ある日、真実の瞳はとっても忙しかった
以前エリザベスが自身の発言の正当性を証明する為に用いた“真実の瞳”。
澄み切った透明の球体の前で嘘を吐くとたちまちその清らかな玉が真っ黒く染まり、巨大な正●丸と化す魔法具だ。
エクトルはその真実の瞳を、常識的に考えればそれは起こらないだろう…という事態を想定して事前にエリザベスの父であるレントン公爵に借り受けていた。
公爵としても「娘のためになるのなら」と快く提供してくれたのであった。
そして天真爛漫を通り越してのリュミナ・ドウィッチの奇行により、その想定した事態が起きたのだ。
自身の婚約者はもちろん、第二王子の婚約者であり公爵令嬢であるエリザベスまでもを悪役令嬢と呼び嘘つきと罵るリュミナの言動に、エクトルは強い憤りを感じていた。
「ドウィッチ嬢、キミが言うようにここに居るご令嬢方が嘘を吐いているのかどうか、はっきりと誰の目から見てもわかるようにしようじゃないか」
エクトルが淡々とした口調でそう告げると、リュミナは急に先程までの勢いを失くす。
互いに証拠のない案件なので、やられたと言い続け被害者としての立場を押し切ろうという思惑があったようだ。
リュミナは取り繕うようにエクトルに言う。
「そ、そんな難しく考えなくてもいいんじゃない?」
「何を言う。キミの言う通り彼女たちが罪を犯したのであればきちんと償わなければならない。だが証拠もないのに罰を与える事はできないだろう?だから魔法具を使って証明してみせるんだ」
「しょ、証明……」
無い方が都合がいいとはさすがのリュミナも言えない。
たじろぐ彼女を見て、エクトルは説明口調で告げる。
「なに、そんなに難しい事じゃない。この真実の瞳に向かって答えればいいだけだ」
「え、えー………」
透明な球体を見て怖気づくリュミナを見て、イヴァン・オーブリーもうすぐ元が付く侯爵令息が擁護した。
「リュミナが言っている事が正しいに決まっているのだからわざわざそんな面倒くさい事をする必要はないだろうっ!!」
その言葉を聞き、ルドヴィックがイヴァンに向かって告げる。
「私の、第二王子の婚約者が嘘吐き呼ばわりされたのだぞ。その真相を証明しようとする事を、お前は面倒くさいと申すのか?」
ルドヴィックのその声は今まで学友として接していたその気さくさを全く感じさせない硬質なものだった。
王族にそのような声と冷たい眼差しを向けられ、イヴァンはわかりやすく狼狽える。
「い、いえ、それは言葉の綾で……」
歯切れ悪くそう答えるイヴァンに「また言葉の綾?」と言いながらロザリーが近寄ってきた。
「ロ、ロザリーっ……」
イヴァンはロザリーの姿を見た途端に腰を後ろに引いて後ずさった。
その様子を見てエクトルたちが、
「アイツ、今ヒュンとなったな」
「なりましたね」
「トラウマになってるようですよ」
と彼の下半身を見て言った。
「オーブリーもうすぐ元がつく侯爵令息様は前にもそうやってご自身の無責任な発言を言葉の綾だといって誤魔化しておられましたわよね?」
「う、煩いっ!ロザリーっ…なんの用だっ!」
「用なんてございませんが、貴方がギャーギャーと横槍を入れますと話が一向に進みませんの。少し黙っていて頂けます?」
「相変わらず可愛くない女だなっ!!」
「そう。私、とても可愛くない女でございまして近頃足も可愛げなく勝手に跳ね上がりますの。ひょっとしたら又当たってしまうかもしれませんわねぇ?」
「ヒッ……!」
あの時の激痛の記憶が呼び覚まされたのだろう、イヴァンは股間を抑え前かがみになって戦慄した。
大人しくなったイヴァンを一瞥し、エクトルはエリザベス心の友の会のメンバーとリュミナに向かって告げる。
「ご令嬢方、これからの質問に、全て“いいえ”と答えてください」
「いいえ!」
「プリムローズ、だからまだ始まってはいなくてよ」
お決まりの如く元気に返事するプリムローズにロザリーがそう言った。
エクトルはふ、と一瞬笑みを浮かべてからそれならばとプリムローズの前に立ち、彼女の前に真実の瞳を掲げて訊ねた。
