157 恐淵・2
どうぞ。
前に見た光景ほど「これはダメだ」という感じはしなかったけど、あれとは違う意味でとんでもないことになっていた。ゴポン、ズバンッ、と水面が波立つたびに、蓮の葉が沈んでいく。水中では魚やカニや巻貝が逃げ惑い、それらも次々に呑み込まれていく。
じっと見ると「ヴォイドマウス」という名前が表示された。ちょっと緑っぽいような背中がすいすいと走り、何もかもを全滅させていく。そして、口を開けるたびに大きな波紋が広がり続けていた。
「あれ、水中じゃないのも消えてる?」
なんでも呑み込むのはそうだけど、水草やコケだけではなく、岸辺に咲いていた花もいくつかなくなっている。そんなに大食いなのかなと思っていたら、こっちに向かってくるのが見えた。当然人も吞み込むよね、と構えてカジキを飛ばすと――空間が丸く切り取られて、魚には当たらなかった。
「えっ、なに今の!?」
水面すれすれまで上がってきてガバッと開けた口の中は、真っ黒だった。ただ黒いのではなくて、何かおかしな色が渦巻いている。
「なに……ゲート?」
ぎゅるんと視界が回って、まるでもう一度玉華苑に入ったような浮遊感がやってきた。そして一瞬で途切れ、温度も湿度も妙に高い、洞窟のような場所にいた。ちゃんと匂いがあるゲームだからか、食べ物が腐ったようなニオイや水草の青臭さ、折れた生木のツンとした匂いに死んだ魚のすさまじい腐臭が、フィルターなしで襲いかかってくる。
「推理するまでもないよねー。タイミング悪かったね」
肉っぽい質感に血管らしい模様、たぶんお腹の中だ。兄が見せてくれた中でもかなり面白かった『スペクトラ』シリーズでも、けっこう「呑み込まれたけど内部からぶっ倒す」展開は多かった気がする。
そして、今の私は〈琥珀の砂毒〉をいっぱい作った後で、まだまだストックがたくさんある。
「ふふふ。一口カツにソースひとビン使うより! 大サービスだよ!!」
さーっと粉を撒くと、胃袋らしい洞窟全体がガクンッと揺れて、少し遠くにあった魚たちの死体が激しく押し出されていった。嘔吐反射という、劇物を飲んでしまったときのしぜんな反応だ。ちゃんと効いているなら、と小瓶の中身をできるだけ胃の先の方へとすべてぶちまけて、カジキをどんどんと壁にぶつけていく。
敵の体力ゲージがどうなっているのかは、お腹の中からだとよく分からないけど、不穏な気配を帯びた、青いすりガラスのような針状のエフェクトがたくさん出ている。今までほとんど見たことがないけど、たぶんあれが「凝結」ダメージのエフェクトだ。
「えっと、あ、これだ。〈ジェネシス・アクア〉」
共鳴して特技を覚えられる組み合わせはけっこうあるみたいで、〈薬師〉と〈水魔法〉を合わせると、吸収効率のいい水を出せるようになる。「創世の水」なんて大げさな名前だけど、どんな成分だろうが吸収効率は上がってしまう。というわけで。
腸に続くところには、まだ溶け切っていない粉が浮いているから、そこを目掛けて「吸収効率のいい水」をドボドボ入れていく。吐いたり飲んだりが忙しい胃袋の中で、わずかに流れていった水が、またものすごい振動を引き起こした。脚が地面についていたら大変だったんだろうなー、と思いつつ少しだけ様子見をする。粘膜の内側に浮き出た血管が急に真っ赤っかになって、そして胃袋が急激に縮まっていった――
バシュンッ、と音がして風景が一瞬で変わり、どうやら玉華苑に出られたようだった。戦いが終わったからか、破壊されたものがすべて元に戻っていく。戦いが派手すぎると、こうして再生してもらえるけど……ブラックバスみたいな魚が吐いた汚いものは、まだ残っていた。
「〈ピュリファイア〉」
吐瀉物はしゅわっと消えて、戦いの後始末は終わった。
「と、そうだった。見せるだけで終わっちゃったけど、肥料もうひとつ埋めないと」
効果が百年続くと書いてある「鉄龍の頭蓋」を、設定画面から水底に沈める。肥料は、「凝結」ダメージが出る以外にも、環境がちょっと変わったり、ほかの植物の成長がよくなったりする。果物を収穫できる数が増えたりもするようだけど、今のところプロミナの方だと収穫できるものはない。
「魚が増えるのかなー。まあいいや、いったん区切りで……」
海にジャングルジムみたいなものを沈めると、海藻や魚がいい感じに集まってくる、とどこかの本で読んだ気がする。この頭蓋骨も、きっとそんな感じなのだろう。環境が修復されたからか、もうすでに魚たちは戻ってきていた。
八千ディールとそこそこ高い買い物だったけど、「凝結」の強さも確かめられたから、ちゃんとこれからにつながるお買い物になった。
「ふー……。それじゃ、次は狩りに行かないと」
今しがた確かめた毒の強さを、存分に振るう。地面に落ちたり飛び散ったら、すぐ〈ピュリファイア〉を使う。そんなプランを考えながら、私は玉華苑を出た。
「恐淵」
『ストーミング・アイズ』の登場モンスターのうち、魚類に含まれるカテゴリのひとつ。劇中で登場したナマズもこれに含まれる。数メートル~数十キロメートルの巨体を保つために大量の食料を必要としており、生物であろうがなかろうが、何でも口に入れてしまう。あまりに貪欲で甚大な被害をもたらすため、港町の荒くれ者や海賊の武勇伝にはしばしば登場する、人類に仇なすモンスターの代表例。
食欲を満たすために暴れ狂うものも多いが、食い溜めをしてゆったりと泳ぐものや、巧みにエサを獲る技巧派も存在する。基本的にはひたすら食欲を軸にして活動するため、「魚群」や「帝魚」カテゴリに比べると対処法や討伐作戦もかんたんになることが多い。計り知れないほどの巨体を持つことが多いものの、取れた肉が資源として人を潤すとは限らないのが恐ろしいところ。こういった、被害規模と収穫のつり合いがとれないところもまた、人々に嫌厭される一因といえよう。




