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獣医さんのお仕事 in 異世界  作者: 蒼空チョコ
異世界召喚編

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27/62

感染を疑われたらどうしましょう

 


 夜になる頃には子供達が情報収集から戻り、見事目標に辿り着いてくれたようで詳細について報告してくれた。

 何でもグールはひとたび暴れてすでに負傷者を出しており、そこはグールの蔓延を恐れる住民達によってすでに包囲されているらしい。情報収集が早かったのもこのためだったようだ。

 


 道を案内してもらい、風見らも現場に向かう。

 入り組んだ路地を抜けるとそこは小さな広場程度に開けた場所だった。ずっと立ち込めていたドブ川のような臭いもここでは空から吹き降りてきた風に洗われていた。

 ようやく肺が潤うと一同は気を緩め、息を吸う。

 


「……盛大に血をぶちまけているね」

「え、そんな臭いがするか?」 

 


 そんな時、まず顔をしかめたのはリズだ。

 しかし風見にはそのような臭いは全く判らない。

 そこやかしこの表現として血は鉄臭いと言うがこのような外気でもそのような臭いが届くかといえば答えはNOだ。

 


 口の中を怪我した時に出る臭いをそのまま空気で感じるなんてほぼありえない。数百回以上も動物の解剖を繰り返した風見ですら感じた覚えなどなかった。

 それは口の中でワインのように転がすからこそ判る臭いである。噴霧器で血を散布すれば話は別だろうが、普通に流れただけでは環境に溢れる臭いの方がよほど強い。

 


 けれどリズの鼻では違うらしい。彼女の視線は真っ直ぐ前方に飛んでいた。風見もそれを追うと二十人ほどの人だかりを発見できた。

 人々は木製の農具や粗末な棍棒などを持ち、どうやら数人を囲んでいる様子である。

 


 そのうちの幾人かは風見達の足音に気付き、振り返るとともに驚愕した。

 


「お、おい……なんでこんなとこに騎士がっ……!?」

「それだけじゃないよ。白服まで並んでいるじゃないかい……!」

 


 男も女も戦慄し、後ずさっていく。

 リズが散々言っていた通り、スラムを焼き払いに来たとでも思ったのかもしれない。

 


 囲まれていた人間に至っては腰を抜かしたまま手と足のみで逃げようともがき狂い、失禁までしそうな形相をしていた。

 何とも見るに堪えない醜態にリズは嘆息し、そっぽを向いた。

 風見もこんな時はどうしたらよいのかわからず、迷っているとクロエが歩み出る。

 


「みなさん、ご心配なく。私達は貴方達を助けにきました。目的はグールのみです。危害を加えるつもりはありません」

 


 やはり任せるなら本職である。

 ことさらに穏やかな顔と声。さらには焼打ちに必要な装備も人員もいない。それらで人々は安堵したのか命綱のように握り締めていた武器を下ろし、各々が安全を確認しあって胸を撫で下ろしていた。

 


 しかしそれも”一部を除けば”である。

 グールと接触したために同胞に武器で追い立てられ、囲まれている人達にとって『目的はグール』という言葉は死刑宣告にも等しい。

 


 被害者は老婆と若い男、それに中年の男だった。

 この三人は「ひぃぃっ!」と叫んだり、助けを懇願したり。

 逃げようとすれば彼らの背後にある、頭部を叩き潰された死体を目にして足元から崩れ落ちていた。

 


 その死体の胸には何か鈍く尖ったもの――例えば杭やクレーンのフックで引っかけたような抉り取られた傷があった。

 恐らく、この死体はグールと最初に接触したのだろう。しかし他の人には同じような傷なんて見えない。

 


 では一体どうして?

