キツネ様に会いに行きます 後編
「もう、来るなら来ると事前に伝えてくださいましね? 危うく数少ない親友を香ばしくするところでしたもの」
「うへえ、焼きエルフは勘弁だよ」
おっさんのようなしかめっ面で手を振るリイルを見、着物姿の女性がころころと貞淑に微笑んでいた。
外見以外はどこまでも女らしくないリイルの隣にいると女性の淑やかさは一層引き立って見える。
「でも仕方ないよね。だってあんたはあたしの居場所を知った鳩を持ってるけど、あたしはそんなの持ってなかったし。今までだってあたしゃ、あんたの返信にしか手紙を出してないよ?」
「あら、思えばそうでしたわね」
本当に親睦がある仲のようで会話も軽い。
この二人の間柄ではリイルの方が面倒を背負わされることが多いのか、「あんたはいっつもそれだ」とぼやいている。
「許してくださいませんの?」
少しばかりすねたように。
そして自分の麗しさと弱々しさを最大限に生かすような上目遣いで妖女はささやく。
「未遂なら許すよ。ただ、あんたもいつかはやらかしそうなんだよねー」
「その時は誠心誠意謝らせていただきますね」
「なんと言うか、あんたは図太いよ」
おお、怖いとリイルは女狐を疑る目を向ける。
けれど目の前にあるのは相変わらずの整った笑みだけだ。
名女優の演技と一緒で喜怒哀楽は切々と感じるのだが、本物が伴っているのか非常に怪しい。
生憎と長寿のリイルでもこの顔の奥底を見通す目までは持っていないので真意は不明だった。
「それから、そちらの方は初めまして。わたくしはキュウビ・バイツェンと申します。遠路はるばるこのような場所までようこそおいでくださいました」
彼女が座礼をすると稲穂色の長髪から獣の耳が現れる。
正座で姿勢を正したキュウビの背後では名の通り九つの狐の尾が踊っていた。
あの時、リイルが叫ぶと霧が割れ、獣道だったはずの隙間は綺麗な道に直って一軒の家へと続いた。
それがここである。
歴代の猊下――その中でも二代目が伝え知らせた文化の中では日本家屋と呼ばれる造りの一軒家だ。
藁ぶき屋根と土の壁、障子にふすま、囲炉裏や畳。
それだけではなく、縁側に吊るされた柿や魚など。
古い木の香りを始めとした自然の匂いがかぐっており、整った庭園からは虫たちの合唱も聞こえる。
庭を流れる小川の音だけが時を刻み、ゆったりと停滞しているようなこの独特の雰囲気はこちらの世界ではかなり珍しいものだった。
リイルは関心に従ってそのおもむきに目をやっていた。
が、ライラはそんな中でも生真面目に背を正して向き合う。
主のように視線を散らしたり、お茶を適当にすすったりはしない。
「キュウビ様、畏まらないでください。私はハドリア教特殊執行官統括兼、リイル様お付きのライラ・リスト・クローウェルと申します。まずは貴女様の庭での非礼を詫びさせていただきたくございます」
「さて? わたくしの目では行き届かなかった場所のことです。詫びられるほどのことではありません。どうか頭をお上げになってください」
「よく言うねえ。その耳でちゃーんと聞いてたくせに」
「ふふ、どうでしょうね。わたくしの耳はエルフの耳と違って都合よく伏せられますので」
お茶目にも狐耳はぴこぴこと上下に動いていた。
リイルはその口達者な様に旧友が今も健在であると認め、出された緑茶でずずずっと一服する。
「それで急なこの訪問には何か理由があるのかしら?」
「愚問だね。あんたにとっちゃ一番興味のある話があんの」
含みのある物言いにキュウビは目を向ける。
また、反応したのは何も彼女のみではなかった。ぴくりと鉄の表情にひびを入れたライラも目を向ける。
「お話のところ申し訳ありませんが、それならもしやキュウビ様が二代猊下のご子女であるという話は真実なのでございますか?」
「ええ、その通りですわ」
「となると貴女様は千ね――」
「しっ。女の歳は口に出さない約束です」
キュウビは妖しく笑むと、ライラの口を人差し指で封じた。
その漏れ出す色香は枯れかけた女であるライラですらどきりとさせるほどに強い毒だった。
