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獣医さんのお仕事 in 異世界  作者: 蒼空チョコ
異世界召喚編

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38/62

領主に報告しに行きます 前編

 


 本人は否定するところだが、領主というものは俗に放蕩貴族と呼ばれるものでも続けられる。

 辺境伯に求められる要素は二つ。

 


 敵国に領土を取られないこと。

 国への税金や貢ぎ物の基準値を満たすこと。

 


 これだけだ。

 だから施政が滞っていようと問題はないし、敵国に攻められようとも領土さえ堅持すれば問題はない。

 むしろ力もあって下手に頭が回る諸侯よりも皇帝が扱いやすいという点が重要だった。

 


 ここには老いた皇帝が世継ぎに実権を渡しつつある内部事情が多少絡んでいる。

 これを見計らって東の隣国がちょくちょく仕掛けてきているが、それを防げている点も評価されているのだろう。

 今のドニがこんな状態でも実権を剥奪されない理由はこのためだ。

 


 そして、それらをこなせるなら自分の土地で何をしてもいいのが彼の特権だった。

 


「なあ、おい。領主とは良い身分だとは思わんかね、んー?」

「ひぅっ。……ぁ、うぅっ、」

 


 領内で適当に見繕った少女を無理やり連れかえって組み敷くのも許された横暴の一つだ。

 相手が嫌がろうが、婚約者がいようが、何歳だろうが関係ない。

 このラヴァン領ではドニがルールである。

 


 だがそれでも今のドニがギリギリの立場なのは確かだった。

 常々続いてきたセルゲイからの嫌がらせは様々な役人をたぶらかし、不正を横行させた。

 横領が増えたことで財源は減り、足りない分を農民から搾り取ってなんとかしようとすれば下々からばたばたと死んでいかれた。

 それを憂いて不正を正そうとする一部の官吏がいても、そのさらに上が自己の利益のために不正を行うのが現状だ。

 


 もうこの領はいろんなところに穴が開きかけた船だ。

 そんな状態では隣国からの攻撃を防ぎきるのも容易ではなく、次第にぼろを出していくこととなっていた。

 これが続けばいずれは沈んでしまうと誰もが判っている。

 


「どいつもこいつもこの座が欲しくて堪らんらしい。まったく、嘆かわしいことだ。真に相応しいのが誰か判っていない」

 


 しかし甘い蜜を吸った今、ドニは地位を失うのが惜しかった。女も酒も自由にできる王様のような特権――誰が手放すものだろう。

 欲望とプライド、弟への敵がい心がドニの全てだった。

 やはり兄弟なだけあって中身は大差がない。

 


 けれど弟だけでなく他国も敵にする分、彼は手が足りなくなってしまい、こんなにもダメージを受けていた。

 今やドニには表面上に従ってみせる官吏しか残されていない。

 


 ここで地道に役人の不正を暴き、自らの生活も質素にして力を取り戻すのがまともな立て直し方だろう。

 けれど欲に溺れたドニはもう質素や堅実という言葉は頭になかった。

 だから、“まともでない手段”を選んだ。それが“猊下”だった。

 


「どうして誰もこの美味しい話が見えないのか。私以外にも領主はいるのに揃いも揃ってやつらは全盲か。それとも私が聡いから見えているだけなのか。どちらにせよ、格が知れる話だ」

「う、うぅっ……、」

「反応しろ」

「は、はいっ……。りょ、領主さまが仰せの……、おっしゃる通りです」

 


 異国の知識一つで困窮した民が救われる話は誰でも一度は聞く伝説だった。

 その猊下の手綱さえ握ればもう何もかもが思いのまま。たかが領地の存続を危ぶむまでもない。

 かつて小国が大国へとのし上がった話のようにさらなる欲も望める。

 


 もしかすると現状よりもずっと高い地位を得られる可能性だってあった。

 その対価は五百程度の律法技能者の命。何と安いことだろう。村を十個も潰せば半分は揃ってしまう数だった。

 


 領地内の人間はたかだか資源の一つ。

 それをどんな投資に使うのは領主の特権の範囲内でもある。

 連れてきた少女とて同じだ、どうもてあそぼうと自由である。これは地べたに生えていた花をちょっと手に取ってみたに過ぎない。

 


 だからドニは何の気兼ねもなく村狩りを行った。

 表向きは徴兵だが、実際は律法の素養がある者に強制的な奴隷契約を結ばせた。

 女も子供も、老いも若いも関係ない。文字通り家族をずたずたに引き裂いてまわった。領主に逆らうような者なら切り捨ててしまえばいい。

 


 結果、街のスラムに人が流れ込んだし、いくつもの集落も潰れてしまったから税収が落ちるのは明らかだ。

 このまま続けば下々から搾り取れるものにも限界が来て皇帝への貢ぎ物にも影響する。

 


 そも、相手は伝説なのだから危うい賭けだった。

 しかしドニはこれが成功するものと睨んでいた。

 幼い頃から天に恵まれ続けた自分に失敗なんてありえないと思いきっていたのだ。

 


 幸か不幸か、その思惑通りに召喚は成功した。

 何の障害もない。

 それどころか猊下は思惑すら超え、準備期間と思っていたひと月で早くもグール退治を行い、民衆の人気をかっさらった。

 


 セルゲイがわざわざ嫌がらせの公務と共に、領地引渡しの期限まであと十一ヶ月だと皇帝の言葉を持ってこようと屁でもなかった。

 そんなものすぐに飲み込み、追い越してしまう勢いだろう。

 


 表向きには猊下が召喚された話はまだ出回らせていない。

 けれども民衆は真実味を込めて猊下の存在を囁き始めていた。村狩りや隷属騎士の話を聞いて推測したのだろう。

 


 風は自分を向いて吹いている。

 ドニは欲望の釜に力強い下火が灯された心地がした。ふつふつと湯が沸くように欲望が沸こうとして止まない。

 


(このままだったら本当に何でも思う通りではないか……!)

