第百十六話 黒い巨鳥⑧
ルフの襲撃翌日、太陽が昇るより早く起きた私は、クラリッサを連れて音を立てないように寮の玄関を出る。もし誰かに見付かったら絶対に止められるから、こっそり行動しなくちゃ行けない。
よし、ここまで誰にも見付かってない。玄関を出てしまえばもう大丈夫だ。
そう思って狼形態になったクラリッサに飛び乗ろうとしたその時。
「どこに行くつもり?」
不意に背後から届いた声に思わず飛び上がる。
恐る恐る振り返ると、そこにはエイミーにリューカにクリスティナ、ルリさんにプラムちゃんまで居た。
「ど、どうして皆ここに居るの…?」
誰かに見付かる可能性はあったけど、まさかエイミー達に見付かるとは思わなかった。しかも寮住まいじゃないクリスとプラムちゃんまで居るなんて、予想外すぎる。
「何年アンタと親友やってると思ってるのよ」
エイミーが呆れたような溜息を吐いて進み出ると、手に持っていた大きなリュックを投げて寄越した。驚きながらも受け止めたそれは意外にも重くて、中身が詰まっているのが判った。
「ナタリアさんを助けに行くんでしょ? 食料とか薬とか用意しといたから持って行きな」
「え、幾らしたの? お金を―」
「アンタねぇ」
きっと実家の商品から回してくれたんだろうからお金を払おうとした私に、エイミーはぶつかりそうなほど近付いてきた。
「体はデカくなっても頭はアホの子のまんまか!」
「ひゃあぁ!」
エイミーは突然私の胸を鷲掴みにして揉みしだいた。
「ここか! ここにしか栄養が行ってないのか! もげろ!」
「え、エイミー、やめっ」
驚きと困惑で思わず身を捩り、やっとエイミーの手から開放された。
「し・ん・ゆ・うでしょうが! こういう時は『ありがとう』一つでいいの!」
私の鼻先に指を突きつけるエイミー。馬鹿な私はそこまで言われて、漸く自分が無粋な事を言ったと気が付いた。
「その…ごめん。ありがとう」
「うん」
謝ると、エイミーは肩を竦めながらも笑ってくれた。
「ナタリアさんを攫った黒いルフはブラックロックという個体名持ちだそうです。群はイングラウロから南東の村を巣にしているらしいのでナタリアさんや他の連れ去られた方達もおそらくそこに居ると思われます。東門と南門はまだ警戒態勢を敷いてますから、面倒事を避けるならまず西門から出て回った方が良いでしょう」
リューカがそう言うと、ルリさんが一枚の地図を差し出してくれた。
イングラウロから南西に続く道の先にあるバーヘン樹海を切り拓いた位置にある村がその巣にされているらしい。他にも途中の町や村が襲撃されてる事が書かれていた。
「あんたの事だから、ルフが何処に逃げたかとか考えてなかったでしょ。リューカとルリさんが調べてくれてたんだからね」
「どうやらその村の周辺には、最近になって強力な植物の魔物が移動してきたらしいです。詳細までは判りませんでしたが、ルフ以外にも注意してください」
エイミーの言う通り、飛んで行った方向に行けば良いと思っていたから、具体的に何処を目指すかなんて考えていなかった。ルリさんの言う強力な魔物も、知らなかった。
「私達からはこれを。アナベル先生と研究していた魔道具です。まだ試作段階で一度しか使えませんから、いざという時に使ってください」
クリスティナが魔道具の効果と使い方を説明してくれる。
試作でも凄い効果だわ。これならもしもの事があっても安心出来る。
「すみません、本当は同行したいのですが」
「それぞれ立場ややる事があるんだから仕方無いですよ」
申し訳無さそうに俯くクリスティナをエイミーがフォローする。
確かに伯爵令嬢のクリスティナは復興や救助の為に動かなきゃいけないし、大手商会の娘であるエイミーもそれは同じだ。留学生のリューカも勝手な事は出来ない。
「それに人数が増えれば移動にも時間が掛かります。少数で速やかに行動する事を考えれば、オリビアさんとクラリッサのみで向かうのが最も速いでしょう」
「ルリ様の言う通りです、クリスティナ様。ここはオリビア様とクラリッサ様にお任せするべきかと」
「そう、ですね…」
ルリさんとプラムちゃんに宥められ、クリスティナも表情を和らげてくれた。
