11/4 遥か深底の過去の話9
鳥の鳴き声も、獣の身じろぎすら封じるような、闇の夜。
暗い、昏い地の底のような奥深い場所で今宵行われるのは、「儀式」。
由緒正しき「洗礼の儀」。
「悪魔」を葬り、小国に繁栄をもたらす「救世主」が誕生する、素晴らしい儀式。
小国を一回り小さくしたくらいの地下に造られた会場に、犇めき蠢くのは人か、魔か。
小国に住まう全ての国民が集まっていそうなその会場の前方には、そこだけがまるで光輝いているかのような、白を基調とするつるりとした祭壇が設けられている。
細く高く造られた、両開きの扉。
扉の前には、装飾過多な箱が置かれている。
黒い格子が嵌め込まれた長方形の箱はガラス張りで、箱の外部分を宝石や呪符が張り巡らされていても、白塗りの祭壇と側近くに二つだけ灯された蝋燭により、かなり後ろからでも箱の中身は良く見えた。
箱の中には、ヴェールで顔を隠された、少女が一人横たわっている。
装束を身に纏い胸の上で手を組むその者は、既に死しているかのように映る。
長方形のその箱ーー、棺であり檻であるそこに静かに横たわる少女は、ピクリとも動かない。
無数の観客達が一心に壇上を見つめる中。
壇上に二つある階段の内片方から、剣を手に正装した少年が一人、ゆっくりとした所作で階段を上がる。
それと共に誰も、手を触れてもいない棺の蓋がずずずっと重い音を轟かせ、ひとりでに開いていく。
壇上を進んでいた少年が、手にした剣を抜き放つ。
代々、洗礼の儀の為だけに、受け継がれ引き継がれてきたその剣を。
白壁が作る白光と蝋燭の炎を照り返し、白赤の粒子が剣先からキラキラと溢れ落ちる。
そこに居合わせた人々が、ほぅ、と感嘆の声をもらす。
白に彩られた祭壇の中ーー、少年が持つ黒赤の剣は、身震いする程良く映えた。
光景を目の当たりにした誰しもが、美しい、と思える程に。
リイィィン……
剣を抜き放った時に奏でられた二重奏が、静かに会場に響き渡る。
白い指先が、棺の縁にかけられる。
チャキリ、少年が剣の柄を握り直す。
少女一人の身体など、簡単に貫いてしまえそうな程長く、太いその剣が光を弾く。
ゆらり、黒いヴェールが風を生む。
ーー瞬間。
ガキンッ!
合わされたのは銀光。
ざわ、と。会場内をどよめきが埋め尽くす中、二度、三度と剣同士が打ち合わされる。
視界を瞬く間に火花が走る。
しかし。
片方は、太く長さもある黒身の剣。
もう一方は、細く短い銀の剣。
力量差もあってか、あっさりと。
少女の持つ銀剣は素早く振るわれた黒剣に弾き飛ばされ、少女の影から伸びた荊棘が、少女自身を絡め取る。
『「ーーもう少し、楽しませてくれると思っていたんだけれど、ね」』
声をダブらせながら少年が、誰にも聞こえないような囁き声でぼそりと、残念に、本当に本当に残念そうに呟き。
影の棘で傷付き血を流しながらも、もがく少女をすぅと見つめ。
「二人の悪魔」は心の中で嗤いながら、少女の心臓目掛け、その魔性の剣を振り下ろした。
「…………」
ガラガラガラ。
王家私有の森を背に、秘密の門から一台の荷馬車が静かに走り去っていく。
全ての生物が静まっているかのような夜の帳が下りる中、動いているのはその荷馬車のみ。
屋根もない、牧草がこれでもかと積み上げられた荷馬車の隅で。
ごわごわの布に包まる、一人の少女がいた。
真っ黒な闇の中、導きの灯りが尾を引きながら進んでいく中、つい先ほどまで晴れていた空は黒々とした雲に覆われ、今にも雨が降り出してきそうだった。
「…………」
しかしそんな事には関心がないのか、少女はただ、一点を見つめているだけだ。
いや、少女の瞳は何も映してはいなかった。
ただ、開かれているだけの瞳に光はなく。
車輪から伝わる振動に合わせてその身体を揺らすだけで、少女自身は彫像ででもあるかのように、ぴくりとも動きはしなかった。
荷馬車の主は、その事を気にもしていない。
それも当然だと知っているからだ。
洗礼の儀の為死する者の世話役となった者は、洗礼の儀のその日一度、葬られる。
それまでの生を亡き者とされ、新たな生を歩む為に。
勿論、当人に感づかれないよう国の監視が付く事にはなるのだが。
教師役、門番の兵士二人も同様に。
此方の者達は世話役よりも待遇は良いが。
教師役や門番と違い、世話役となる者の選別基準は、身寄りがない事。
もしものその時、いなくなっても差し障りのないように、というのが上の見解である為だ。
この小国以外の近隣国では紛争や抗争が絶えない。それ故に幼くして身寄りをなくす者達は多く、世話役の調達は容易に行える事だった。
その後の処置にしても、至極簡単だ。
もともと身寄りもなく、洗礼の儀のその日、生贄と共に死する運命の子。
今更一人死者が増えた所で、誰も疑問にも思わない。
生きるか死ぬか。
それは世話役となった者の、意思による選択ではない。
その時の執行人による采配だ。
世話役の意思は考慮されない。
ただ、ここ近年は小国内の人数増加によって、生かして生涯農作業に順ずる者とする事が多かった。
その為、常は農夫であり洗礼の儀の際だけは執行者となる男が操る荷馬車の背に、世話役であった少女は揺られ、今度は作物の世話をする為に男が預かる農地へと、連れられていく途中だった。
ガタンッ
舗装も何もされていない剥き出しの道、土から飛び出ていた石にでも乗り上げたのか、今までの揺れより馬車が大きく揺れ、斜めに傾ぐ。
物言わぬ少女の身体は簡単に翻弄され、投げ出される。
牧草が、布があおられ空を舞う。
「どう、どうっ! ーーよーし、よし。いい子だ」
手綱を巧みに操り、なんとか馬車を立て直した操者の男は一つ息を吐いてから、愛馬二頭を宥め。
「おい、嬢ちゃん。大丈夫か?」
思い出したように背後を、荷馬車に乗せていた少女を振り返りーー
「って……え……?」
ぽかんとした顔をしながら、導きの灯りが漏れ届く中顔を上げた少女を、真正面から見下ろした。
農夫であり執行人である荷馬車の操者は、かつて世話役であった曽祖父をその血筋に受け継ぐ身。
幼き頃から曽祖父に、聞かされてきた語り話があった。
淡い初恋の色彩を帯びたその語り話には、決まってある少女が登場する。
『お国の為、自らの命を捧げるその少女は、それはそれは美しい容姿をしていた』
『恵みの大地である茶色の髪。そして』
『この小国の宝である宝石を、神より授かったかのような』
『息を飲む程美しい、鮮やかで深い、翠の眼をしておったんじゃ』
男が見下ろす灯りの先。
恵みの大地である髪を揺らし。
鮮やかな宝石の眼をした少女が。
確かに、そこにいた。
次で過去話が終わるハズ!




