洞窟を探検してきます
狭い入口に反し、中は広かった。
スロープになった下り道が続き、地下道や地下街への入り口を思わせる。
中で風見達を待ち構えていたウェアバニーの女と、ウェアキャットの若い男が持つ松明だけでは周囲を照らし尽くせない空間だ。
風見もここまでしっかりとしたものができているとは流石に想像もしていなかった。
「ん? ああ、見たことある顔と思ったらノーラだな。久しぶり、元気だったか?」
「はい。猊下はもうすっかりこっちの言葉を覚えたようで。学のないウチとは比べようもない成長ぶりですね」
「いや、俺じゃなくて先生が、なんて言うか凄いんだ……。良かったら今度、ノーラも特別講師として勉強を手伝ってくれ」
「ああ、はい。それは喜んで?」
不自然に意気消沈する理由がノーラには判らなかったらしい。
なんとなく首を傾げ、ピンと立ったウサ耳を揺らしていた。
亜人にも血の濃さによって人に近い部類と獣に近い部類がいる。
彼女らはリズよりも体毛が多く、獣に近い見かけをしており瞳孔も獣チックで人よりも細い。
そういう亜人は身体能力や知覚が鋭く、直情的なのが傾向だ。
今回はそんな彼女らの力を危険感知に役立てるということでお鉢が回ったらしい。
「にしても準備万端でこう集まってみると、なんだかオンラインゲームを思い出すなぁ」
ずいぶんと気の抜けたことだが、風見は赤い石や神々の黄昏なオンラインゲームで狩りに行ったことを思い出していた。
それに準じて考えると現在のメンバーはどうだろうか?
グレンは間違いなくナイトだ。チームの肉盾となるSTR&VIT型に違いない。
リズも職業上は一応騎士だが、本性はアサシンだろう。革の鎧さえつけていない彼女は明らかな回避盾である。
残る二人は装備からするとノーラはハンターに、若い騎士はシーフに見える。
さて、問題はクロエだが彼女は――本当に殴りプリなのか、ただのプリーストなのかが問題だった。
(“紅白”って……まさかな)
今まで物騒な話をちらほらと聞いてきたのだが物理系ではなく、見かけ通りの癒し系であることを願いたい。
きっと先日見たメタリックな凶器は目の錯覚だったのだ。
下水道は進んでみると広々としてレンガ造りの地下街という印象だ。
いくらか枝分かれした道を進むと道の隅に穴を発見した。壁から地面を大きなスプーンでくり取ったように開いている。
どうやらこれが例の工事中に貫通したものらしい。
「うわぁ、深そうだな。これは怖いわ……」
「あっはっは、ウチが降りたところによると城の二階分くらいの高さでしたから大したことないですよ。受け身取れば怪我しないです」
「十メートルくらいあるよな、それっ……! 俺は死ねる自信があるぞ!?」
ぽっかりと空いた闇。見れば深く下へと続いていた。
地下洞窟の天井にある一部の亀裂がここまで届いたのだろう。
近場に落ちていたレンガの破片を落としてみると確かに音が返ってきたので底なしではないらしい。が、松明では底が照らしきれていない。
これを怖がるなというのは無理であった。
ノーラ達が先行し、底を松明で照らしてくれていなかったら降りるのに十分はかかったかもしれない。
降りた先はもう土と岩ばかりの洞窟だった。
舗装もされていない地面はちょっと油断をすると足を挫きそうなくらいがたがたである。
例えるならクレバスにざーっと大小無数の石を流し込んで作った通路だろうか。
一人が何とか通れる岩の裂け目を下っていくと数人は広がって歩ける程度の道に繋がった。高さに二メートルを少し超えるくらいはある。
若干の下りではあるが傾斜はほぼ横ばいになり、歩きやすくはなっていた。
「リズ、こういうところにもモンスターって出てくるのか?」
「洞窟といえばスライム、スケルトン、バット辺りはいるかもね。土地の特色によっては虫や、ゴーレムみたいな無機物の魔物もいたりする。だが街に近いから大したものはいないだろうさ」
「ふーむ。流石にヨーゼフがそいつらを生で食うことはないだろうし、感染はそこからじゃないのかな?」
