第百三十二話 責められるべきは酒を飲む事ではなく、度を超す事である
ルリとリューカを連れての帰省ももう三回目で、今回が在学中最後となる。
半年も空けていた屋敷の庭は荒れ放題で、雑草刈りや植木の剪定をしなきゃいけないし、出来ればオフィーリアの蔵書や魔道具の虫干しなんかもしておいた方が良いだろう。それに加えて洗濯や食事の支度など通常業務もあるから、休んでいる暇なんて無い。
全く、困ったもんだぜ!
「ナタリアさん、楽しそうですね」
「本人は『メイドの仕事だから』って言ってるけど、絶対に好きでやってるわよね」
屋敷の窓から庭を眺めるリューカとオリビア。彼女達の視線の先ではメイド服姿の魔導人形が嬉々として庭の手入れをしていた。その様子は労働に励む使用人でも淡々と作業をこなす人形でもなく、あの魔導人形にとってそれが楽しみである事は誰の目にも明らかだった。
「ナタリアさんはまだ庭に居るのですか?」
入室して来たルリはリューカとオリビアの間から窓の外を眺め、小さく溜息を吐いた。
「もうそろそろ出発した方がいいと思うのですが」
「じゃあもう連れて行っちゃって」
「後は私達だけで大丈夫です」
「承知しました」
二人の了解を得たルリは未だ庭ではしゃぐメイドに声を掛けるべく、部屋を後にした。
沈みつつある太陽が世界を赤く染める時刻、俺とルリは屋敷の地下に位置する大空洞へと来ていた。本来であれば屋敷で夕飯の準備をしている頃だが、今はその職務から開放されている。と言うのも、久しぶりに友人達に飲みに誘われたのだ。
「じゃあ、再会と新たな友人に乾杯!」
「「「乾杯!」」」
アリアの音頭で俺とルリ、ミールもジョッキを鳴らす。
「にしても久しぶりねぇ。元気そうで何よりだわぁ」
早速ジョッキを飲み干したアリア。それなりの値段だった酒なのだが、この大酒飲みの蜘蛛は本当に遠慮が無い。
「そうですよ、ナタリアさん。前に帰って来た時もあまりご一緒出来ませんでしたし」
「すみません。忙しかったもので」
ミールも童顔低身長なのは相変わらずだが、よく見れば装備の一部にアリアの紫鋼が使われていて、どうやら子蜘蛛達に勝ったようだ。
「ルリさんはレイバナ国の出身なんですよね?」
「あ、呼び捨てで良いわよ。敬語も要らないわ」
「じゃあそうさせてもらうね」
二人は前に一度顔を合わせているが、その時はすぐに別れたのでまともに話すのは今回が初めてだ。上手くやれるか心配だったが、どうやら杞憂だったようだ。
「レイバナ国の料理やお酒も持ってきてるから食べてみて。口に合うといいんだけど」
「あ、これ美味しい」
「あらぁ、昔シューマが作ってたのに似てるわぁ。懐かしぃ」
ルリの料理は好評で、アリアは亡き主人を思い出しているようで、じっくりと味わって食べている。
つんつん
不意に背中を突かれ振り向くと、そこには銅蜘蛛がいた。子蜘蛛達の餌はさっきあげた筈だが、どうしたのだろう。
「その子ねぇ、ナタリアちゃんに会うのを楽しみにしてたのよ」
という事は以前俺に懐いていたあの銅蜘蛛か。
「貴方も一緒に食べますか?」
尋ねると銅蜘蛛は前足を大きく振り上げて体を揺らした。これは肯定と取っても良いのだろう。蜘蛛は捕食生物なので肉料理を適当に取り皿に載せ、目の前に置いてやると、銅蜘蛛は皿に顔を埋めるようにして食べ始めた。
「ナタリアちゃん、出来ればで良いんだけど魔力も分けてあげてくれない?」
「魔力ですか?」
「前に私が貰った魔力をその子に分けてあげたんだけどね、そっちの味も気に入ったみたいだから」
「はぁ」
「何ならまた私が一旦貰ってから分けても良いわよ」
「直接あげます」
アリア経由って口移しじゃねぇか!
あんなのそう何回もされてたまるか!
