領主に報告しに行きます 後編
ひたすらに蹴り回されたリズだが、彼女に大した反応はなかった。
普通の女ならやめてくださいと懇願したり、痛みのあまりそれもできなければ身をよじるくらいはするものだ。
それを踏みにじってやるのがドニの一服だったのに、リズにはそれがない。
鳩尾や腹、下腹部にだって深く爪先が刺さったはずだった。普通なら大の男だって声を上げる。
それでもリズは生理的な呻きをたまに漏らすだけであとは何もない。まるで呻く水袋を蹴っているかのようだ。
ドニは言い知れない不気味さを覚えた。
「クズめ。言ったことすら守れんか……!」
まったくもって気に入らない人形だ。処分することにすら手を煩わされる。
彼は早く壊れろと執拗に蹴り、踏みつけた。
あれだけ投資した伝説の猊下なのにグール退治をさせて終わり? そんなバカな話があるものか。
騎士団に命じて街を焼き払った方がまだ安くつく話だった。
たかが奴隷の起こした不手際に何故この私が左右されねばいけないのかとドニは腹立たしくて堪らない。
「なんとか言ったらどうだ、この口でっ!」
肩で息をしていたドニはリズの顔を蹴った。
グレンはひざまずいたまま、口を真一文字に締めてそれを見ている。
ここでドニを諌める権限なんて与えられていない。女子が蹴られる様を我慢して見続けるしかないのだった。
絨毯の上に置いた拳を握りしめたまま石像になっておくことしか彼には許されていない。
いかに副団長とは言っても奴隷とはそういうものだ。
「……くっ、げほっ。特に何も……ありません」
リズはドニが息を上げた間に報告は以上だという旨を伝えた。
確かに職務としてはここまでで完遂だが、何故このような時にそうするのかと誰もが思う行動だろう。
副官のグレンでさえも彼女の行動は理解できなかった。
普通なら言い訳の一つもするところだ。リズだけの過失でこうなったわけではない。
こんな答え方なんてぜひ殺してくださいと言っているようなものである。
奴隷の生殺与奪は雇い主の自由なのだ。
無礼を働けば切り捨てられても文句は言えない。それ故に主にはおもねるしかないのが奴隷である。所詮は金で買われた道具だ。
そして荒く息を吐いたドニは唾液も吹き出る口元を歪め、「役に立たない屑め」と唾を吐く。
彼は壁に立てかけてあった剣を取った。
口から血を流して床に転がるリズを汚物のように蔑んだ目で見る。
ドニのことだ。
良心の呵責なんて一握りもなく切り捨てることだろう。その程度の悪行は街に住む誰もが知っている。
「領主殿っ、お待ちください」
若い娘がいたぶられる様をついに見かねたグレンは間に入った。
けれどもドニはその姿が見えないとでも言うように剣を振り上げる。
主を阻むなら一緒に切るまで。
奴隷持ちの判りやすい考え方だった。
つとこめかみに冷や汗が伝うのを感じながらグレンは申し開く。
「猊下殿が団長殿をお呼びなのです。ここで殺されては彼の機嫌を損ねることになるかと思われますが」
「構わん。どうせ死ぬ相手のことであろうが!」
「それはありません。ヒュドラの血ならとうに昏倒してもおかしくないのに猊下はお変わりない様子なのです。我々にとっては確かに猛毒。しかしながら異世界の住人である猊下が我々と同じでありましょうか?」
「奴隷如きの話を聞き入れろと?」
「全て猊下殿のお言葉です。念のために隔離はされるが、心配ないとおっしゃられていました。グール対策についても明確に指針を出されたお方です。このような時にも対処する術をお持ちなのでは」
グレンは嘘を吐いた。
本当はそんなことを聞いていない。
風見は城の中央塔に隔離されただけでリズを呼んでもいなければ、ヒュドラの血は効かないとも言ってなかった。
これはリズがいたぶられる様を正視できなかったグレンの甘さから来た嘘である。
だが、この場でそれが判るのはリズだけだ。
彼女は打ちのめされて床に転がったまま、彼の大きな背を見ていた。
「……連れ出せ」
ほとんど聞こえない声でドニが言う。
