【第23話】『博士と化け物』
『――以上が、僕達の置かれている状況です。緊急の為、以降の定時連絡は十分間隔とします』
「な、な、なぬううううう!」
音声データの再生が終わり、歩行戦車の中で赤髪の少女が絶叫する。
彼女はニマ。レオやヴィンとは別行動を取っている地上調査隊の隊員だ。
「ビンビン達がピンチなのですっ!すぐに助けに行くのですっ!」
「そうですよ!私たちも援護に向かいましょう!」
同じ班の仲間であるテレサも同調する。
どうやら、『ギルバ班』は大変な状況に巻き込まれているらしい。
二人はすぐに助けに行きたかったが、自分達の班の隊長役であるブライズは難しい顔をしていた。
「行くにしても慎重に考えなければならない。助けに向かって返り討ちに遭うかもしれないの、グハッ!」
重厚な声で喋るブライズの頭にチョップが炸裂する。
こんなことをするのは、ニマしかいない。
「つべこべ言わずに向かうのです!漢見せなきゃもぎ取るのですよっ!」
「レオとヴィンがいなくなってもいいって言うんですか!お願い、あなただけが頼りなの、ブライズさんっ」
ニマにしばかれ、テレサに囁かれ、厳ついブライズの顔に冷や汗が流れる。
その横で、地図とにらめっこしていたエルヴィスが顔を上げた。
「副隊長、ひとまずこの地点まで向かうのはどうですか?建物が密集していますし、救助も逃走も容易です」
「……なるほど。しかし中立都市に行くのが遅れてしまうな」
「当初の予定期間は一ヶ月、まだ余裕はあります。今は仲間のバックアップが最優先ではないでしょうか」
「そうだそうだ!言ってやるのです兄ちゃん!」
「エルヴィスさんカッコいいー!アメリアさんもイチコロ―!」
「いや、あの、僕は別に」
「うむ、わかった。エルヴィスの見つけたポイントまで行こう。マテュー、操縦を頼む」
「……ぁ、了解、です」
「ニマとテレサは外の監視を、エルヴィスは引き続き有効なルートを探してくれ」
「それでこそ地上調査隊なのです!レッツゴーなのですっ!」
「レオ、ヴィン、今助けに行くからねっ!」
ギルバ班から百キロ以上離れた場所で、ブライズ班の歩行戦車は動き出した。
*
「見つけたぞ、女」
「ひぃぃ猛獣みたいな人がいるッ!喰われるッ!殺されるぅ!」
「落ち着け眼鏡女。俺はミストゾーンの人間だ」
ギルバは地下街の階層を降り、ドローンの信号を頼りに目標を探した。
その努力は実り、遂に敵よりも先に博士を見つけ出すことができたのだった。
彼女は背中にドローンを括り付け、小さな部屋が密集している区画の一つに身を潜めていたようだ。
「じゃあ、あなたが私を助けに来たんですか?」
「そうしてやりたいが、お前が誰だか知る必要がある。教えろ」
「あああああ、早く私を助けなさい!こんな場所はもうこりごりです!」
「おい、俺が得体の知れねぇ奴をポンポン助けてやるような聖人に見えるか?いいから教えろ。助ける条件はそれだけだ」
ほぼ間違いなくとも、ギルバは警戒を絶やさずに女性と向かい合う。
彼女が罠でない確証など、どこにもないのだから。
「はぁ?!得体の知れないあなたに教えてやれるわけないでしょボケナスが!」
「話には聞いていたが傲慢な奴だな。テメェ自分の立場がわかってんのか」
「黙って私に従いなさい!」
女はハンドガンを取り出し、ギルバに銃口を向けた。
次の瞬間、腕に痛みが走り身体が地面とぶつかる。
何が起こったのか、すぐに理解することはできなかった。
気付けば武器は奪われており、彼女の頭は地面に強く押し付けられている。
