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『開いた心の扉から』

 拝啓、阿久津斗哉様。初夏の候、如何御過ごしでしょうか?

 

 体調はどうですか? お風邪など、引いてませんでしょうか?

 早いもので、新幹線が出るホームで別れたあの日から、もう三ヶ月が経ちましたね。

 こちらはようやく気温が高くなり、夏らしい晴れ間が覗くようになってきたところです。

 大学での生活にはもう慣れましたでしょうか? 人付き合いの上手な斗哉君なら、きっとなんの問題もないのでしょうね。

 私も、それなりに頑張っています。

 けどやっぱり、障害を抱えて仕事をすることの大変さが、身に染みているところです。

 早朝からの仕込み。焼きあがったパンの陳列も、商品の並びを考えながらしなくてはいけません。パンの種類が多いので、値段を覚えるのが大変だし、覚えてもすぐに新作が出てきます。

 人手が不足していたとき一度レジ打ちを担当してからは、店先に出る機会も増えました。

 できる仕事が多くなるのは、遣り甲斐も感じて嬉しいのですが、なんでもできるということは、反面、なんでもやらないといけない、ということでもあるので、覚える事柄が多くて苦心しています。

 でも最近は、私の事情を把握してくれている人が常連さんを中心に増えてきて、すんなりと筆談に応じてもらえたりと、時折助けられています。

 そんな感じで、日々頑張っています。


 ゴールデンウィークの時美也ちゃんが帰って来ていたので、久々に律と三人で会いました。

 二人とも相変わらず元気でした。

 美也ちゃんが、「八月にも帰省すっから、その時みんなで海に行こうよ」と提案してきました。律には、「ワンピの水着は子供っぽいから、ビキニ買え」って勧められています。

 見たいですか? 私のビキニとか……

 私は胸が小さいので、あまり似合わないと思うんですが。

 八月まではまだ時間があるので、ゆっくり悩んでみようと思います。


 それではまた、お手紙出します。

 何卒、ご自愛専一に御過ごしください。


 かしこ。菊地悠里。


◇◇◇


 菊地悠里様。


 姓も住所も変わったんだね。正直驚いた。

 でもまあ、また両親と暮らせるようになって、良かったじゃん。仕事のこととか凄く心配していたけど、順調そうで安心している。

 悠里はやればできる子だから、努力していれば大丈夫だと思う。

 ガンバレ!

 俺はというと、友達はなんとか数人できました。野球は高校で燃え尽きたしやる気無かったんだけど、経験者だとうっかり告白してしまったら、友人の一人に引っ張られて、結局、大学の野球部入りました。

 トホホ、ですよ。

 まあ~でも、そこまでレベルの高くない野球部なので、のびのびやれていますし、なんだかんだで期待もされているようで、悪い気はしていません。

 結論。案外と楽しいです。

 やっぱり俺は、野球が好きだったんだな、と再認識しているところです。とりあえず、ケガしない程度に頑張ってみようかな、と思います。


 大阪はね、暑いです。もう結構、だいぶしんどいです。

 栃木とは全然違う。真夏を迎えたら、どうなってしまうんだろう? トロけちゃうんじゃないかと、今からちょっと心配です。

 夏休みはそちらに戻りたいんだけど、たぶん忙しくて行けないです。大学の講義だけならまだしも、オカンに「バイトして稼げ」と言われている手前、已む無くコンビニのアルバイトを始めたのが主な理由です。仕事は半日くらいだけど、講義の合間を縫ってシフトを入れているので、ホント、時間的余裕がないんです。

 帰りたいんだけどなあ……

 今は辛いけれど、また会える日を夢見て頑張ります。

 それでは、どうかお元気で。


 PS:ビキニ見たいです。是非見たいです。あとで写真送って下さい。


 阿久津斗哉。


◇◇◇


「ありがとうございました」 


 パン屋のレジカウンター脇に起立すると、店を出て行くお客さんの背中に声をかけて深々と頭を下げた。

 私立照葉学園を卒業したあの日からもう二年。季節は、ゆっくりと空を流れる雲のように移ろい、私の前を通り過ぎていった。

 卒業後就職を決めたパン屋に、今も変わることなく私は勤務している。『障害があっても良いよ』と承諾を貰ったうえで務め始めた職場。なので、無理に言葉を覚えなくても大丈夫だよ、と店長さんは気遣ってくれるんだけど、最低限の挨拶はしたいなと考えて、幾つかの単語を発声できるようにマスターしていた。


