8/23 森のお家で1
「こんにちは――」
「んなぁ〜〜♪」
森の家の玄関前に、二つの声が響く。
暫くしてから、玄関に近付いて来る足音と共にがちゃり、開けられる扉。
中から出てきたのは、白い髪に赤い瞳、黒のハイネックに白のシフォンレースワンピースを着た、驚いた表情をした少女、ユキ。
「手袋ちゃんに汐ちゃん? どうしたんですか?」
さらり、白の髪を揺らして訊ねるユキに、にっこりして汐。
「一昨日お店に来た時に、具合悪そうだったから、お見舞いに来たんだよ。時雨ちゃんとは森の入口で会って、賀川のお兄ちゃんとは真ん中くらいで会って、一緒に来てもらったの」
「ただいま、ユキさん。ユキさんの友達みたいだったから、戻るついでに一緒にね」
汐が持っていた旅行鞄(渚発明防護モード〈警備くん〉は解除済み)を引きながら、後からやって来た賀川がそう言う。
「賀川さんお帰りなさい。そうだったんですね、嬉しいです♪ 手袋ちゃん、汐ちゃん、あがってあがって」
ユキに招かれ、お邪魔しま〜すと言ってから、室内に一歩、汐が足を踏み入れた所で。
一瞬揺らいだ視界の中、ガツンッ! と。
汐のその身体に、精神に、〈渦巻くキラキラ〉が、勢いよく押し寄せ。
動きを止め、立ち竦む汐。
「?」
汐が後ろを付いて来ていないのに気付いて、ユキがくるりと後ろを振り返り。
「う、汐ちゃんっ!?」
驚いた声を上げるユキをぼんやりと見て、その真紅の瞳に映った姿に、自分が泣いているのに気が付いた。
「……あ、あれ……?」
ポロポロ、涙は目から勝手に溢れて、止まらない。
「んなぁ〜?」
心配して、足下にすり寄ってきた時雨の上にも、ひとつふたつ、雫が溢れる。
「……ち、違うの。何でもないのっ。何でもないから……すぐっ、泣き止む、から……っ」
(……〈物のキラキラ〉に、引っ張られていきなり泣き出したりなんかしたら、変に思われるのにっ。迷惑、かけるだけなのに。こんな泣き方、しちゃいけないって――〈あの時〉、わかったハズなのに……)
「……ご、めん……なさいっ……」
目を擦り、嗚咽を飲み込み、泣き止もうとする汐だが、
視せられたモノは――強く、重く。
少しずつ傷を付け、侵し。
深く奥に――沈み込み。
絡め取られて、上手くいかない。
「大丈夫だよ」
そんな汐の頭に、ふわりと手が置かれる。
温かな――大きな、手。その手はゆっくりと優しく、よしよしと汐の頭を撫でる。
「……っ……ふぇっ……」
その手があまりにも優しくて――温かくて。
(大きくて、ちょっとゴツゴツしてて、でも、温かい手のひら……)
(……お父さんの、手、みたい……)
懐かしい人を思い出して、さっきとは違う意味で、涙が溢れてきて。
暫くまたちょっと泣いてから、汐は。
温かなぬくもりに慰められて、泣き止むのでした。
「えへへ。なんかいきなり泣いちゃって、恥ずかしいな」
「そんな事ないですよ」
頬を染め、テーブルの上にお見舞いの品を出しながら、苦笑しつつ告げる汐に、微笑むユキ。
「それにしても、凄い量だね」
旅行鞄の中から品物を出すのを手伝いながら、驚いたように賀川。それに苦笑する汐。
「お見舞いに行くって言ったら、アレもコレも持ってけって」
テーブルの上にはずらり、スポーツドリンク、果物、ヨーグルト、アイスクリーム、冷感マット、ビネガーボトル……と、様々な物が並んでいた。
「因みに、海お姉ちゃんからのお詫びの品は、マンゴーとドラゴンフルーツだよ〜」
「まだあるんですかっ!?」
驚くユキに、
「流石に多すぎだよねえ〜」
