やがて愛になる
アンナの作戦は非常にシンプルだった。
アンナが一人になると見せかける。それだけ。
ヴィクターは引っかかるのは間抜けだけだと心配していたが、アンナがひとりになる時間を決めてわずか3日目にクラリーチェが現れた。授業が終わり、人気のないフィリップとの思い出の場所(偽)で、存在しない思い出を懐かしんでいるように見えるアンナを、クラリーチェが睨みつける。
「どうしてあんたが……あんたのせいでこんな目に遭ってるのよ!! 早く何もなかったと証言しなさい!」
「するわけないでしょ。頭悪いの?」
「っこの! ドブネズミの存在で!!」
クラリーチェが手を振り上げる。今までなら大人しくぶたれていたアンナの目が、きらりと光った。
「せいっ!!」
「ぐっ……!」
アンナの正拳突きが、見事みぞおちを抉った。散々暴力を振るってきたが、自身に跳ね返ってくるとは思っていなかったクラリーチェは、混乱したまま這いつくばった。
痛みで満足に息もできない。
「ふん!」
次いでクラリーチェの頬を蹴り飛ばしたアンナは、これ以上ない満面の笑みで振り返った。
「フィル、やりましたよ! お願いしますね!」
「ああ。では移動しよう」
密かに入り込ませていたフィアラークの手の者が、クラリーチェを縛ってから布で隠し、手荒に担ぎ上げた。
アンナとフィリップは学院から王城へ転移陣で飛び、さらにワーズワース領に一番近い場所へ飛んだ。マントで顔を隠して馬車に乗り込み、布で包まれたクラリーチェに足をのせながら、アンナはわくわくとその時を待った。
「グラツィアーナ様に感謝しなければなりませんね。こんなことに転移陣を使わせていただけるとは思いませんでした」
「見せしめのために許可を得ていると伺った。陛下はよほど降嫁する姫が心配らしいな。……先程、ワーズワースとゲーデルのめぼしい財産はすべて収奪したと連絡がきた」
「これで心置きなく屋敷を壊せますね!」
「念のため、空っぽの魔石を持っていてくれ。膨大な魔力が戻り、暴走するかもしれない」
フィリップと楽しく会話をしながら、馬車での長い移動を経て懐かしのワーズワース家に着いたアンナは、庭にパトリツィオとヴァレリアーナが転がされているのを見て喜んだ。その横に、布を取られたクラリーチェが乱雑に放り投げられる。
「生ゴミども、きちんと見なさい。これがゴミの末路よ。えいっ!」
可愛らしいかけ声と共に、地中に張り巡らされていた魔力が消える。轟音をたてて屋敷が崩れ落ちるのを見せられたパトリツィオは、失意で呆然と土煙を見上げた。ヴァレリアーナはこの期に及んでまだ現実逃避をしており、クラリーチェは投げられたときに痛めた体を抱えてうめいていた。
「使用人を全員解雇してしまって、ここにいないのが残念だけど、一気に終わらせてしまうのも味気ないものね」
アンナはその足でゲーデル領へ向かい、ギュンターの顔を踏みつけながらゲーデル家を破壊した。
フィリップが懸念した魔力暴走もない。むしろ魔力が滾って絶好調のアンナは、ゲーデルふたりの上でダンスを踊り、汗をきらめかせた。
「接触禁止なのにやってきたクラリーチェに暴言を吐かれてとても傷つきました! 魔力をうまく操れなくなって屋敷が崩壊しても仕方ないわね!」
「ああ、仕方がない。崩壊の経緯は探られないとは思うが、知られても問題はない。因果応報だからな」
「崩れた屋敷の生き埋めになってしまったのね。なんて可哀想なの!」
そのままフィアラークに帰ったアンナは、対外的に生き埋めで死亡したこととなったワーズワースとゲーデルを棘のついたムチで打ち、魔獣の前に突き落とした。
バルドヴィーノとローは妻たちの苛烈さに「さすがフィアラークの女だ」と満足し、アリソンは「素晴らしい!」と叫び、アンナとメアリーは笑いながらムチをふるう。
悪魔の宴を見た魔獣は怯えて去っていった。
アンナは這いつくばったギュンターに座りながら、憂いを帯びたため息をついた。
「たったの6日しか苦しめられないなんて……。か弱いわたしは臥せっている設定なのだし、それ以上学院を留守にしたらごまかしきれないかもしれないものね」