猊下というものは数百年に一度召喚される人であり、現在の風見心悟が五代目となる。
このような若々しい見かけによらず、二代の娘だとすればそれだけでもどれほどの時を生きてきたのか推測できるだろう。
リイルといい、このキュウビといい、見た目は年齢の当てにならない。
「そういえばリイルは猊下の召喚が近々あると言っていたかしら。今回はその続報を知らせに来たのね?」
「そうだよ。いやー、抜けているようだったけど面白いやつだった。それに今代は随分と知識が豊富なようでね、グールの正体も暴きつつある。なんでも元の世界では獣の医者をしていたらしいよ」
「まあ、それは頼もしい限りですわね。いつかはドラゴンを駆り、わたくしのお父様にも並び立てるのかしら?」
「くく、案外簡単にやっちゃったりしてね。あたしはちょっと面白そうだなーって見てる。あんたはどうなんだろうね」
「あら、摘まみ食いをしてもよろしいの?」
「楽しみ方は人それぞれだよ。別にあたしが唾をつけているわけでもないし、あんたはあんたの好きにするといいさ」
だから話を伝えにきたのだ。
リイルにはどうこうしようという気はまったくない。
むしろ、個人的な話を言えば引っ掻き回された後の彼がどう動いていくのか観戦するのが楽しみなだけだった。
「さて。ライラ、ちょっと席を外してくれるかい?」
「かしこまりました」
何故かは問わない。
ライラは自分には聞く権限がないと主が判断したから言われたのだと理解し、すぐに部屋を出た。
彼女が行ったのを見計らい、リイルは再び口を開く。
「ま、あれに聞かせて困ることでもないし別にいても構わないんだけどね。立場上では不謹慎なことも言うからとりあえず行ってもらったよ」
「あなたは不謹慎の塊のような気もしますわ」
「ま、違いないけどね」
肩を竦めるリイルをキュウビはふふふと笑う。
「さて、じゃあ本題だ。実はね、あたしはむしろあんたに引っ掻き回して欲しいんだよ」
「それはどうして?」
「一割程度は趣味ってのもあるよ。それ以外にも理由があるんだけど、とりあえず西の情勢は知ってるかい?」
「ほどほどに、というところですわ。だってここに情報が伝わる程の情勢ではなくなったでしょう?」
この国から見て北、東、西にはそれぞれ国がある。
北は面積的に最も広く、政治的にも安定した国だ。作物、金属などの資源からいってもほど良いバランスをしている。
軍事力的にも強大で、ここが他に干渉してこの四国のバランスを保っていると言っても過言ではない。
東は土地が悪く作物があまり取れないために作物を輸入したり、しばしば飢饉で苦しんだりする国だが代わりに鉱石は良く取れる。
面積も四国の中では最小であり、隣接した穀倉地帯であるラヴァン領がほしくてよく南にちょっかいを出している。
ここ、南の帝国はといえば作物はある程度取れるが、領土の広さなど色々な面で北の国に劣る程度という感じである。
規模は四国の中で二番目というところで、特筆すべき点は特にない。
良くも悪くも北の大国に続く二番手だ。
そして西は平原が多く、騎馬民族が統治している国なのだがよく内部で争いをしていた。
少々前までは変わりなく争っていたはずなのだが、最近では一つの勢力が全体を統治し始めたと情報が流れ始めていた。
そのおかげで国は安定し始め、商人も気兼ねなく通商を行えるようになると喜んでいたはずである。
街で聞けるのはこの程度の情報であり、キュウビもそれ以上は知らなかったのだがリイルの面持ちを見るにまだ続きがあるようだ。
「あの国は最近鬼を討ったり、終いにはドラゴンも一頭殺したらしいね」
「鬼はともかくドラゴンまで? あの領域の主とは知り合いではないのですが、そんなことが起こるほどの歳だったかしら?」
「選ばれた勇者が個人や少数で悪いドラゴンを倒す物語なら別にいいんだけどもね。問題は国の軍が組織でドラゴンを殺したってことだよ」
鬼、巨人、吸血鬼、ドラゴンなどは最上位の魔物として知られる。
通常このクラスの外皮はまともな剣では傷つけられず、仮に肉へ刃を突きさせても鋼鉄の肉体に阻まれたり、霧やコウモリとなられて意味をなさない。
