『インターハイ』
八月九日 (土曜日)
東京都渋谷区にある体育館で開催されていた全国高校バレーボール選手権、通称インターハイの会場に、私、渡辺美也は立っていた。最大一万人の観客を動員できるというメインアリーナに、空席は殆ど見当たらない。
照葉学園の初戦の相手は、昨年度インターハイ四強入りの強豪、地元東京の星光女学院。強豪らしく横断幕を複数掲げた相手方の応援席を、恨めしそうに見つめた。
「気圧されておりますの?」
隣にやって来た優花里が、私に釣られて視線を巡らせながらも軽口を叩いてみせる。
「あれだけの熱気と大応援団を見せつけられて、気圧されない方がどうにかしてる」
ストレッチをしながら率直な思いを吐露してみせると、「そうですわね」と彼女も呟いた。
「でも、負けるつもりでここまで来たわけではないのでしょう?」
「当たり前だ」
「なら、やるしかないのでは、ありませんこと」
大声援など、まったく意に介しませんわ、とでも言いたげに、彼女は私の肩を軽く叩いた。
「期待してますわよ。エース」
おう、と頷いたところで、キャプテンの佐薙果恋から集合の声が掛かる。
全員が緊張した面持ちで輪を作り、監督の声に耳を傾ける。対戦相手のオーダーが報告されたのち、私たちのシフトを監督が読み上げる。先発メンバーは次の通りだった。
フロントレフト:渡辺美也 (三年生:ウイングスパイカー)
フロントセンター:田中梨歩 (三年生:ミドルブロッカー)
フロントライト:宮腰静瑠 (三年生:ウイングスパイカー)
バックレフト:佐藤ひなの (一年生:セッター)
バックセンター:佐薙果恋 (三年生:ミドルブロッカー)
バックライト:山田千棘 (二年生:ミドルブロッカー)
リベロ:相楽優花里 (三年生)
全員が「はい」と元気に返答していくなか、リベロの優花里だけは「はいは~い、アタクシにお任せあれ」とお道化てみせた。「対戦相手にビビっちゃって、濡れてる人はおりませんでしょうね?」
「……ハイは一回だろ、バカ。あと、濡れてんのはお前だけだ」
私が突っ込みを入れると、全員の顔から緊張の色が溶け出し、自然に笑顔になった。
昔から優花里はこういう奴だ。率先して道化を演じることにより、何気なく周囲に気遣いをする。普段の言動が派手なだけに、彼女の本当の姿を理解してる人は案外と少ないのだろうけど。
だからこそ、男にモテるのかもしんないな。いつも悪役になってもらって、申し訳ないね優花里。心中でのみ、そっと感謝の言葉をのべた。
両チームがコートを挟んで整列する。一礼して、いよいよ試合開始だ。
照葉学園の応援団席から声援が飛ぶ。対戦校と比較すると、控えめな数十人規模の応援団だ。花火の日程と重なっているため、斗哉も桐原さんも、無論、慎吾だって来ていないだろう。
でも、そんなの関係ない。私なりにベストを尽くすだけ。
こちらのサーブで試合が始まる。
打つのはバックライトの山田千棘。笛の音と同時にフワっとボールがトスされると、彼女の武器である強烈なオーバーハンドサーブが、相手のバックライトに襲いかかった。
しかし、相手の対応も冷静だ。
センターに待機していたリベロが素早くポジションをいれ替えると、腰を落とした柔らかいレシーブで難なくネット際にボールを運んだ。
やるじゃん。
続いたセッターのトスは逆サイドに振られ、対応が遅れたこちらのブロックは梨歩と私の二枚だけ。相手の強烈なスパイクは私の右手を弾いてコートの後方へ。
「ワンチ! (ワンタッチ)」
エンドラインを大きく超えたボールに果恋が必死に手を伸ばすも、届かずそのまま床に落ちる。
〇対一。
まあね……。正直、最初からブロックポイントが取れるなんて、これっぽっちも思っちゃいないさ。
プレーが再開される。相手の強烈なジャンプサーブが、果恋の真正面を襲う。
果恋のレシーブは決して下手じゃない。むしろ部員全体を見渡しても上手い方だ。それでも敢えて、千棘と変わってコートに入ったリベロの優花里が、ポジションを素早く入れ替えレシーブに入る。
しっかりレシーブされたボールはネット際中央、既に定位置に入っていた一年生セッター佐藤ひなのの、真上に上がる。
アタックに飛んだのは三人。私と梨歩と宮腰静瑠。