 


 堪えようとしても口から漏れ出る笑みのままブドウ酒を傾け、勝手にやって来る朗報を待っていた。

 


 ああ、やはり私は天に選ばれている。

 満ち足りた思いをしていた時、猊下に追従していた隷属騎士の団長と副団長が部屋にやってきた。

 


「来たか」

 


 片膝をつき、頭を垂れる姿勢に「よい」と許しの声を与える。

 今度の成果を酒のつまみにするのもまた一興だった。

 


「グールの件は猊下が目されていた通りヒュドラが原因でございました。初代領主様が相手になされたヒュドラが未だに地下で潜んでいたようです」

「うむ……、それで?」

「最深部にてスケルトンと共に確認し、猊下は勇ましく戦われた末、見事にヒュドラを討伐しました。損害は隷属騎士一名のみです。すでにグール対策の指示は受け、地下への入り口さえ封じてしまえば問題ないと申されておりました」

「まさか、まさか……。ふはははっ! なんと猊下はもう竜種まで討たれたか! なんと吉報なことか!」

 


 リズは抑揚のない声で語るからドニは肝を冷やしかけたが、意地の悪い前振りであったと理解して小憎らしいやつと見た。

 


 だがそれも良しとする。

 物語はハラハラしてこそである。

 見事な演出に何かしらの報償でも与えてやろうかとドニは大いに笑った。

 


 こんなに上機嫌となったのは久方ぶりであった。

 この気分のまま、ベッドで小動物のように震えてこちらを窺っている娘にももう一度情けをくれてやろうかとドニは濁った心で舌なめずりをする。

 


 途端、娘は「ひっ、」とびくついた。

 普段なら打ちのめしているところだが、ドニはそれも許してやろうとにたにたして酒をあおっていた。

 


「ではそのように。ただしヒュドラの死体は運び出して大衆の面前に晒すがいい。“またもこの街に出現したヒュドラはドニが召喚した猊下が討伐した”――と。無知な民にも盛大に流布してやるのだ」

「御意に。それからもう一つ、お伝えしなければならないことが」

「……? まだ何かあるのか」

 


 グール退治でも朗報。

 ヒュドラ退治に至っては僥倖であり、ドニもこれ以上を望めば流石に罰が当たりそうだと自粛の気持ちだった。

 この調子ではいずれこの国を取るところまで行くのではと恐れ混じりに野心をたぎらせているとリズは口を開こうとする。

 


 だがこの時、ドニは副官のグレンがやけに重苦しい面持ちをしていたことが気になった。

 


「猊下はヒュドラの血を浴びられました」

「……なに?」

 


 話が上手くいきすぎていると思った矢先、ヒュドラの血だ。

 


 それは猛毒だった。

 浴びるのはもちろんのこと、井戸にそれが混ぜられた集落一つがまとめてグール化した話まであるくらいに強力な毒である。

 


 国同士でもそれを使って戦争はするまいと条約を結んだくらいに危険な代物だったはずだ。

 それを浴びたとなれば生き延びられる人間なんているはずがない。

 


「どういうことだ、もう一度説明しろ」

「猊下がヒュドラの血を浴びられました。ご自身と医者の診断を窺ったところ、現在は特に症状もなく――」

「貴様は何をしていたのかと聞いておるのだっ!」

 


 先程までと変わらない朗読だった。

 激昂のあまり酒瓶を手に取ったドニはひざまずくリズの頭に叩きつけた。

 


 寸胴のボトルだったために強度もあり、彼女は堪らずに床に崩れた。

 ブドウ色の酒が髪を濡らす中、つうっと赤い液体が混ざって彼女の額から流れ落ちていく。

 


「私は貴様に何を命じた!?」

「猊、下の護衛……です」

 


 普段は薄っぺらい笑み以外は表情にしないリズも流石に苦悶の表情を浮かべていた。

 片膝をつき直すのもふらふらとして力が入りにくい様子だ。

 


 流れ出る血はすぐに顎を伝い、ぽたぽたと垂れて床を染める。

 けれどもリズに反省や後悔という色はない。

 


 人形のような顔にうっすらと痛みを乗せたのみであり、それが余計にドニの心を逆なでした。

 なんて忌々しい人形だろうか。たらたらと報告を吐くだけのデクだ。

 


「そう、護衛だ。だが貴様は何を護衛した? 奴隷の分際で我が身か!? 何人死のうが猊下には傷一つ付けるなと言いつけたはずであろうが!」

 


 ドニはリズの腹を爪先で蹴り上げた。

 彼女の細い体はまりのように弾み、床を転がる。

 


 止まったところへずかずかと歩み寄ったドニは内臓を蹴り潰すように容赦なく蹴り続けた。

 何度も何度も。

 それはドニの息が荒れ、疲れ果てるまで続いた。

 



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