11/17 記憶・汐
ウチとこ話
「お姉ちゃーん」
「あら汐。ちょうど良かったわ。呼びに行こうと思ってたのよ」
螺旋階段を下り、汐の声に気付いて、フライパンから大皿に炒め物を移していた陸が顔を上げる。
昼を少し過ぎた時間帯。ダイニングテーブルの上には、六人分の食事が用意されていた。
後から誰か来るらしい。
「陸お姉ちゃん、他のみんなは?」
「もう少ししたらくるわよ。それより、少しは体調良くなったの?」
「うん!」
元気いっぱいに告げる汐だが、心配した陸に、額に手を添えられてしまう。
「いたっ」
それに、頭に出来たコブが疼いて、声を上げてしまう汐。慌てて手を離した陸が、怪訝そうな顔をする。
「汐?」
「違うの。手が痛かったんじゃなくて……。どこかに頭をぶつけたみたいでーー」
汐が言い終える前に。
素早く汐の頭部を確認した陸の手が、そこに触れる。
「いたぁいっ!」
「コブになってるじゃない」
「うぅ〜〜っ、いま、言おうとしてたのにぃ」
涙目になった汐が、陸からぱっと離れながら。頭を押さえ、恨めしそうな目を向けて呟く。
汐の泣き顔に弱い陸は、ゔっ、と喉を詰まらせてから、
「きゅ、救急箱、取ってくるわね」
その場から足早に駆けていく。
そこにリビングから出て行った陸とは逆に、玄関から帰って来る者達がやってくる。
「昼飯、昼飯〜っと」
「お昼ご飯、でしょ。あっくん」
「ふふっ」
炯と燈、それに、今日はホテルの手伝いをしていた空だ。
「炯お兄ちゃん、燈お姉ちゃん、空お姉ちゃん、おかえりなさい」
「うしおちゃん、起きてて大丈夫なの?」
そう心配そうに言ってくるのは燈。
青空燈。十九歳。期間限定で派遣社員をしている。
彼方と柚月の一人目の娘。長女であり二番目の燈は、末っ子の燎と瓜二つな程その容姿が似ているが、性格は全くの正反対。
腰まである烏の濡れ羽色の髪と焦げ茶の大きな瞳。母親譲りのはっきりした顔立ちまでは一緒だが、目元は垂れ目気味でこちらはおっとり、部屋でゆったり本を読むのが似合う文学少女だ。
休みの日は日がな一日部屋で本を読んでいるか、図書館巡りなどをしている。
ホテルの手伝いをする時は大抵、フロントかベル業務に入っている事が多い。
「うん。朝よりはだいぶ良くなったんだよ」
「良かった。ね、そらちゃん」
微笑む燈に、にっこりと空も頷く。
そこに救急箱を持ってやってきた陸が、手当てをしてから、後からきた双子の片割れ、なかばと一緒にお昼を食べ。
部屋を片して洗濯を取り込むのを手伝ったり、リビングでテレビを見たり。帰宅した渚に、切れた鎖を直してもらったりして過ごし。
晩御飯を食べて空と一緒にお風呂に入り、髪をしっかり乾かしてからいつもの様に、自室のベットに腰掛ける。
海ともフィルともタイミングが合わず、ここ最近には珍しく、朝以外会っていなかった。
「お兄ちゃんの訓練、上手くいったのかなぁ? 悪戯ばっかりしてないといいけど……」
今日は海お姉ちゃんも一緒だったから、余計心配、などと思っていた所に。
「汐?」
ノックの音と共に名を呼ばれ、ちょっと待ってと声を返して、ドアへと向かう。
少しだけ開いて、首を傾げながら問う。
「フィル? どうしたの?」
「どうしたの、って。それはこっちのセリフだろーが。……体調、ちょっとは良くなったのかよ?」
苦笑しながら告げるフィルに、こくりと頷いて。
「うん。明日は学校行けるかも」
「良かったな。けど、無理はすんなよ?」
言いながら、頭を撫でてくれようと手を伸ばしたフィルを止める。
「! ダメっ」
「ーーっと。そか、悪りぃ。コブ出来てんだっけか」
頭を庇いながら告げた汐に、陸が言っていたのを思い出して手を引っ込め。
「まだイテーの?」
「触らなかったらたぶん、大丈夫だと思うよ?」
「そっか。良かったな」
「うん」
二言三言話してから。
いつもと違うな、と思いながらも。
フィルは口を開いた。
「んで、今日は?」
「?」
フィルのその言葉に、汐は栗色の瞳を瞬いて。小首を傾げた。
「えっと?」
きょとんと栗色の目を瞬く汐の胸の上で、夜輝石の小瓶が揺れる。
何となく妙だな、と思いながらも。すぃと出した人差し指を、その額にそっと触れさせながら呟く。
「なぁんだよ? もう、怖えぇ夢は見なくなったのか?」
「……!」
フィルのその、言葉が。
汐に知らずとかけられた、鍵を開き、鎖を解く。
もとより、急ごしらえの封の錠。
きっかけさえあれば、簡単に壊れる。
ーー切れたペンダントの鎖と同じく。
「汐?」
フィルに呼ばれ、ハッとした汐は。
二、三その瞳を瞬きして。
「き、今日は……、うん。大丈夫、たぶん」
フィルの身体を、廊下に留めるように。
手を付いて言って、付け足すように続ける。
「でももしーー、だめだったら。その時は……来て、ね……?」
「ーーおう。んじゃそん時、また添い寝してやるよ」
無理に笑って言っている風だったが、それ以上は追求せず。
頬を微かに染めながら、「フィルっ!」と声を上げる汐のそれを背に受けながら。
フィルはひらりと片手を上げ、その場を後にするのだった。
「……なんか、あったな。ありゃどー見ても」
護衛にと置いておいた、豆鳥から話を聞く為に。
「…………」
フィルが部屋を去って、暫く。
後ろ手にそっとドアを閉めた汐は、その場にズルズルと座り込んだ。
知らぬ間に瞳からは涙が溢れ、頬を、夜輝石の小瓶を濡らす。
「……ど、して……。なん、で……?」
さっきから、何度も。
何度も何度も、考えている。
それなのに。
「どうしてっ……」
思い出せないの!?
フィルに添い寝してもらう程。
怖い夢を見ていた筈なのに。
頭が痛い。でも。
さっきからずっと、考えている。
思い出そうとすると、身体が震える。
嫌な感じが、すごくする。
背筋が凍るかのようなーー。
だけれどーー、だけど。
〈何故そうなった〉のか。
全くと言っていい程。
覚えていなかった。
記憶になかった。
まるでぽっかりーー、そこだけ穴が空いてしまったかの様に。
〈取り上げられた!〉
「ーーっ!」
そう思った時、無意識に汐は小瓶を掴み。
鎖を引きちぎって、投げ付けていた。
「……それはっ…………うしおの、記憶なのに……っ」
カン、カツン、と。
小瓶が何処かに、ぶつかっている音が響く。
「……なんでっ……」
薄暗闇に溢れた涙が、青い光を反射する。
「…………え、して…………っ」
ころころと、床を転がってきた小瓶は。
涙する汐の傍に戻ってきていた。
「ーー返してよぉっ!!」
汐の、声にならないその声は。
夜の闇へと吸い込まれ。
汐の涙を受けて、よりキラキラと輝く夜輝石の小瓶は。
淡い光を纏ったまま。
何の反応も示しはしなかったーー……
なんか、オカルトになってきた?かなぁ