「テメェがどこのお偉いさんだか知らねぇが、俺はテメェが生きようが死のうが構わねぇんだよ。助けて貰いたきゃ相応しい態度を心がけな」
「ふ、ざけないで、ください」
「五秒以内に名を名乗れ。できなきゃお前の命はここで終わりだ」
ギルバは奪い取ったハンドガンの銃口を押し付けながら、カウントダウンを始めた。
「五、四、三……」
「ま、待ちなさいっ!わかりましたから!言いますから!」
ギルバの行動が予想外で驚いたのだろう、女は焦りながらも名を名乗った。
「私は……リンダ・ハミルトン、よ」
「そうか。もう一度、俺の目を見て言ってみろ」
女は瞬時に考えた。本名を名乗る必要など無いと。
教えるメリットが全く無いし、偽名を言ったところで確かめようなどないはず。
本名を知っているとしたら、それは自分の部隊メンバー以外には有り得ない。
どこぞの馬の骨とも知れぬコロニーなんぞが、自分の本名を知る筈はないのだ。
「リ……リンダ・ハミルトン」
「それが、お前の答えか」
安全圏まで辿り着いたらこんな連中は用済みだ。
今は適当に誤魔化し、良いように利用して脱出すればいい。
そんな風に考えていると、男は舌打ちをして左手を掴んできた。
硬質なサイボーグの手で小指を握り、そして本来とは逆の方向へ捻じ曲げる。
「いだだだだッ!な、なんでッ」
女の指が窮屈そうにしなり、鈍い音が鳴った。
――――ボキ。
「ギャアアアアア!」
女の絶叫を手で押さえ込み、男は再び詰め寄った。
その目は怒りと確信に満ちている。
「偽名とはいい度胸だが嘘はいけねぇぜ。嘘ってのは人間の発明の中でも最悪の部類だ」
「い、いだい、いだいっ」
「俺を騙せると思うな。質問したのはお前が信用に値するかどうかを確かめる為だ。今のところお前の評価はかなり悪いぞ」
「いだいいだいいだい!やめで、やめでぐだざい!」
「次に折れるのは首の骨だ。最後のチャンスをやる、本当の名前を言え」
「ぐ、グ、クリス、ティッ……クリスティ、ラックバーンッ!」
「俺の目を見て言ってみろ」
「クリスティ・ラックバーン、ですよッ、ああ、もうッ!」
「クリスティか、テメェの所属先はどこだ?立場は?目的は?」
「じ、人類基地連合の特別研究員。ノーマンを、ほ、捕獲する為に、来たん、ですッ」
一通り聞き終わり、ギルバは突き放すようにクリスティを解放した。
彼女は指を抑え、痛みに呻き声を上げている。
「クズが。とりあえず助けてやるが、次に嘘ついたらブチ殺してやるからな」
「ひいい、あなた鬼ですかっ」
「さっさと立てッ!足手まといは大嫌いなんだよッ」
クリスティのケツをサイボーグの足が引っ叩く。
彼女は泣く泣く立ち上がり、歩き出した。
「あなたなんて、粒子加速器に頭を突っ込んで死ねばいいんですよっ」
「お前に仕えて死んだ男の恨みだ。甘んじて受け入れることだな」
「ど、どういう、意味ですかっ」
「フレッドだったか、奴は死んだよ」
ギルバは道中で見た一人の男を思い出す。
ろくに知らなくとも、彼が強く、忠誠心に溢れた人間だというのはわかった。
そんな彼の主人たる女が、こんな自分勝手な奴だと思うと腹が立った。
「奴は命懸けで箱とやらを守っていたぞ。お前に渡せと頼んできた」
「なんですって!すぐに向かいなさい!箱を回収して離脱します」
「黙れクリスティ、俺は貴様の部下じゃないし、いま命令を聞くべきはお前の方だ」
「あなたみたいな凡骨には分からんでしょうがね、あれは人類にとって重大な研究資料なんです!ここで逃せば入手はさらに難しくなります!何としても持って帰らなければならないものなんですよ!」