それを聞き直す愚行は冒さない。グレンは深々と礼をするとリズを抱きかかえてすぐさま部屋を後にしようとした。
が、ドアに手をかけたところ、
「待て」
と、ドニが告げる。
心臓を掴まれた心地でグレンは振り返った。
自分のことのはずなのに当のリズは相変わらずの無表情で、本当に人形のようだ。
「用が済めばそれの首をはねる。猊下が助からねば貴様の首もはねる。猊下が無事だったなら貴様が団長だ。残る副団長の座をどうするかはそれまでに決めておけ。それと、明日までにヒュドラの死骸も運び出して衆目に晒せ。最後に、猊下の知識も万一のためにできる限り搾り出しておけ。仕事のできぬ奴隷なぞ飼う気はないぞ」
「かしこまりました」
重く受け止めたグレンは頭を下げてから部屋を出た。
残されたドニは矛先をなくした凶器を手に振り返る。
すると身の危険を機敏に感じた少女は顔を真っ青にさせた。
「ひっ。りょ、領主さまっ……。お、お止めください……!」
シーツにくるまっていた少女は慌ててドニの足下にひざまづくと恥も外聞も放り捨てて犬のように振る舞った。
まだ十代の半ばも過ぎてない身で死にたくなんかない。
ましてや領主の機嫌を損ねたのは自分ではないのだからとばっちりなんて御免だった。
少女は恐怖に引きつった顔で精一杯にこびていた。
「きゃっ……!」
少女がドニの足に顔を近づけると拒むように蹴り飛ばされた。
落とされる視線は冷たく、暗く、少女は起きることも忘れて縮み上がっていた。
ドニの手にある凶器の鈍い輝きがそんな彼女を笑っている。
彼女は嗚咽を飲みながら生きるための選択を強いられていた。
□
ドニの部屋を出たグレンはリズを腕に抱えたまま廊下を進んでいた。
よほど強く打たれたらしくリズは糸の切れたマリオネットのように力なく身を任せており、歩くのはまだ無理そうだった。
「団長殿、何故あのような物言いを?」
「仕事が終われば報告は義務だろう? だから嘘偽りはなく伝えておいただけ。望まれる仕事を果たしただけだよ。それ以上でもそれ以下でもない」
「その“望まれる”とやらには語弊があります。言われた通りを果たすだけでは――」
「グレン、」
小言は聞きたくないとリズは声を差す。
「お前にそう言う権限はない」
「……そうでした」
ドニに対して口答えできないのと同じ。
団長と副団長という明確な上下関係があるのだから聞いてやる義務はなかった。
「命令されない以上は従ってやる義理もない。私よりも偉くなったら考えてやる」
「今にそうなります。今日中にもそう処理されることでしょう」
「ん……あー、そうか。はは、それはそうだね。でも、その前に私はゴミになるんだからお前はずっと私の下だ。残念だが意見は聞いてやらないよ」
「ワシには婦女子をゴミ呼ばわりする趣味はありません」
見ていられないとおもんぱかる瞳で見られるのだが、リズはそれでもくくと軽薄に笑って流した。
彼女はこんな時でも悪戯っぽいままだ。
「団長殿は変わりましたな。強いことにはお変わりないし、容赦なく相手を倒すこともお変わりないですが、どこか危うくなりました」
グレンはかつて騎士崩れだった。
生活が苦しく盗賊騎士として街道を荒らしていた時、ドニの外遊に連れ立っていたリズに出会い、そして打ちのめされたのだ。
当時は剣と共に指を折られ、怯んだところで利き腕と足の骨をすかさず折られて完全に鎮圧されてしまった。
女子供に負けるはずがないと高を括っていた彼はそれに強い衝撃を受け、以来彼女に付き従っていた。
奴隷や職権の上下関係以前に強さに惚れてしまった。
だから立場が変わろうとも部下である気は変わらない。
けれどそんな彼だからこそ、最近のリズにはどこか違和感を覚えていた。
詳しいところは彼にも判らない。
周囲の騎士に聞いても気のせいでは? と返されるくらいに希薄な予感なのだ。
「そうか。そう思うならお前はリズをよく見ていたのだろうね」
「団長殿……?」
珍しく愉快そうに笑ったリズはグレンの顔に触れると、彼をよくよく記憶するようにじっと見つめるのだった。




