喉嚢真菌炎といいます
風見が目蓋などを見てざっと確かめたところ、鼻血を出して一時は非常に弱ったというユニコーンの体調が大まかに把握できた。
現状としては貧血が主な症状だ。その貧血を引き起こした病気の元になった体調不良も見られる。
つまり元気とまではいかないが、瀕死でもない――そんなところのようだ。
(普通の馬だったら鼻からの大出血で死んでもおかしくないし、予後不良のはずだよな……?)
人間で言うなら舌を噛み切ったり、リストカットをしたり。そういうレベルの出血をする病気だ。
この程度で済んでいるのは、動物よりよほど頑丈とされる空想上の生き物だからこそなのかもしれない。
動物と魔物の身体能力の差はいずれ調べるとして、まずは治療をするために村に戻る必要がある。
面倒くさがって、さっさと帰ろうとするリズを先頭にユニコーン連れの風見が続き、その後ろにクロエとノーラが続く。そんな隊列で、彼らは村へ戻ろうとしていた。
その道中では、特段、アクシデントらしいものは起こっていない。けれども風見にはただ一点、気になることがあった。
(なんでそんなに視線を注いでくるかなぁ……)
ユニコーンが最初に寄り付いたのが自分だったため、その流れで引き連れている。
しかし、清純な乙女を好むユニコーンが自分たちを差し置いて、男に連れられているという事実が後ろにいるクロエとノーラには腑に落ちないらしい。
風見の背には、本物の圧力としても感じられそうな二つの視線が絶えず向けられていた。
何かしら声をかけるべきだろうかと風見が悩んでいたところ、クロエがおずおずと問いかけてくる。
「あ、あの……。つかぬことを伺いますが、風見様は本当に男性ですよね?」
「この世界の人との詳細な違いはまだよくわからないけど、男は男で変わらないと思うぞ」
「そ、そうですよね。歴代の猊下が子供を作られた記録は残っていますし、その辺りは常識的に考えていいですよね」
いろいろと動揺が重なっているのだろう。
まずは落ち着こうと、クロエは胸に手を当てて深呼吸をする。
そして、顔をあげるなり、彼女は風見の前まで先回りしてこう言った。
「む、胸を触って確かめさせてもらってもいいですかっ!?」
「いや、落ち着けって。そんなことしなくても男だから。偽る必要性もないし」
「そ、そうですよね。だったら一体何故ユニコーンが風見様に寄りついたのでしょう?」
理由がどうしても思いつかないらしく、クロエは腕を組んで唸っている。
この件が解消すれば凝視しないでくれるだろうか。そう考えた風見は真相解明に助力してみることにした。
「ユニコーンが女好きで、男は毛嫌いするっていうことに例外はないのか? 例えば子供なら大丈夫とかさ」
「いえ、それもダメです。森に入った男児がユニコーンに蹴り殺されたという事例は何度か確認されています」
「じゃあ、女の人での例外は?」
「それはある程度あります。男性と接触の多かった女性は、乙女でも嫌われる傾向が強かったらしいです」
「となるとこの世界の男の人は持つけど、俺は持っていない何かの基質をユニコーンが嫌っている可能性はあるよな。臭いではないだろうけど。ほら、例えばこの世界の人は使えるらしい律法ってやつとか?」
魔力の性質が男女で違い、ユニコーンは特に男性の魔力の質を嫌う――風見が知るファンタジーの知識になぞらえて考えてみれば、そんなところが原因かもしれない。
その意見に、クロエは多少なりとも納得した様子だ。
「なるほど。それはありえるかもしれません。風見様のようなマレビトがこの世界の住人と違い性質を持つのは確かなようですから」
「そういえば歴代って何をしたんだ?」
マレビトや猊下などと呼ばれるその存在について詳しく聞いたことがなかったことを思い出した風見はこれを機に尋ねてみる。
すると、クロエは嬉々として答え始めた。
「公式な記録では、四人が確認されています。一代猊下は軍略に秀でた方で存命中には北方の小国を大国にまで育て上げたと聞きます。二代様は戦において比類なきお方だったとか。誰の律法も彼を捉えることはできず、弓の名手でもあったと聞きます。それになんといっても二代様はドラゴンを駆って戦場を渡り歩いたことで有名ですね!」
「へえ、竜か。ロマンだなぁ、いつか見てみたいよ」
「あ、あの、ドラゴンですよ? 飛竜ではなくドラゴンを駆ったのですよ!?」
