騎士は騎士でも隷属騎士という
隷属騎士団――そう呼ばれる騎士団がラヴァン領に存在する。
その実態はラヴァン領の領主、ドニ・アスト・ラヴァンが所有する奴隷によって構成される戦闘集団だ。
老若男女、人、亜人は問わず二百人ほどで構成され、ハイドラの門や城の警備などを一手に任されている。
その団長がリズ=ヴァート・サーヴィだ。
彼女は十六という若さだが律法技能者であり、亜人としての身体能力と類まれな戦闘技術も持つために隷属騎士を束ねている。
この一団に年功序列はない。全員の身分が奴隷なだけに完全な実力制なのだ。
そんな隷属騎士に下された最優先指令は“猊下”の安全確保だった。
必要とあらばドニだけでなく猊下にも服従してご機嫌取りをしろと言われている。
特にリズには特別な用さえなければ常に風見の傍で控えていろと直接の命があった。腕は立つし、一応女だから一石二鳥と思われたらしい。
それが彼女にとっては煩わしかった。
普段なら団長室で偉そうに座って(寝て)いるか、兵舎で模擬戦にかまけてばかりでも飼い主の命令とあらば逆らいようがない。
奴隷には主の命令ならどんなものであろうと絶対服従と魂に刻まれた”律法”があった。
体を求められようが、命を求められようが彼女らの意思は関係ない。
奴隷になった時点で人ではなくモノ扱いをされるのがこちらでの普通だった。
隷属騎士とは名ばかり。コストのかかる普通の騎士に代わって用いられる消耗品に過ぎない。
だから猊下がハドリアの神官と部屋で休んでいる今、リズは兵卒のように部屋の外で銅像となっておくしかなかった。
しかし犬っころ――もとい、ウェアウルフの彼女にとってそれは苦痛だ。
こんなところに繋がれているのが不愉快なのか難しい顔で黙りこくっている。
それが同じくして警備を担当している隷属騎士にはおっかなくて仕方ない。
上司が隣に立っているだけでも胃にストレスだが、なおかつこんな顔をされると気が気ではなかった。
(うーむ。あの猊下とやらが相手ならちょろまかせないものかな)
だがその実、リズは手抜きができるかどうか考えていたりする。
相手は昨日だってノーラにハンカチをやったり、巡回の警備にまでご苦労様と声をかけたりした男。どうもドニとは違って奴隷も対等に扱おうとする輩らしい。
だから少しばかりねだってみたら別に構わないと言いそうな気がする。
適当に部屋へ入りこんでしまえばあとはこちらのもののはずだ。
じゃあ、猫撫で声を出す練習でもしようかなー。
と、普段は寝る・闘うの二つくらいにしか使わない頭をフル稼働しているのだった。
ただ慣れないことは考えるものではない。顔は戦闘用の作戦を考える時と似た険しさになっていた。
「団長殿。少々よろしいですかな」
そんな画策していたところ、筋骨隆々の大男がやって来た。
「別に構わないよ。どうした、グレン?」
彼はグレン=フォード・サーヴィ。隷属騎士団の副団長だ。
年齢は四十にもなるが衰えは微塵もない。むしろまとう空気には経験に裏打ちされた重さと鋭さが備えられ、歴戦の強者を感じさせる。
まともな組織なら彼こそ騎士団長としてあるだろう。
「目をつけていた連中に動きが。大方、猊下の召喚成功を聞いて行動に移したのでしょう。街の外へ向かった密偵は排除しました。拠点に残る輩はどうしますか?」
「判って見過ごしてやっていたんだと警告ついでに全て潰せばいい。拠点は計三つだったかな。一つは私が行こう。あとは気配を消すのが上手いのと知覚に秀でた亜人を適当に組ませれば十分だろうね。グレンは直接戦闘担当で役に立たないから配分を任せる」
「はっは、相変わらず手厳しいですな。ここの警護に手練れを置きますか?」
グレンはさりげない酷評を大らかに笑い飛ばした。
彼は体格と同じく心や度量も大きな男であり、隷属騎士の間では大黒柱として信頼を置かれている。動物で印象を言うなら大きくも優しいクマだ。
それを皆の前でからかってみせるのがリズの普段である。
寝ることと狩ることしか頭にない団長が一団を引いていけるのも、多様な人をまとめ上げられるのも二人の対極なリーダーシップがあったからだった。
「中にはあの“白服”がいるんだよ? 攻めるなら最上級の殺し屋か竜種でも連れてこないとね。だから戦闘下手の余りで十分。もしくは休憩が必要なやつかな。……ああ、でもどうせなら女を用意した方いいかもしれないね」
きひ、と悪役じみて口を緩ませたリズはもう一人の警備を振り返った。
この顔、とても悪い顔なのである。
隷属騎士ではリズさんが意地悪する時はこの顔とよくよく知られており、今日の標的は一緒に警備をしていた亜人の女騎士だった。