しばし考えたアンナは、ギュンターをムチ打った。押し殺した悲鳴が哀れに響く。
「ゴミにかける時間がもったいないわ。わたしの未来に、害虫は必要ない」
過去を乗り越えてすっきりしたアンナは、涼やかに立ち上がった。もはや元家族らへ向ける視線すらない。
人間扱いされないのと、人間として尊厳を踏みにじられ続けるのでは、どちらが苦しいのだろう。どちらにせよワーズワースとゲーデルは奴隷になり、自害すら出来ない苦痛が死ぬまで続く。
(もう、こんなのはどうでもいいわ。すっきりするまで虐めてみたけれど、そこまで楽しくもないし。きっと生ゴミ……いいえ、排泄物が間違えて人間に産まれてしまったのね)
さっぱりした性格のアンナは、一度切り捨てると決めると、もう振り返らなかった。
自分のために集まってくれた人々に、丁寧に頭を下げる。
「手を貸してくださり、本当にありがとうございます。感謝の念に堪えません。本当に……わたしひとりではここまで出来ませんでした」
「娘のためならば当たり前です。親は、娘の幸せを願うものですよ」
「お母様……」
アンナを抱きしめるアリソンと、それに寄り添うメアリー。
アンナが吹っ切れたことが嬉しいものの、フィアラークに来てからまったく出番がなかったフィリップは、どこか複雑な気持ちだった。
(最初からわかっていたことだが、アンナは私を、他人を必要としない。そんなアンナだから惹かれ……そんなアンナだからこそ寂しいのだ)
アリソンに促されたアンナが、軽やかにフィリップの前までやってきて笑いかける。それはフィリップが望んでいた、自分だけに向けられる笑みだった。
「たくさんの手助けをありがとうございます。結果、ひとりでするよりも満足のいく復讐が出来ました。フィルに婚約者がいらなくなるまで、よろしくお願いしますね」
「……婚約者はいらない。妻がほしい」
自分の影響力を知っており、言葉を選ぶフィリップの口をついて出た本心に、周囲がざわめく。
バルドヴィーノはまだ早いと制止したかったが、さすがにこの空気でくちばしを挟めない。
(フィリップ……骨は拾ってやるからな)
「アンナ、私と結婚してほしい」
「あはは! 嫌です!」
朗らかな声にフィリップは肩を落としそうになったが、ぐっとこらえた。
はるか昔に思える王城での日々で、あまりに酷い求婚をした時に断られた言葉とまったく同じだったが、その時よりは進展しているとフィリップは信じた。
「フィルは女心がまったくわかっていません。一度も好きだと言われていないのに、どうして頷くと思ったのですか?」
「アンナ、愛している」
「言われてから口にするなんて駄目です」
「わかった」
素直に頷いたフィリップは、ひとつの可能性を感じて顔を上げた。
「これから先、愛を伝えれば振り向いてくれる可能性はあるのか?」
アンナは首をかしげてみせた。
フィリップを人間として尊敬するようになったが、恋愛感情が生まれるのは別の問題だ。
「長い婚約期間のあいだ、フィルの態度が変わらなければ、あるいは」
子爵家で虐待されていたアンナが、公爵令嬢となり英雄フィリップと婚約し、満ち足りた復讐を果たせたのだ。
昔のように頑なにフィリップを受け入れないのは、未来へ進むと決めた自分の意思と相反するように思えた。
か細い希望がもたらされたフィリップは迷いなくそれを掴む。
「不変ではなく、アンナにとってより良い未来になるよう、改善を重ねることを誓う」
「わたしはフィリップを異性として見るようにします」
そこからか、という言葉をフィリップは飲み込み、偽りのない愛を告げた。
「私はアンナを愛している」
マイナスから始まったフィリップの恋が、スタート地点に立った瞬間だった。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
私が書くふたりの物語は、ここで終了となります。この後きっちり10年婚約し、そのあいだにフィリップが頑張ってアンナを振り向かせると思います。その間のことは、どうぞご自由に想像してくださいませ。
たくさんのブックマーク、感想、評価ありがとうございました!できれば次回作でまた出会えますように。




