107 あなたが花開く夜に(2)
どうぞ。
大学でリュミが読んでいた、たしか半魚人の街に迷い込む漫画のような……人を泊めるところとは思えないような、ボロッボロの宿屋に案内される。
「ここだよ!」
「え、うん……」
じゃあね、と去っていた女の子は、夕闇の中に消えていった。微妙に反応の薄い主人は、ぼそぼそと聞き取りづらい声で「泊まってくのか」と言った。はい、と答えると鍵を出してきて、料金表が浮かぶ。
「今は、素泊まりだけだ。飯は、外で食ってくれ」
「分かりました」
「村の外には、出ん方がいい。ものどもが、調子づく……」
「ものどもって?」
わざと聞き取りづらくしゃべっていたのか、ひげも髪も灰色になった主人は、静かに首を振って、何も言おうとしなかった。たしか、あの漫画にもこういう人がいた気がする。雑貨屋の主人と、古くからいる人……この土地の風習になじんでいない、だからこそ真相を知っている人がいるはずだ。あの子もその一人のはずだけど、しつこく探すのも違う、のだろうか。案内された部屋に向かって、ひとまずこれから起こることに備えることにした。
幽霊船と同じくらいきしむ階段を上がって、創立百周年が過ぎた中学校と同じくらい古びた扉を開ける。布を染めていないのか変色しきったのか分からない色のベッドシーツ、シックな塗料なのか古びて枯れきったのか分からない色の家具や鏡台。
「ここ、お客さん泊める宿屋なんだよね……」
日本だったら料金は二千円くらいで済むかな、と思えるくらい、ものすごく質が低い。というより、こんなので料金取るんだ、と一般人のモラルでも思ってしまうレベルだ。当然アメニティとか夜景なんて期待できるわけもなく、廃墟みたいだった。
ベッドに腰かけると、ちょっと心配なくらいきしむ音がした。乱暴に腰かけたり、もっときしむようなことをしたら、あっさり壊れそうだ。
「クエスト情報とか、見といた方がいい、よね」
前に受けた座長になるための試練、そして今最優先タスクになっている「あなたが花開く前に」というクエスト。
[「あなたが花開く前に」
たまたま持っていたボールに導かれ、あなたはいにしえのシイズ村に迷い込んだ。この村には、解き明かすべきいくつもの謎があるようだ。訪れてはならない瞬間が来る前に、謎の答えを見つけよう。
・フルムから逃げる(0/1)
・少女を救い出す]
「逃げる……? って、わざわざトラブル……」
カコ、と。
異様なまでに軽くて、まるで湯桶がちょっとズレたくらいの、何でもない音がした。当然といえば当然だけど、エーベルになかったお風呂はベルターにもカンデアリートにもなくて、このシイズ村にも当然ない。お湯を沸かす設備と導水管・排水設備などなど、いろいろ必要だから、技術レベル的にも作れないのだろう。
そうでなくても――カコ、カコ、とだんだん近付いてくる小さな音は、高すぎるハイヒールを細すぎる人が履いているような、妙なものを感じさせた。リュミが読んでいたあの漫画……たしか「なんとかマウスの影」にも、こういうシーンがあった。もしかしたら、あの漫画かあれの原作を参考にしたクエストなのかもしれない。
「でも、私には〈面歩〉あるんだよね」
けっこう高くからカーテンを結んで逃げたり、ドアの鍵に細工したりと、あの漫画の人は大変そうだった。けれど私は、壁を歩いてそのまま逃げられる。問題があるとすれば、ハイヒールだと足音がうるさいくらいだろうか。
さっと窓から出てしゃがみ、部屋の中をのぞき込む……泊まりに来てからそんなに時間も経っていないのに、さっさと寝たと思っていたのか、おかしな異形がたくさん入ってきた。
花弁をモチーフにした鎧兜で全身を覆った、病的に細いシルエット。男性が画一的な姿なのに対して、一部の少女は固有の姿があるのか、モンスタージョブかお花の擬人化みたいな、姫騎士やバレリーナのような姿をしていた。
『:・:…/』『/::・』『...・/|』
何を言っているのかまったく聞き取れない、破裂音と風が強い日の窓の音を混ぜたような……明らかに人の声ではない音で、会話を交わしている。よく見ると、小麦色の髪に桃色の瞳、手持ちランタンの陰影にゆがめられていても分かる、あの子にそっくりな少女がいた。
つまり、これが「フルムになった人」なのだろう。村の全員がモンスタージョブに就いているなんて、すごい風習だけど……あの子が言っていた通りの性能なら、拒む理由もないように思えた。本当にモンスタージョブなら、だけど。
「あ、タスク埋まった。けど……」
次の「少女を救い出す」タスクは、今みたいなものすごくふわっとした条件なのに、達成数が書かれていない。強制的に達成できるんだろうか、と地面に降り立ってから、灯りがあるのに気付いた。
村の片隅、カンデアリートなら切り立った崖にあたる方向に、焚き火が燃えている。あの子と同じくらいの年頃の少年少女が居並び、一人ずつ木のコップを受け取って、中身を飲み干す――
「っ、もしかして……!!」
[クエストに失敗しました]
いつの間にか、私は湖畔にいた。
「花開くって、フルムになること……や、それは分かってたけど! フルムになったらおしまい、なんだ」
身に着けているアクセサリー、そして全身から根っこや葉っぱが飛び出して、人の形が爆発するように消えて……ぐちゃりと押し固められたそれらが大まかな人型をとったかと思うと、人の姿に戻る。半分死亡扱いなのかヒントなのか、灰色の画面で見えたそれは、明らかに失敗のビジョンだった。
そして。
「えっ、ボール……!? ちょっと待って、まだ考えられてない……!」
腰あたりから飛び出したボールが、まるで導くように跳ねていく。操作も利かず、追いかけて踏み入ったそこはやはり。
「お姉ちゃん、どこから来たの?」
真っ白い肌、小麦色の髪に桃色の瞳。
「時間……が、」
そのとき、腰に提げていた懐中時計から、いくつもの真っ黒い腕が飛び出してきた。
『いかな事由があれ、時を乱すことは罷りならぬ』
[クエストに失敗しました]
いつの間にか、私は湖畔にいた。そして、腰あたりから飛び出したボールが、まるで導くように跳ねていく。こうなれば〈ヴォルカナイト〉で蹴っ飛ばしてと思ったのに操作できず、足を止めたのに風景が変わって踏み入ったそこには。
「お姉ちゃん、どこから来たの?」
真っ白い肌、小麦色の髪に桃色の瞳の少女がいた。
「あなたが花開く前に」
『ストーミング・アイズ』中でも最悪のクソとして名高いクエスト。「どのエンドでも胸糞悪い」「戻る座標が開始位置に近すぎてデスポン狩りされる」「ジョブも特技もいらん」などなどさんざんな言われよう。攻略サイトでは「このあたりには近付くな」と言われる始末。パーティーメンバーの誰かが特定の武器を装備していない限り挑戦権はない。ちなみに、失敗を受け入れて街にテレポートすれば逃れられる……かと思いきや、特定のボスモンスターが出現するフラグが立つ。それを利用して何度もボスを狩れるものの、周回するには強すぎるなど、どう足掻いてもクソ。




