過去編 狐と竜とマレビトと。 その2
連絡し、相談し、意思確認をしてからようやく行動。そんな人の面倒なやり取りをハチは睥睨する。
よくもまあこんな七面倒くさいことをやる、と彼はエルフを見回してから二代目の背に目をやっていた。
けれどその視野は急に暗くなる。
僅かに残っている視野には指の股が四つ見えた。
あまりにも軽くて気付かなかったがそういえば頭が重くなっていることをハチは自覚する。
一国をも滅ぼす力があるドラゴンに対し、このように恐れを知らないことをする輩はただ一人しか知らない。
そういえばあの目立つ尻尾もいつの間にか周囲から消えていた。
「小難しいお話ですわね」
『手を離せ、小娘』
「どうせ半目で見やる光景なら隠しても同じだと思ったのだけれど……ダメ?」
『目障りこの上ないわ、戯け』
頭に乗っかり、大の字になって手を広げたココノビはハチの両目を小さな掌で隠していた。
しかし少女の腕では微妙に届かず、視界の半分を隠すのが限界だったらしい。
それのみでも煩わしいのだが、彼女は寝転がって本を読む時のようにぱたぱたと足を遊ばせていた。
ハチにしてみれば鬱陶しく、ぐるると唸りながら口角を吊り上げる。
だが決して頭を振り払ったりしないところは彼の良心なのだろう。
少女は一人、居心地良さそうに竜の頭の上で揺れていた。
「ねえねえ、ハチ。ヒュージスライムって本来はどのような生態なの?」
『貴様は散々焼き払ったであろうが。今更問うようなことでもあるまい』
この少女はこんななりでも手練れの人間を軽くあしらう。
元より武道に天賦の才能があったのだろうが、肉体的な素養から言っても人間の枠を超えていた結果だ。
半端な魔獣程度なら一人で相手にできる真性の化け物――。人間離れし、人間から距離を取らねばならなかった化け物の少女だ。
それ故に年の割に聡明さを覗かせることもままあった。
「あれは小さな欠片。本体なら違う生態を持っていてもおかしくはないかと思って。深く知って、その上で慎み深くすることは戦う上でも生きる上でも大切だとお父様が言っていたもの。だから教えて?」
『……』
また面倒くさいことが始まったとハチは顔をしかめる。
彼とて齢百にも満たない竜なのでそれほど博識というわけではない。同じ魔獣として人間よりはその存在を知っている程度だ。
だがそれをこの生意気な半人間に噛み砕いて説明してやろうという気が湧かない。
それなりの年になるまで学び、それから出直せと鼻先で追い返したいというのが本音だ。
「ハーチぃー?」
けれども放っておくとココノビは上下逆さまになって右の瞳を覗き込んでくる。
長い髪がひっくり返り、風と共にひらひらとして目に触れるし、右目だけ手で隠して明暗を変えてしまった時のようにチカチカして気持ち悪い。
以前はこうやって放っておいたら、「ねえ、ハチはわたしのこと嫌いなの?」と問われた。
もちろん即答で嫌いと断言してやった。
しかしそれでへこたれて泣き出してくれるほど相手は柔ではなかった。
彼女は「わたしは好きよ」と言って頭に張り付いたまま口元にキスをしてきたのだ。
父親にべったりと張り付いているかと思えば、それが出来なくなるとこちらへと寄ってくる。
ある意味、ハチとしては小バエのようにも感じていた。気が付くと視界を飛び回ってくるところなどそっくりである。
「ハーチぃー。答えてくれないとわたし、寂しいわ」
子供のくせにやはり女なのか声色の操作は巧みだ。
そして、どう転ぼうとも結局は口を割らされるのがハチの日常なのである。
……それを上手く使われているだけと彼が気付くことはないのだが。
周囲のエルフがいつの間にやら険悪になっているハチの形相を見てざわざわとし始める中、彼は頭を下げてココノビを地面に下ろすと口を開いた。
