120 賢者の思惟:大悟遠里になし、小悟は面せば映るもの
(2025/11/10 サブタイを修正)
今日は”弓取”視点。
どうぞ。
大学一年生の六月頃、父の会社がスポンサーをしているという場所へ車で向かう途中、墨帖与市はその少女を見た。
「父さん。あれは何でしょう」
「新体操の選手だろう。近くにスポーツクラブがあるからな」
泣きそうな顔でひた走る少女。上半身が青、腰から下が純白、肩から脇腹にかけて潮流のような模様をした……彼の知識にはない、下着なのか水着なのか分からない衣服。その上にジャージを羽織ってはいるが、外を出歩く恰好には見えない。水泳選手にも見えたが、髪の毛も肌も服も濡れていない。
「ああ、いえ。あの服の方です」
「なかなかイイ趣味をしてるな。あれはレオタードというんだ、体を美しく見せるためと、動きやすさ重視の。競技用だな」
「そうですか」
「気になるのか」
どうして外を歩いているのでしょうか、と彼は自分をごまかした。
「ここいらに女子高はなかったと思うがな。いじめの一種かな、置いてあった着替えを隠されるだかいう、タチの悪いのがあってなあ」
「惨いことをしますね」
「はっきり悪意があってしてることだろうからな」
容姿がいいからか、競技選手としての嫉妬か、悪評あるいは学内のトラブルか。
そもそも何度も起こるはずもなく、時間帯も合わず、与市がかの少女に遭遇することはなかった。彼は、どちらかと言えば彼女に会いたかった――脳裏に焼き付いて離れない、あの姿を振り払うために。彼女の「そうではない」姿を見たかったのである。
弓道の的に、あの足を見てしまう。あの足の付け根を、お腹を射るのか。それが恋慕なのか猟奇なのか分からず、与市は大いに悩んだ。もっとも信頼を置くメイドにそれを尋ねたところ、彼は意外な答えを得た。
「それはセイヘキではないかと……」
「セイヘキ、というと」
「胸が好き、尻が好き、そういった好みのことでしょうか」
「僕が、あの足や付け根が好きだと?」
失礼します、と端末を取り出してささっと操作したメイドは、画像を出した。あの特徴的な角度、露出した太もも。検索ワードには「ハイレグ」という文字があった。つい視線が引き寄せられ、目が離せない。
「……っ! いかん」
「墨帖の本家のお坊ちゃまですから、その程度のぜいたくは許されるかと」
「し、しかしだな。これが的に重なって見えてしまう」
「お坊ちゃまはストイックすぎたのです。兄上さまがたも分家の方々も、ずいぶんと遊んでいらっしゃる。お勉強のために一人に手を付けた程度で悩まれるのは、あなたくらいのものですよ」
女が欲しいでもなく、矢で射って苦しめたいでもない。しかし、衝動の意味を解明できない。日ごろから「まっすぐな精神」を心がける与市にとって、これは由々しき問題であった。
「では、いかがでしょう。ゲームの中で、本当にこれに矢を射かけてみては」
「そう都合よくいるのか? 見たことがないが」
「いるのです。これをご覧ください」
「……見事に、そのままだな。それに」
少女たち五人の仲良し集団「水銀同盟」によるギルド対抗戦「ブレイブ・チャレンジャー」予選。ゲーム内で幾度か名前を聞いたことがある、千人を相手取って勝利し、野盗の集団のような男どもを壊滅させたというイベントである。
(どこか、“彼女”に似ている)
今にも泣きだしそうな苦しい顔ではなく、からかうような薄い笑み。余裕たっぷりの〈ラフィン・ジョーカー〉の立ち姿には、あの衝動と重なるものを感じた。
「参加申請をしておきましょう。私は予選には参加しませんから、おひとりで楽しんでください。できるでしょう」
「ああ、もちろん」
