正体を見極めてみようと思う 後編
隷属騎士達を走らせると風見の周りは急に開けてしまい、ぽつんと残されるのはクロエのみだった。
「あ、あの……風見様。私には何か申し付けてくださらないのでしょうか?」
周りばかりが指名されたことにクロエは仲間外れの不安を覚えたらしい。一人二人といなくなる騎士達を見て落ち着かない様子だった。
「あれ、一緒にいてくれないのか?」
けれど風見にはそんな気は毛頭なく、むしろ信頼しているからここに残っていて欲しかったのだ。
それに気づいたクロエは「あ……、」と声を漏らすと、彼の傍らに寄り添ってちょこんと座る。
一転、顔をはにかませて幸せそうだ。
そうして周囲は一通り落ち着きを取り戻した。
一応、残った隷属騎士の数人が牧羊犬のように野次馬とグール疑いの人達を分けているものの、事態がもうすぐ収まる匂いを感じ取っているのか比較的穏やかだった。
「お、おい、騎士さん。俺達は……助かったのか?」
「いや悪い、まだ全然だ。残念ながら俺には疑いを白か黒に区別するしかできない。一度感染した寄生虫――特に原虫を下すのは難しくて、原虫を殺すイコール宿主もやられるってことになりやすくて薬も作りづらい。俺の世界でもかかったら最後っていう病気はまだまだあるからあれが感染していたら助ける手段はないと思うんだ」
「そ、そうか……。いい、判ってる。味方をしてくれてありがとよ、騎士さん……」
こんな風に言われる予感は被疑者の三人にもあったのだろう。力なく項垂れて自分の死を見つめるばかりだった。
救いらしい救いといえばクロエが憐みの目で見つめていただけである。
そんな悲嘆にくれた人を見るのは風見とて嫌だった。彼らは死刑囚のように罪を犯したわけではない。
風見は立ち上がり、三人のもとへと歩いていく。
「ごめん、大丈夫とは言ってやれない。もう十分に消毒はしたけど、傷口に潜り込まれていたら今の俺にはどうすることもできない。ただな、噛み付かれただけならまだまだ希望はあるよ。少なくとも、俺の中じゃ一番感染率が高いのはあんた達じゃない」
むしろ――と続けようとして、しかし彼は続けなかった。
三人は理由が見えていないようだったが、風見はそのまま顕微鏡の前に戻ってしまう。
ただ、彼の声には安い同情にない強さがこもっていたので妙に引っかかったらしい。地面を見ているばかりだった彼らの目は上を向いた。
「やっぱりお優しいんですね」
「まさか。優しいって言えるほどのことはしてないよ」
「風見様、私も見ているだけは嫌です」
クロエの信仰心は人助けや憧れが高じてできたものだ。
だからこうやって項垂れる人を前に何もできないのはもどかしくて仕方なかったのだろう。
「グールは触らなければ感染しないはず……ですよね?」
「多分ないな。こいつが空気感染していたらヨーゼフ一人だけじゃなくてもっといろんなところで、もっとたくさんの人に起こっていたと思う。もし触れたとしても皮膚に触れただけならちゃんと洗い落とせば問題ないはずだ」
「判りました。それならば私は私にできることをします」
意志をしっかりと定めた声に風見は自然と視線を絡め取られた。
立ち上がったクロエは彼に向かって一礼をするとすぅと静かに深く息を吸い、「これから私も知る限りの医術をお見せします」と眼差しを変えた。
彼女の医術――というと、リズが治癒の律法などと言っていたもののことだろう。
「彼らの傷は癒しても問題ないでしょうか?」
「消毒はできる限りしたけど、さっき言った通り傷口に潜り込まれていたらどうしようもない。傷口ごと切除しようとしたらきっと神経も傷つけて片腕全部を持っていくことになる。だから今は傷から感染症にかかる方が怖いかな」
「判りました」
かつかつと三人に歩み寄る姿は神官らしい厳かさに満ちていた。
一歩ずつに見えない圧力があるのか野次馬は何も言われずとも彼女に道を開ける。
「私達の医術の基本は薬草です。それを用いて体の内外を清め整えることが主軸となっており、風見様のように刃物を使う者はごく少数です」
「なるほど、薬理学中心なんだな」
クロエは懐から試験管のような細い竹筒らしきものを出すと「しみますよ」と若い男に言遣り、傷口へ何かの液をかけていた。
それから別の包みから何かの葉を取り出すと揉み解し、男にそれで傷口を押さえておくようにと告げていた。
ハーブのように殺菌効果があるものなのだろうか。
効能や使い方についてはいずれ問いかけてみるべきだろう。
「そういった医術に効果も発揮できる特殊な律法を習得している者は重宝され、修業を経た後に本山で“純白”をいただけます」
それが白服などと呼ばれていた白いローブのことだ。
律法とは魔法に似ているが、一人につき一種の現象を引き起こすものがほぼ全てだ。しかもその現象もワードによって制限される。
律法は完璧な”魔法”ではない。あくまで世界を律する技術なのだ。
そんな律法技能者は炎を操ったり、水・電気などを操ったり。
九割近くは外側へ働く――何かの物質を操作するなどがオーソドックスだった。
地属性を操るリズの律法もその九割側。つまり外に働きかけるタイプだ。
となれば残り一割はどこへ働きかけるのか。答えは一つしかない。
クロエは稀有な内側に働きかけるタイプのうち、身体の活性化を得意としていた。
「――Eu escrevo isto Acelere」
彼女は音節を紡ぎあげる。
すると白い光の筋が彼女の手元を駆け抜けた。
それを境に空間は波紋を呼んだように揺れ、光の筋はさらに何らかの紋様を描いて砕け散る。