「いらっしゃいませ」

「ありがとうございました」

「好きです」

「愛してる」

 そして、「とーやくん」


 なんだか、覚えている単語のラインナップに酷い偏りが見られるけれども、自信を持って発声できるのはこの五つかな。

 レジの真横にある、窓の外へと視線を向ける。

 季節は春。四月初旬の午後の空は和やかだった。薄い水色の空に、筋状の雲が幾つか浮かんでいる。椅子に深く座り直すと、暖かい春の陽射しが入り込む窓辺で、しばし微睡んでみる。

 桜の花びらが、ゆっくりと舞い下りてくるのが見えた。左右にゆらゆらと揺れながら、時折吹く風にその動きを乱されつつも、ゆっくり、ゆっくりと下りてくる。月日の流れもこのくらいゆっくりだったなら、斗哉君ともっと長くいられたのにな、と高校三年生の頃の記憶を、いまだに思い出してしまう。

 思えば、高校生活が始まった当初は不安しかなかった。

 朝起きるのが嫌だった。

 校舎が見えてくるまでの、長い坂道が嫌だった。

 クラスメイトから向けられる、無関心な眼差しが嫌だった。

 みんなの心の扉が、私に対して開いていないのが嫌だった。

 なかなか友達ができなくて、いつまで経ってもクラスに馴染めない私がいた。

 けれど、それらはいつの間にか払拭されて気にならなくなった。辛い記憶のすべては、美しい思い出にその姿を変えていた。

 無味乾燥に繰り返されていた私の日々が、光り輝いた理由。

 それは、言うまでもなく、私の友人らと三年B組の仲間達のおかげ。

 広瀬君のことを私が好きになったから。美也ちゃんが、ずっと親友だよと言ってくれたから。果恋ちゃんや相楽さんが、私に声掛けをしてくれたから。

 そして何よりも、塞ぎ込んだ時も泣いた日も、私に手を差し伸べ導いてくれた斗哉君のおかげ。あの楽しかった日々の記憶を、今でも驚くほど鮮明に思い出すことができるし、きっとこれからもそれは変わらないだろう。

 学校の校舎で過ごした三年間の思い出は、もう私の大切な一部なのだ。記憶の中に深く刻まれた、私の大切な、大切な一部。


 その時、不意に肩を叩かれる。

 顔を上げると、私の顔を店長が心配そうに覗き込んでいた。

『大丈夫?』

『はい。大丈夫です』と手話で返した。

 やばいやばい。私は相当ぼんやりしていたんだろうか。

 店内の様子に目を配り、椅子の位置を正して膝を閉じると、ピンと背筋を伸ばした。


 三十代半ばほどの女性である店長は、私が勤務してからまもなく、簡単な手話を幾つか覚えてくれた。

「おはよう」「こんにちは」「さようなら」「お疲れ様」「大丈夫?」「ありがとう」おおよそ、こんな感じじだろうか。常日頃から、細かい気配りをしてくれる優しい人で、私は凄く感謝している。

 障害を持っていることで、時々迷惑をかけてしまうかもしれないけれど、許す限り、私はこの店で勤務したいな、と思っている。店長の心の扉は、私に対して常に開かれているのだから。

 そこで、「ふ」と思わず苦笑い。

 これが一番悪い癖。他人の心の扉が自分に対して開いているか否か、そればかりを気にしちゃう。反省の念をこめて、自分の頭を軽く小突いた。

 でも……『これからも、宜しくお願いします』

 店長の後ろ姿をそっと見つめ、気付かれないように頭を下げた。


 窓から差し込んでいた強い西日が常夜灯の柔らかい灯りに変わる頃、私の勤務時間は終わる。

『お疲れ様でした』と店長と労いの挨拶を交わし合い、店の外に出る。

 陽が沈む時間帯になると、まだまだ肌寒い。一つ息を吐いてから、お店の裏手にある駐車場を目指した。

 自宅から職場までは、車で通勤をしている。自分用にとローンで購入した軽自動車(ワゴンR)。とはいえ、駐車場代も馬鹿にならないので、休日はママと共同で使っているけれども。