「あなたは、ここにいるドウィッチ嬢のノートを盗みましたか?」
「いいえ!」
今度もまた元気よく答えるプリムローズ。
対して真実の瞳は無色透明、澄み切ったままだ。
小さく頷き、エクトルは次にリュミナの元へ行き彼女の前に同じように真実の瞳を掲げた。
そしてリュミナに訊ねる。
「あなたは、ノートがここにいる令嬢方が盗んだようにわざと仕向けましたか?」
「い、いいえ?」
小さな声でリュミナがそう答えると、真実の瞳は途端に黒く濁り、漆黒の球体へと姿を変えた。
それを見た周囲の人間が一様に騒然となる。
「真実の瞳が真っ黒に……!」
「彼女は嘘を吐いているんだわっ……!」
「真実の瞳を欺けるのは大賢者くらいのものだと聞くぞ?なんでも彼は真実の瞳を手玉にとって遊んだとか……」
「という事は男爵令嬢は確実に嘘を吐いているということだな」
「な、なによなによ!なんなのよ!」
外野の声が耳に届き、慌てふためくリュミナを放置して、エクトルは次にエリザベスの前に立つ。
そして黒い球体を掲げて彼女に訊ねた。
「あなたは、悪意を込めてドウィッチ嬢の陰口を叩き、それを不用意に噂として広めましたか?」
その質問にエリザベスは背筋を正し、毅然として答えた。
「いいえ」
すると黒く染まっていた真実の瞳が途端に元の美しく澄み切った球体に戻った。
「ぐっ……」
その様を見てリュミナが唸る。
エクトルは次もリュミナへと質問を投げかけた。
「あなたは、自ら自分が陰口を叩かれているように故意に噂を流しましたか?」
「………イ…エ」
蚊の鳴くような声で返事するリュミナにエクトルが聞き返す。
「よく聞こえませんが?」
「っ~~~いいえっ!」
ヤケクソだと言わんばかりにリュミナがそう言うと真実の瞳は彼女の前で変化し、その黒い姿を晒した。
「こんなのデタラメよっ!」
騒ぎ立てるリュミナを無視して、エクトルはその後もロザリーやフランシーヌにも同様に質問をしていった。
もちろんリュミナにも。
その度に真実の瞳は透明になったり黒くなったりと忙しく変化した。
これはもう誰の目から見ても、どちらが嘘を吐いているのかは明白である。
頭の緩いリュミナでもさすがに自分が不利である事はわかったようだ。
断罪する側に居るつもりだったのが断罪される側になったのだから。
リュミナは今度は情に訴える作戦に出たらしく、うるうると瞳を涙で滲ませてエクトルに縋るように言う。
「どうして……?どうしてこんな意地悪をするの?……エクトル様はワタシのコトを愛してるんじゃないの?」
その言葉を受け、エクトルは今度は真実の瞳を自分自身に掲げてきっぱりと答えた。
「いいえ」
「わ!真実の瞳が澄み切ってる!」
プリムローズが真実の瞳を見て破顔した。
エクトルの言葉が本心だと、これ以上わかりやすいものはない。
それを見てルドヴィックが慌ててエクトルに言う。
「エクトル!その魔法具を貸してくれ!」
エクトルから真実の瞳を受け取るとルドヴィックはエリザベスの前に跪き、透明な球体を前にして彼女に告げた。
「エリザベス・レントン公爵令嬢。私は真実、そなただけを愛している。私の心には今も昔もベスしかいないのだ。どうか、どうかそれだけは分かって欲しい……!」
「………」
エリザベスは透明なまま美しく輝く球体越しにルドヴィックを見つめる。
そして大きなため息をひとつ吐き、こう言った。
「仕方ありませんわね、大陸裁判でも用いられる真実の瞳を前にしてそう言われては信じない訳にはいきませんわ。まったくもう……魔法具を使うなんて小狡いですわよルド様!」
「ベ、ベスっ……い、今、“ルド様”と……昔のように……愛称で……!」
「細かい事に気が付きますのね、なんです?殿下とお呼びする方がいいのですか?」
「い、イヤだ!愛称で呼んで欲しい!ベス、愛してる!」
ルドヴィックはガバリと立ち上がり、エリザベスを抱きしめた。
「きゃあっ!ちょっ……ルド様っ!人前ですわよっ!それに真実の瞳を落としたらどうするおつもりなのですっ?」