ぱらぱらと散った光はパウダースノーを思わせる煌めきで宙を漂い、男の腕に降りながら消えた。
これはほんの三十秒ほどのことだっただろうか。
「はい、いいですよ。これで傷だけは治ったはずです」
「う、……おぉ。なんという……」
「はやっ……!」
薬草をどけるとそこには抉れた傷はなく、瘢痕として名残があるのみだった。
寄生虫などよりよほど興味をそそられた風見は続けて残る二人の治療風景をじっと見つめる。
二度とも薬草で隠されたために癒える瞬間までは見えなかったものの、治療痕からしていくらか予測がついた。
この律法はあくまで身体――というより細胞の活性化のみであり、RPGの回復魔法のように傷跡もなく再生させる魔法とはものが違うようだ。
要は自然治癒の部分的早送りとでも言うのがふさわしいだろう。
もしくは細胞の分裂、分化の加速とでも言えるかもしれない。
ただ、傷は綺麗に治るとは限らない。
あまりに大きい傷は元にあった細胞の基盤が壊れてしまうために体も治すのに多大な労力がいるのだ。
そうなると体はとりあえず別のもので埋め立ててしまうことで妥協し、ゆっくりと元に近い状態へ戻そうとしていく。
そうやってできあがるのが瘢痕で、普通の組織より盛り上がったりつるつるして見えたりするのが特徴である。
手術の痕などと例えれば判りやすいことだろう。
ハドリアの白服候補にはこのような“回復”に関する律法を持つ者だけが選出される。
方式は異なるもののそれぞれの性質に合わせて応用し、治療のみでなく白兵戦においても並以上の活躍ができる者だけが正規の白服となれるのだ。
つまりクロエは軍隊で言うところの特殊部隊出身である。
「便利だなぁ、律法。俺達の世界でも使えたら技術革新どころじゃない気がする」
顕微鏡で次々と確かめながら、風見はとある漫画を思い出した。
その中では細胞の成長を早められる特殊能力を持った少女が題材にされていた。
他人の傷も治せるし、植物の成長も早められる――そんなものだった。
それを科学の分野で応用しようとすると細胞の培養などで数カ月もかかる試験も一瞬でできてしまうからその子の力は科学者なら誰でも欲しがり、彼女を巡る争いも起こっていた。
どんな技術にだって応用を見出して活用していく科学を考えると、単体でもこれだけの能力のある律法を応用すればどうなることか。
風見もいっぱしの研究職ではあるのでその凄さには身震いを覚えてしまった。
と、彼が新たにスライドガラスを一枚ほど確認し終えた頃、クロエは戻ってきた。
「ところで風見様。リズ達には何をさせているのですか?」
「感染源を探してもらってる。あとは対策に必要なものをそろえてもらったりだよ。目星もついているしすぐに見つかるんじゃないかな」
「えっ、そんなところまで判る情報なんてありましたか?」
「クロエがもう十分過ぎるほど聞いてくれただろ」
だがクロエはあまり自覚のない顔をする。
グール疑いの三人も他の人も何故こんな風に行動がとれるのか全く予想ができないらしく、クロエの声が全員の代弁だった。
「なら酒場で聞いたことを時系列順におさらいしようか。まず、ヨーゼフはスラムで生活していて、普段は生活に窮していた。それがどこかから持ってきた古い刀剣を売りさばいて得たお金で急に羽振りのいい生活をしだし、その頃になると集合墓地の死体も荒らされ始めるようになった」
こんなところだったかなと目で確認してみるとクロエは頷いた。
後ろの方では野次馬達が確かにそうだったと保証してくれる。
「じゃあ次にグールの情報だ。噛まれると自分もグール化することがあって、最初のグールは毒竜の血なんかから生まれる。……と、これだけ判ってればヨーゼフがどうしてグールになったのかが判るんだよ。ヨーゼフは何でグール化したと思う?」
「原虫の発生源ということですよね? ……判りません。竜がいれば街が滅んでもおかしくない惨事に繋がっているはずですし、死霊術士なんているかどうかも判らないものです。これでは何が原因かなんて確定できないのではないですか?」
確かに毒竜がいれば感染源が判らない方がおかしい。
また、死霊術士が犯人だとしたら特定することなど不可能だ。どこの誰がしたかも判らないのでは街中ひっくり返しても捕まえられないだろう。
それに毒竜の血や毒を誰かが持ってきて感染させたとも考えられる。
グールは敵国を弱らせる手段として稀に用いられることはあるが、感染源を特定できた例なんてほぼないのだ。
なのに風見は不敵に笑って表情を崩さない。
まるで誰にも見えない何かを見通しているようなその表情にクロエは密かな感動を覚えていた。
誰も見えない先を見通す。颯爽と現れ、事件を解決する。物語ではいつもそうだった。
これぞ自分が望んだ猊下らしいあり方。
彼女は意志をしっかりと持たないとぼうっとしてしまうぐらいの熱を身に抱いていた。
「そうだな、確定はできない。けどな、物事って繋がっているものなんだ。少ない情報を集めて、どうにか繋げて、怪しいものがあったら今まで信じた記録でも疑って答えを探す。それを常に求められるのが俺の仕事なんだ。ああ、そうそう。それと俺が聞いたグールの特徴、あとで微妙に書き直しておかないとな」
「え……? 風見様はどのようにお考えなのですか?」
「それはもう少しだけ内緒。ただ、ヒントをあげよう。クロエ、この街の名前って何だったか覚えているか? それで全部が繋がると思う」
「ま、待ってください。それはもう退治されたものの話ですよ……?」
いくら毒を持つ竜の話でもそれはありえない。
そんな思いでクロエは異を唱えたのだが、風見の表情は少しも揺るがないのだった。