 高校を卒業してから九ヵ月後となる年末。私に弟が生まれた。名前は結斗(ゆいと)で、もう一歳と三ヶ月になる。生まれたばかりの頃はママも弟にかかりきりだったけれど、今では伝い歩きも卒業して、立ち歩きをするまでになってきた。次第に、意味のある言葉を話すようになってきた()()()。いわゆる、一語という単語の羅列。

 弟の声が聞こえないのを時折寂しくも思うけど、休日は忙しいママの代わりに弟を抱いて面倒を見たりしている。

 新しくできた家族の存在で、私の気が紛れたりもしているのかな。楽しかった高校時代を追憶して、感傷に浸ることも少なくなった。

 それでも、十五分ほどの通勤時間のなかで、時々、斗哉君と恋人同士だった頃の記憶が蘇ってきて涙する。


 二年前の三月二十三日。

 あの日も今日と同じように、春の訪れを感じさせる温かい陽気の日だった。駅のホームで恋人としての関係を解消したあと、私達は、何度か手紙のやり取りを交わした。

 しかし、慎ましやかに続いていた文通も、半年を過ぎた頃に途絶えてしまう。その後は、季節の変わり目ごとにスマホで簡単な近況報告をしていたが、それも一年が過ぎた辺りで終わってしまった。

 それから、もう一年近く連絡を取り合っていないし、もちろん会ってもいない。

 喧嘩をしたとか、嫌いになったとか、そんなことは微塵もない。漠然とした時間と距離が、会えない寂しさが、二人の関係に終止符を打ち、それに抗うだけの勇気も理由も二人の間になかった。ただ、それだけのことだと受け止めている。もう彼に手紙を出すことはないだろうし、彼からの手紙もきっとこない。

 向こうの事情はわからないが、私に限って言えば、新しい恋人はあれから一度もできていない。気がつけば、私はまた恋ができなくなっていた。ずるずると、未練がましく過去の恋愛を引きずるめんどくさい女の子。それが今の、私の姿。

 相変わらず、器用に人を愛せない私を見て、斗哉君はどんな感じに思うだろう? きっと、笑われてしまうに違いない。そうして私は今日も、口元に無理やり笑みを形作って、マイナス思考を断ち切った。


 駐車場に車を停め、マンションの郵便受けを開くと、たくさんのチラシに紛れて、「菊地悠里様」と書かれた同期会の開催を告げる往復ハガキが紛れ込んでいた。

 同期会か……

 私の新しい住所と姓がよくわかったな、と思いながらハガキの裏面を見ると、幹事の欄に知っている名前がたくさん並んでた。

 手塚裕哉君。二階堂果恋ちゃん。そして……上田律。

 同期会の日程は八月十一日。これは、たぶんきっと、宇都宮の花火大会の日。意図的に合わせているのかな? と詮索しながら目を通していくと、律からのメッセージが添えられていた。


『ゆーりにサプライズあるから、絶対参加すること!』


 サプライズって何よ? 笑いながら郵便物を一枚捲って視線を落として、いよいよ私の口元から笑みが零れた。


「あはっ」


 往復ハガキの下から出てきたのは、『菊地悠里様』と宛名が書かれたシンプルな白い封筒。裏面に記載されてた送り主の名前は、阿久津斗哉君。

 この二つの郵便物を、運命の赤い糸で結びつけてしまうのは、いささか虫の良すぎる話でしょうか? 