その上に相手は強力無比な律法まで扱い、一国の軍でも薙ぎ払うほどに強力。
――だが、これらは普通縄張りから出てこないという習性もある。
なので自分達から手を出さなければ危険な輩ではなかった。
そんな彼らとは住み分けをし、互いにできるだけ干渉をしないというのが暗黙の了解であった。
しかし通常とは異なり、人に害を与え始めたものを悪鬼、悪竜などと言って大抵は聖剣に選ばれた勇者などが打ち滅ぼす。
まるであらかじめ時を定めたように剣は人を選び、役目を終えるとまた眠る。
折りが良すぎることではあるが、それが太古から続く”当たり前”だったから誰も疑問には思っていない。
春が過ぎれば夏が来る。そんな感覚と同じだ。
そして、ドラゴンなどはそのような竜殺しなどと名を冠する武具の力があって初めて対抗できる相手であり、それがないのなら軍をもってしても地震や台風に挑むようなものだ。
蹴散らされるだけで意味なんて存在するはずはなかった。
しかし、西はそれを下した。
キュウビが知る限りでは前例のないことである。
少なくとも、今まで人が扱った武器では不可能な芸当であった。
「放っておいたら面倒なことになりそうなんだよねえってわけで、興味がありそうなあんたが動けば一石二鳥かなって」
「西には興味ありませんわ」
「だからこそいいんじゃないのさ。興味があるところを好きなようにいじってくればいい」
「いずれ、毒をもって毒を制させると言いたいのね?」
「さてね。解釈も含めてあんたの好きに任すよ」
ただの希望止まりで依頼ではない。
そう言いたいのかリイルは敢えて断言しなかった。
が、キュウビは少し考えるとリイルの意に反して首を振って返す。
「興味があるところと言われましても、三代や四代のように趣味が合わない輩だと萎えてしまいます。お父様のような方はそうそういませんもの、変に期待するのはやめておきますわ。折があれば会うこともありましょう。運命が引き合せないのならそれもまた必然です」
「あんたはまた恋愛基準なのかい?」
「当然です。昔の人間であるわたくしが今にでしゃばることでもないでしょう。今は今の人が作ればいい。必要ならば彼らから声をかけてくるはずです。求められるなら応じますが、それがないのならわたくしが動くのは私情に関することのみですわ」
「あんたならどんなのだって簡単にかどわかせるでしょうに」
「そんなもの、満たされません。誰も彼も幻に惑わされて変に言い寄ってくるし、媚びを売ってくる。そんなものではなく、夢のある出会いをしたい。たまには追う恋をしたい。そして一生に一度は愛を育んでみたい。それが乙女というものでしょう? ……ぶっちゃけ、思い通りになる相手しかいないので欲求不満なのです」
キュウビはほうとさも悲しそうな息を吐く。
獣混じりなだけに本能からの飢えと渇きを患っている彼女は相当なストレスを感じているらしい。
だが、リイルに言わせればそれは自業自得だ。
キュウビの幻術は先刻の狼のような攻撃ばかりでなく、化粧のように自分を彩ることもできる。
例えばあの人は温和そうなどという他人の印象を幻でそっくり入れ替えることができるのだ。
これはもう自動機能であり、彼女が望もうと望むまいと“キュウビを他人が見る理想像”に仕立ててしまうのである。
結果、キュウビは誰からも寵愛しか受けられない体質となってしまった。
それはそれで有効活用しているものの、彼女にとっては不幸な事実らしい。
「要するにあんたはここで隠遁生活を続けるのかい?」
「ええ。東も西も、猊下も関係ありませんわ」
「ま、あんたがそれでいいならいいさ」
「わたくしが言うのもなんですが、これでよろしいの?」
「いいよ、あたしは気を利かせただけだし。むしろこのことに熱心に取り組まにゃならんのは火山帯の赤いのの方だからね」
「そうですか」
二人の込み入った話はそれで終わった。
ライラを呼び戻したリイルは新しいお茶や茶菓子を催促しつつ、また何気ない会話に花を咲かせるのだった。