汐も苦笑して呟いた。
森のお家で皆で一緒に食べたお昼は、今はここに住んでいる訳ではないという事で、汐が持ってきた物を使って、ユキお姉ちゃんは椅子に座らせたまま、汐と賀川のお兄ちゃんで用意したものだった。
まだあまり体調の良くないユキお姉ちゃんは、ちょっとしか食べられなかったけど、それでも汐は、にっこり笑って喜んだ。
その後はアトリエにしているという、奥の絵のお部屋に行って綺麗な絵を見たり、一緒に絵を描いたり、賀川のお兄ちゃんにもねだったりしながら、ゆったりと過ごして。
「もう少し、ユキさんの絵を見ていたい」
と言う賀川のお兄ちゃんをそこに残して、おやつのアイスを届けてから、ユキお姉ちゃんと時雨ちゃんと汐の三人で、テーブルを囲んでアイスを食べる。
ユキお姉ちゃんは、やっぱりちょっとだけだったけど。
アイスを食べている間、ユキお姉ちゃんが今はタカおじ様という人の所にお世話になっているとか、汐が海の家が終わってからも、住んでる所がじーじのホテルに移るだけで、まだうろなの町にいる事とかを話して。
ふと、訪れた沈黙。
そこで汐は――……
「…………」
アトリエに一人残り、ユキの描いた絵を見つめ続ける賀川。
どれだけ見ていても飽きる事などなく、それどころか、見れば見る程に新たな発見があったりして、本当にいつまででも、見ていられる絵ばかりで。
まるでユキさんみたいだな、と思いながら眺め、窓の外の日がかなり傾いていたのが目に入って。
「そろそろ帰らないとマズいな。夕方には戻るって言ってきたし」
呟いて、食器を持って立ち上がり、もう一度全体をぐるりと見回してから、アトリエを後にする賀川。
ユキや汐がいるであろう部屋の、戸口前に行き着いた所で、その声が聞こえた。
「汐ね――、一回、皆の前から消えちゃったの。いなくなったの」
「えっ!?」
(――えっ?)
汐のいきなりの告白に、驚いた表情をするユキ。賀川も、壁に張り付いたままその目を瞬く。
驚くユキに苦笑しつつ、汐は続ける。
「お母さんは皆の為にすぐ元気にはなったんだけど、暫くは汐の姿がちょっとでも見えなくなると、家を飛び出してっちゃったりしてたの。今みたいに、〈普通の家族〉みたいになるのに、結構時間かかったんだよ」
「……そんな……、そんなふうには、ぜんぜん……」
海の家での事を思い出して呟くユキに、「うん。今はね、もうね」と続ける汐。
「その間、司先生、果穂先生に拓人先生、日生のお兄ちゃん達、セリちゃん、じーじ達、あと友達とか。本当に、本当にたくさんの色んな人達に、助けてもらったの。今も、いっぱい助けてもらってるの」
温かいお茶が入ったコップを両手で包み込み、ユラユラ揺れる水面を見つめながら、呟く。
「だから、だからこれ以上他に、心配とかかけたくないし、皆に笑ってて欲しいから、汐だって〈大丈夫〉って言うよ。にっこり笑って、笑顔で」
「!」
汐のその言葉に、はっとするユキ。頭を上げ、それを栗色の瞳で真っ直ぐに見つめながら、告げる汐。
「でも、〈大丈夫〉も〈笑顔〉も……〈泣きそうな顔〉で言っちゃったら、意味ないんだよ?」
喉を詰まらせるユキに苦笑して、ここで一旦言葉を切って。
「……ごめんなさい。こんなのは、本当は〈反則〉なんだって、分かってるの。でもだから……ここからは汐の、独り言なの」
俯いてぽつりと呟いてから、告げる。
「――〈自分を犠牲に〉して、〈終わらせる世界〉は正しいの?」
顔を上げて、真っ直ぐに。
ユキのその、真紅の瞳を見据えて。




