クエストはどこにありますか?
「こっちだ。ここから行くよ」
まず城から出ると広場に出迎えられるのだが人通りが多いためにそちらは避け、兵舎隣の小屋に作られた地下の隠し通路から外に出て裏道に入った。
リズから聞かされたがこれは警備上の都合らしい。
人の目を気にする時は正門ではなくこちらを利用するのが通例だそうだ。
領主や自分にはそれほど敵が多いのかと風見は疑問に思うほどの用心っぷりであった。
「まあ、邪魔に思う輩は多いだろうね。要するにお前がいればドニが得をすると皆が思っている。だからドニの敵は揃ってお前を向くという寸法だよ。ちなみに探りを入れてきている輩はもう十人以上殺した」
「は……!? そんなことになっていたのかよ」
「恐らくは自分の利益ばかりを考える輩です。命を奪ったのはやり過ぎかもしれませんが因果応報でもあります」
自分を巡ってそんな血みどろな事態があったとは驚きだった。
そんなのは召喚された時だけであとは研究なり、医療なり、自分にできることを教え広めて協力すればいいかと思ったがそうでもないらしい。
「なるほどなぁ……」
彼はまだまだ自分の立ち方は定まっていないんだなと実感した。
やること、知ることを受け身でいたらきっとこのままだ。どこからか変えていかなければならないだろう。
しかしリズとクロエにとっては想定の範囲内だったのか、彼女らは特に気にしないで歩んでいった。
ハイドラの街はいくつかの区画に分かれて趣を変える。
クロエが語るところによると北西と南東には商業区があり、北は武器や雑貨が多く、南は食品などの市場としてやっているそうだ。
湖が近い北東には工業区があり、各区画の周りには居住区が存在している。
そこは深くへ入るほど入り組んだ造りとなっており、ちょっとした迷路と化していた。
その辺りでは馬車がすれ違うのは難しく、通りに紐を通して洗濯物を干していたりと住民の生活感が窺えた。
今まではあまり見られなかった人の生活感というものが初めて感じられる。
あとは東西南の門前には宿場と歓楽街があってそこから裏道に向かってこじんまりした酒場や怪しい店が軒を連ねていき、最終的に娼館など“そっち系”の店ばかりの通りに行き着く。
こういう夜の街を代表する様相は大阪や東京のような都市だけでなく、どこでも似たようなものらしい。
が、クロエには
「私がいるので絶対に行ってはいけませんっ!!」
と身を挺して止められてしまうのだった。
そもそも彼女は大通りを外れた時点でそわそわし始めていた。
ツッコミどころのある言葉が混じっていた気がしたが風見は敢えて知らない振りをする。これに触れるときっとまた後で厄介なことになりそうだったからだ。
「それで魔物を狩るならまずはどこに行けばいい?」
「目的によって変わるかと思います。魔物の毛皮などから稼ぐなら倒して市場に持っていけばいいのではないでしょうか。討伐の報奨金を得たいなら……えっと、」
「討伐は領主か傭兵、もしくは自警団が担う。つまり役場か傭兵ギルド、あとは自警団の事務所か、庶民派の酒場巡りが手っ取り早いよ」
「リズ。風見様にそのような口のきき方は、」
「おや、シンゴがそう話せと言ったんだろう? 私達はただの騎士と神官。それが会話するならむしろ敬語の方がおかしいさ」
勝ち誇った顔を向けられるとクロエは苦々しそうに黙り込む。
「ほらほら、同じような歳の女どうし。外でくらい私のような奴隷とも仲良くしてくれたっていいと思うよ。ね、クロエ?」
「一度言いましたが私は身分で差別する気はありません。あなたと仲良くする気ならありま……だっ、抱きしめないでくれますか!?」
「大丈夫。私は痛くしないから」
「何がですかっ!?」
「“私は”ってどういう意味だよ……」
おもむろに行われたハグから抜け出そうとするクロエ。
しかしながら170センチ近い長身のリズとは身長差があり、彼女の胸の中で頭を撫で回されるばかりだった。
「あー、これは……」
これはキマシタワーというやつだろうか。わしゃわしゃとやっているリズの顔は今まで見たことがない感じで緩んでいる。
視線を送っている風見にもお構いなしだった。
「もしもーし?」
「ひゃっ!? リ、リズ……!?」
「んー、なにかな?」
けれどそれからが騎士団長、リズさんの本番である。
彼女の手がするするとクロエの肢体を這っていく光景は目の毒だった。胸の下から撫で上げたり、腰やVラインをたどったり、耳を甘噛みしたり。