年の頃は十三。騎士と称するにはあまりに若い少女だった。
びくっと過剰に身を震わせた彼女、クイナはどんなことをされるのかと酷く怯えた様子をしている。
それがまたリズの嗜虐心を刺激しているとは判ってないらしい。
「クイナ。ほら、英雄色を好むって言うだろう? 私達にはロクな休みもないし、連れ込まれたら休憩ついでによーく悦しんでくるといいよ。なに、私のことは気にするな。それにベッドの上なら負けても死にはしないから気楽な戦闘だ」
「そ、そんなのっ。それならわた、しは……その、戦う、方が……」
「ほう。じゃあ私についてくるかな? ドニの弟君が放った精鋭だ。きっと楽しい殺しが待っているよ」
「やっ――……うぅ」
やだと素直に言えたら良かったのだがそれはできない。
相手は仮にも全指揮権を持つ団長なのだ。リズには次の戦闘でどの騎士を死傷率の高い矢面に立たせるか決める権限がある。
それは何の技能もない者の仕事であり、クイナはその予備軍であると心に不安を抱いていた。
ないとは思いたいが、そこに行くかどうかはリズの気分次第かもしれない。
悪魔の笑みを前にかたかたと震えたクイナはグレンに視線で助けを求めた。
(ワシでも無理だ。すまんなぁ)
言葉はないが、黙りこくって後頭部を掻く仕草にクイナは絶望した。
立場上、リズに意見できるのは副団長だけなのに見放されては一般兵に何ができるだろう。
彼女は瞳を潤ませ、ちょっとしたことでもあれば泣きそうだがクイナはその一線でなんとか頑張っていた。
こんなところで泣いてお情けを乞うなんて役立たずの証明だと思っているらしい。
(心持ちは見上げるものを持っとるのだが)
雨に打たれた子猫みたいにぷるぷると震えているのによく頑張るとグレンは感心する。
その気持ちに体もついていけばいいがリズのように実力が伴う例なんてほとんどない。それが天の采配の憎いところだ。
同時にリズもまた感心していた。
それどころか感心し過ぎ、彼女は思わずぺろりと舌舐めずりをしたくなっていた。
彼女に言わせるなら、やはり獲物とは爪を立てて脅しても最後まで足掻こうとするものであればこそだ。
この様子がまた実に“おいしそう”で、そそられる表情だった。
「ん、どうしたかな?」
だからついつい追い詰めてみたくなる。
リズはぞっとするほど優しい顔で心配してみせた。
それなのにクイナは幻聴なのか『死ぬのと抱かれるの、どっちがいい?』と声を聞いた気がした。
冷や汗がわっと染み出る。
背を硬直させていると頬に沿って指で優しく撫でられ、耳元では「ク・イ・ナ?」と名前をささやかれるのだ。魔女に真名を掴まれた心地さえした。
「いえ、その……」
クイナはどうにも返答できない。返答ミスが怖くて固まるしかなかった。
奴隷身分の彼女は世の中がどれだけ理不尽に満ちているかよく知っていたからリズの気まぐれが恐ろしくて堪らない。
幻聴と現実の境が酷く曖昧な気がした。
隷属騎士になる経緯は人によって千差万別だが、クイナは程々な身分の商家から落ちた珍しい例だった。
一年ほど前、父親と商品の買い出し時に盗賊騎士という騎士の強権をかざして追い剥ぎをする連中に出会ったのが運の尽き。荷物と身ぐるみを剥がされ、彼女は自分の身もあわやというところ商品を放り出したおかげで父ともども何とか逃げ出せたのだ。
だがその損失のせいで家は生活が成り立たなくなり、家族にまで段々とひびが広がった。
その結果、クイナは信頼していた父に売られて奴隷に身をやつすこととなった。
金なんかと自分を交換されたなんて今でも信じたくない事実だ。
何一つ悪いことはしていなかったはずなのに家は没落し、親に裏切られ、奴隷にまでされた。
――なんて理不尽なことか。神様がいたとしたらそいつはどれほど残酷なのだろう。憎んでも憎み尽くせない相手だった。
しかも理不尽はそれにとどまらない。
「ううっ、ひぅっ……」
クイナはそれからを思い出すと涙が溢れ、過呼吸になるほど心に傷を負っていた。
奴隷商の下、商品として下卑た目や手に晒され続けて男の醜さを嫌と言うほど味わった彼女は対人恐怖症一歩手前の男嫌いとなっている。
そんな彼女は隷属騎士に召し上げられることでなんとか事なきを得ていた。
だが、それは容姿から諜報などで使えるだろうと判断されたからだったらしい。
けれどそれは”容姿さえあればいくらでも替えが効く”ということ。だから何の力もないクイナは自身が一番危ういと重々承知していた。
彼女には容姿にしか価値がないと最初からラベルが貼られていたのだ。
「リ、リズ団長ぉっ……」