「駄目だ、あんなもん抱えて脱出はできねぇ。箱は置いていく」
「バカですか!アホですか!これだからコロニーの蛮人とは会話ができないんですよ!あなたアレを放置して逃げるなんて人類への反逆に等しいですよ!わかってま、ギャアアア!」
ギルバは素早い手つきで女の薬指を掴み、反対側に捻じ曲げて折った。
彼女の左手で動く指は、もう三本しか残っていない。
「フォークとナイフが握れる内に黙った方が良いぞ、クリスティ」
「また折りやがりましたねッ、いつか酷い目に遭わせてやりますよ!」
「箱なら俺が隠した。場所を知ってるのは俺だけだ。お前が協力的なら教えてやるが、あまり舐めてると『貴重な研究資料』とやらがミイラになるぜ」
「くっ……汚い男ですねっ!」
二人は歩き、ダクトの出入り口まで辿り着く。
「とっとと入れ。一秒遅れるごとに骨を一本折ってやる」
「ああもう!上級国民の私が、こんな汚い場所に入るなんてっ」
あとは地上に出て、歩行戦車の場所まで戻れば任務は完了だ。
「最後まで油断するなよクリスティ。騒いだら殺すからな」
「ひいい、もう嫌だこの人」
*
地上では、レオとヴィンとスヴェンが歩行戦車の場所で合流していた。
「全部終わったぜ、一度見つかってヒヤッとしたけど、何とか逃げ切れた」
「無事でよかったよレオ!僕もブライズ班と連絡つけてきたよ。十キロ先の密集地域に向かってくれるって」
「俺っちも問題なく終わったっすよ!でも自分の足で走るのは趣味じゃないっす!」
「隊長はまだ戻ってきてないんだな、これからどうするよ?」
「スヴェンさん、時限爆弾はどのくらい残ってますか?」
「あんまり残ってないねー。せいぜい十発くらいだと思うっす」
「もう一回、陽動をやるのか?」
「うん、隊長はまだ女性を探していると思うから、少しでも敵の気を逸らして成功率を上げた方が良いと思う」
「なら、俺っちとレオくんで五発ずつ仕掛けて来るっすよ」
「わかった、ヴィンはどうするんだ?」
「僕はもう一度、ブライズ班と連絡を取ってみる。向こうには沢山爆弾があると思うから、陽動を手伝ってくれるようお願いしてみるよ」
「ふう、それじゃあもう一走りいっちゃいますか!」
レオ達は爆弾をかき集め、再び夜の廃墟へ向かって駆け出した。
*
ギルバとクリスティは敵の目を盗みながら移動し、時間をかけて地上部分へと辿り着いた。
周囲に機械生物の数は少ない、陽動が機能してくれているおかげだろう。
「この程度なら慎重にいけば戻れるな。喜べクリスティ、お前は助かる」
「ならとっとと助けてくださいよ、ぬか喜びは御免ですからね!」
入り口を出て二つほどブロックを進んだ時、ギルバが手を出してクリスティを制した。
「隠れろ、歩行戦車の音がする。近づいてきてるが仲間の信号が出てねぇ、どこの奴らだ」
「……っは!もしかして!」
クリスティは左腕に巻いてあった腕時計を見る。
「おい、どういうことだ」
「味方識別用のチップが埋め込まれてるんです!近距離なら探し出せるんですけど、それで気づいたのかもしれません」
「じゃああれはお前の部下か?」
「ええ!別行動をしていたアルファ班の歩行戦車ですよ!私を助けにきてくれたんです!良かった、助かった!」
「待て、それは確かなのか」
「おーい!私はここにいますよー!助けてくださいー!」
クリスティは道路の向こう側に叫び、飛び出そうとした。
咄嗟にギルバに掴まれたために動くことはできなかったが、声は届いたようだった。
『博士!博士なんですね!今乗せます!』