「さてね。おっと、噂をすればスライムだ」
彼女が指差す先にはゲル状物質が地面を這っていた。
見かけは小型犬サイズの半透明なナメクジに核を持たせたものと言えば差し支えない。
風見が飼っている地上のスライムと全く同じものといっていいだろう。
ぬめっとしていて見るからに気持ち悪い感じだ。
スライムは果実程度の強度しかない球形の核を傷つければ倒せるし、攻撃らしい攻撃はメイドも困っていた通りの粘液飛ばしのみ。
圧倒的多数に囲まれない限りは子供でも十分に相手できる雑魚である。
そして観察して判ったことだが、元々スライムは土壌の草や有機物を分解して生きる分解者だ。
草食獣や肉食獣のように自らの力で食料を得るという意識はない。
ただその分燃費がいいのでこういう洞窟でも生きていけるらしい。恐らくはコウモリなどの排泄物や死骸を栄養にしているのだろう。
と、ここで風見はあることに気が付いた。
「……あ、」
「どうしたのですか、風見様?」
「いやな、ヨーゼフがグール化したコウモリとかを食べないなら、そのコウモリの死骸を食べたスライムの粘液を顔なんかに受けて感染したんじゃないかなって今思った」
「ほほう。それは確かにありえなくもなさそうですな」
納得して頷いたグレンは手頃な石を拾うとスライムの核に向かって投擲し、近寄らせずに核を撃ち抜いてしまった。
核を失ったスライムはぐにゅんと弛緩して広がり、浜にあげられたクラゲのようになって沈黙する。
哀れ、最弱モンスター。
このメンバーを前にしては歯牙にもかけてもらえないらしい。
「とりあえずスライムは猊下殿やノーラの弓か、こういうことで対処しましょう。あとはどうするべきですかな?」
「基本は触れない方がいいな。ネズミとかコウモリの血を浴びるのも避けた方がいいから剣とかもなるべく使わない方がいい。峰打ちとかでもいけるか?」
「特に問題ないでしょう」
そんな話をしている間に風見は麻袋に手を突っ込み、スライムの死骸や辺りに消石灰をまぶしておく。
ぶしゅうと音を立てて崩れていくところを見るに効果はてきめんだったらしい。
ナメクジに塩みたいなものだろうか。
そういえばスライムは生物学的に言うとどうも変形菌または粘菌に近いようだ。
これはアメーバの仲間で特徴は動物のように運動すること、植物のように胞子で増えることである。
ちなみに世界最大の生物はシロナガスクジラではなく、こういった真菌類だ。
カナダやアメリカなどにはキロメートル単位の菌糸を広げた一個の生物がいる。
しかしながらスライムはこれらとは違って移動速度が段違いに速く、動物に近いので正確に研究すればまだまだ違うところが見えるかもしれない。
これは分類上、無理やりはめてみた結果なので新しい枠組みも必要そうである。
そうして風見達はダンジョンの奥へと進んでいった。
途中にはやはりスライムやコウモリ、カピバラ級のネズミなども出てくる。
これらの大半は近寄る前に逃げ出す一般的な野生動物の反応を示したのだが、まれに襲いかかってくる個体もいた。
確かめてみるとそれからはグールと同じく腐臭が漂い、口腔内が壊疽になっていると判った。
やはり予想通り腐肉食性の動物に感染し、それらの血を吸うコウモリにも感染したとみるのが正しいのだろう。
洞窟内では主に小動物間でグール原虫が循環しているようだった。
なので襲われた時には体液を飛散させないのが最重要であった。
戦えば触れるのも避けた方が良く、切るのはダメで攻撃されるのもいけない。
――と、条件だけを考えれば厳しいのだが、心配は杞憂だったかもしれない。
前衛三人にはこれでも朝飯前らしくぺしぺしとハエのようにコウモリを叩き落とし、ネズミは一蹴りで悶絶させ、スライムは投石や消石灰で消毒と歩みを遅らせることもなく最奥までたどり着いてしまった。
ダンジョンの攻略といえば特殊部隊のようにハンドサインで意思疎通を取りつつ、きびきびと動くのを想像していたのだがそれすらも必要なかったらしい。
「あれ、ここでもう行き止まりなのか?」
