11/4 遥か深底の過去の話7
「んん〜……?」
なにやら、塔の中が……いや、階下が随分と騒がしい。
その証拠に耳につくざわめきが、寝返りを打っても霞んでいく事はなく。
日は顔を出したとはいえ、まだ、夜と朝が混じる時間帯。
鍛錬をするには僅かに早く、朝食の準備をするにしてはかなり早すぎ……
というか、多すぎだ。
「なんなのよ……こんな時間から……」
いつもは朝の鍛錬を始めて暫くしてから、世話役である女の子が四人分の朝食を、階下にある小さな炊事場で一人で作るのだが、それにしては時間が早く、また人の気配が多すぎだった。
炊事場からここまで、学習部屋と本部屋の二階分も間があるのだが、最下部にある筈の炊事場での数人が移動する物音や、集団でお喋りする声が、ちゃんと聞き取れるくらいに。
円錐型の建物である為、上階に声が届きやすい構造になっているにはいるが。
ここまではっきり聞こえてきたのは、初めてだった。
「って、そーじゃないっ!」
ガバッと、ベッドから跳ね起きる。
上掛けがすっ飛んでいったが、気にしてなんかいられない。
こんなに人が、この塔内にいるだなんて!
驚きより何より、湧き上がってきた嬉しさでどうにも、いてもたってもいられなくなってしまった。
今日はゆっくり過ごすつもりだったが、何かが起こりそうなこんな状況でじっとなんて、出来そうになかった。
嬉々として少女が廊下へと続く扉に、手を掛けようとしたその時。
少女が手を掛けるより前に、控えめなノックの後にガチャッと扉が開かれた。
「!」
そこにいたのは、女性だった。
品の良い装飾が裾に施された夜明色の服を纏う、妙齢の女性。
ぱちりと黒みを帯びた翠眼を瞬いたあと、コホンと咳払いして。
「もうお目覚めでしたか。お迎えが遅れ申し訳ございません」
此方に向けて、深々と頭を下げた。
「!?」
その事に、少女は驚きにその眼を瞬く。
品の良さそうな人がこの塔内にいる事も、その眼の色や茶の髪色から王家に縁ある者だとは思っていたが、いや、だからこそ驚いた。
そんな身分ある人物が、平民以下、それも生を抹消されている自分に頭を下げるとは、思っていなかったのだ。
双子の片割れが幽閉されているのは皆知っている事ではあるが、殺される為だけに生まれてきた者に、身分などある筈がないのだから。
「え、と……あの……?」
驚きに目を瞬く少女に、妙齢の女性はそのまま続けた。
「湯浴みの用意が出来ております。どうぞ此方へ」
身を引いて、低頭しながら階下を示すのに、少女はただただ目を丸くした。
なんだこの、至れり尽くせりの超優良待遇は!
ーーと、心の中で叫びながらも、混乱する頭は働かず、生まれて初めて見た侍女の手腕にあれよあれよという間に時が過ぎ。
「ふぅ……」
窓辺でアンニュイな雰囲気を醸し出す、「お姫様」をそこに作り上げた。
数人の侍女によって、ピッカピカに磨かれた肌。
編み上げられ、美しく整えられた髪。
見たことも、勿論着ることも初めてな、豪奢なドレス。
ほっぺが落ちそうな程美味な、朝食に昼食、そして晩餐。
「このまま死んでもいいかも……」
月が差し込む窓辺から夜の真っ黒な森を眺めながら、ぼんやりとそう呟いて。
「あぁ、そうか。「だから」、なのね」
夢から醒めてしまったかのように、哀しげに微笑しながら、少女は呟いた。
明日、確実に自分は死ぬ。
それも、ただ静かに眠るようになんて、温かなものなどではなく。
公衆の面前で。
安い見世物であるかのように。
兄に、殺されて死ぬ。
その前夜だからーー、「良い思い」をさせてくれていたのだ。
「それならせめて、外に出たかったなぁ」
こんな重たい服を着せられて、結局過ごしたのは塔の中でしかなく。
本当に、堅実強固な檻のよう。
心まで囚われてしまいそうだ、と苦笑しながらドレスの裾を摘んだ少女の耳に。
コンコン、と。控えめなノックの音が届いた。
『赤眼の訪問者に、逆らってはなりません』
豪華すぎる晩餐を食べ終えて自室に戻り、ベッドの縁に腰掛けて、着慣れないドレスを持て余していた少女に。
夜分に突然部屋を訪れた、叔母を名乗る人物がそう言った。
王族のみが持つ翠の眼に茶色の髪。父も母も見た事はないが、何処と無く自分と似た面影を持つその人が、叔母であるのは間違いないだろう。
「赤眼の訪問者……悪魔の事、ですね」
「! 貴女……既に会った事が?」
「はい」
驚き顔の叔母に、少女はこくりと頷いた。
淀みなく答えた少女に、思案するように目を伏せていた叔母だったが、静かに首を振ると、
「ならば、もはや私から言う事はありません」
「えっ? あの、叔母様?」
話を打ち切る言葉を述べて踵を返し。
引き止めようとする少女に振り返る事なくノブに手をかけ。
「……最後に、一目会えて良かったわ」
「!」
それだけ告げると、静かに部屋を出て行った。
後には、なんとも言えない表情をした、少女が一人残された。
「なんだったんだろう……?」
首を傾げる少女には、その答えがわかるはずもない。
叔母は既に、少女が悪魔にその処女を捧げたのだと思っているのだから。
既に処女を捧げているのならば、今更どうする事もない。
明日、妹姫は死する運命。
ならば言い伝えを真に伝えなければならないのは、兄王子が迎えた妃が産む息女なのだから。
処女を捧げて血を繋ぐーー……
悪魔をこの小国に、いや王家に縛り付けておく為に。
悪魔は、その名のとおり悪しき魔物。
しかし、初めてのその時より妖しく美しい魔物に魅せられている叔母は、悪魔がもたらす繁栄を理解していながら、それを是とし、そのままとしていた。
それが「正きもの」だと信じて。
それが、誤りだという事に気付く事もなく。
叔母は塔を去り、少女は告げられた言葉の意味を計りかねたまま。
夜がゆっくりと更けていく。
また延びた〜(泣)
アレが入って次話でザクーっと(?)いくはずだったのに…
短くするって難しいなぁ…