一本目、誰を使う? 相手ブロッカーが視線を走らせるなか、ひなのは私に一瞥をくれた上で方向を変え、静瑠にセットアップ。思いきり振りぬいたスパイクは、完全に虚を突かれ二枚になった相手ブロックのど真ん中をぶち抜いた。
「よっしゃっ!」静瑠にガッツポーズが飛び出した。
一本目はエースと思わせるよう、フェイクで私に目配せをした上での静瑠へのセット。一年生でレギュラーに収まるだけあって、ひなのも大したものだが、彼女が一歩も動かなくていいよう、真上にボールを運んだ優花里もお見事。時間的な余裕がたっぷり生まれたおかげで、ひなのも飛んでいる三人から冷静にセットする相手を選ぶことができた。
続いてのサーブは、初得点をマークして波に乗っている静瑠。
長身に似合わずテクニシャンな彼女は、緩いトスからジャンプフローターサーブを打ち込む。
ジャンプフローターサーブというのは、顔の前にボールを上げて、押し出すように叩いて打つサーブ。ボールが回転しないので、急激に落ちるなど不規則な変化が生じる。特に、オーバーハンドでのレシーブが苦手な選手には効果絶大だ。
バックライトとバックセンターの真ん中にフワリと落ちたサーブは、ゆらゆらと軌道が変化し相手のレシーバーがつんのめる。
乱れたレシーブは枠の外。相手セッターは上げるのが精一杯といった状況で、攻撃はライト一本に限定された。私、梨歩、ひなのの三人が、正面に壁を作るようにブロックで飛ぶ。
壁を嫌った相手のスパイクが、強引にクロス方向に落とされる。だがそこには、コースを完全に読んだ優花里が待ち構えていた。
ズドンと音が響くほどの強烈なスパイク。体を後方に弾かれながらも、優花里は上手く体重を移動させて衝撃を分散させる。レシーブはやや乱されつつも、しっかりとセッターひなのの真上。
ブロックを終えたばかりの私と梨歩と、バックライトから静瑠が飛ぶ。ひなのは、静瑠の飛んだ方向に体を向けバックアタックを使うと見せかけたのち、指先だけで方向を変えてのバックトス。同時にひなのの声が飛ぶ。
「頼みます、先輩!」
ふわりとセットアップされたボールは、私の眼前に。
タイミングばっちり。流石だよひなの! 後は右手を振り下ろすだけ。これで決めなきゃエースじゃないよね!!
私が放った渾身のスパイクは相手のブロックを弾き飛ばし、そのままブロックアウト。
「っしゃっ!」今日初めて、私にもガッツポーズがでる。そのままひなのとハイタッチを交わした。
「ナイスセット! あんがと、ひなの!」
初めてのブレイクに、チームの士気も俄然高まる。だが試合の流れは、ここから一進一退になっていった。
第一ゲームこそ二十五対二十二で競り勝ったものの、こちらの攻撃パターンを読まれ始めると、次第に星光女学院のペースに傾いていく。堅実なレシーブ、固いブロックに攻撃を阻まれ、思うようにブレイクさせて貰えない展開が続いた。
加えて、相手にもやはり存在していたフローターサーブの使い手。これが実に曲者で、コースを細かく打ち分けてサーブを打ちこんでくる。主として狙われるのは、攻撃参加をワンテンポ遅らせる目的から私。そして、比較的レシーブを苦手としている静瑠。余裕があるときは、優花里や果恋がフォローに回ってくれるが、徐々に得点を奪われていく。
中盤以降はピンチサーバーの起用と千棘の積極的なバックアタックによる攻撃参加により攻め手を増やしていくものの、第二ゲームは二十対二十五で落としてしまう。
そして、第一ゲームと同様、いや、それ以上に競った展開となった第三ゲーム。ひなののセットしたボールが私の正面に上がる。
しかし……彼女のセットアップは若干乱れる。いや違う――そこで気がついた。乱れているのは自分の方だと。
息が合わないまま放たれたスパイクは相手の三枚のブロックに完全に捕まり、真下にボールが落ちる。梨歩と優花里が懸命に飛びつく姿が見えたが、一歩及ばす無常にもボールは床に落ちた。
第三ゲームはもつれた末に二十九対三十一。セットカウント一対二 (二十五対二十二、二十対二十五、二十九対三十一)で、私たちは惜しくも敗れた。
試合終了と同時に天井を振り仰いだ。
碁盤の眼のように整然と並んでいるはずの体育館の照明が斜めに歪み、滲んで見えた。「すいません、私のせいです」と涙声で謝罪を続けるひなのの肩を叩く。
「そんなわけあるか。決められなかった私のせいだ。ひなのも、千棘も、頑張ってくれてあんがとな。来年はお前らが主役だ。またインターハイ来て、リベンジしてくれ」
