ある日、告げられたのは
盲目の女性客に扮して薔薇之介と接していたエクトルが変身魔法を解いた。
そしてそれまでずっと閉じていた瞼をそっと開く。
幼い頃から変わらず大好きな、美しい青灰色の瞳が薔薇之介の目の前に現れた。
「どうしてわざわざ女性客に変身を……?」
薔薇之介は呆然としつつも質問する。
そんな薔薇之介にエクトルは答えた。
「その都度違う姿に変身してキミを尾行……陰で同行していたんだけど、この台風と暗がりに絶対怖がってると思って…警戒させないために年上の女性客に変身してプリムに接触したんだ。側に居てやりたくて……」
聞けばエクトルはプリムローズの出入国記録から東和へ渡航した事を知り、すぐに後を追ってきたそうだ。
そして女性の一人旅は危険だと男性旅行者に扮しているのは間違いないと考え、青い目の入国者としての身体的特徴でピンポイントに的を絞り、東和に来て二日目にプリムローズを探し当てたという。
しかしプリムローズが存分に楽しんで東和観光を満喫している事と、普段あまり見ないプリムローズの新たな一面を覗き見るのが楽しくなってしまっていたのだという。
が、この悪天候による真っ暗な夜をプリムローズが怖がっているのをわかっていて素知らぬフリは出来ず、変身して接触を測ったというわけなのだ。
スリ騒ぎで思わず正体を明かす事になってしまったが。
「ど、どうして盲目のフリを?」
変身するにしてもわざわざそんな細かい設定をしなくてもいいはずだ。
それに対し、エクトルは少し気まずげに答えた。
「どれだけ大量の魔力を用いた変身魔法でも瞳の色は変えられない、瞳と魔力は直結しているから。しかし東和でなくとも俺の青灰色の瞳はわりと珍しい、だから瞳の色を隠すために目を閉じる必要があったんだ」
「それで盲目ということに……」
生まれて初めて体験する台風と、それによる暗闇を薔薇之介が怖がるのをエクトルがわかっていたのはさすが長年の付き合いだといえよう。
それはありがたい。
たしかに薔薇之介は不安で怖くて震えていたから。
でも気になるのはそれよりも何よりも……
「どうして追って来たの?」
「プリムが大切だから」
「どうして黙って見守っていたの?」
「プリムが楽しいと嬉しいから」
「どうして……どうしてそんな事いうの?もう婚約者でもないのに」
「婚約解消なんてしない。させない。俺が妻にしたいのはプリム、キミだけだ」
「ウソよっ……リュミナ様の事が好きになって……だからずっと一緒にいたのでしょう?」
「違う。……ごめん、それに関しては国益に関すると陛下の意向で口外できないんだ。でもドウィッチ嬢と一緒にいたのはあくまでも執行部として引き受けた案件だからであって、誓って二人っきりになった事はないしドウィッチ嬢を女性としてみた事など一度もない」
「でも柔らかな笑みを浮かべてリュミナ様を見ていたわ!」
「柔らかな……?………?………冷ややかな、の間違いではなく?マナー知らずのドウィッチ嬢の言動にいつも呆れていたからな……」
そういえばロザリーもエクトルの笑みはどちらかと言うと冷笑ではないのかと言っていたような……薔薇之介は記憶を辿って考えてみた。
そんな薔薇之介にエクトルは言う。
「誤解をさせて、それをフォローもせずに辛い思いをさせて本当にすまなかった。俺も、殿下もコラールも……イヴァン…アイツは知らんが、みんな婚約者たちに甘え過ぎていたんだ。自分たちにそんなつもりがないからといって、周りもそう正しく判断してくれるかなんてどこにも保証はないのに。ドウィッチ嬢と節度ある付き合いを保っていればいいなんて、安易に考えていた」
「………」
薔薇之介はエクトルの話をただ黙って聞いている。エクトルはさらに言葉を注いで告解を続けた。
「執行部の仕事や殿下の側近としての教育カリキュラムの忙しさにかまけてプリムとの時間が以前より減った時にふと、キミの様子がおかしい事に気付いたんだ。薄い膜のような隔たりを感じ、そうしたら急に敬称で呼ばれたり、学園までランニングしたり市井に下りたりと不可解な行動を取り出して……」
「………」
「プリムが俺から離れようとしているのではないかとすぐに考えた。ならばすぐに捕獲…誤解を解かねばとしているうちに様々な事態が起きて。それからのキミたち令嬢の行動の速さには目を瞠ったよ……」
「みんなエリザベスお姉様に従ったの。婚約者たちはリュミナ様を好きになったから、心変わりを理由に不利な婚約破棄に持って行かれる前に国外へ出て穏便な解消となるようにしましょうと」
エリザベスが“真実の目”の前で話してくれた前世の記憶については話さないつもりだ。
エリザベスに了承を得ていないし、エクトルが信じるかどうかわからなかったから。
エクトルは薔薇之介の言葉に首を振り否定する。
「心変わりなんて有り得ないし婚姻破棄なんて絶対にしない。ごめん、本当にごめんプリム、浅慮で配慮が足りなかった俺を許してほしい。本当に情けないよ。これでドウィッチ嬢の件で一端に国政に携わっていた気になっていたんだから……未熟者過ぎる……」
「エクトル……」
肩を落として情けない表情を浮かべるエクトルを見て、薔薇之介は驚いた。