「ベス!エリザベス!大好きだっ!私の妃になってくれ!」
「時が来たらなりますわよ!」
感極まったルドヴィックに抱きしめられるエリザベス。
そんな二人を見て、プリムローズは心から安堵した。
───エリザベスお姉様嬉しそう……よかった。
しかしエクトルに続きルドヴィックにまでもが自分の思惑と、そして物語とは違う発言をしたのを聞き、その瞬間リュミナがブチ切れた。
「なんなよっ!!妹から聞いていたラストと全然ちがうじゃないっ!!ワタシがヒロインなんじゃないのっ!?みんなと逆ハーでウハウハな贅沢暮らしが出来るんじゃないのっ!?なによコレっ!どーなってんのよっ!!」
大声でギャーギャーと騒ぎ立てるリュミナの側にイヴァンが慌てて駆け寄って宥める。
「リュ、リュミナ……こ、この場所で騒いだらダメだっ……」
大きな体を屈め小さな声でリュミナを止めようとするイヴァンを見て彼女は尚も大声で言い募る。
「だってイヴァン様!こんなのってありえないわよっ!この世界はワタシのためにあるの!ヒロインであるワタシのためだけに!人間も動物も空も海もす・べ・てワタシのために存在する世界なのよっ!この世の全てがワタシのものなのっ!ワタシがこの世界で一番偉い人間なのよっ!」
「リュ、リュミナっ……そ、その発言はマズイよっ……」
リュミナの言葉に一瞬で顔色を悪くしたイヴァンがリュミナの口を塞ごうとしたが時すでに遅し、であった。
「我が妃の祝いの宴を台無しにしただけでなく、謀反とも取れる今の発言……これは捨ておくわけにはいかんな」
重く、低い声が宴の会場に響く。
その声の主を見て、イヴァンは慌てて胸に手を当てて礼を執る。
「お、王太子殿下っ……」
イヴァンを一瞥し、王太子は憤慨して髪を逆立てるリュミナに言う。
「男爵令嬢、今の発言はどういう事か」
「はぁ?今の発言って何っ?この世界は全てヒロインであるワタシのものってヤツっ?それがどーしたんですっ?」
「男爵令嬢、その思想はいつから持っていた……?」
「いつ!?いつって、そんなの前世の記憶が蘇ってからですよっ!ワタシがこの世界のヒロインだってわかった瞬間から、この世界はワタシのものなんですっ!」
「……希少な魔力を持ちながら、こんな危険な思想を抱いていたとは……これは今後の対応を全て考え直さねばならんな」
「はぁっ!?何わけのわかんないコトを言ってるんですかっ!?」
王太子はエクトルが持つ真実の瞳をちらと見遣る。
球体は依然、透明のままの姿であった。
エクトルが深く嘆息した。
リュミナの嘘を暴くための場が、彼女の真意も炙り出すものとなったのだ。
君主制国家において、王を差し置いてのこの発言は王家に対し謀反の意があると述べているのと同義である。
王太子は低い声で騎士たちに告げた。
「ドウィッチ男爵令嬢を、国家反逆罪の容疑者として連行し、投獄しろ」
「はっ」
命を受けた騎士がすぐにリュミナを拘束する。
「きゃあっ!?一体なんなのっ!?な、なんでワタシが捕まえられなくちゃいけないのっ!?」
「自分の発した言葉の意味すら解っていないのか?」
王太子は目の前のリュミナを見て唖然とする。
しかしすぐに気を取り直し、騎士に彼女を連れていくよう指示した。
「ちょっ……離して!助けて!エクトル様ルドヴィック様イヴァン様コラール様ぁっ!」
騎士に連行されながらもリュミナが叫ぶ。
しかしエクトルたちは厳しい眼差しをリュミナに向けるだけであった。
誰の救いもないと知り、リュミナは「そんなぁ!なんでよぉぉっ……!」と泣き叫びながら会場から連れ出された。
後にはそれを呆然として見送るエリザベス心の友の会のメンバーと、その婚約者たちが残された。
そして当然会場は騒然となり、宴どころではなくなったのであった。
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口は災いの元……くわばらくわばら。
次回、最終話です!