 今から三年前の、高校生活最後の花火大会の日。自分なりに気合いを入れたつもりの、白い浴衣姿で出かけた私に声をかけてくれたのが、斗哉君だった。すべてが始まったあの日、私の背中をそっと彼のほうに押し出しながら、律が背中からかけてきた言葉が蘇る。


『私にはわかる。これはきっと悠里にとって、運命の出会いだから』


 今思うと、全部律の言う通りだったね。

 もし、この世界の何処かに私と同じ能力(ちから)を持ってる人がいたとして、その人に今の私の姿を見られたとしたら、ちょっとばかり恥ずかしい思いをするのでしょう。

 だって、私の心の扉、これ以上ないってくらいに全開になっているはずだから。

 弾んだ気持ちが、そのまま歩調に表れる。ステップを刻むように自動ドアを潜ってマンションの中に入ると、胸ポケットから取り出したペンで、早速同期会の往復ハガキに〇印をつけた。

 もちろん……出席の側にね。

 軽やかにエレベーターに乗って、六階のボタンを押しながら私は思う。明日、初めて有給休暇をもらって買い物に行こうかな、と。

 有給を使ってでも買いにいきたい物。それは、斗哉君が高校時代に着て欲しいと再三言っていたチェック柄のミニスカート。あともう一つは、まだ売ってないかもしれない……あまりにも季節外れな品物だから。二年前、悩んだ挙句に買えなかった白いビキニの水着。

 上昇を始めたエレベーターと、同じように浮上を始めた私の心。スマホをポケットから出して、一枚の懐かしい写真を表示させた。

 それは、文化祭が終わった後で、三年B組のみんなで撮影した集合写真。貴族の格好をした広瀬君とドレス姿の私が並ぶなか、そのすぐ後ろで私の背中に目を向けている斗哉君がいた。

 ちょっとだけ、照れくさそうな顔をしている彼の姿を目一杯拡大すると、そっとキスを落とした。

 ほんのりと、熱を帯び始めた頬に触れながら思う。

 写真なんかじゃ、あなたの体温も息遣いも伝わらない。やっぱり実物のほうが良いな。披露するのは少しばかり照れるけど、白いビキニを着た私の姿もきっとそう。写真なんかより、直接見せたほうが、喜んでくれるよね?

 目を閉じて、瞼の裏に彼の姿を思い浮かべてみる。おうし座南流星群を見上げた夜の横顔が。その笑顔が。今でもハッキリとイメージできた。まるで、気持ちの中に火を吹きつけられたように忘れかけていた感情が湧き上がってくる。

 逢いたいよ。今すぐ――

 その時、ふと、頭の中に浮かんだ予感めいたフレーズ。


 私の恋は――きっと、ノンフィクションになる。


 了。


 最後まで読んで頂いた方、有難うございました。


 この『見上げた空は、今日もアオハルなり』という作品は、元々小説執筆を始めた最初の作品『バレンタイン・デイ(ズ)』のスピンオフとして誕生したものです。

 ちなみに『バレンタイン・デイ(ズ)』の主人公は楠恭子。なので、彼女を中心として中途半端な存在感の登場人物が複数でてくる訳ですね(苦笑)


 登場人物を多くしたら物語が勝手に転がるんじゃね? という短絡的な思考の元、完結済み作品の舞台設定を使いました。


 確かに転がりました。

 様々な登場人物の思惑によって、収集が付かない方向にorz

 終わってみればスピンオフ元の倍近くまで文字数も膨らみ、最早どちらがスピンオフなのかも分からん状態に (笑)


 当初のプロットでは『広瀬×桐原』のカップリングで終わらせる予定でしたが、途中から阿久津君が大暴れしてこうなりました。

 寧ろ、怪我の功名という感じでしょうか。


 追記:夢に繋がる架け橋(短編集)の中に収録されている一編、「私をプロデュースする方法」が、本作のアフターストーリーを描いた作品となっています。

(※主人公は上田律。宜しければこちらもご覧ください)


 2020年9月30日 華音。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 感動しながら2日で読み切りました。まさに感動の物語です。大賞をもらえて当然ですね。 自殺防止の時の状況を語る時のテンポの速さは凄いの一言でした。 様々な仲間達との友情と恋情の綾とできごと。…
[良い点] 最後まで読了しました。ここまでの大人数のキャラたちを回すのはとても大変だったと思います。ロミオとジュリエットの演劇で告白するというのは良かったと思います。 [気になる点] ただ、気になって…
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