それから……全員で泣きながら整列して、応援席に挨拶をして、もう一回輪になって監督の指導を仰いで。
会場を出たあとは、いまだ涙の止まらない静瑠や果恋たちから少し距離を置き、エントランスのソファに腰掛けて、呆けたようにじっと床に視線を落としていた。
天井を見上げるだけの元気があれば、まだ、気が紛れるのかもしれないが、生憎、そんな気力は残っていなかった。
理由なんて、自分でもなんとなくわかっている。インターハイも終わったな、とか、春校バレーに向けての進退、どうしようかな、とか、そんな感じだったらまだよかった。
そうじゃないだけに、湧き上がる苛々が止まらない。
苛々している理由。それは、今日が八月九日だってこと。
宇都宮の花火大会の日だってこと。
そんなの、もちろん最初からわかってた。割り切っているつもりだった。自分が行けないことも、慎吾や桐原さんが、今頃胸を弾ませながら、出かける為の準備をしているんだってことも。
「……良いなあ」
落ちた呟きが、あまりにも惨めで馬鹿らしい。たった一日。たった一度。桐原さんに先を越されただけで、私は慎吾のことを諦めようとしている。自分で運命を変えようと努力もせずに、わかったようなつもりになって、抵抗すらせずに受け入れて。
桐原さんは可愛いから。
自分はそうじゃないから。
そんな理由をつけては目を背けて、勝手に嫉妬して勝手に負けたつもりになって。
「こんなことばっかり考えているから、ひなののトスに合わなくなるんだろ……」
呪詛の言葉が口をついてでる。
何やってんだろうな、私。
慎吾と仲直りできたあの日から、なんにも変わっていない。こんなザマで、よく桐原さんに「遠慮しないで」とか、「宣戦布告」だとか言えたもんだ。恥ずかしくて彼女に合わせる顔がない。とんだ臆病者だよ。私は……。
そんな堂々巡りの思考に捉われているなか、誰かが私の肩を叩く。
「ん、優花里か? ごめん、ちょいと落ち込んでた」
「ホントだよ、随分と塞ぎこんでいるんだな。なんだか美也らしくもないや」
「は……?」
思わず間抜けな声が漏れた。それは、予想していた優花里でも、気を利かせて声掛けしてきそうな、キャプテンの果恋でも後輩のひなのでもなくて、今さっきまで聞きたいと願っていた人の声だったから。
「慎吾……。お前、なんでここにいるの?」
「なんでって、お前のインターハイ見にきたからだろ? 学校の応援団に志願したからだろ? いや~、タダで東京までこられる機会なんて滅多にないからさ。何気に楽しかったりして」
「だって、お前、花火は……?」
「はなび?」
子供が初めて耳にした単語、みたいな微妙なリアクションをしたあと、慎吾はくすくすと笑った。
「宇都宮の花火大会のこと? まあ、見たかったのは事実だけど、あれは来年でも再来年でも見れるからなあ。でも、美也のインターハイは今年が最後だ。どっちが大事かなんて、一々答えた方がいいか?」
そんなの馬鹿らしい、とさも当然だと言わんばかりに彼が笑い飛ばした。
「美也、カッコよかったぞ。やっぱり見にきて良かったと思った。つかさ、せめて親友の律と恭子はきてやるべきなんじゃないの? 白状だよな、あいつら……」
ずっと悩んでいた自分がバカみたいで、釣られて私も笑ってしまう。
「そっか、見にきてくれて、ありがとな。慎吾」
「いいってことよ。で? 春校バレー、どうすんの。出るの?」
「ん~……ホントいうとさ。もう、悔いはない、とか燃え尽きた、とか思っている自分が心のどこかにいて、出ないつもりだった」
「うん」
「でも、考え変わった。出るよ。私の春校バレーも、次で最後だもんな」
「うん、そっか」
そうこなくっちゃな、と慎吾に肩を叩かれると、堪えきれなくなった涙が私の瞳から溢れでた。
ずっと自分のことばかり考えていたのに、ようやくチームの方に頭が回るようになると、とたんに悔しいって感情がこみ上げてくる。本当にありがとうな慎吾。
私。まだ慎吾のこと諦めなくても良いかな?
私が涙を拭ったタイミングで、優花里の声が飛んでくる。「お二人さん、そろそろバスが出ますので急いでくださいな」と。たぶん彼女なりに、声を掛けるタイミングを見計らっていたんだろう。
そんな、気がした。