己の中にある迷いは、独力で打ち砕かねばならぬ。
そうして参加した「ブレイブ・チャレンジャー」予選で、与市=「Houy」はフィエルを仕留めた。至極あっさりした……ただ射った矢が当たったというだけの、何を述べることもない結論だった。
そして、それは彼の中にあるものを和らげはしなかった。どうしても実感が薄く、勝敗や手ごたえが感じられなかったのだ。ゲームにログインするのもおろそかになり、メイドが持ってくる話題もほとんどうわの空で聞き流していた。当然ながら、自分に異名が付いていることも、追跡者がいることにも気付かなかった。
――君は、最強だから強くならないとでも思っているのか。
信頼を置くメイドとの戦いが終わった間隙に、矢を射かける。が、しかし。
「弾かれたッ!」
剣鉈で弾く。〈猟師〉というジョブは、〈道化師〉には劣るものの、まったく方向性の違ういくつかの武器を使うことができる。やってくる方角を見て、できるだけ木陰に隠れようと身を縮めるが――
「〈サイ・プレス〉」
シルクハット型のオーラが飛んできて、頭上にふわりと浮かんだ。
「見つけたー」
こん、と聞こえた音に振り向くと、ほとんど同じ高さの枝に、その姿があった。やや離れた距離、月を背にした逆光にあっても、その表情は見て取れる。
「……いつもとは、ずいぶん違いますね」
黒く長い振袖が、はらりと揺れる。儚げな白と愛らしい桜色の花が染め抜かれ、金糸で入れた雲の刺繍が、チロチロと銀河や火花のように光を散らす。しかし、帯の下はハイレグそのもので、右の太腿に巻いた梅色の紐が、そのむっちりした脚線美を強調していた。後ろ側に回った布が、まるで蝶の尾のようにゆるりと揺らぐ。
長くたなびく黒髪は、左だけがゆるめにまとめて垂らされている。鉛色のルージュは、あの白いバニースーツには合わないのだろうが、今の黒い衣装……そして、狂気を帯びた微笑みにはよく似合っていた。
「いったい、どうしたんですか」
「“クウ”」
悟りでも得たのか、と考えたが、おそらく違う。おそらくは「喰う」か。マーラの誘惑に堕ちたかのような服装で、仏の悟りを語ることもあるまい。
(揺らぎの中に堕ちたか。いや、揺らぎに身を委ねた……?)
飛んでくるカードが、途中で剣に変わる。何が起きているのかは分からないが、剣鉈で弾くたびにすぐに砕け散り、消滅していく。おそらく、耐久値がほとんどないコピー品なのだろう。
「そうか……これが、あなたの答えか」
人はつねに揺らいでいる。筋肉は柔らかく心の臓はいつも震え、肺腑は呼吸ごとに収縮し、胃腑も蠕動する。ゆえに、人は静と動のバランスの中にあると――そう、師に説かれた。だが、彼女の示した答えはどうか。
(動の中に身を置き、心を動と一にしている。僕があれを見て動揺したのは……静にこだわり過ぎたからだ)
風も波も揺らぐ。大地も移り変わり、月も日も変わりゆく。人ごときが揺るがぬものであると驕ったからこそ、ホウイは揺らいだ。動の中で静であろうとするから揺らぐ、ならば何とするか。
(目を逸らすな。見ていたいのなら見ればいい)
ぐ、と強く握る。
しなやかな手指の動きが、かわいらしい膝小僧の動きが、くびれはありつつもボリューミーな腰の動きが、衝動を得た眼にはっきりと映る。その延長線上にあるカードの軌道は、もはや読むまでもなかった。
「あはぁっ……」
「僕はホウイ。世界一の弓取の名を借りている」
太陽を落とす矢は、月を落とし得るか。
「いざ、尋常に」
みんなフィエルの服装に対しての言葉がボロカスすぎないか……?
構成の関係で、次回からちょっとアンナたち視点になります。あとアレもやろうかなー。