食べるのを止めて見上げてくる銅蜘蛛の前に指を出し、ゆっくりと魔力を放出すると青白い燐光が灯る。魔力刃や錬金術をやっていればこの程度は簡単だ。
銅蜘蛛は指先に口を着けると、少しずつ吸い始めた。
うーん、可愛い。
駄犬みたいにがっついて皿から零したりしないし、俺の指を噛まないように気を付けているのが解る。噛まれたところで痛覚は無いから別に気にしないけど、もし俺が人間の冒険者だったらこういうのを従魔にしたい。
銅蜘蛛に魔力をやりつつ、互いの近況を肴に宴は続いた。
それからかなりの時間が経ち―
「でぇ、私としてはちょっと納得行かないんですよ、ナタリアさん!」
「はぁ」
ミールが完全に酔っ払っていた。ドワーフ族は酒に強く、ミールもその例には漏れないのだが、アリアと二人がかりとは言え瓶や樽を幾つも空ければ流石に酔うんだな。
ちなみにそのアリアはニコニコ笑いながら一人でラッパ飲みしていた。
「聞いてますかぁ!?」
「き、聞いてますけど、飲みすぎでは? もうかなり酔ってるみたいですし」
「私は酔ってません!」
それがまさに酔っ払いの常套句なんだが、この剣幕を前に口を挟む勇気は俺には無かった。
「ぷはぁ! そりゃあ、長く会ってなかったから互いにタイミングを逃してたってのも解ってますけど、でも後から知り合ったルリとは互いに呼び捨てなんて、なんていうか、こう、もやもやするじゃないですか!」
空いたジョッキをドンッとテーブルに叩き付けるミール。
「ナタリアさんの立場も解りますけど、もっと自然体で接してくれてもいいと思うんです! 時々喋り方が変るの知ってるんですからね!」
自分でも完全に出来てるとは思ってなかったが、たまに素が出てるのに気付かれてたのか。
「ですから、今からさん付けや敬語は禁止です! いいですね!」
「いや、あの、ミールさん?」
「んんっ!」
「あの…」
「……」
「……ミール」
「ええ、ナタリア」
無言のジト目で睨むミールに押され、ついに折れてしまった。
「あっはっは! 普段クールぶってるクセに根っこでヘタレなんだから!」
その光景に腹を抱えて笑ってるのがこのウサギである。他人事だと思って楽しんでやがるな。あと誰がヘタレだ。
「そんなんだから未だにオリビアさんとの仲も進展しないのよ」
「え、進展してないの!? オリビアちゃんはあんなにナタリアさん好き好きオーラ出してるのに!?」
「なになに、面白そうな話してるわね」
ルリの発言にミールは驚き、更にアリアまで興味を示しだした。
「いや、だって進展も何も、お嬢様のあれは思春期の性欲を持て余して、一番身近な俺に向けているだけだろう。同性に向けてるのは、まぁ、本人の自由だからいいけど、そのうち本当に好きな相手が出来れば忘れるだろうよ。それに俺は人じゃなく魔導人形だし」
そこまで言って、ジョッキの中に残るワインを煽る。俺もかなりの量を飲んでいるが、魔導人形がアルコールに酔う事は無い。
生物ではなく物でしかない。そんな俺が生身の人間であるオリビアに好意を向けられたところで、応えようも無い。
だからオリビアにはもっと相応しい相手が居ると思う。人となりで言うならマティアスなんかが良いと思うんだけど、あっちは侯爵家の子息だから平民のオリビアとは無理だろうな。
「それにお嬢様は大恩あるオフィーリア様の娘だ。俺が今こうしているのはオフィーリア様が俺を創造って色んな事を教えてくれたからだ。その娘に手を出すなんて絶対に出来ないよ」
オリビアは日に日に美しく成長している。贔屓目もあるかもしれないが、癖の無い黒髪や整った目鼻立ちに加えてスタイルは抜群だ。明るく感情豊かな表情は綺麗なだけでなく愛嬌もある。見ていて不意にドキリとさせられる事も何度もあった。
でもその度にオフィーリアの顔が頭を過ぎる。オリビアはオフィーリアの娘だ。俺はオフィーリアに託され、誓ったんだ。それを裏切るわけにはいかない。
「でも、それじゃあ、オリビアちゃんが可哀想…」
先程までの勢いを失ったミールが目を伏せて漏らした呟き。だけれど俺はそれに対して明確な返答が出来なかった。
ああそうだ。そこまで気持ちが固まってるならちゃんと振ってしまえばいい。そうした方がオリビアも新しい恋を探せるだろう。
だけどもしそうしてしまったら、俺達の関係はきっと崩壊する。今までの主人とメイドの仲ではいられなくなる。そうなった時にどうすれば良いのかなんて、俺には何も浮かばない。
「そうよ。性欲を持て余してるなら解消してあげるのもメイドの仕事でしょ?」
このウサギは一体何を言っているんだ?
「オリビアちゃんが満足するまで体を差し出して『私のいやらしい体を、どうぞお好きにお使いください』とか『精一杯ご奉仕させていただきます』とかするべきでしょ」
「話がおかしい方向に向いてるぞ。それと誰がいやらしい体だ」
「それがダメなら使用済み下着の一つくらいオカズにあげれば良いじゃない」
「お前、もし自分がリューカさんに同じ事言われたらどう思うんだよ」
「望むところだと言わせてもらおう」
「ああ、訊いた俺が馬鹿だったよ」
今まで忘れてたけどこいつ、リューカさんのスカートに顔埋めてたな。
「下着って言っても所詮はただの布でしょうぅ? あげちゃえば良いんじゃないのぉ」
「アリアさんはそもそも人間にとっての衣類というものを理解してくれ」
「あ、お酒が無くなっちゃった。こっちの瓶も開けよ~っと」
「ミールはもうその辺でやめた方が良いぞ!」
「それでナタリアの今日の下着は~、1、2、3、ちらり、あらこれはダイタ~ン」
「捲るな! あーもう、いい加減にしろおおぉぉぉぉ!」
酒は飲んでも飲まれるな。至言だと思う。




