第百六十四話 そんなの居たね
食後の片付けをしていると、手伝ってくれていたアカネが急に周囲をキョロキョロと見回し始めた。
「どうかしました?」
「……!!」
尋ねると、アカネは前脚で自分の頬を叩いて頭を左右に振った。
かと思うと、俺の肩にしがみ付いてくる。
どうしたんだ、急に。
甘えてくると言うより、何かを警戒している様に思える。
何か――不意に妙な音が聞こえてきた。耳に残る虫の羽音だ。森の中なので虫の羽音が聞こえる事自体は不思議ではないが、ここは前世とは違う異世界だ。羽音の主が普通の虫とは限らない。
周囲を見渡していると、羽音が止んだ。羽音の主が何処かに止まったのか。
「あっ!」
オリビアの背中に、一メートルはあろうかという大きな赤く光る蜂が止まっていた。赤い蜂は鋭い針を覗かせた尻先をオリビアの背に向け、俺が止めに入る間も無く突き刺した。
「何?」
突き刺した筈なのだが、オリビアは痛がる素振りも見せず首だけ振り向いた。その様子に赤い蜂も困惑しているのか、何度も針を突き刺そうとするが、まるで鉄か岩にそうしているかの様に通る気配が無い。
シュルシュル、ヒュッ、ガンッ
アカネが素早く鋼糸を巻き付け、オリビアの背中から引き剥がすと共に地面に落とし、更に土魔法で拳大の石を真上から落とす。
赤い蜂は一瞬悶え、だがすぐに動きを止めた。
「よくやった、アカネ。お嬢様、お怪我はありませんか?」
「大丈夫よ。でも初めて見る魔物ね」
片付けの手を止め、赤い蜂を検分する。
蜂に動きはないが、虫ってやつは脳以外に胸や腹にある神経の塊が身体を動かす役割を担っているので油断ならない。羽根を毟り、首と腹をもぎ取り確実に絶命させておく。外殻に比べて脆い体節とはいえ簡単に取れたので、さほど頑丈な魔物ではないらしい。
オリビアを刺そうとした針は先端から液体が滴っており、どうやら毒の様だ。これは俺には効かないだろうけど、触らない方が良いな。
「何か判る?」
「いえ、針に毒があるようですが、どのような毒かまでは判りません」
冒険者ギルドで調べるにしても現物があった方が良いだろうし、取り敢えず収納空間にいれておくか。
しかしやはりイングラウロ国内でも、場所が変わればバーヘン樹海に居ない魔物が居るんだな。情報が少ないままうろつくのも危険だし、早めに元の道に戻った方が良さそうだ。
「メイド、あれ」
「ん?」
クラリッサが鼻先で示した先には、人間を抱えた赤い蜂が飛んでいた。
やっぱり他にも居るよな。俺達もああなる前に早く――
「人が襲われてる!?」
「助けましょう!」
言うが早いかオリビアは駆け出した。
「神風一式!」
木に飛び付いたかと思うとその瞬間に加速させる魔闘術を発動させ、蹴って高く飛び上がる。
蜂が反応するより先に、捕まっている人を奪い取った。
「アオーン!」
クラリッサの放った光弾の群れが蜂を粉々に打ち砕く。
着地したオリビアが救出した人を下すが、自力で立てないらしく、その場に寝かせた。
見たところエルフの女性だ。目立った外傷は無く意識もある様だが、身体は小刻みに震えるだけで動けないらしい。
この症状は見た事あるな。
「ナタリア、何とかなる?」
「おそらくですが、大丈夫かと」
収納空間から麻痺治しの薬を取り出し、エルフ女性の口に少しずつ注ぐ。
「ぐ、ゴホッゴホッ! うっ、あ? 動ける?」
薬を一本分飲ませて暫く経つと、女性は咽たはずみで身を曲げた事で、身体が動くようになったのに気付いたらしい。
「助けてくれてありがとう。本当に助かったよ」
動けるようになった女性は姿勢を正して礼を述べる。
彼女は見た目通りエルフで、名はシャーリーと言った。近くの町で冒険者として採取クエストを受けたのだが、森の深くまで足を伸ばしたところで、先程の蜂の魔物に襲われたらしい。
これ以上の採取は諦めて町に帰ると言うので、オリビアは途中まで狼車に乗っていくように申し出た。それならばと、彼女は遠慮がちに御者台のオリビアの隣に腰を下ろした。
「シャーリーさんもDランクなんですね」
「一応ねぇ。私の実力じゃあそろそろ頭打ちかもねぇ」
シャーリーは人見知りしない性格なのかすぐにオリビアと打ち解け、俺はそんな二人の会話を狼車の中から聞いていた。
「でも今回の失敗は痛いなぁ。まさかルビーアナホリバチに襲われるなんて」
「さっきの蜂の魔物ですか?」
ルビーアナホリバチって何処かで聞いたと思ったら、いつぞやの殺人鬼が短剣に仕込んだ毒に使っていたやつだ。
懐かしいなと思いながら、あの時回収したままにしていた短剣を収納空間から取り出す。表面に塗られていた毒液は既に乾き、手入れもせずに放置していたのでかなり錆びてしまっている。
「とっても強力な麻痺毒を持っていてね、それで動けなくなった獲物を巣穴まで運んで、生きたまま食べるのさ」
「うわぁ」
「だから本当に助かったわ。オリビアちゃんが助けてくれなかったら今頃どうなっていたか、想像したくもない」
そう言えばあの殺人鬼も『竜にすら効く』と言っていたな。しかも獲物を生きたまま喰うのか。それは確かに想像したくない。
