動く歩道
星辰の儀は夏に開催される。三国が同時に集まり、それに合わせて社交も行われるので、一年のうち夏が一番活気のある季節だ。
クレヴァリアンの夏は湿気が少なく、からりとしている。温暖で過ごしやすい季節だ。
薄い生地に繊細な刺繍をしたドレスを身にまとい、アンナはマナーの訓練に明け暮れていた。星辰の儀まであと少し、付け焼き刃でもいいから、他国に付け込まれないようにしなければならない。
アンナは家の恥にならないようにと最低限のマナーは教えられていたが、下級貴族の中で浮かない程度だ。グラツィアーナのお茶会で、他国の王族に交じるにはかなりスパルタで仕込まねばならなかった。
アンナの指導についたのはミーサという侍女頭だ。侍女でありながらミーサは趣味であらゆるマナーを身に着けていて、アンナの事情も知っており適任だった。
アンナはまず夜会とお茶会での振る舞い、マナーをそれぞれ覚えた。学ぶことを阻害されていたアンナは知識に飢えていた。
「夜会ではフィアラークが、お茶会ではグラツィアーナ様がお守りくださいます。ですから、まずは堂々といたしましょう。おどおどしていると、それだけで見下されます。あとは、歩き方と食器の扱い方ですね」
鷲鼻にかけられた黒縁眼鏡を上げ、ミーサは悩む。険しい顔立ちのミーサが黙り込むと、大抵は怒っていると勘違いされるのだが、アンナは黙って歩く練習をしていた。
夜会では飲み物だけで過ごせばいいが、お茶会はそうもいかない。洗練された淑女しか集まらないので、少し音を立てただけで参加するに値しないと判断されてしまう。
歩くのも礼も、多くの人々の目にふれる。アンナは虐待で必要な栄養をとれていないため、筋肉が衰えている。体幹も弱く、歩くとどうしても頭が上下に揺れてしまった。
練習していたアンナは、悩むミーサの前で立ち止まった。
「ミーサ、少し練習したいの。集中したいから、ひとりにしてくれる?」
「かしこまりました」
ミーサは深々と頭を垂れて退室しながら、まだ悩んでいた。靴をヒールなしにすれば歩き方は改善するかもしれないが、露見したときが恐ろしい。
ヒールのない靴を履くのは幼女だけ、正確に言えば子を孕むことができない年齢の者だけだ。見つかれば確実に攻められる。
ミーサがいつも綺麗にまとめている髪をかき乱しながら解決策を考えていると、案外はやくアンナから呼ばれた。
アンナの部屋に入室すると、自信たっぷりに微笑むアンナがいた。
「見ていて、ミーサ」
「これは……頭が揺れていません! 背筋も伸びたまま、なんて完璧な歩き方でしょう……!」
「よかった。魔力を使ったの」
「魔力を? ……確かに、かすかにアンナ様の魔力が感じられます。足元に工夫を?」
「靴の裏と床に、それぞれコーティングする感覚で魔力をまとわせたの。そして、床の魔力を前へ動かす!」
「アンナ様は歩いていないのに前へ……!」
アンナの魔力を帯びているのは、ドレスのスカートで隠れる範囲のみ。魔力は磁石のように反発しあうことを利用し、魔力をごく薄く、靴の裏と、スカートの範囲内にある床にまとわせる。
歩くスピードに合わせて魔力を動かせば、微動だにせず動くアンナの出来上がり! 動く歩道である。
「ミーサ、これも見て」
アンナは、テーブルに用意されたフォークを皿に載せた。音がする勢いだったが無音だ。
「まさかこれも魔力をまとわせて……!?」
「料理がのっている皿は出来ないけど、ケーキをのせる前だったり、カップとソーサーなら出来る! つまりお茶会でも音が出ない!」
「素晴らしい! 私も土属性だったら……! 火だったら床が燃えるしフォークは熱い!」
フィアラークは、涼し気な銀髪とは裏腹に火属性が多い。
「アンナ様、今夜のディナーで披露いたしましょう! アンナ様ほどの魔力量と緻密なコントロールがなければ出来ない技……なんと名付けましょうか?」
「えっ、名前がいるの?」
「技には名が必要ですよ! テンションが上がります!」
しばし考えたアンナは、きりりと眉を上げた。
「それは必要ね」
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長すぎたので話をわけたら短くなりました。次回はいつもと同じくらいになると思います。




