グールより怖いものがあります
トラブルに見舞われつつもなんだかんだで親睦を深めることには成功していた。
特によそよそしかったリズとクロエはある程度スキンシップを取れるようになっていたのでこれはこれで収穫だろう。
風見もメニューから注文したり、周りの会話に聞き耳を立てるくらいはできていたので言語の練習も上々である。
が、目的の情報はさっぱりだ。
待てど暮らせど客が次第に減っていくだけで何もない。
離れのテーブルで料理と酒をつついているだけでとうとう注文もあまり通らなくなり、店じまいムードが押し寄せてきていた。
日本の夜とは違ってこちらでは仕事終わりの夕方から店が繁盛し始め、陽が暮れてしまうともう店じまいの気配が強くなってくる。
それは明かりに使う油やろうそくが安価ではないためだ。
夜はもう明日の日の出に向けて寝る時間であり、街中でも強盗・強姦・人さらいが出るなど治安は良くない。
一応二十四時間体制で自治体が警邏しているものの、夜道を歩く=すでに不審者という図式が成り立つのがこちらでの常識だった。
主な明かりは、肌寒くなり始めた季節のために暖炉でたかれた小さな火のみである。こちらでは店先にかがり火を置いておくのが営業中ののれん替わりでもあった。
店内の人数が十人ほどになってしまうとリズは無駄足だったかと諦め顔となる。
「戻ろうか。私はもうこの酒にも飽きた」
「もしもしリズさんや? 変な声が聞こえた気がしたんだが」
「いやだね、シンゴ。私は明日、別を当たればいいさと言ったんだよ」
いけしゃあしゃあとリズは言った。
だが風見は聞き逃していないし、これはたった今作った顔だと看破している。
もし今までのは建て前で、本当は酒目当てだけだったならわさわさと揺らしている尻尾を思いっきり握って罰を与えてやりたい。
ただ、今日は収穫なしというのは真実そうだった。
ジト目でリズを睨んでいる彼にクロエも進言してくる。
「ともかく、リズの言うことにも一理あります。街の雰囲気くらいは風見様も見られましたし本日はそれで良しとしましょう。よろしいですか?」
「ああ。長居すると店じまいの邪魔になってしまいそうだしな」
席を立つと給仕の娘さんが寄ってきた。
ジョッキや皿を一つ二つと数え、勘定に窮しているようだったがクロエが優しくフォローしていた。
総計はレシオン銅貨七十枚であるらしい。
日本の物価で考えるとレシオン銅貨一枚は百円くらいになるようだ。
支払いは銀貨でなされ、お釣りは銅貨三十枚である。これを考えると銀貨は一万円、金貨は百万円という値になるのかもしれない。
紙幣やカードに慣れた風見としてはかさばる小銭の不便さが気になった。
「なあ、店主。ここらへんに困りごとの話ってないかな? 魔物とかそういう“これ”で解決できる話だよ」
支払いには無縁だったリズはカウンターに乗り出してサーベルをちらつかせていた。
が、恰幅のいい店主はふんと鼻であしらう。
「おととい出直しな、嬢ちゃん。そういうのを知ってるやつぁ、詐欺も避けるがお前さんを見ても逃げちまう。それをしまえるお利口になるのが賢明だ」
いかにも煙たそうな態度にリズは肩を竦めて引き下がる。歩く危険物っぽい彼女だが今回は冗談だったようだ。
酒場の店主なだけにこういう手合いの扱いにも慣れているのだろう。
それにて酒場での情報取集は終了――と、思ったのだが。
意外なことに今度はクロエがそこへ切り込んでいった。
「ちょっと待ってください。出直したら聞けるものもあるのですか?」
「いやな、うーん……。それはそうなんだが……そうだな、白服の神官様が銀貨を恵んでくれるってんなら話してやってもいい。一応、亜人の嬢ちゃんが言ってたので解決できる問題でもある。が、情報はメシと一緒。食ったらまずかろうと文句なしだ」
挑戦気味な声で店主は吹っかけてきた。
周りに残った客は「おいおい」やら「オヤジ、言うねぇ」と冷えた笑いも歓声も入り混じりではやし立ててくる。
嘘かどうかも判らない情報に銀貨一枚、つまり一万円となると少々ぼったくりだろうか。風見ならやめとくよと言いそうな額である。
けれどクロエはそこに目当ての“ニオイ”を感じ取ったらしい。
かっと一気に燃え上がった彼女は「その話、乗りましょうっ!」とカウンターに金貨一枚を叩きつけた。
またこの勢い、である。