 そんな疑問の答えは彼らの弁明の中にあった。

 


「ま、待ってくれ! 俺達は何もされてないっ。これは、これは、あいつの返り血じゃなくてどこかに引っかけてできた傷から出た俺の血で――」

 


 若い男はそうやって声を上げて腕を押さえていた。

 証拠を隠滅するべくごしごしと肌を擦る彼の腕には乾きかけた血が僅かにこびりついている。しわの間に入り、取るに取れなくなっているようだ。それを無理にこするから肌が赤くなり、すり切れそうである。

 


 三人は三人とも、怯えて錯乱しながら似たような訴えを向けてくる。

 なんとか情けにすがろうと揃ってクロエに向けられる、涙で腫れた目。

 


 けれども相手はグールと接触し、すでに感染者かもしれないのだ。

 クロエにも手の施しようがないし、ここで見逃したらもっと多くの人に広がってしまうかもしれない。その疑いを晴らす証拠がない以上、危険は排除するのが最善である。

 彼女が絞り出すように「……すみません」と言うと、彼らは一様に絶望した。クロエ自身も辛いのか、眉を寄せて何かを耐えている。

 


「リズ、せめて痛みがないよう介錯してあげてくれませんか? 私ではきっと痛い思いをさせてしまいます」

「断るよ。剣が汚れる」

「リズ! そんな言葉は許せませんっ!」

 


 そんな叱責にもリズはぷいと顔を背けて知らぬ顔だ。

 けれど今まで彼女と何度かぶつかったクロエはどう言い遣ろうと無駄だと悟ったのだろう。

 彼女は幅広の袖に隠れた両腕のガントレットをスライドさせ、装着した。酒場で風見が見たあの凶器である。

 


「ぁ、ぁぁぁ。たす、助けてくれよぉ……」

「すみません。ほんの一瞬だけですから……」

 


 涙も枯れた様子で上がる声。

 クロエは歯を食いしばって拳を握る。

 そう、ほんの一瞬のことだ。腕のほとんどを覆う白銀の手甲はまるで竜の手をかたどったようにも見える。人の頭蓋なんて砂糖菓子のように砕くことだろう。手加減をすれば血を見ることもないはずだ。

 


 クロエはきゅっと唇を噛み締め、

 


「はいはい、物騒なのはそこでストップな、ストップ。それでどこをどう怪我したのか教えてくれないか?」

 


 けれど風見はその拳を掴み止めると優しくほぐし、彼女の前に踏み出た。

 


 緊張を強いる舞台は終了と言いたいのだろうか。

 深刻さを中和させるように軽々しく手を叩いた彼は一番手前にいた若い男の前に片膝をついた。

 


「うわぁ、これはまた……。汚れを擦り込むようなもんだからこんなことをしちゃダメだ。まず流し落とすなり、消毒なりをしないと」

  


 それは虫刺されで酷い痒みを患った時のようだ。

 風見は人垣をするりと抜けて男に近付くと皮手袋をした手で男の手を止めさせた。

 皮膚は角質など、数層にもなったバリアーみたいなものだ。汚れや物質などから守ってくれる外壁なのだがこのまま擦らせれば意味がなくなってしまう。

 


「か、風見様!? 離れてください、移ったりでもしたら大変ですっ!」

「そうだな。それは大変だけど、何がどうやって?」

「それはその人達からグールがっ……」

「ああ。それで具体的に言うとこの人達から何が感染してグールになる?」

「そ、それは……」

 


 それは至極真っ当な問いだろう。

 


 グールはグール。

 噛まれれば感染するかもしれなくて、元人間だった魔物だ。それ以上でもそれ以下でもない。

 


 だからクロエには答えが判らなかった。判らない以上はでたらめをぶつけることもできず、風見を引き留めることが出来なくて困っている。

 するとそんな合間にも向けられる彼からの視線に怯み、じきに負けてしまった。

 


「よし、言い訳がないんだったら今すぐこの人達を殺すとかいうのはやめだな。クロエも女の子なんだからこんな物騒なのは良くないぞ。まあ、こんなのは男でもやっちゃダメだけど」

「は……、はい」

 


 そうしてクロエは風見に肩を叩かれるとそのまま静かになってしまった。人を殺さずに済んで救われた顔すらしている。

 諭すような風見の顔を見て安心したのだろう。

 


 けれど彼女が黙れば野次馬がわっと声を上げ始めた。

 やれ何をやってるだの、やれ殺せだのと雑多に紛れているのを良いことに大口で批判して言いたい放題である。

 誰かが振り払ってくれるはずの火の粉がまた飛んできたから騒いでいるのだ。

 


