邪妖精
「うっ!」
思わず体が硬直した。そこには黒い小さな羽をぱたぱたと動かす緑地に白のストライプが入ったエプロンドレスを着た小さな女の子が空中に浮かんでいた。体はせいぜい15センチくらいだろう。栗色のふわっとした髪は肩まであり、2本の長い束が耳の前に垂れている。
大きな目が可愛い。こういうのを妖精というのであろう。普通なら可愛いと思わず言ってしまう生き物だ。
しかし、ベルは女嫌い。そしてこの妖精もどきが怪しい生き物であることに気づいていた。
「お前は誰だ?」
ぶっきらぼうにそう質問した。妖精の卵から出てきたのだろうから、妖精とは思ってはいた。
「クロコですわね」
相変わらず変な語尾でそいつは答えた。
「お前はモンスターか?」
ベルは質問を変えた。クロコと名乗る手乗り羽根つき少女は不機嫌な顔になった。モンスター扱いされるのは不本意だったようだ。
「クロコは妖精。ピクシーですわね」
「嘘つけ!」
そうベルは否定した。ピクシーなんてものがこの異世界にいるなんて聞いたことはない。魔法が存在するファンタジー世界ではあるが、妖精はあくまでも物語に出て来る架空の生命体なのだ。
例え妖精の卵なるものから出てきたとはいえ、簡単に信じるほどベルはお子ちゃまではない。
しかし、ベルの断定にクロコと名乗る自称ピクシーはすぐにゲロを吐いた。
「な、なんでわかったのですわね?」
全く残念な生き物である。自分からピクシーでないことを言ってしまった。もうベルのペースである。そしてベルは先ほどから、この謎の生物を観察していて気づいたことがある。
(こいつ、僕以外に見えていない……)
こんな小さな女の子が飛んでいたら、周りの人間は注目するはずだ。少なくともあまり滅多にお目にかかれない生き物であることは間違いがないからだ。
しかし、先ほどからテーブルの間を縫うように皿を運んでいる給仕の男も女もこの自称ピクシーを視界にいれていないようだ。
「僕には分かるのさ。そしてお前は僕の手下になるということも」
これはカマをかけた。何しろ、卵を解放したのはベルである。こういう場合、解放した人間の願いを聞くか、下僕になるかというのが定番だ。
「クロコは邪妖精ですわね」
あっさりと自分の正体を話してしまう自称邪妖精。
「やっぱりな。どうせ悪い奴だとは思っていたが、邪妖精とは。とんだ生き物を開放してしまったよ」
ベルは手を伸ばしてクロコを捕まえた。クロコは羽を動かして空中でホバリングしていたが、どうやら動きは鈍いらしい。ベルの手から逃げられず、胴体をがっしりと掴まれてしまった。
「わっ……。何をするのですわね」
「もう一度、卵に返す」
「や、やめてですわね、ご主人様!」
バタバタと暴れるクロコと名乗る邪妖精。見た目は悪さをしそうにないように見えるが、「邪」というからには、ろくでもない奴に違いない。
「クロコは役に立つですわね……ここで会ったのも運命ですわね」
必死に自分を売り込むクロコ。ベルは少し考えた。こいつは先ほどから、自分のことを『ご主人様』と呼んでいる。そう呼ぶべき理由があるのだろう。
「クロコは100年前に悪い魔法使いに捕まり、卵に封印されてしまったですわね。それで封印を解いた最初の人物にその人物が死ぬまで仕える呪いをかけられたのですわね」
「悪い魔法使いって、どうせ、悪さをしたお前を退治した善の魔法使いに退治されたってことだろう、」
「ご主人様、どうしてそれを知っているのですわね」
この邪妖精、本当に残念な奴だ。そして頭が相当悪い。ベルの誘導に引っ掛かり、全て話してしまっている。やはり役に立たないので、卵に返そうとする。
「わああ、本当にやめてくださいですわね」
「変な言葉を使うから、ますます気に入らないな」
「仕方がないですわね。クロコは100年前からこういう話し方ですわね」
「じゃあ、お前はどういう力で僕を助けてくれるのだ?」
「クロコは限られた人間にしか見えないですわね」
クロコは人差し指で鼻の下をこすって、自慢げに説明をし始めた。
クロコを見ることのできる人間は、まず主人となったベル。次にベルと宿命が生じた人間。ベルと血がつながった人間。そして魔力が極端に強い人間である。
それ以外には見えないから、隠密行動が可能である。ということは、ベルの命令に従って情報収集ができる。
「なるほど……」
これはかなり役に立ちそうな能力である。
「そしてこのキューティーな目。この目はご主人様に害をなす人間が見えるですわね」
クロコは主人となった人間の少し先の運命を感じることができる。例えば、ベルに何か悪い影響を与えそうな人物やベルのことを殺そうとするような人物が分かると言うのだ。
「そういう人間の頭には黒い星が見えるですわね」
星の数で危険度も分かるらしい。3つも星があったら、ベルを殺そうとするくらいの悪意があるというのだ。
(それは敵を見つけ出すという点で有利になるな……)
このクロコの言うことが本当なら、相当に役に立つ能力だ。
ちなみに悪意のある人間も分かるが、好意のある人間も分かる。そういう人間の頭の上にはハートマークが回っているらしい。1つは普通に好意を持っている。3つも回っていたら結婚したいほど好意があるというのだ。
「よし、じゃあ、お前はしばらく僕の家来にしてやる」
「しばらく……ですわね?」
「見習い期間だ。役立てばずっと置いてやる」
「ラージャーですわね」
「それと僕のことはベル様と呼べ」
「はいですわね、ベル様」
「よろしい」
ベルは冷めてしまったフライドヌードルを急いで食べると、クロコを肩に乗せて席を立った。どこかできれいな歌声が聞こえてくる。