それに晒された人間は男も女も問わず目を釘づけにされ、人が道路のあちらこちらでこけたりぶつかったりと、まるで蕎麦屋のお兄さんが自転車で転倒するかのような事故が多発していた。
恐るべし、キマシタワー。
(担ぎ上げてもらって何だけど、俺、ここにいる意味あるのかなぁー……)
もちろん、風見も目の遣りように困っていた。
いろんな意味で自分の存在意義が判らなくなった彼はどこか遠い目で露骨に目を逸らすしか道が残されていなかったのだ。
□
そんな一悶着が終わるとクロエはいじめられた猫のように縮こまり、決して風見の腕を放さなくなってしまった。
かなりダメージが大きかったらしく、彼女は夕刻前に酒場へ入ってからもずっと怯え続けていた。
ここで余談だが、風見は街中でいちゃいちゃするカップルを見つけると燃えて尽きろと呪いかける人種だ。
爆発しろ、ではない。燃えて尽きろである。燃えて尽きろ、だ。
大事なので何度も言った。
ともかく、それは男一人に女性二人が並んで立っている時もほぼ同様だ。イケメンが両手に華なんぞ悪行である。
まあ、これも一種の風習。紳士にとっては必須のマナーだった。
だが人を呪わば穴二つ。
風見はその言葉を実体験することとなった。
「よぉ、兄ちゃん。いい思いしてるよなぁ、ちったぁ俺にも分けてくれよ」
「すいません、これは事故なんです……」
狼の視線が寄ったらぎゅっとしがみつかれるという連鎖に慣れた頃からだ。
こんな売り文句で酔っ払いに絡まれたり、人相が悪い男に囲まれたりと風見としては役得どころか役損が増し始めていた。
(どーしてこうなるかな……)
風見は対応に困っていた。
この連中ではない。リズの対応に、である。
彼女はさっきから二通りの意味で気が高ぶって仕方ないのかそういう連中に対して高圧的に当たり、わざわざ乱闘騒ぎを引き起こすので店から追い出されたりと情報収集がてんで進まない。
新たに入った酒場ではすでに噂が回っていたらしく隔離枠として隅に追いやられる始末だった。
風見は今、明らかな人選ミスを痛感している。
眉間を押さえ、頭痛にも似たものを我慢しながら二人の女子を見た。
「二人とも、何をしに来たかは忘れてないよな?」
隣のクロエと向かいに座るリズに確認する。
「はい、はい……、すみません。申し開きもありません……。風見様が、猊下が人を救おうとしていらっしゃるのに私は……」
「うーん、そんな大義名分ではなかった気がする」
「くはは。私はいろんな酒を堪能できて心地いいんだけどねー?」
干し肉をつまみに二度出しの安酒――ワインの出がらしに水を注いで搾り直した中世の安酒と同じようなもの――を小ダル風のジョッキで飲んでいたリズはほうと艶やかな息を吐いた。
この狼娘はやっぱりこんな様子だ。自分が主犯なのに悪びれもしない。
「リズ……!」
また説教モードに入ろうとするクロエをどうなだめようかと風見が悩んでいると、リズは手を向けて機先を制した。
何か言い訳があるらしい。
「問題ないよ。あれもあれで意味があった」
「どういうことだ?」
「そもそも討伐は誰かの生活苦に対する商売だよ。庶民は魔物を捨て置けば生活のしようがなくなるからなけなしの金を集めて討伐を依頼する。だがこの金に目をつけるのは私達だけでなく詐欺師もだ。さて、そうなると困っている側は誰が信じられるか判らない。ならどうやって信頼できる筋を探す?」
「親戚を頼るとか、信用できる情報筋を頼るのが普通だろうな」
そう、正解。
リズはそんな声の代役に食べかけの干し肉を差し出してきた。間接キスとかは微塵も気にしない人らしい。
飲み会ではよくあることなので風見も気にせずいただく。
ただ、クロエだけはそれを見て凍り付いていた。
「私がしたのは情報の発信。そこの神官は信頼の証明書だ。その純白ローブは実力主義、慈善活動崇拝のハドリア教徒でも折り紙つきにしか着せない代物でね。“白服”なんて異名があるくらいだ。子猫ちゃんとは思うなよ、シンゴ? そういうわけで今の私達にはここでただ時間を潰すことに意義がある」
どうやらリズにも考えがあったようで風見は安心した。
気になったのは「あの、風見様っ。私のも食べてくださいっ」と妙に干し肉を差し出してくるようになったクロエのことだ。
どう見てもかわいらしい子猫ちゃんなのだが……?
