった。この状況で判らない程子供じゃないし、ナタリアがその意味で言っているのは理解出来た。
「そんな事言われたら我慢出来なくなるわよ?」
今までずっと夢見ていたし、その想像で自分を慰めた事だってあった。
それが目の前で現実になろうとしているのに、抑えられる訳が無い。
「しなくていいです。でも一つお願いがあります」
ナタリアの手は固く握り締められていた。
「俺が途中で怖気づいても、絶対にやめないでくださいね。お嬢様を俺に深く刻み付けてください」
何となくだけど、ナタリアはまた決定権を私に委ねてる事に自己嫌悪している様な気がする。
それでもいい。ナタリアのそういうところも受け止めるって決めたから。
「わかった。ナタリアを本当に私のものにしてあげる」
「はい……」
隣に腰を下ろすと、ナタリアは身を伸ばしてきた。
少し不意打ち気味に唇と唇が触れる。
「あの、キスくらいは俺からしたかったので……」
ナタリア、自分のした事がどれだけ私を昂らせたか解ってるのかな?
何年も溜めに溜めた恋心、もう抑えるなんて出来ないんだから。
第八十九話
オリビア「大きくなったナタリアのお腹をさすって『元気な子が生まれると良いわね』って言ったり」
今回
オリビア「ナタリアの心が男の人でも、私の気持ちは変わらないわ」
ナタリア「嬉しい事を言われてる筈なのに喜べない気がする」