相手の歩行戦車はスピーカーで返事を返してから、迫り来る速度を一気に早めた。
数秒と経たずに目の前に来るだろう。
「このアマ!迂闊な真似しやがって!敵だったらどうすんだ!」
「な!そんなわけないでしょう!確かにブラボー班はやられましたが、アルファ班は……、いや、まさか」
クリスティは彼らに騙されたことを思い出した。
ありもしない爆弾の情報に踊らされ、歩行戦車を失ったのは他でもない、『ブラボー班』の生き残りを名乗る者の情報を信じてしまった為だ。
箱を取りに行かせた『アルファ班』が同じ末路を辿っていないと、どうして言い切れるのだろうか。
「おい、見分ける方法はあるのか?」
「な、名乗らせればいいんですよ!個人情報を特定できる装備品は許可してないですし、名前程度であれば全員把握しています!」
「ッチ、俺は後方で照準を合わせておく。何か変だと思ったら右手を上げろ」
「ちょっとあなた!そう言って逃げる気じゃ」
言葉を遮るように、相手の歩行戦車は音を立てて滑り込む。
クリスティの横を通り抜け、少し後ろで停止した。
それから後部のハッチが開き、中から全身武装をした一人の男が顔を出す。
頭部には夜間行動用のマスクや暗視ゴーグルを装備している為、顔はわからない。
「博士!箱は無事に回収しました!急いで離脱しましょう!」
「な、なんですと!それは素晴らしい!」
「ささ、早く!敵が来てしまいます!」
「ええ!で、ですがその前に!あなたの名前は何ですか!」
「はい?今はそんなこと言ってる場合ではありませんよ!早く乗ってください!敵が来てしまいます!」
「三秒で済むことでしょう!あなたの名前はなんですか!」
「…………」
男は急に黙り込み、そのまま地上へ飛び降りてクリスティに近づく。
クリスティは後ずさり、慌てて右手を動かした。
その瞬間、奥の廃墟の陰から銃声が鳴り響く。
パパパパン
ギルバの手元から一丁のサブマシンガンが火を噴いた。
歩行戦車から出てきた男は血を流し、ばたりと地面に落ちる。
それから瞬時に銃口の向きを変え、歩行戦車の『誰もいない』後部に向かって連射する。
何発もの弾丸は装甲に当たることなく、何もない空間に飲み込まれた。
「グオオオオ!」
人間とは思えない叫び声が響き渡る。
透明だった空間が乱れ、赤や青や緑といった色が電流のように走って輪郭をかたどった。
「な、なんですか!何が起こっているんですか!」
「クリスティ、奴らは黒だ!ついでに例の『見えざる敵』とやらも一緒にいやがるぞ!」
「ひ、ひいい!そんな馬鹿な!」
「時計を捨てて走れ!死にたくないならな!」
クリスティが駆けだすと同時に、ギルバの懐からフラッシュバンが炸裂する。
激しい閃光と音が、相手の視覚と聴覚を奪う。
次に身に着けている全てのスモークグレネードを四方八方にばら撒く。
あちこちから煙幕が吹き上がることで、自分達がどこへ逃げたかわかり辛くなるだろう。
最後に手榴弾を敵の歩行戦車の方角に投げつける。
爆発を待たずに身体を切り替え、情けない格好で走るクリスティに追いついた。
「掴まれ、全力で走るぞ」
「ひ、ひいい!早く助けなさい!」
背後から爆発音が鳴ると同時に、ギルバのサイボーグの脚が地面を強く蹴った。
人工的に作られた強化筋線維が膨張し、収縮し、生身では到達し得ない速度を叩き出す。
髪も顔の肉も風圧に靡き、呼吸することすらままならない疾風の中を駆け抜けた。
地を蹴り、壁を蹴り、天井を蹴り、跳ねまわる弾丸のように進み、自分達の歩行戦車を目指す。
普通の人間であれば、誰も今のギルバに追いつくことはできなかっただろう。
