108 あなたが唄うその歌は(3)
どうぞ。
すぐに振り返って、〈アクセルトリガー〉を使う。カードデッキ丸ごとひとつ、五十四枚分の加速で、肋骨がメキメキ折れる音と異様な感触があった。HPが半分くらいになった後減少が止まる。村の門を飛び越えて、まったく表情の動かない衛兵を置き去りに、村の外にある樹に降り立った。
夜の森は、ひどく静かだった。言っていたほど危なそうではないけど、遠くにはまだ火が消えていない場所がある。クエストのタスクはまったく消化できていないけど、今は情報収集しておくべき……だと思いたい。
「槍の人と、棺の人が戦ってるんだっけ。時間的に、まだ寝てなさそうだけど」
ゲーム内時間は外の時間と同じだから、今は二十二時をすこし過ぎたくらいだ。空は夕闇で、たぶんリアルタイムとは関係なく「この場所の時間」に固定されている。腰に提げた時計を手に取ってみたけど、さっきみたいなことは起こらなかった。
時を乱すことはまかりならぬ、とか言っていたけど、そもそもあんな機能があること自体知らなかった……まあ、時間移動なんて普通はできないから、当然だけど。ふたをかぱっと開けてみても、ちょっと振っても、何も反応がない。さっき何が起きたかを考えてみると、「時間を移動してきた」とNPCに明言すると、時間の番人(?)に殺されてしまう……のだろう。
「番人がいても、指先とか動かせたらギリギリ……何かできたりしないかな」
時計を表に裏に返してみるけど、あの黒いものはどこにも見当たらなかった。そもそも、あれでどうやって死んだのか分からない。あの手で締め上げられたのか、バラバラに引きちぎられてしまったのか……あんまり想像したくないけど、なんにせよクエストを続けられない状態になったのだろう。
確実に木々の間を移動しながら、あたりに何かいないか探る。ニンジャの人みたいに上手くはできなくて、靴もややハイヒールだから足音はするけど、だからと迎撃されたり矢が飛んできたりはしなかった。
村の方を振り向くと、真っ暗な中に何かがざわめいていて、ひどく不気味だった。「花開いた」フルムたちが植物なら、夜は元気をなくしていそうなものだけど、そうも見えない。あの焚き火を囲んでいるわけではない、けれど何かが起こっている。
「そもそも、どうしてフルムになろうなんて思ったんだろう……」
あれがモンスタージョブでも、意志ごとに適性はちょっとずつ違うから、全員が揃えるのはやや無理がありそうだ。「水銀同盟」で考えてみても、私が〈治療師〉や〈学徒〉になってもしょうがないように、意志とジョブはある程度噛み合っている。NPCだと【常人】が多いみたいだけど、ヘアピン、と考えて次の疑問が浮かんだ。
「意志の証からあれが生えてきてたなら、根っこから乗っ取られてるよねー」
人の根っこがどこかは分からないけど、心とか魂とか、そういうレベルから生えてきているとしか思えない。
「ん? じゃあ、……」
[クエストに失敗しました]
「お姉ちゃん、どこから来たの?」
「私はフィエル、エーベルから来たの」
「えー? うそだぁ」
まだ二回目のやり取りなのに、粘っこい予定調和が気持ち悪い。
なんだか妙に胸元見られてるな、と女の子相手に思ったところで、いつも逃げるボールをはっしと捕まえていたのに気付いた。
「……遊ぶ?」
「うん!」
ぽいっと投げ渡すと、地面にてんてんとついて、高さを変えたりその場でくるっと回ったり、手毬遊びを始めた。
やたらと種類を揃えているせいか、毎度のように違うボールが飛び出していく。もう四回目になる今回では、あのサイオウクワガタが落とした「明星エントロピー:ターミナル次代」……蒼い輝きとひどく凝ったデザイン、透けた内側が特徴的な手毬だった。
「とーけいのじーばんに、うーめこんだたぁねが。みったびっのちっあびっで、めをだすそーうなー。ねーはれーよしーばれ、めーひらーくまーえに」
「手毬唄? 初めて聞いたかも」
ぽんぽんと手毬をつきながら、女の子はどこか虚ろな顔で手毬唄を歌っている。楽しんでいるというよりは、それ以外に何をすればいいのか思いつかないような、何の感情があるのか分からない顔だ。
「それって、誰に習ったの?」
「お姉ちゃん。最近、ぜんぜん遊んでくれないんだー」
「お姉ちゃん忙しいの? お仕事とか」
「フルムになったから、フルムのお仕事でね。笑わないし」
そっかー、と二人で並んでボールをつく。「フルムの仕事」は、宿への侵入なんかを考えてみても、ただの警備ではない。まだ十分も経っていないから、この子のつまんなさそうな顔や、初めて会うときの何かに期待するような顔は鮮明に思い出せる……この子の姉の顔は、あまりに無表情すぎた。
「この近くで戦いがあるみたいだけど、フルムも行くの?」
「古いフルムからね。レベルが低いと、生きて帰ってこられないんだって」
「そうなんだ……」
「あんなところから来るだけあって、フルムのこと知ってるんだね! お姉ちゃんなら、フルムも笑わせられるかな?」
どうだろ、と苦笑してしまった。
聞いていた話だとめちゃくちゃ強そうだったのに、聖遺物の取り合いには高レベルでないと連れていけない。つまり、絶対に完全無敵ではないらしい。
「あ、そうだ。あなたの名前は?」
「私はフルム。みんなそうだよ」
「……そうなんだね」
「うん。お姉ちゃんは、がんばって自分の名前考えてたんだけど……やっぱりフルム」
この村には、存在しない言葉が多い。だから、想像力がすごく狭い場所に押しとどめられてしまって、自由な発想がつぶれてしまう。なら、と――前に義姉に聞いたことを思い出したことが、確信に変わった。
――街の噂話とか、井戸端会議の三面れべるごしっぷとかだねー。下品だからやめなさい、って言っても、大人が口に出してることなんだもんね。節回しを付けて歌っちゃうの。
――子供が分かってないことも、大人が聞くと分かっちゃうかもね。ばーちゃるすぺーすの中でも、子供が歌ってることには謎の答えが入ってるものなんだぞー。アカネっちも耳を傾けてみな、謎が溶けちゃうのだぜ。
アンナやとっこみたいな人より、頭が良くはないけど……私も別に、察しが悪い方ではない。目の前にいる子とそっくりな、けれど年齢は三歳から五歳くらい上の女の子がやってくる。
「かえるよ」
「あ、はーい! ごめんねお姉ちゃん、また明日ね!」
「うん、また明日!」
首元のロケットが、ふたの隙間から植物のツルをはみ出させていた。ぐにゃりと歪んだそれは、まるでツルが巻き付いたまま成長して、ネジのような形に育った樹を思わせた。
「【有為】、……」
実を言うと本物は宿屋の主人だけです。「あれ」も偽物、というか……