風見はついつい先日の花瓶で一気事件を想起してしまった。
多分彼女は黄リンやニトログリセリンと同類項なのだろう。主に風見やリズにとっての危険物だ。何かがあった時の燃焼速度がヤバい。
「お、おい、嬢ちゃん。オレは銀貨って言ったんだ。いくらなんでもこれはもらえねえよ。吹っかけたのは悪かったからしまってくれ。こんなの恐れ多い」
「いいんです。あなたの話を信じます。私の期待に応えてくれるならこれは先行投資です。贔屓にさせてください」
「……」
誰もが気後れするに違いない真っ直ぐな瞳に見据えられる。
後ろめたい者、気の弱い者なんてすぐに射抜かれてしまいそうな力強い瞳だ。まるで正直者の強みを研ぎ澄ましたようである。
店主はしばし迷ったようだったが給仕の娘を見ると「しょうがねぇや」と息を吐き、金貨を手に取った。
彼は父親の目でクロエに深々と礼をする。
この街で生活に余裕があるものなんてほぼいない。
そんな中で一児の親がこんな風に試されれば取る道は元より一つしかないだろう。それに良心の呵責もあって嘘は言えなくなってしまう。
クロエは世間知らずなようでかなり有効な手段を取っていた。
「おおい、残ってる奴は全員おごりだ! その代わり墓荒らしで知っていることを隅から隅までこの神官様に教えてやってくれ。不作法はオレが許さんぞ!」
おおぉぉぉ! と酒場は一気に沸き立った。
先程までしみったれて飲んだくれていた雰囲気が一転する。
酔っ払い達はすぐに開けた席にクロエを招くと彼女を主演に取り巻き、口々に語りを始めた。
それは街の集合墓地の話だった。
とある墓が荒らされ、死体まで掘り返された事件から話は始まる。
最初は死体を浅いところに埋めたので野犬やられたか、遺品を狙う不届き者の犯行だと目されていた。
しかし掘り返された死体には何かに食われたような跡があり、しかも歯形からして野犬の犯行でもないらしかった。
こんな前例はなく、住民達はちょっと前まで怪事件だと噂していたのだが、いつからかそこに真実味のある見解が足され始めたのだという。
「犬でもないとなると魔物が犯人だと言われ始めたのですか?」
「いんや、違うのう。ありゃぁ人の仕業だ」
「死体を……人が……?」
腐りかけに死体に食らいつく様を想像してしまったのかクロエは口元を押さえる。
いくら餓えたとしてもそんなことは、と否定しているようだ。
そこへ老人は「きっとグールじゃよ。グールがいるんじゃ」と低い声で付け足す。
その言葉にクロエは反応した。
どうも見当違いの答えではないらしい。
「おや……? クイナの情報がこんなところで尻尾を出すなんてね」
リズは面白そうに耳を立てる。
何かあったのか? と風見が問いかけるとリズは隷属騎士が調べた情報の中にも街でゾンビやグールを見たという噂があったんだと語った。
さらにはスラムでグール特有の腐臭を嗅いだことがあると別の男が言った。
そのグールは姿からしてスラムの住人だったと声が出た。
続いてそのグール――ヨーゼフという男はいつも生活に窮していたのに少し前には羽振りが良くなって酒場で飲み荒らしていたとも言われた。
どうも商人の追加説明によるとその金は古い刀剣の類を売って手に入れたものだったらしい。
みすぼらしい身なりをしていることから彼はそれらを戦場跡でも漁って手に入れたのだと思っていたそうだ。
……そうして、話が終わる。
重要なことも関係なさそうなことも止めどなく語り聞かされるクロエだったが足を揃えて座り、時折頷きながら聞き入っていた。
親戚に愛される子供の図はまさにこんな感じだろう。
クロエは一瞬にして酒場のアイドルになっていた。
「それにしてもグールね。それなら誰も言い出さないわけだよ」
「え、どうしてだ?」
リズは酔っ払いの輪を倦厭しているのか、それともグールを倦厭しているのか判らない顔をしていた。
彼女は性懲りもなく――今度は一番高い酒を注文してあおり、ぷはぁと息を吐くと気持ち良さそうに語った。
「グールは人を食うようになった元人間だ。ああ、家畜やなんかも食うから手近にある肉を食うという方が正しいかな。ともかく、これに噛まれたやつもグール化するんだが、これが都市に出て一番困るのは“特定の人間の損にならないこと”なんだよ」
「意味が判らないな。そんな危険なやつなら明らかに害だろ。さっさと退治しないと大変じゃないか」