なのにその態度は何ですかと文句を言いたいのか、大人しかったクロエは風見の両肩をがっちりと掴んで猛烈に揺さぶってきた。
そうは言われても風見にはドラゴンと飛竜の差がよく判らない。
ファンタジーでよく言うところでは飛竜はせいぜい空を飛べるハ虫類で火は吐かず、大きさ・鱗の固さなど全てにおいてドラゴンを下回る感じだ。ワームなどと呼ばれるのも同じレベルのモンスターだった。
対してドラゴンは生半可な剣では鱗も傷付けられず、さらに炎でも毒でも吹雪でも属性に合うブレスなら吐ける。全長は三十メートルにも届いてシロナガスクジラ並……なんてところを想像していた。
風見がそれを確認してみるとクロエはおおむね間違いないという。
「私達は前肢が翼になった五メートルまでの竜を飛竜やワイバーンと呼び、何とか飼い慣らせます。しかし四肢を持たない竜のワームを飼い慣らせた例はありませんし、ドラゴンなんてもってのほか。栄え過ぎて自然を乱した都市はドラゴンによって尽く蹂躙されています」
「なるほど。ドラゴンってやっぱり凄いんだなぁ」
竜の鱗一枚は戦士千人の命と等価。この世界ではそれが現実らしい。
立派な男の子としてドラゴンのファンである風見は赤い竜が双翼で空を掴んで羽ばたく様を想像するのだが、「だから他人事ではないのですよ、風見様っ!」とクロエに怒鳴られてしまった。
「ある時は小国の軍で大国を破り、ある時は貧困で喘ぐ民を異邦の知識で救い、ある時は未知の大陸や魔境さえも解き明かしてしまう。そして、どんな魔獣にも勝るドラゴンさえも従える英雄――それがあなたなのです! ユニコーンが寄り付くのも、その力の一端と考えれば納得できるものです」
「歴代って凄かったんだなぁ」
そんな伝説と同格に並べられて困った風見は苦笑する。
なにせ、そんな偉業を成し遂げられるだけの能力を与えられたわけでもない。自分の能力だけで同等のことができるかといえば、はなはだ疑問である。
けれどクロエはそれでは収まりがつかないのだろう。ずずいと詰め寄ってきた。
「歴代のみではなく、風見様もそうなのですよ!?」
「あはは。クロエの期待に応えられるようにできるだけ頑張るよ。手始めにまずはこいつの治療からだな」
お付きとしての責任感が強いクロエはどうにも肩に力が入っている。それを和らげるためにも風見はやんわりと笑い、ユニコーンを引っ張っていくのだった。
□
風見らが森から村に帰還すると、村人を探すまでもなく、出た時と同じ位置で村長と村娘が待っていた。
出発してからは一時間ほどの時間が経過していたのだが、その間ずっと待っていたのだろう。村娘と村長は沙汰を言い渡されるまでは一寸も安心できないという面持ちだった。
怯えとさえ表現できそうな二人に対し、風見は声をかける。
「あとは治療するだけだからそんなに気にしないでいいですよ。それから、今後同じことが起こらないようにアドバイスをしますから、参考にしてください」
その言葉をクロエに同時通訳してもらうと、二人はようやくひと安心した様子だった。
「とりあえず手術できる場所を確保したいな。最近建てたばかりの小屋みたいに新しくて汚れていない場所はありますか?」
「それなら、農具を収納するために作った小屋があると言っています」
村長の言葉をクロエが通訳してくれる。
そこで構わないと伝えてもらうと、すぐに件の小屋に案内してくれた。
牛に引かせる耕作用の犂や、脱穀用のせんばこきのような大型の農具を収納するために観音扉式となった大きめの小屋だ。
土間ではあるものの、埃っぽくはない。この程度ならば野外で処置するよりはいいだろう。
ユニコーンを落ち着かせるためにも男性を周囲から遠ざけるとともに、器具消毒用の湯を準備してもらった風見は解剖用具と小瓶を取り出す。
その小瓶はクロエにも見覚えがあった。
「それは以前仰っていた薬ですか?」
「ああ。それから手術をするためには、この鎮静剤と麻酔がいるな。どっちも馬に使ったら今回限りでなくなりそうだけど」
今後、この世界で医療を続けようと思ったらそれらを新たに作る必要があるだろう。どのみち、必要不可欠になるものなのだから使い切ってしまっても問題はない。
風見は鎮静剤――キシラジンの投与から始める。
残り少ない注射器をユニコーンの頚静脈に当て、「刺すぞー?」と声掛けをしながら針を入れる。
