世の中まさかという事はあるもの
俺は、御手洗さんの魔の手から逃れた翌月曜日も普通に出社した。目の前に座る御手洗さんは、昨日の事等まるで無かった様に事務的に接してくる。まあこれはこれで良いのだけど。
「神崎、今日はいよいよ本体の事業本部長に説明だ。普通の上程会議とは違ってこれ専用の会議だ。午前十時に大会議室と各支社をWEBで繋いで説明する。
出席者はAI事業推進本部長と事業部から一部と二部の部長、一課から五課までの課長、最新テクノロジービジネス執行役員、各支店長だ。正念場だぞ。宜しく頼む」
「はい」
本部長が出席するいわゆる本部長会議だ。これをクリアしないと仕事として進められない。
俺は、副室長になってから富永と成瀬という人が俺の補佐についてくれている。二人共優秀な人達だ。
「富永さん、成瀬さん。会議室の準備お願いしますね」
「大丈夫です。会議室は午前九時から押さえているのでセットアップは全て終わっています」
俺は、頷くと今日の説明にほころびが無いか確認した。
俺は午前十時大会議室に集まった人達と大型テレビに映るWEB参加している各支社長に向けて商用AIクラウド化ビジネスと題した資料の説明を始めた。
説明時間は三十分、質問は三十分だ。今日の目的は、クラウド化された商用AIとクローズド商用AIの違い。クラウド化のメリットをここに参加している全員の腹に落ちる様に説明する事だ。
だから質問にも丁寧に返答した。そして会議の最後にAI事業推進本部長から
「商用AIクラウド化ビジネスについては、課題は残っているものの、これを事業として進める事を了承する」
内心、やったぁと思った。これで今までの努力が報われる。
最後にAI事業推進本部長から
「神崎副室長。随分役立っているそうじゃないか。これからも期待するぞ」
「はい」
これは大変だぞ。
本部長が退出するとWEBで繋がれた大型テレビに映っていた各支店長の姿も消えて行った。そして聴講者が全て退出すると室長が
「上手く説明で来たな。後は執行役員向けの説明だ。最後の踏ん張りだ」
「はい」
クラウド化された商用AIのリリースは来年四月。年が明ければ本体の営業部隊も動き出す。もう待ったなしだ。
期待と高揚感で仕事に邁進する毎日だけど、それでも休日の時間はある。
そんな中、俺の部屋に来ていた優香が、
「龍之介、来週の日曜日、私のお母さんに会ってくれない。前にお付き合いしている人がいるって言ってから大分間が空いて、本当は居ないんじゃないの。今度の人は本当にいい人よ。会ってみないって言われたの。
流石に面倒になって。ねっ、一度でいい。お母さんにカモフラージュをする為。お願い」
「でもそれって、会ったらまた事が先に進むんじゃないの?」
「そんな事ない。絶対にそんな事しないから」
どう見ても疑わしい。
「優香、前にも言ったけど、今は仕事が本当に忙しいんだ。会社は俺を信じて任せてくれている。だから俺もそれに応えたい。
そしてこの仕事は俺の社会人としての大きなステップになる。だからその結婚とかそういう事は、頭の中に入れたくない。もし、会ったとして、そっちに話が進むなら、もう優香とは会えない」
「えっ?!」
結婚はともかく龍之介と会えなくなるなんて絶対に嫌だ。私にとって今は素敵な時間だ。これを手放すなんて絶対出来ない。
「龍之介、もし本当にお母さんが、そっちに話を進めようとしたら私が止める。私は龍之介との今の時間を大切にしたい」
「…分かった」
優香がここまで言うなら信じるか。もしそっちに話が進めば、残念だけどこの子と縁を切るだけだ。
俺は翌週の日曜日に優香の家に行く事にした。その間も会社では御手洗さんと仕事上会話するが、事務的な会話だけで済んでいる。