「みんあ、ありがとう。絶対にナタリアを助けてくるからね」
「うん、やってきなさいな」
みんなの応援を背に受け、改めてクラリッサの背中に飛び乗る。
準備もやる気も充分。あとは実行するだけ。
待っててね、ナタリア。すぐに助けに行くから。
黒いルフに掴まれた空の散歩がそろそろ飽きてきた頃、ルフが棲み処にしているらしい廃墟の村に到着し、屋根を落とした家を利用したら巣に放り込まれた。そこでは成人男性より大きな雛鳥が待ち構えており、けたたましく鳴き声を上げながら襲い掛かってくる。雛鳥の嘴を何とか躱し、どうにか巣から逃げ出して家の陰に隠れる。
最初にクラリッサに襲われたときも思ったけど、俺食うところねぇから。
一息吐く間も無く見付かり、逃げようにも取り囲まれてしまった。
日が暮れ、夜になれば暗視能力のある俺の方が有利だ―などという程でもなかった。鳥は夜になると殆ど眼が見えなくなる、俗に言う鳥目というのはデマだと知識では知っていたが、まさか身をもって体験するはめになるなんて思いもしなかったぞ。流石に日中ほど活発ではなかったが、それでも油断出来る状態ではなかった。
現に俺は一晩中戦い続け、もうじき夜が明けようとしている。
黒いルフは俺を巣に投げ入れてすぐにどこかに飛び去ってしまったのは僥倖だったが、それでも他の連中を相手にするのは楽ではなかった。
周囲には夥しい羽と血が飛び散り、死体が転がっている。それはルフだったり、俺と同じように攫われた人のものだったり。出来る限り助けようとはしたが、これだけの数に囲まれて戦力にならない他人を守りながら戦うのは不可能だった。彼等はここに運ばれて来た段階でかなりのダメージを負っていた事もあり、次々とルフの餌食になり、もう俺以外誰も残っていない。
ブラックホークとホワイトヴァイパーの残りマガジンも少ない。使い切ったマガジンは収納空間内で再充填しているが、こうも絶え間無く攻められるとリロードする隙も無いし充填にも集中出来ない。言うまでもないがブルーハウンドを使える距離でもない。
こんな状態で何処まで戦えるか。
「ピィイ!」
デカイ図体に似合わず可愛らしい声で鳴くルフが上空で羽ばたき、地上に向けて風を起こす。常人なら目を開けていられない程の突風だけれど、魔導人形である俺には何ともない。だがその中で、俺は敢えて足を止める。
突風の中をルフが突っ込んで来た。
釣れた。
矢の様に鋭い嘴を躱し、翼の下に潜りながらホワイトヴァイパーを撃ち込む。ルフは滑る様に墜落し、再び飛び上がろうとするも、翼の痛みと傷がそれを許さない。
背後から追撃をしようと構えたところに別のルフが迫り、強靭な翼を薙ぎ払う。地面を掃く様な一撃は今の体勢からでは避けようが無く、直撃を受けた俺は大きく殴り飛ばされた。
「っ」
どうにか倒れずに済んだが、状況は良くない。一羽はほぼ無力化したが、それでも敵はまだ多い。
急降下したルフの鋭い鉤爪を踏ん張りながら受け止め、至近距離から自爆上等でブラックホークの炸裂弾を撃ち込む。爆炎が両者を吹き飛ばし距離を開けた。
これで仕切り直せばと思ったが、群を相手にはそうもいかず、すぐさま次のルフが襲い掛かってくる。
不安定な体勢に翼の強烈な一撃を受け、地面に転がされる。
「しまっ」
倒れた俺に群が殺到し、幾つもの嘴が俺の体を突く。頑丈な身体は千切られこそしないが、表面に幾つもの傷を刻んでいく。
視界がルフで埋められ、絶え間無い攻撃に立ち上がる事すら出来ない。
「くっそおぉ!」
それでも諦めるわけにはいかない。
オリビアに必ず帰るって言ったからな。その為なら、ルフの群の一つや二つ、蹴散らしてやる!
まだ力が足りないなら引き出せばいい。この魔導人形の限界はまだまだ先だ。
周囲の全てを感知し、情報を合理的に処理しろ。
余計な感情は切り捨てろ。
今は敵を殲滅する事が最優先だ。
人間の理屈で考えるな。
俺は魔導人形だ。
瞬間、世界が鮮明に広がった。
光、音、臭い、空気の流れ、魔力の流れ。
今まで感じていたものはより先鋭に感じ、感じられなかったものまでも理解出来る。
同時に頭の中が論理と効率で埋め尽くされた。