リズは答えられなくて涙目なクイナの肩にぽんと触れる。
それが“一番槍を任せる”という暗示に思えたクイナはリズとドアを交互に見遣り、どんどん混乱していった。
見知らぬ男を前にすれば今も奴隷商でのことを思い出して動悸を覚える。
人をおもちゃのように見る男に抱かれるなんて死ぬほどイヤだ。
けれどリズの望むように踊らなければ後で死地に送られてしまう。そうなれば役立たずの自分が生き残る方法なんてなかった。
こんな時に限って思い出すのは戦場で凄惨な死に様を辿った仲間のことだ。
何本の矢が全身に刺さった。
無数のパイクに串刺しにされてぐちゃぐちゃになった。
メイスで頭を潰されたり、大剣で足を叩き斬られて失血死した。
それでも生き残る人はいる。
だが、ただの奴隷相手に治療なんてない。傷口を包帯で巻いて繋げるだけが唯一の処置だった。
先陣を切っても何とか生き残れた仲間は傷に包帯を巻かれただけでベッドに転がされる。
最初はいい。
けれど後になると何日も熱にうなされたり、傷が膿んだり、果てには介護者が体を起こそうと引いただけで壊死した腕が落ちた。
――そんな様が自分に置き換わって追体験させられる。
ぐちゃぐちゃになって、痛みに呻いて、うなされて、傷が膿んで、腐って、消える。
(死にたくないし、男もイヤ……。けど、けど、けど――)
あんな死に様は嫌だ。
殺してくれとのた打ち回った仲間と同じ末路だけは嫌だった。
それに比べれば奴隷商での扱いの方がまだマシに思えた。おもちゃ扱いも動悸も心が磨り減るだけ。まだ生きられる選択肢だった。
そして。
「はっはっは。冗談だよ、クイナ。イジめて悪かったね、泣くな。――ん?」
リズはクイナがいたはずの場所に笑いかけたのに姿が見えなかった。
おかしく思ってふと横を見れば、いた。
頭も何もかもぐるぐるになったクイナは半べそを掻きながらドアをばん! と押し開く暴挙に至っていたらしい。
どうやら声が耳に入る状態を通り越しているようだ。
しーん、と場を静寂が支配する。
飛んできた風見とクロエの視線で自分が行った暴挙の意味を思い出した彼女は終わったとさえ思った。
それはもう、ドニが相手なら刎頚ものの不敬である。
「……ん?」
中にいた猊下――風見は語学の勉強中だったらしい。
首を捻ると何事かと突然の訪問者のもとへ歩いてくる。
その一歩一歩がクイナにとっては死刑の秒読みにも思え、彼女は足を震わせていた。
下っ端の彼女は風見の噂なんてほとんど知らない。
彼には絶対服従しろと命令があるだけだからドニと同じ存在にしか思っていなかった。
無礼だと引っ叩かれ、奴隷の分際で何をと蹴られ、虫の居所が良ければそれくらいで終わってくれるかもと思うだけである。
だから彼女は恐怖と一緒にトラウマがフラッシュバックして竦み上がっていた。
だが、歩み寄ってきた風見は手打ちにするどころか彼女の顔色を見て心配の表情を浮かべていた。
しかも異世界の人間なのに習ったばかりのたどたどしい言葉で「何かあったのか?」と問い、幼子をあやす様に頭を撫でてくる。
「えう。あ、あぐっ。その、えっと、わた、しは……」
クイナは何とか取り繕おうとした。
しかし何も言葉にならない。口にした瞬間に全部風化してバラバラになってしまう。
「心配いらない。大丈夫」
まだあまり語彙がない風見は少ない言葉でそう伝える。
クイナにとってそれは偶然にも幼い頃に聞いた父の言葉と重なった。
野犬に追われたり、魔物を見て怖くなった時はその言葉であやされていた。
失くしたはずの暖かさだった。
頭を撫でる手に懐かしい父性を感じてしまった瞬間、クイナの強がっていた何かは簡単に壊れてしまった。
「ふえぇぇっ……」
それからはもう、抱かれるどころか風見を抱きしめて泣き出す始末である。
何がどうしたのか困惑する風見はリズとグレンに視線をよこしていた。
「むぅ、ずるいね。どうせなら私もあんな風にされたかった……」
「いやいや、それよりも団長殿。猊下殿が今も説明を待っておりますよ? 視線で訴えとります」
「はっはっは。グレーン? 私はどうにも正面きった戦闘に向いていなくてね。ここは副団長の戦場だよ、任せた」
「ううむ、だろうと思いました」
肩を竦めたリズはさっさと歩いていってしまう。
面倒事はほっぽり出し、自分は好きなように走って狩りをして来る気らしい。
眉間にしわを作るのはいつもグレンの役だった。
ドニ同等のVIPにちょっかいを出しておいてこれとは酷い話だ。
戦場では無双の働きを見せるグレンも、こればかりは苦戦を覚悟した顔で挑みにいくのだった。