――――そう、相手が『普通の人間』であれば。
「ッチ、化け物がッ!」
進行方向の地面が、巨大なハンマーで叩かれたかのように弾け飛ぶ。
不可視の襲撃者の身体能力は、女性を抱えて逃げるギルバより高いものだった。
「使うしかねぇか、伏せてろクリスティ!」
ギルバは抱えていたクリスティを脇に投げ出し、己のうなじを一度叩く。
すると、首の部分に仕込まれていた薬が体内へと入り込んだ。
焼けるように熱い感覚が身体中に広がって行き、鼓動が速くなるのを感じる。
『オーバードラッグ』
人間の限界以上の身体能力を引き出す覚醒剤だ。
視界が薄赤くなり、音が間延びし、時間が引き伸ばされたように遅く感じる。
身体能力も、思考能力も限界を超えて高められている。
「いくぞ、化け物が!」
「グアアアア!」
ギルバは右手に握っていたサブマシンガンを持ち上げて乱射する。
何発もの弾丸が飛んでいき、僅かな空間の歪みに向かって吸い込まれていく。
「グフウウウ!」
透明な場所から野太い声が漏れるが、致命傷にはほど遠いようだ。
化け物は反撃に打って出る。
衝撃波と共に地面が抉れ、視認できない質量が殺気を纏って急接近していた。
「クソッたれがッ!」
人間を越えた身体能力で咄嗟に転がり、不可視の突撃を回避する。
しかし完全な回避とはいかず、掠った衝撃で十メートルほど後方に吹き飛ばされた。
転がった先で受け身を取ると、すぐに右手のサブマシンガンを発砲する。
サイボーグの目は敵を全くといっていいほどに捉えていない。
それでも八割の弾丸が『何もないように見える空間』に命中するのは、ひとえに彼が磨き上げてきた『第六感』のおかげに他ならなかった。
「グオオアア!ナゼダ!ナゼ、オレガ、ミエル!」
不可視の化け物は片言な言葉で声を上げた。
その事実にギルバは驚くが、すぐに気を引き締めてリロードする。
「見えざる襲撃者ってのは誇大広告だな。埃、足跡、風の流れ、臭い、音、殺気、お前を認識する情報は幾らでもある」
「オマエハ、ナニモノダ」
「こっちのセリフだろーが、なんなんだよテメェ」
「グフウウウ」
牛のような鼻息が聞こえ、一瞬だけ空間が揺れた。
ギルバは危険を察知し、身体を捻って左手を突き出す。
物凄い速度と質量を持った何かを掴み、勢いを利用して壁に放り投げた。
蔦の這うコンクリートの柱が粉々に飛び散る。
「そういや俺もレオに投げられたな。全く、油断してたぜ」
「グフウウウ、ウ、ウグッ!?」
「おっと、お前には関係ない話だったな、化け物」
右手のサブマシンガンをコンクリートの壁に向け、連射する。
跳ね上がる銃身を完璧に制御し、全ての弾が敵の頭や胸と思われる位置に着弾した。
「グオオオアアア!アアア!」
壁が弾け、再度見えざる質量が接近する。
ギルバは間一髪で攻撃を回避し、身体の回転に合わせて蹴りを繰り出した。
確かな攻撃の感触が足に残るが、ギルバは目を見開く。
「おいおい、テメェの皮膚はワニか何かか?硬すぎるだろ」
「グアッ、グアアア!」
人間であれば骨折は免れない一撃だったが、化け物に効いている様子はない。
ギルバは再び銃を構え、次の攻撃に備える。
しかし、不可視の化け物はそれ以上突撃をしてこなかった。
代わりに呻き声を上げ、何も見えなかった空間がバチバチと揺れる。
「ガアア、アタマ、アタマガアア」
青、赤、緑、黄色、紫、様々な色が雷のように走ったり、滲んだりして輪郭をかたどる。
不鮮明な姿は次第に形を成し、遂に化け物の正体が露になった。