当然、こんな痛みに慣れていないユニコーンは振り払おうと大きく身を振った。
「だっ、大丈夫ですか、風見様っ!?」
ユニコーンの動きに合わせて後ろに下がった風見に、クロエがすぐ駆け寄ってくる。リズやノーラは警備としてユニコーンとの間に割って入ってくれたが、ユニコーンがそれ以上暴れることはなかった。
「そんなに警戒しなくていいと思う。鎮静剤も無事に投与できたし、じきに落ち着いてくれるはずだ」
調教が全く入っていない動物としてはこれでもまだ大人しすぎるくらいだ。風見は感心すらしてユニコーンを見つめていた。
通常の馬と同じく、ユニコーンにも効果はあったのだろう。若干、目がとろんとしてきたところで、風見は麻酔も投与する。
鎮静剤のキシラジンには鎮痛作用もあるため、今度は暴れられることもない。一分と経たないうちにユニコーンは膝を折り、その場に座り込んだ。
たった二本の注射を首に打っただけで、猛獣にも勝る力を持つユニコーンが膝を折った。そのことがよほど驚きだったのだろう。クロエどころか、風見に興味薄であったリズですら目を見張り始めていた。
「え、あの……風見様。今のは何を……?」
「緊張を和らげる薬と、痛みを和らげる薬を打ったって感じかな。ユニコーンは今、痛みを感じにくいし、意識ももうろうとしているから今のうちに病気で悪くなっている場所を切ろうって寸法だ」
そう説明した風見はユニコーンの足を荒縄で結び、横倒しにするとすぐさまメスを取り出した。
皮膚を強くつねることで麻酔の度合いを確認した風見は、確認するように頷く。
そして耳の付け根から喉の間にメスを当てると、すっと切り始めた。
女性陣はその痛みでユニコーンが暴れるものと思い込んで身構えていたのだが――何の抵抗も起こらない。
その事実に驚愕しているうちに風見の手術は先々に進んでいた。
「ま、まさかあの薬だけでユニコーンが大人しくなるなんて思いませんでした……。次は何をしているのですか?」
「馬が鼻血を猛烈に出して死ぬ病気は喉嚢真菌炎っていう。喉嚢は別名、耳管憩室とも言うな。耳管っていうのは耳と咽頭を繋げてるんだけど、馬の類いではそれが拳一個分かそこらくらいまで広がっているみたいなイメージだ。で、そこには脳に分岐する頚動脈の一部が走っている。ストレスとかによる免疫能力の低下が起こったせいで、鼻から吸い込んだカビを退治しきれなかった。んで、そのカビが耳管憩室の動脈を侵してぼろぼろにしたから盛大な鼻血を出したって流れだよ」
メスで切った傷口を開いた風見はそこに走っている動脈をピンセットで示す。
炎症で赤くなっている上、一度出血した後だからか、カサブタが血管を覆っているのが見て取れた。
「血管が弱っていないなら、定期的に抗生物質をかけたり投与したりして治療する。ただ、ここまで来ているともう弱った血管は縛って切り取ってしまった方がまだマシだ。ということで、これから頭の両側にあるこの血管を縛って切り取ったら治療終了になる」
風見はそう言いながら血管を結紮し、ささっと切り取ってしまう。メスで切った傷口を塞ぐと反対側でも同じことをし――手術は終了だ。
ほんの数分やそこらで処置は終了してしまう。
術後のユニコーンの様子に大きな変化がないことを確かめた風見はこの場を村の女性に任せ、外で待つ村長の元に向かった。
「処置は終わりました。このまま回復すればあのユニコーンは元気になると思います」
クロエの通訳によってそれを伝えると、村長はようやく喜びの表情を浮かべた。世話役だった村娘も肩の荷がこれで降りたようである。
そんな彼らに、風見は今回の原因を説明する。
「ただし、ユニコーンはこのまま飼い続けるのはやめた方がいいです。あの病気は飼っている場所が汚すぎたり、馬がストレスで弱ったりしたから起こるものです。多分それは外で住んでいたユニコーンを無理やり飼育しようとしたことも関係しているでしょう。次に同じことが起こったら、死んでもおかしくないと俺は思います」
カビに体を冒されるからといって、水虫とはまるでわけが違う。
この病気が起こったのは飼い方のどこかしらに問題があったからだとクロエの通訳を介し、懇切丁寧に説明する
すると村長らも理解してくれたのだろう。
今後、このような取り組みには細心の注意を払うと約束させ、風見らは仕事を終えたのだった。