 風見はそれを冷ややかな表情で受け止めると、「じゃあ、そこの人」と野次馬の先頭を指差した。

 


「グールって何なんだ。どうやって生まれるんだ?」

「はんっ、騎士様はそんなことも知らねえのか!」

「その通りだよ。俺はまだその正体がよく判っていないし、人伝いに特徴を聞いただけなんだ。間違いを大見得切って言うなんて恥ずかしいから良かったら聞かせてほしい」

「グールは毒竜の毒とか死霊術で生まれる。そんなの子供だって知ってらぁ!」

「うん、それで?」

 


 胸を張って言い放った男は切って返された言葉に目が点となった。

 それでも何もこれで全部だ。

 そう言いたそうに戸惑っていると周囲も同意するように頷いたりして野次馬の勢いを取り戻していく。

 


 だが盛り直す前に風見はもう一回、口を出した。

 そもそもこの言葉にはクロエに問いかけた答えが含まれてない。

 だからもう一度問いかける。

 


「それじゃ判んないだろ。このクロエにも聞いた通り、具体的には竜の毒の何が、死霊術の何がグールにするんだ? どんな成分か。はたまたどんな毒電波か。もっともっと違って別の何かか。その肝心の“何か”を教えてくれ。わけも判らず殺されるなんてこの人達も理不尽じゃないか」

 


 まったくもうと呆れる風見は声を低くする。

 彼は真剣なようで、しかし今一歩それには足りない不真面目な態度をわざとらしく取ってみせていた。

 


「そういう理屈が通るんだったら俺の質問に答えられないあんたを殺しても道理は通るんだよな? もしかしたら見えない何かが感染しているかもしれないし」

「んなっ、そんなわけ……」

「はい、じゃあ次はそこの奥さん? んー、奥さんでいいのかな。ま、オバサンって言うよりいいか。奥さん、代わりに答えてくれ」

「え、いやっ……あたいは……」

 


 自分がを当てられた瞬間、その女は脂汗を流してうろたえ始めた。

 そんな様子にリズはくつりと口の端を上げるとサーベルを抜き、女の首下に振りかざす。

 彼女はこういうお遊戯が大好きなようだ。

 


「ん? 喉に答えが詰まっているなら出してやってもいいよ。すぱっとするがそれでもいいかな?」

「じょ、冗談じゃないっ。や、やめとくれよ!?」

 


 二歩も三歩も下がっていく大衆。

 リズは戻したサーベルの背で肩を叩きつつ、なんだ面白くないとでも言いたげな微笑みを浮かべていた。

 


 しかし、リズはこれで終わるような女ではない。

 彼女は風見の喉元へ切っ先を返すと狂気交じりの顔でこう呟いた。

 


「じゃあ次はシンゴの番だね。納得のいく答えがないと私は刃のやり場に困るよ。良い答えを期待している」

「リズ、その剣をどけなさい。……殺しますよ?」

 


 ぎちりと握られたガントレットが凶悪な唸り声を漏らす。

 漏れた声はクロエのものとはとても思えないほど凍てついていた。“白服”、“紅白”などと異名を冠する何かをこの少女は確かに持っていたらしい。

 


 視線こそはリズとクロエの勝負だが、周りへの被害は甚大だった。

 彼女らは全身から殺気という針を放ち、取り巻きのような心根も弱い輩は縫い付けられたかのように動けなくなっていた。

 


 ……無論、それには一般人代表である風見も巻き添えだったわけだが。

 


「く、クロエ……!? いや、そのっ、なんて言うかだなっ……!? 二人とも落ち着いてくれって。俺の方は偉そうにした分、ちゃんと答えを用意してるからっ!」

「しかしっ……!」

「いいんだ、いいから抑えてくれ。俺はおっかなくてしょうがない」

「は、はい……」

 


 徐々に棘が収まっていき、風見はほっと息を吐く。

 するとリズは彼の抜けた様子をからからと笑った。

 


「だと思ったよ。ほらシンゴ、早く教えてくれないかな。いつまでも待たされると腕が疲れてしまう」

「じゃあ、切っ先が怖いからそっちも下ろしてください」

「いやですよ、”騎士様”。偉そうに語った半面、自分が言葉を順守できない輩は信じて仕事ができない性質なんだ。私が納得する理由を聞かせてもらえないと困る。もちろんお前が正しかった時は何でもいいさ。それ相応の詫びを要求してくれて構わんよ?」