「そのようですな。臭いや音もここで途切れているようです」
コンビニと同じくらいに開けた場所に行き着いたのだが、周りは岩に囲まれていてもう道がなかった。
……おかしい。
風見の予想では刀剣が落ちている場所まで辿り着くと思っていたのだが、ここは石や岩壁ばかりである。
もしやヨーゼフは別の場所からここに入ったのかと彼は再考を始めた。
「他に出入り口ってなかったのか?」
「確証はないけど恐らくは街中にはないだろうね。そもそもハイドラで地下の深くに掘り進めたのは下水道だけ。他と繋がるほど地表近くにあるんだったらどこかの地面が崩れ落ちていたっておかしくないだろう?」
「確かにな。うーん、古い刀剣っていうからてっきりヒュドラ退治に使われた剣かと思ったんだけど……まあいいか。この辺りを消毒しつつ、ネズミとかコウモリを捕まえてグールの寄生虫がいないか見るだけでも十分だ」
とりあえず消毒してここは封鎖。
感染源の特定ができるかどうかは不明だが、今はこうやって疑わしいところをしらみつぶしにするのがベストだろう。
方針を決めた風見はせっせと消石灰を撒き始める。
するとクロエは急に飛び付いてきた。
「風見様。やはりそのようなことは私がすべきですっ、お任せください!」
「あっ、おい」
言葉ではなく行動だ。
クロエは半ばひったくって消石灰の麻袋を取り上げると一気に撒いた。
「おいクロエっ、やり過ぎ!」
「えっ?」
掴めるだけ掴んで花咲か爺さんのように投げ撒いたクロエ。
加減を知らなかったのが災いし、粉は盛大に舞ってしまう。
もくもくと上がった粉に一同はたまらず壁際へと逃げ出した。
げほげほとそれぞれがむせていた――その時。
風見は偶然にもその粉が壁際で不自然に舞い上がるのを見た。
「ん……?」
いったん粉が落ち着いてくるまで待ち、松明を持ってそこへ寄ってみると岩の陰には小さな穴がある。
這って進めばどうにか通れなくもない……そんな抜け穴だ。
どうやら空気はここから流れてきたらしい。
「おや、流石は猊下。こうなると思ってあれに任せたのかな?」
「そんな訳あるか。偶然だよ、偶然。クロエの運が良かったんだ」
「ふむ、なら今度は何もしていない私が働かないとね」
かつかつと壁に歩み寄ったリズは律法のワードを唱えて岩に触れた。
すると岩に茶色の幻光が走り、一気に広がって紋様を描く。紋様はリズの内にあるルールを並べ挙げたものだ。
それを記された岩は身に宿している力をその規律に従って動かし、次々に割れることで使命を果たしていく。
数秒もすると厳重なロックが外れた金庫のように道が開けた。
松明を向けると先には同じような広い空間が見える。いや、ここよりもずっと奥行きがあるだろうか。
「隠れていた通路か……。待ってるのは金銀財宝?」
「いいや、残念ながら錆びたガラクタばかりかな。それととびっきりの粗大ごみがある」
リズの鋭い瞳はこの薄暗さも透過して見えるらしい。
犬の目の感度は人の五倍もあるという話は本当だったようだ。
風見が彼女と同じ光景を見られたのは全員の松明が暗闇を照らしてからだった。
「ほっほう。でっかい蛇? だな……」
「へ、蛇なんかではありませんよ、風見様っ」
引きつったクロエの声。
彼女の声がなくともここにいる全員が“それ”が何であるか認識していた。
ここはまるで地底湖だった。
岩肌から染み出た水が底に溜まり、無数の剣が砂利の代わりに沈んでいる。
光もないのになぜか自生しているコケは松明の灯を吸って蛍光を発し、水面を幻想的に照らした。
その中央に鎮座する怪物がいる。
「あれが、あれが……ヒュドラです」
人の腕では囲い切れないほど太い大蛇が何匹も連なり、一つとなったかのような外見の竜はヒュドラと呼ばれる。
洞窟に住み着き、水や毒のブレスを得意とする竜種として有名だ。
その巨躯をおおう緑色の竜鱗には、たった数本の武器が突き立つのみで今も光沢を失っていない。
数多の刀剣を枕に寝そべるヒュドラは小さな呼吸をしながら、腐り落ちてがらんどうになった眼窩を向けてくるのだった。




