73 傾く月は微笑んで(7)
どうぞ。
グレリーさんが作った空間を出て、街の屋根に降り立つ。下を見ると、瞬殺されるゴブリンと、転がるチョコレート色のシルクハットが見えた。
「グレリーさん、街はお任せしちゃってもいいですか?」
「もとより【愚者】は奔放なものですから。構いませんよ」
すとん、と降りた地面に、鍔のところが十字になった剣を持った、拘束具だらけの男がいた。壮年でやせ型、それ以上に特徴のない人だ。灰色っぽい服に革鎧、あとひとつくらい装備が欲しいくらいの軽装だった。
「〈ラフィン・ジョーカー〉……!」
「さっきの人、私の配下なんです。敵討ちしますね」
飾剣とカードを構えて、フィーネにもスタンバイしてもらった――のに、男は必死に聞いてくる。
「お、教えてくれ……!! クリームとは何なんだ? 人生の答えとは、いったい……」
「あれは真面目に受け止めないでください。すみません、ほんと」
分からない人に言っちゃったんだなー、とちょっと哀しくなった。ああいうロールプレイは身内ノリだから、説明してくれる人がいないとシラけるというか、自分でネタばらしするしかなくなって、すごく冷める。
「では教えてくれッ、君は……あれほど輝いて、配信でも大人気だった。アスリートとして高めた技術を転用していると聞いた。君は、人生の答えを知らないか?」
「えぇ……?」
「このままでは私はッ、何もわからないまま人生を終えてしまう!!」
「なんでこんな若い人に聞くんですか……」
真剣な悩みみたいだけど、私に聞かれても分からない。
「誰か、答えを教えてくれそうな人はいたんですか? 顔に傷のある人とか」
「彼を知っているのか? クルディオ……人生は行動の中で進み、神とともに歩むことで答えが見つかると。そう、言っていた……」
「彼は亡くなりましたよ」
「なにっ」
構えているのもバカらしくなって、カードをデッキに戻す。ただ立っているだけのフィーネも、明らかにやる気をなくしている。
「えっと、あの。あの人たちは殉教者になることが夢で、それ以外考えてないんです。あなたは、一人ぼっちになるだけですよ」
「ただの自己満足じゃなッ……う、いや。私も、そう言われたが……」
あっちこっちから聞いたことを組み合わせると、クルディオは“神”に依存していたんだろうな、と思った。親兄弟と引き離されて寂しさを抱えた【使徒】に、外なるものが言葉を授け、現実世界に現れるためのゲートにする。神を信じる以外に何も知らない【使徒】は……けれど、ほとんど神に言葉を授かることがないから、どんな言葉にだって舞い上がってしまう。そして【狂妄】に堕ちる。
すべてをたった一つに委ねるから、「答え」はある。けれど、過程はない。
「信じるより……やっぱり、自分で見つけないと。教授が言ってました、暗記でテストは解けるけど、論文は書けないって」
「それは――」
ハッとしたような顔は、底なしの穴みたいだった目に、輝きを取り戻させていた。
「戦ってくれ、〈ラフィン・ジョーカー〉。第一歩に……最強と戦いたい」
「最強は私じゃないです」
「そんなに否定しなくても……」
「あっ、すみません」
必死さと虚無感が消えて、ちょっと元気が出てきたみたいだった。どの言葉が聞いたのか分からないけど、なんかうまく行ったみたいだ。
「戦ってばっかりだけど、パフォーマンスも考えなくちゃ。フィーネもお願いね」
「私を呼び出すほど、とは思えませんけど」
だからだよ、と笑う。
ボールを出し、飾剣を持って分身した。飛んでくるカードを必死に弾いているのが、なんだか初心者っぽくて微笑ましい。ときどきボールをぶつけて体幹を崩し、飛ぶ斬撃を当てて揺さぶる。
剣が弾いても食い込むくらいのカードは、体に当たると消滅している。たぶん、攻撃だけすごく弱い、何かの制約だろう。アンナが「レベルアップが遅すぎると、救済用の解がもらえる」と言っていたから、そういうやつかもしれない。すっと振った剣がゴンッとものすごい音を立てていて、ちょっとだけ見かたが変わった。
「なるほどー。代償大きめの強化ですか」
特技のダメージだけ上がるけど、ふつうの攻撃が弱くなる……すごく分かりやすい制約だ。さっきみたいに、「意志の証を解除する」なんて荒業も出るかもしれないけど、たぶん違う。
弱くはないけど、私より強くはない。
「いったい、どれほどの手札をっ、隠して……!?」
「あ、そっか。人って対応できないんですね」
巨大化したボールが跳ねるたび、ドウン、ドウンと音が響いている。分身が繰り出すカードや斬撃もあるから、一人に対して繰り出す量ではない……ものすごく強いモンスターばかり、当然のように反応して対応して回避して、とやってくるから、慣れてしまっていた。人間ひとりだと、これだけで処理能力はいっぱいいっぱいになってしまうのだ。
ドゴン、バガンッと響く破壊音と、壁を突き破って飛んでいく人影。屋根を伝って跳んでいく分身は、追撃を続けている。もはやフィーネが戦う必要もなく、私はごろごろと転がった相手のもとに降り立った。
「これ、が……」
「ええ。これが〈ラフィン・ジョーカー〉の……三割くらいです」
変身もしていないし、物量戦も仕掛けていない。武器も半分くらい使っていないし、ジョブも〈道化師〉以外の能力をいっさい使っていなかった。私のほんとの本気を引き出せるのは、同じ「水銀同盟」のみんなか、それこそ四大ギルドのトップくらいだろう。
「歩いてきた道にないなら、ゲームの中ですし、別のことしませんか? キャラも作り直して、別の道を歩いてみましょう」
「赦してくれる、のか」
「死んでもらいます。あと、消えてもらいます……今のあなたに」
「そう、か……」
顔も名前も変えて、別のことをしていれば、きっと気付かれない。そもそもがビルドエラーだから、たぶん何も問題ない。
「また会いましょう」
いくつもある拘束具に、〈熔充送戯〉の十八連撃がしっかりと命中した。自ら晒した弱点が砕け散り、大ダメージを受けすぎた体は瞬時に消滅する。
どこかでラッパの音が聞こえた――それは、戦いの終わりを報せていた。
「意志の証」
命がどの意志を歩むのかを示すもの。よほどのことがない限り、ヒトだけでなく亜人種やモンスターを含むすべての命が持つ。五つの意志ごとにそれぞれ拘束具・刺青・アクセサリー・仮面・亀裂の形をしており、人生や性質を反映した「解」を宿す。
プレイヤーはひとつの意志を歩むことしかできないが、キャラクリエイト時に意志の証をふたつ以上に増やすことができる。反対に、NPCはひとつの意志に関して証をひとつしか持たないが、複数の意志を歩むことがある。『ストーミング・アイズ』の世界観全体として、プレイヤーキャラは「カスタム性が幅広い」程度の有利しかない模様。
造物主が命を固定するために作ったものであり、命そのものが形になったものともいえる。そのため、攻撃を受けると激甚なダメージを負い、破壊されることで九割のものが死に至る。ステータスの壊滅的な減少・解の消滅・レベルアップ不能など死に等しい大打撃を受けるため、生き残ったとしても以前のような暮らしはできなくなる(プレイヤーのものは再生する)。