前の様にスリットの間にカフェテリアに行こうなんて言って来ない。まあ俺はそれでいいのだけど、あれだけしつこかっただけに不気味な感じがする。
りゅうは、この前の事業本部長会議で商用AIクラウド化ビジネスの了承を貰ってから一段と忙しさを増している。
そして社内の女の子の間にも少しずつ彼の存在が広まり始めた。でも彼はそんな事は耳にも入っていないんだろう。昼食に同僚と行っても直ぐに帰って来る。
私は立場上見る出退勤時間も帰宅は午後八時より早い事はない。だから彼に社内の誰かが言い寄る事はなさそうだ。でも帰宅後は分からない。しかし今は動かないでおこう。それが一番いい気がする。急いては事を仕損じるの諺通りだ。
俺は日曜日、優香と一緒に彼女の家に行った。下高井戸から八王子方向に二十分。そして五分程歩くと彼女の実家に着いた。
土地もあるせいか結構広い。家の構えも落ち着いた雰囲気だった。建売ではない様だ。
「龍之介、ここ」
「うん」
彼女が自分の鍵で門と玄関を開けると
「ただいま、お母さん」
「お帰りなさい、優香」
玄関に出て来たのは優香によく似た女性だ。
「お母さん、こちらが神崎龍之介さん。今私がお付き合いしている人」
「初めまして。神崎龍之介です」
「初めまして、優香の母、武石文香よ。玄関での挨拶もなんだから上がって」
「ありがとうございます」
「さっ、龍之介上がって」
二人に言われて玄関を上がるとすぐ左にあるリビングに通された。そのまま、お母さんはどこかに行くと
「龍之介、狭くてごめんなさい」
「そんなことないよ。充分に広いけど」
実際、充分広い。
少ししてお母さんが戻って来るとトレイに紅茶のセットが乗っていた。
「神崎さんは、紅茶で宜しかったかしら?」
「はい、ありがとございます」
俺は、持って来た手土産を渡すと
「あら、ベルギー王室ご用達のチョコレートね。嬉しいわ、これ大好きなのよ」
「良かったです」
最初、少し雑談していたが、
「神崎さん、失礼な事聞くけど、お母様のお名前は?」
「真由美です」
「もしかして、大学は一橋大学?」
「はい、その通りですけど。なぜそれを?」
「まあ、なんて奇遇なの。神崎真由美さんとは、大学時代の友人よ」
「「え、えーっ!」」
「あら、二人共なんでそんなに驚くの?」
これは不味い。まさか、優香のお母さんが、俺の母さんの友人とは。そう言えば優香と夏休みの始め車を取りに行った時、母さんが不思議な顔をしていた。まさかあの時。
だとすると本当に不味いぞ。俺は優香を母さんに紹介している。そして今日、俺は優香のお母さんに付き合っている人間だと紹介された。
「でも、同性同名って事もあるでしょ。お母さん?」
「ふふっ、優香、彼女とはとても仲が良かったのよ。結婚式にも呼ばれたわ。間違える訳ないでしょ。だって龍之介さん、真由美さんの面影が一杯有りますもの」
「え、ええ、えーっ!」
「なんでさっきからそんなに驚くの?今から真由美さんに連絡取りましょうか?」
「駄目、駄目、絶対に駄目」
「おかしい事言うわね。二人共お付き合いしているんでしょう。お互いの母親が大学時代の友人なら、話は早いわ」
これは不味い事になった。まさかのまさかだ。
その後、お互い何処が好きなのとか聞かれて色々話したが、頭の中は早く退散した方がいいという言葉で一杯だった。
これは、良いのかしら、悪いのかしら。今龍之介は仕事の事で頭が一杯だけど、それが落着けば、ふふふっ、これは全くの計算外。
まさか、お母さんと龍之介のお母さんが同じ大学でそれも結婚式に呼ばれるくらい仲が良かったとは。将来が楽しみかも。
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