『奴はシュツィアン鍾乳洞の主だ。性質は下等生物のスライムと何ら変わる物がない。だが、げに恐ろしいのは奴が暴食であることよ。奴の属性は陽。触れた物全てを飲み込み、糧とし、太り続ける暴食の魔獣だ。しかし何故かまでは知りえぬが、その力は陽の下でしか発動しない。故に奴は鍾乳洞を満たすだけでそれ以上の増殖はしなかったのだ』
「けれどもそこからの帰還者は欠片を拾って帰り、被害をまき散らしているというわけですわね」
『然り』
うんうんと少女は理解した気になって頷いているが、彼女がここにどれだけの意味を推測できているかは不明だ。
ハチもそこまで噛み砕いて世話を焼いてやる気はない。人間が考える謀略なんて興味の対象外ということもある。
と、一人と一頭でそんなことをしていると話が終わったらしい二代目が帰ってきた。
現金なもので、それを見つけたココノビは「お父様ぁー♪」と甘い声を上げて抱き上げてもらいに行く。
それを見なかったことにして、ハチは彼に重く問いかけた。
『伏見、ようやく終えたか』
「おうよ。さて、行こうか」
『待て』
いつでも弓が使えるようにとしならせて弦を張った彼はすたすたと歩いてハチの背に乗ろうとする。
けれどハチはそれを止めた。
いや、正確には彼の後ろについて来ようとしていた女を止めたのだ。
ハチが背に乗せるのは決まって伏見と、ココノビの二人のみである。あの女はこの村のエルフのようだった。
『そこな小娘は何だ? まさか我が背に乗ろうと言うのではあるまいな』
「悪いな、ハチ。俺とお前ででかいのを叩く。小さい欠片はココノビとあの子に任せようと思うんだ。あれでも腕が立ってエルフの戦士長を任されているそうだぞ。ついてくる程度は大丈夫だろう」
「任されてる」
シルバーブロンドの髪に碧眼を持つ普通の少女は胸を張り、言葉少なに答える。
少女はココノビよりは年上に見えるがそれでも成人した男がいる中からしゃしゃり出てくるにしては華奢で、戦えるようには見えなかった。
その分の責任追及を伏見に当て、ハチは睨みを利かせる。
すると彼はココノビを下ろした。
彼女はお預けが不満でぶうたれていたのだが頭に手を置かれただけのことでごろごろと喉を鳴らし、大人しくなる。
『貴様、我が背を安く思ってはおらぬか?』
「広いんだから良いじゃないか。俺やココノビを許してくれて他を許さないというのも今さらだろうに」
『愚かな見識だぞ、伏見。彼奴らなどそこらにいる猫や鳥の背に乗って飛べば良い。我が認めたのは貴様だけだと忘れたか』
「かっかっか! ココノビとよろしくやっていたお前が良く言う!」
『……あれにも相応の実力があるのは認めておるわ。だがこやつは違う』
竜は誇りのために死すらも厭わない種族だと音に聞く。ハチがこれほどまでに拘るからにはそういうことなのだろう。
ため息を吐いた伏見は振り返った。
「すまんな、ナトゥレル。駆れる馬はあるか?」
「隣村に鳥がいると聞いた。それでついて行く」
「ならばそれで頼む。戦闘はココノビに任せてくれればいい。だがハチから一度下ろしてしまえばこの森は迷いかねんから道案内だけはよろしく頼む。俺の大事な娘だ」
「判った。ちゃんと送り届ける」
こくりと頷いた彼女は「借りてくる」とだけ言い残すと跳躍した。
ただ一度地を蹴っただけなのに嵐にも似た突風が吹き抜け、周囲の人間を叩く。それがやんでから目で姿を追ってみればすでに遠くかなたにあった。
風の律法を応用してこのような移動手段に使っているらしい。生半可な制御技術では暴発させていただろうが彼女は上手く使いこなしている。
伏見は「おお!」と感心した声で見送っていた。
「ココノビ、あの子が戻ってくれば飛ぶぞ。準備はいいか」
「もちろんですわ、お父様。上手くできたらまた褒めてくださいましね?」
「おう。どんと甘えて来い」
「いっぱい、いーっぱい所望しますから!」
身丈にそぐわず、大薙刀を自在に振り回して見せた彼女はそれを地面に突き立てるとまずはご褒美を前借りにと父親に跳びつくのだった。




