41 潮は満ちて引き明日もまた
どうぞ。
クローゼットの奥、いちばん奥の場所にハンガーでかけてあったレオタードを、久々に取り出した。上半身が青、腰から下が純白、肩から脇腹にかけて潮流のような模様。ロングスリーブタイプの、どちらかといえばシンプルなものだ。
「……ちゃんと見られるようになって、よかった」
他人が言うようなことを、自分の口であえて言った。
向き合えるようになった。あの記憶すべてがひとつに集約されて終わったことになった。だからもう、「開けてはいけない箱」ではなくなった。取り戻すことができなかったとしても、そこで立ち止まらなくなって……顔についた泥を洗い流して、ぬかるんだ不愉快に耐えながらでも、地面を踏みしめて歩き出せた。
全校集会でグラウンドに集まったとき、驚くほどたくさんのゴミや髪の毛が落ちていたのを思い出す。あんなふうに……落ちたもの、失くしたものも、いつか地面になって道になる。あの日、私が落として失くしたと思っていたものが、いま道になった。
「今日はお迎えはありませんでしたぁ……あ、それって」
現実に戻ってきたアンナが、すっと起き上がってこっちを見た。
「うん。まきしおスポーツクラブの」
青と白に潮模様を見れば、ほとんどの人が「烏野選手の着てるやつ」と答えるだろう。中学校のころから続けて、高校に入るときサイズ変更した二代目だ。
「いつかまた、着てるとこ見られるかなぁ?」
「どうなんだろ。またなんか練習とかでお世話になるときは、持っていくけど……」
これからの人生で、また新体操っぽいことをする機会があるのかないのか。それに、そのときはもうジャージなんかでいいんじゃないか、という気持ちもある。
「シェリーが、なんか本名知ってるっぽい人が来たって……」
「私が部活から逃げ出した理由、もう言ってたよね」
「聞いたよぉ。急にいじめられ出して、着替え捨てられた……」
「友達になりたいから、孤立させて入り込むつもりだったみたい」
アンナの表情が、配信で映っていた【狂妄】として暴れているときより、ずっと恐ろしいものになった。爆発的な灼熱よりも、虚無的な冷気の方が怖い。
「それで」
「ぶっ倒してきた。たぶん二度と会わない」
「はーぁ……よかった」
「変なことしなくても友達いるし」
根本的に、もともとの考えが合っていなかったのだろう。スポ根マンガみたいな発想が根っこにあって、本気で信じていたから、あんなことを言っていた……に違いない。ライバルがいたから自分は最強になれただなんて、自伝で聞いたってウソくさく聞こえるものだろう。
「めっちゃ手加減したんだけどねー。そんなに強くなかった」
「そうなんだ。それなり、って顔してるけど」
「まあね」
たぶん、パーティー戦闘ならあれくらいがいいんだろうな、と思った。討ち漏らした雑魚を処理できるくらいの火力とバフ、一瞬だけなら最大まで登り詰められる火力も隠している。ちゃんと、順当に強い。けれど、私たちに比べれば――。
パワーで勝るもののないアンナに、びっくり箱のフィエル=〈ラフィン・ジョーカー〉。いくつもの呪いをまとい遊ぶとっこ、剣の才ですべて切り伏せるレーネ=〈彼岸花〉、凡人を自称しつつ固いし火力も出るシェリー。リーダーを倒したなんて噂になっている私は、あの中ではたぶん最弱だ。
「そのうち、五人全員に二つ名ついたりするのかな?」
「どうかなぁ。楽しみにしとこうね?」
何もかもがきれいに解決した、わけではない。でも、アンナみたいに何か大きなものを見つけて、自分の道を歩いていけるかもしれない。そんな夢がすこしでも見えてきただけで、もう大丈夫だと思えた。
「あ、そういえば。配信コメントで「白バニーさんどこ行ったの?」って言ってる人、けっこう多くてさぁ。また出演してくれる?」
「ふふ、いいよー。楽しんでくれる人がいるなら」
競技選手だってエンターテイナーだ。形が変わっても、楽しみを提供できるのは嬉しい。配信もひとつのステージと見るなら、何度だって上がれるステージを見つけられた、なんて言い方もできる。
「次の企画は何にするの?」
「んー。大きい過激なことはできないから、小さめに、ダンジョン探し動画とかかなぁ。新しいダンジョンの情報、公開したら喜んでもらえるんだよねぇ」
「じゃあ、海鮮取れた「時間鏡面」のことも明かさないと!」
「うんうん。あのゲーム、運営が用意するんじゃなくて、ゲーム内の世界情勢とか環境でイベント起こるからねぇ。“ジンリョウシシ”……んーと、邪教みたいなのがひっそり準備してるくさい、んだって」
がんばればちょっとは操作できるんだよねぇ、と笑う。
「聖遺物と亡骸を獲りに来るなら、こっちも対抗しないとだ。アカネも関わってるから、お願いしちゃうねぇ」
「え? なに、全然聞いたことない話なんだけど……」
アンナは、ちょっと悪い方の微笑みを浮かべる。
「四大ギルドの人に聞いたんだけど、〈道化師〉って、武器七種類使えるらしいんだぁ。いま六つだったよね?」
「え、うん。七つ目……なんだろ、全然想像つかない」
いずれ分かると思うよぉ、と言いながらベッドに転がる。
「今日はこっちで寝よ。ね?」
「しょーがないなー。強引なんだから、いっつも」
この子はこういう子だ。最初の遠慮がちな雰囲気もかわいかったけど、わがままに振る舞う今もかわいい。家に来てからころっと丸くなった野良猫ちゃんみたいに、アンナはすりすりと胸に頭をこすりつけている。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
いろんなことから解放された安心感のせいか、その日はすうっと眠りについた。
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