だって彼はいつだって聡明で自信に溢れ、失敗したところも後悔する姿も、しかもこのような不安を滲ませた顔など一度も見せたことがなかったから。
薔薇之介はここへきて、出発前に父親が言っていた言葉を理解した気がした。
「まぁどうせ直ぐに捕獲されるだろうから一人旅は心配しとらん。そうなった時はちゃんと二人で話し合うように」
と言った後に、あの時続けて父はこう言ったのだ。
『社交界デビューを果たし、お前たちは自分たちがもう一端の大人なったつもりでいるのかもしれんが所詮はまだ十六歳と十七歳の子どもである事を忘れるな。まだまだ人間として発達途上である事も。いや、いい年になったからといって失敗しない人間なんていないんだ。失敗は悪い事ではない。大切なのはその失敗を反省し、同じ過ちを繰り返しさない事とそれを許せる柔和な心を持つことだ。思い込みや一時の感情で今後の人生を左右する決断をするような事だけはしないようにな』
この場合、エクトルは自らの失敗を認め、心から悔いている。
それでは自分は?自分はどうするべきなのか。
薔薇之介は年長者の助言を念頭に入れて考えてみた。
エクトルは自分の言葉がまだ不足しているのだと思い、薔薇之介に言う。
「プリム、プリム、本当にごめん。もう絶対に不安にさせないと誓うから……どうかこのまま変わらずキミの婚約者でいさせてくれ、そして俺の妻になってほしい……!」
エクトルの澄んだ青灰色の瞳が真っ直ぐにこちらへと向けられる。
そこには心の底から薔薇之介を求める感情が込められていた。
その眼差しはいつもと変わらない。
だけど……
───だけどその気持ちが込められた言葉が添うだけでこんなにもまた違うものなのね……。
それは素直に心に染み入る。
態度と行動と言葉で示された彼の真実。
「エクトル……」
そんな二人の様子を、宿屋の従業員や広間に残っていた宿泊客たちが固唾を飲んで見守っていた。
自らの行いを悔い、真摯に想いを告げる者とそれを迷いながらも真剣に向き合う者。
二人の間に何が起きたのか、それはこの場に居る皆は知らない。
知らないが………
「まぁ、なんだな!人を真剣に好きになるのに、異性も同性も関係ないという事だな!」
「そ、そうよね。二人が本当に想い合っているならそれが一番よ」
「ハッ!お客様の薔薇之助というお名前にはそういう意味がっ?名は体を表す、的なっ?」
目の前で女装を解いた年若い青年が年若い青年に向かって告解をし、愛を告げているのだ……
まぁそういう誤解を招いたとしても仕方ない。
「………は?」
他の人間の反応にエクトルは最初は訝しげな表情を浮かべていた。
しかしすぐにその真意に気付き、慌てて否定する。
「ち、違うっ!違います!」
「何も隠す必要はねぇんだよ兄ちゃん!いいじゃねぇか末永くお幸せにな!」
「いや幸せになるのは嬉しいのだが、そうではありません。俺たちは……」
「キャーーッ♡まるで薔薇草紙の一幕じゃないのっ!薔薇草紙愛好家の友人に見せてやりたいわ!」
「だから俺たちはそうではありません!」
広間に居る者たちとエクトルが押し問答をしているのをどこか遠くに感じながら薔薇之介は考えた。
エクトルがリュミナに心変わりして一方的に婚約破棄をされると思い、それに耐えられず自国を出て東和に逃げた。
だがそんな自分をエクトルは追いかけてきてくれたのだ。
そして自分が悪かったと謝り、妻になってほしいと懇願された。
ここまでされて嬉しくないわけがない。
だって薔薇之介は本当にエクトルの事が大好きで、彼のお嫁さになるのが夢だったのだから。
でも、だからこそ、エリザベスと別れる際にも告げられた言葉を思い出す。
『もしかしたら、エクトル様ならプリムローズを探して追いかけてくれるかもしれない。そしてちゃんと向き合って話をして、もう一度彼を信じてみようと思えるかもしれないわね。でもね、プリムローズ………』
頭の中に浮かぶエリザベスの言葉。
それを思い出す薔薇之介に、広間の人間と言い合っていたエクトルが告げる。
「プリムっ、なんかややこしい誤解を招いているみたいだから変身魔法を解いて……プリム……?」
薔薇之介の様子がおかしいことにエクトルは気付く。
薔薇之介の脳裏にエリザベスが言った事が、彼女の声もそのままに甦る。
『でも、仲直りの前に最後に少しだけ意地悪をしておあげなさい。そうすればきっと、後腐れなく許すことが出来ると思うの』
「わかりましたわ、エリザベスお姉様……」
「プリム?何を……?」
薔薇之介は浴衣の懐に入れていたポーチから小さな魔道具を取り出した。
そして……
「エクトルのバカ!大好き!でも簡単には捕まってあげない!」
大きな声でそう言って、ポーチから取りだした転移魔法道具と追跡阻害魔法道具を用いて、
「プリムっ!?」
何処かへととんずらした。
「待て!プリムっ!」
慌てて捕まえようとしたエクトルの手は、すんでのところで薔薇之介を捕まえる事が出来ずに、虚しく空を彷徨った。
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変身魔法を解いたエクトルが女装のままではないのか、という感想がありましたが、
盲目の女性客の服装は旅装束のまま、野袴だったそうナリよ♡