「そんなに危険な魔物だったんですね。私もさっき襲われましたけど、鍛えてるからか針が刺さりませんでした」
「鍛えているから針が刺さらないっていうのはおかしいんだけど、オリビアちゃんて人間族だよね? 背中に鱗とかあったりしない?」
「人間ですよ」
今までの規格外っぷりを見ると自信をもってそうだと言えないから困る。
「でも毒とかを無効にする魔道具を着けてるので、それのお陰かも」
「毒って一口に言っても色々な種類があるから、魔道具一つで防げるものじゃないと思うんだけれど」
以前に俺がオリビアに贈ったやつか。少しでも役に立てばと思ったが、ちゃんと効果があるなら安心だ。
「これなんですけどね」
「どれどれ……え、これどうしたの?」
「ナタリアが買って来たんですけど……そうよね、ナタリア?」
「ええ、私達が住んでいる町の露店で買ったものですが、どうかしましたか?」
何やら様子がおかしいので窓から顔を出すと、オリビアがペンダントにして首から下げている指輪を手に取ったシャーリーが大きく目を見開いていた。
「どうかしましたかって、これ毒物耐性が凄く幅広い、一介の冒険者が持つような代物じゃないよ! 貴族でも相当な地位じゃないと手に入らない、小さい国なら国宝になるようなやつだよ!」
今この場で一番驚いているのは、たぶん俺だと思う。
確かにこの指輪の売値はかなりの額だったが、それでも先日王都で少し覗いた魔道具専門店ではその倍以上のするものがごろごろしていた。露店の店主は店で一番の品と言っていたが、まさかここまで良い物だとは思いもしなかった。
「はー、こんな魔道具持ってて、従魔も高性能だったり希少種だったり、ホント末恐ろしいわ」
その後、少々の雑談を交わしている内に街道の分かれ道まで戻ってきたところで、シャーリーは御者台から飛び降りた。
「じゃあ、私はこの辺で。助けてくれてありがとね。これはほんのお礼」
シャーリーが投げて寄越したのは、大樹の彫刻が施された木札だった。
「もし世界樹の元に行く事があれば、きっと役に立つよ」
そう言ってシャーリーは俺達が向かうのとは反対方向へ歩き出し、俺達も故郷であるバメルへと向かって進路を向ける。
こうして、王都とその周辺で起きた慌ただしい日々は終わりを迎えたのだった。
街道を行く狼車が遠ざかっていくのを振り返り、シャーリーは思わず笑みを零した。
「たまたま近くに居たから本人を試してみたけど、ありゃかなりのもんだねぇ。ヴァイテュス家から聞かされた時は盛り過ぎだろうと思ったけど、どうやら事実のようだ」
ヴァイテュス家とはパイムネモ家と並ぶサペリオン王国三大公爵家の一つであり、シャーリーの依頼主である。
将来有望で血筋も貴族に連なるオリビアは、貴族にしてみれば何とかして味方に引き入れたい、同時にそれが無理ならばせめて他の貴族に着く事は避けたい存在である。なのでヴァイテュス家はそうなる可能性があり、そうなって欲しくない相手であるパイムネモ家、ひいてはオリビアと直接面識のあるシャルロットとの関係を完全に断っておこうとした。
かと言って下手に悪意ある工作を行えば、露見した時に両者を敵に回すだけでなく、周囲からもバッシングを浴びせられる事になる。自らの真意を隠しつつ、露見してもそれが善意や行為に基づくものだと主張出来る方法が必要だった。
そして選ばれた方法というのが、オリビアの生い立ちやシャルロットが公にしなかったブラックロック討伐などの活躍を大々的に広め、オリビアの穏やかで順当な冒険者生活を妨害すると言うものであった。魔法学校での生活を調査したところ、亡き両親の様に自身の実力で冒険者として名を上げる事を目指していると判明したので、その第一歩に水を差す。情報の出処として最初に疑われるのは事件当時に指揮を執っていたシャルロットだろうし、またもしバレても、著名人の遺児であり事件の功労者を称えただけだと言い訳出来る。何より“その程度の事”でしかないのだ。当事者間に悪印象を与えつつ、しかし行為そのものは咎める程でもないという、効果と安全性を両立した、策略とは呼べない嫌がらせでしかない。
卑怯と言うなかれ。この程度は当然として出来なければ、貴族として失格なのだ。
そして実行役に選ばれたのが、このシャーリーである。
「やり甲斐があって、面白くて、しかも長く続きそうときた。こりゃいい仕事だねぇ。だから―」
シャーリーが腕を振るうと、収納空間に収められていたフード付きローブとリュートが現れる。
ローブを纏いリュートの弦を爪弾くと、流れる様な調べが辺りに響く。しかしその中には、人間には聞こえない音が混じっている。人間には聞こえず、しかし聞こえる者を魅了し支配する命令の旋律だった。
甘美な調べに惑わされ下僕となった魔物が集い、耳障りな羽音を立てながら赤い外殻を煌めかせる。
「『蠱惑の旋律』シャーリーをしっかり楽しませておくれよ、オリビアちゃん」
幾多のルビーアナホリバチに囲まれながら、シャーリーは妖しく笑った。




