115 さあさ皆さん月を仰いで!
どうぞ。
里帰り期間中は、大学もけっこう休みが多かった。アンナとお義姉ちゃんと連れ立って三人でお出かけしたり、お兄ちゃんに推し特撮を見せてもらったりと、楽しい時間を過ごせた。
「ふぃー。今日でらすとでぁーんすだねぇ、アカネっち」
「うん。お義姉ちゃんは来てくれるの?」
「予選敗退って扱いになんなかったかーらねぇ」
「そういえば、なんだよねー」
部屋着を脱いで、めっちゃ楽なカップ付きインナーも脱ぐ。ちょっとボーン強めだったせいか、胸がとゆんと揺れた。洗濯機に放り込むときに揺れたのをガン見している視線は、感心しているようだった。
「うーむ。ぽぴゅらーせくしぃ……」
「そうかなー。お義姉ちゃんもけっこう良くない?」
「あたしは薄いし。ハグしたらあいつの胸の方がおっきくない? って思うんだぜ」
「無駄に鍛えてるからなー。おすぱいだ」
いや普通におっぱいって発音だよあれ、と突っ込まれながら、お風呂に入る。お互いの体と髪を流して洗って、同じ湯船に浸かった。
「同棲ってどう? どんな感じなの?」
「苦労しそうだなって思ったのに、びゅりふぉうらいふ送れてるよ。たまにアンナっちに仕送りもらっちゃって、バイト増やすかーって思ってたりもする」
「アンナ、仕送りとかしてたんだ……」
「月収三十万超えてるんだっけねー。すでに税金納めてるし、すごいよね」
わりとウケのいい配信もしているし、バーチャル家具も売っていてそっちの収入もある。あっちこっちのイベントにも大型のアイテムを出して、けっこうツテもあるらしい。本当に、メタバースだと成功者寄りだと思うけど……現実では、ちょっと弱めだ。
「お互いいろいろできるから、二人で同じことできるのがねー。楽しいの」
「また惚気てるー……お兄ちゃんにベストマッチな人、いてよかった」
「そりゃもう、らびっとどらごんですから?」
「だめです。どう続くか分かってるからやめてー」
二人とも家事が一通りできるから、そういうところはちっとも困っていないみたいだ。ちょっと心配なのは経済面だけど、アルバイトでもそれなりに賄えているみたいで、今のところは大丈夫……なのだろう。あっちでVRデバイスを買ってゲームをするくらいだから、そういうお金も残っているようだった。
「あたしは、再びしゃいにんぐぱわーアカネっちが見られて嬉しいよ。負けても楽しいの、嬉しいことだよね」
「そう? やっぱり勝ちたいって思わない?」
「ふふ。あたし、ゲームの戦いって「推し大好きぱわー」のぶつかり合いじゃい! って心構えでやっておるのだよね。キャラ集めてチーム戦、ってゲームでも、そういう考え方だとイライラしなくなる。相手の推し大好きぱわーはあたしを上回っていたのかあああ! って思えばいいの」
「そ、そうなんだ……」
急に早口になってびっくりした。具体的には三倍速くらい、ふだんが穏やかすぎるからこの急加速がちょっと怖い。
「今度は何か仕込みしてるの?」
「お義姉ちゃんにも内緒。でも、面白いこともファンサもするよ」
「おーやおやー。楽しみにしとくんだぜ」
タイミングの研究と強い武器の確保、カードの購入。いろいろとやることの候補はあったけど、あの人に勝てそうな手順はほんのいくつかしか思いつかなかった。宝石を磨いて稼いだお金はさっさと溶けてしまったけど、後悔はしていない。どんどん【愚者】らしくなってきている気がするけど、エンタメには必要な経費だ。劇団には必ずパトロンがいた、なんていうのも、今になってみるとけっこう分かる気がする。
きちんと温まった後で、お風呂から上がった。
「キラキラのアカネっち、目の前まで観に行くからね」
「期待してていいよー、お義姉ちゃん」
今日は、あのハットが完成する日だ。ギリギリになってしまったけど、少しだけでも日程を延ばしてもらった甲斐があった。髪を乾かし合って、お互いの髪を少しだけ撫でる。
一本一本が細くて、日に当たるとガラスみたいに見えてくる、ふわっふわの茶髪。昔はこういうのに憧れることもあったけど、黒い髪にけっこう希少価値があるんだと知ってからは、ちょっと誇れるようになった。じっさい、ゲーム内でどんなエクステやメッシュを入れてみても、元の色が強いからぜんぜん負けずにちゃんと映える。生まれもプレゼントなんだよ、とよりにもよってアンナが言っていた意味が、よりはっきり分かった。
「じゃー私、早めにインして用意しとく。お母さんにもよろしく!」
「おっけいれぃでぃー。いってらっしゃい」
夕食前にお風呂を済ませ、食後はすぐに部屋に引っ込んで準備に奔走していたらしいアンナは、いつものように業務用大型デバイスの中で目を閉じている。今日は春先、体温も安定しているし水分も調節しているから、長めの配信も問題ない。
「……うん。私も」
ちょっとだけ多めに塩分を摂って、お風呂上がりの脱水に備えた。そのほかの備えもしておいたし、気温もちょうどいい。ベッドに寝転んで、デバイスを装着した。起動するとすぐに、いつものエーベルの街に立っていた。
「よし、大丈夫」
黒スーツは、ちっとも目立っていない。こういう生地が固い服は、よっぽどずどーんと突き出てでもいないと、ほとんど胸が目立たなくなる。少なくとも、服のシルエット次第でふつうサイズに見えてしまうくらいだと、男装はちゃんと決まる。
このあいだのお店に行くと、ショーウィンドウには完成品があった。
「ごめんください!」
「おっと、こないだの。時間通りに来てくれたな」
何か操作すると、麦わら……よりもずっと金色に近い、不思議な植物を編んだ帽子が、フォーシュさんの手元に現れた。
「ファッションアイテムだから、ごくごく普通の性能しかないぜ。身のこなしからして、相当やれるようだが。ほんとにこれでいいのか?」
「はい。何もかも、演出のためですから」
「……ま、何でもいいか。あんたは〈血濡れ道化師〉じゃあないようだからな」
「やっぱり、危ない人がなるんですね……」
装備セットに登録して、お金を払う。特殊効果も付いていないからか、たったの四千ディールだった。
「強い帽子も、欲しけりゃあ作るぜ。舞台の外で使うようなやつな」
「じゃあ、またお願いしに来ます」
ドロップ品には、ハットはめったにない。当然ハットに喰わせて〈ウィ・ザード〉の悪魔に変えることもできないから、私が持っているハットはまだ、片手で数えられるほどの数だ。
お店を出て路地にいったん身を潜め、いつもの白バニーに装備を着替えてからギルドホームにテレポートする。
『さ、始めよっかぁ』
「うん」
配信が始まる。
次の新フォーム何にしようかな……