「つまり、情報網の傍で待機ってことか」
「うん、正解。さて、だから私と飲もう?」
若い娘さんの給仕がタイミングよく二杯の酒を持ってきた。
リズはジョッキを傾けてくる。
年相応の、けれどちょっぴりとアウトローな微笑み付きだ。風見は不覚にも少々ドキッとした。
しかしそれだけでは終わらないこの犬っころだ。下では足を絡ませてぞくっとくる色香も交えてくるのだ。
まさに絡め手――いや、絡め足である。
よくよく見れば笑みの底には他人を掻き乱すことに喜びを見出しているだけと彼女の魂胆も垣間見える。
相手は一回り下の少女。そんな扱いは流石の風見も承知しない。
はんと鼻で笑ってやるように見透かした表情でぐっと耐えたのだが、上下から真逆の攻めは想像以上の威力だった。それらを受け続けた末、彼はあえなく陥落されて杯を一気に飲み下す。
「で、でもこれで本当にいいのでしょうか。何もなかったら酒場荒らしの汚名が回るだけですよ?」
「汚名なんて後でどうにでもすればいい。何も来なければ明日は自警団と傭兵ギルド。それでなければ役場だ。報酬は低いだろうがそういう順でなきゃ私達の手に余る。大体、領主に頼んで騎士を動かすなんてギルド一つの財力でも足りないんだから依頼が入っているはずもないね」
ギルドは突発の事故に対する最低限の保険などをしてくれる協同組合でしかない。
しかもここは穀倉地帯とはいえ税を納めれば農民は普段でもギリギリの生活だ。それに日照りや不作がぶつかれば数人に一人、まずは子供から死んでいく。
商人や職人もそれほど豊かなわけではなく、慎ましやかに生活すれば食いつないでいける程度の財しかない。
そんな庶民がいくら集まっても所詮はたかが知れてしまうのである。
リズはそういった点をよく知っているらしく、クロエは風見と同じく言われてから納得したようだった。
「なるほどね、クロエは貴族生まれか」
「そうなのか?」
「あ、はい。そうは言っても低級貴族の末娘でしたし、もう家を出て神職をいただいてしまったので血の繋がりしか残っていません。だからミドルネームの階位も貴族格のアストではなく神官格のリストに変わっています」
「まったく、この世間知らず共め」
この世界ではファーストネーム・身分格・ファミリーネームという順に表記する。
貴族のドニならドニ・アスト・ラヴァン、神官のクロエならクロエ・リスト・ウェルチとなるのだ。
身分は今のところ合計で十。
王族・貴族・神官・役人・兵士・商人・学者・技術者・農民・平民となっており、傭兵などといった格はここに足されたり消えたりしている。
けれど奴隷の場合は少々違う。
リズ=ヴァート・サーヴィのように奴隷であると階位がなく、家名の後に奴隷の格であるサーヴィが付く。
そしてハドリアの信徒ならばそれぞれの階位に合った教派があるのでそれらに属し、生業の教えを身に刻んでいくのだ。
なので神殿や教会はある種の学校や意見交換会も兼ねた場として機能しており、信心深くなくとも大衆の生活と密接に関わっている。
「家柄にもよるのですが貴族の娘ならば修道女として教会で素養や慎ましさを学ばせたり、場合によっては未来の夫を助ける手腕を磨くために見習いの騎士としての教えを学ぶこともありますね」
「なるほど、花嫁修業ってやつか。クロエならいいお嫁さんになれるだろうな」
「はい、ご期待ください!」
「うーん?」
うん、やっぱりこの子の目は妄信で埋まっていまいか。
風見は笑顔を向けながら安酒を飲む――のに失敗してだばだばと盛大に溢していた。
このまま放っておいたら後でとんでもない禍根へ成長するのではないか……そんな不安が頭を去来する。
枢機卿のリイルが言っていたハーレムなんてとんでもない。
「シンゴ。おい……シン、ゴ……」
「……はいはい。そっちはどうしたんだよ」
「吐く……」
「はい?」
「だか、ら…………はく……ぅっ」
さっきの一気飲みが祟ったのだろうか。
リズはいつもの余裕たっぷりな浅い笑みを忘れ、青い顔をしていた。
どうしてこの二人は絶えず目をやっていないと変なことになるのだろう。風見はこの少女二人に首輪を作ることを真剣に考えるのだった。