「ふむ、じゃあ誰が危険を冒して殺しにいく?」
リズの瞳は指名するかのように店主と娘を順に向いたが二人とも目を逸らしていく。
自分に視線が回った時、彼もようやく理解した。
つまり、そういうことなのだ。
グールに噛まれれば自分もグールになってしまう。だからグールには誰も好き好んで近付かない。
それに、誰が襲われるか判らないから明確な危機感が迫らない。俺は近付かないから誰かがなんとかしてくれと目を逸らしたいのだ。
化学薬品、重油、毒物の流出事故と似たようなものである。
「グールは戦闘訓練した奴でないと倒すのは危うい。けれどそういう奴はただ働きしない。住民も我が身大事だから戦わないし、自分のためでないと金を使って討伐を頼むのも惜しい。というか他人に頼む金もないのが大半だろうがね。だから厄介なんだよ。悪例があってね、皆が避けたから都市一つがグールの死都になったこともある」
「伝染病みたいなもんなのか」
「近いだろうね。尤も、死体が襲ってくるあたりもっと厄介だ。だから領主が聞けば住民なんて関係なく騎士を使って焼き払う。要するに皆殺しで対策されるから命が惜しい住民は噂も立てたがらない」
先達をあざけったリズだが、これはなにもグールに限った話ではない。
誰もが忌避したから余計に酷い事態となった前例は数えきれないほどある。
東日本大震災の津波で打ち上げられた魚の死骸が散乱したまま放置され、腐って衛生状態が悪化して伝染病が広がる恐れがあったのは最近の事例だ。
「うん、うん! まさに打って付けではありませんか!」
悪癖とは判りつつ、風見達もそれをなぞろうとしていたのだがぶわっと吹き抜ける風があった。
というかこの子が起こす風は台風並みの暴風な気もする。
「シンゴ、ここにバカがいる。稀に見るバカだ」
「何を言いますか。誰もが心の底では救いを求めているのです。ただの魔物討伐よりずっとずっと欲しかったものではありませんか!」
後光が差すクロエを見、リズは珍しく呆気に取られていた。
そんな彼女を一瞥で見限ったクロエは風見の両手を取り、洗脳を開始する。
いつもの狂信者モードだ。
「猊下! 私達は行動するべきですよねっ?」
「え? あー、うん。でも、流石に今日はもう遅いからいいんじゃないかなー」
「そうです! こんな暗闇の中では誰もが不安なはず。今こそ立ち上がるべきですよね! ああっ、猊下。クロエは貴方に身を捧げられて最高に幸せですっ!」
棒読みで、しかも明らかに目を逸らしたのにこれだった。
女心が判るイケメンさんならこの子の手綱も握れるのだろうか。
もしできるのなら基本から応用までぜひご教授願いたいと風見は切に願った。
「シンゴ、ここにバカがいる。稀代のバカだ」
「あー、うん。否定できないかもな、これは……」
曖昧な返事は許しの言葉であると脳内変換したクロエは恍惚の表情で身悶えしていた。
猊下猊下と呼び方もいつの間にか変わっているし、彼女は一度火がつくととことん突っ走ってしまうのだった。
手を握るに飽き足らず、今度は抱きしめて感動の大きさを示した彼女を風見はどうにか引き剥がす。
すると、手を取られた。
柔術家の達人に握られたとしても今ほど嫌な予感はしないだろう。彼は心の中で助けてー! と叫んでいた。
「そうでした。急ぐべきでした。大丈夫です、全て把握したのでスラムのグールはすぐに血煙に変えましょうっ!」
「それは威力がおかしいと思うんだよ」
クロエは腕を水平に振って宣言する。
そのカッコよさといえば「薙ぎ払えっ!」と主砲発射を命じる艦長にも引けを取らないオーラだった。
しかも彼女の場合、ローブの袖からじゃきんと何かが出た。
……メタリックカラーの物騒な何かがクロエの華奢な掌を覆っている。明らかに何らかの凶器っぽい装備だ。
血煙が本気なのだとしたら勘弁願いたい。
「あーあ、殺る気だね、この“紅白”。気を付けろ、シンゴ。ハドリアの白服は治癒術に長けた律法技能者で、同時に最高峰の身体強化を誇る体術使いだから。ゴーレムすら素手で解体するって噂もある」
「……なにそれこわい」
「さあっ、参りましょう!」
勘弁してくださいといじめられたミッフィーのような顔をする風見なんて視野にも入れず。
クロエは尋常ではない速力でハイドラの街を駆けるのであった。