そこにいたのは真っ黒で鱗のような肌を持つ、身長二メートルほどの屈強な人型の姿だった。
「それがテメェの姿か、炭みてぇな肌だな」
「ガアアア!イダイ!イダイ!イダイイイ!」
「どうした、撃たれ過ぎてかくれんぼがキツくなったか?」
「アダマガ、イ、イ、イダ、イダイ」
「あいにく頭痛薬は持ってねぇんだ。息の根止めて楽にしてやるから少し待ってろ」
ギルバは呼吸を整え、照準を黒い化け物の頭に合わせる。
引き金に指をかけた時、化け物が叫んだ。
今までとは比べ物にならない、地平の果てまで響くような雄叫びだ。
「グオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
ビリビリと音が皮膚を走る。
あまりの迫力に一歩後ずさりをしたところで、化け物は再び姿を透明に変えた。
「クソッ!まだ動けるのか!」
ギルバはすぐさま指を動かし、サブマシンガンをフルオートで射撃する。
軌道は寸分の狂いなく、化け物の頭のあった位置へ向かっていた。
しかし、そこに撃つべき対象は存在していなかった。
急いで視線を動かすと、二十メートル離れた場所にあるコンクリートが欠け落ちる。
それと同時に、垂れ下がっていた紐のようなものが風圧を受けて上に舞い上がっていた。
「ッチ、逃げられたか。まあ粘られるよりはマシだが」
ギルバは銃を仕舞い、転がっているクリスティの下へ駆け寄った。
幸か不幸か、彼女は気絶しているようだ。
割れた丸眼鏡を外し、投げ捨ててから担ぎ上げる。
「ったく、お前のせいでとんだ迷惑だぜクリスティ、さっさと逃げ切るぞ」
目の前の空には大量の機械生物が飛んできていた。
ギルバはサイボーグの脚で立ち上がり、再び逃げ切る為に地面を蹴る。
*
皮膚が蠢き、傷が塞がっていく。
肉と肉に押し上げられ、地面にはパラパラと弾丸が落ちる。
撃たれた痛みも、再生する痛みも、化け物にとっては些細なものだ。
我慢ならないのは、頭の内側から鳴り響く謎の激痛だ。
「グアアアアア!アアッ!ア、ア!」
化け物はいてもたってもいられず、固い腕を振り回して壁にぶつける。
豪快な力の八つ当たりを受け、コンクリートは粉々に飛び散っていった。
身体は透明になったり色を浮き出したりしながら、不安定に揺れる。
苦しい、痛い、化け物は叫び、殴り、頭を抱えた。
『そういや俺もレオに投げられたな。全く、油断してたぜ』
『そうい俺レオに投げれたな。全、油断したぜ』
『そうレオに投げたな。油断たぜ』
『レオに投たな。たぜ』
『レオに。ぜ』
『レオ』
『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』『レオ』
その名前を聞いた時、頭の中の何かが壊れた気がした。
その響きは、化け物の頭を内側から痛めつけた。
反芻する数だけ頭は痛み、痛み、痛み、その末に何かがこじ開けられていく。
忘れていたものが、忘れさせられていたものが、内側から、破られていく。
そして化け物は、一筋の涙を流した。
「……オモイ、ダシタ、……オモイ、ダシタゾ」
穴の開いた壁に両手をつき、壊れた笑みで天井を見上げる。
化け物は嗤っていた。不気味で、不格好で、耳障りな声で、その化け物は嗤っていた。
「ギヒ、ギヒヒハハヒハ!オモイ、おもい、思い、ダシタ、出した!」
化け物は膝をついて両手を合わせる。
人が祈りを捧げる姿で、化け物は祈りを捧げた。
それから嬉しそうに、悲しそうに、腹立たしそうに、思い出の名を叫んだ。
「レオッ!ヴィンッ!アリストッ!マリーッ!神の、敵ッ!」