 


 ケケケと小悪魔の顔をするリズ。

 まあ、彼女らしいと言えば彼女らしい平常運転ではある。もう慣れた。

 


 なんだかなあと緊張も覚えられない風見は、とりあえずまだ一触即発状態だったクロエに念を押して黙ってもらう。

 ここで止めなかったらすぐにでもリズに飛びかかりそうだったからだ。

 


「クロエは待機しといてくれよ?」

「で、でもリズなら何かしでかしかねません……!」

「されたら困るけど、それでもだ」

 


 彼女も彼女でまだ主張があるようだったが「頼む」の一声で静々としてくれるいい子だった。

 この辺りの聞き分けの良さは狼のリズにはない。

 


 そうして一同の視線が集まった。

 場が整ったところで風見は腰に手を当て、こほんと咳払いから始めた。

 


「……えーと、ごめん。今はまだ説明できないんだけど、良いか?」

「おっと、手が滑ります」

「いっ!?」

 


 瞬間、迷いのない刺突が喉元へ放たれた。

 悪い予感がしていた風見はサーベルの腹を内腕で払い、何とか軌道をそらせる。

 刃は首の皮を掠めたものの、なんとか血管を切るには至らなかった。

 


「あっ、危なっ!? ――って」

 


 本当に皮一枚だ。危なかった。

 と、安心する間なんてない。相手はこの人なのでやっぱり迷いのない第二刃もやって来た。

 リズは反対の手で残るもう一本のサーベルを横に払ってきたのである。

 


 狙うはどてっ腹らしい。

 いかにも切れ味の良さそうなこの剣を受ければ背骨は切れないまでも小腸・大腸辺りが綺麗に分断されそうだ。

 


 うん、死ねる。

 


 それはもう、日本のハラキリ文化に代表されるように大層ヤバい。

 どうヤバいかというと超痛いのだ。

 眠い時に腿をつねれば目が覚めるように痛みは大抵の場合、覚醒の方向に働く。だから痛くて失神というのは実際ではあまりない。

 


 それは激しい痛み→迷走神経が驚く→毛細血管が広がる→血がそっちに持ってかれるから大きな血管の血圧が下がる→脳に血を持っていくためのパワーが足りない→酸素などが足りない→失神という経路で起こるものだ。

 切腹の場合、痛すぎて失神しない場合が多く、出血死するまでかなり苦しむ例が多々あったそうだ。ちなみに焼身自殺もその類で酷くもだえ苦しむこととなる。

 だからそのために「介錯つかまつろう」という言葉も存在するというわけで……。

 


 さて。そんなめちゃくちゃに痛い一撃は風見も絶対に食らいたくない。

 


「おいィィィっ!?」

 


 反射的に腰の剣を引き上げたことでガキンと弾かれるサーベル。

 


「おや、上手いね?」

 


 リズは素直に感心した様子で眉を上げる。

 弾かれたサーベルもすぐに手元へと戻すと一端鞘に納めた。

 


「ああそうか。シンゴには武芸の経験があるんだったね。ふうむ、良い動きだったから今のはなかったことにしてあげようかな」

「いや、あのな、俺だけの理解ならともかく全員に証拠を見せるには道具が足りないんだよ! それを取ってきてからと言うところだったのにお前ってやつはっ……!」

「なんだ、それならそうと言ってくれないと危ないじゃないか。まったくもう、聞かせてくれればこんなことはしなかったのに」

「……ソーデスネ。はぁ……。じゃあとりあえず荷物を取りに帰ろうか?」

「いや、その必要はないよ」

 


 懐から何時ぞやのように犬笛を出した彼女は何度か吹き鳴らす。

 どうやら応援を呼ぶ気らしい。

 


「荷物は運ばせよう。ここの警備も。ただ、私は仕事がある。こいつらを怪我させたグールの方がまだ野放しのようだからね」

 


 そう言った彼女はサーベルの柄に手をやると、やれやれとため息をつくのだった。



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