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国立大学法人東京魔術大学 ─血継魔術科─  作者: おめがじょん


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前科74:男子たるもの、一度はレズセを経験しておくべき





「レズセックス最高……ッ!」


 戸山団地のベランダ。満天の星空を仰ぎ、煙草に火を点けた清春の顔には、満足気な表情が浮かんでいた。熱の余韻と、初めてだった感覚と、ほんの少しの罪悪感。それら全部が溶け合って、頭の奥がじんわり痺れていた。美晴の無事も確認できた。よし、とりあえず一息つこうと隣人と話していたら変な雰囲気になってしまったのだ。


 (脳が気持ち良くなる男とは全然違う。すげぇ浮遊感を感じるセックスだった。まさか、視界がぐらつくとは思わなかったぜ……)


 改めて自分の体が変わった事を実感する。

 3回戦目は自分が攻める側に転じる事も出来た。予習にしては大きな成果があったようにも思う。美晴にもきっと満足して頂けるだろう、とそろそろ救出についても考えたかった。


(あの銀髪の下に居るって事は戸山団地に元々居た子達の棟か。オレは龍頭側だからおいそれとうろつくのも難しいんだよな……)


 団地は広い。そして明確に区域の割り当てがある。

 龍頭側の商売女という肩書で入った清春が、うろうろして目立つのはよくない。

 手っ取り早く男でも探すか、そう呟いて、ふと下界に目をやった――そして、そこで彼女を見た。

 ――静かに通りを歩いていく、ひとりの少女。

 まるで風のように。あるいは水のように。

 街の喧騒や空気の濁りにすら染まらず、ただ静かに彼女はそこに居た。


(あの女、昼間の……)


 思い出す。団地の屋上で見かけた、黒龍の隣に立っていた少女。

 その時は遠目だったが、間違いない。目の前を歩いているのは、あの――世にも美しい少女だ。黒髪は夜の水面のように揺れ、肌は光を拒むように白い。

 何かを語るでも、感情を示すでもない。なのに、一瞥しただけで目を奪われる造形だった。


(クソッ! ちんこがねェから、判断が鈍る)


 あの「見てはいけないものを見た」の正体は何だったのだろうか。

 あまりの美しさ故か。それともまた別の感情か。ちんこという指針を失っている今の清春には判断が難しい。


「よし……」


 パン、と頬を軽く叩いて、清春はベランダから音もなくふわりと飛び降りた。

 細心の注意を払い、身体強化魔術を発動させてパイプを伝って団地を音もなく降りていく。数多くの女の住居から逃げ続けた果ての能力だ。すぐに彼女に追いつき、背後へと回った。彼女は団地の端を回り込み、古いゴミ捨て場の奥――朽ちた鉄柵の切れ目へと吸い込まれるように姿を消した。


「おいおい……マジかよ。ムードもクソもねェじゃん」


 思わず口から愚痴がこぼれた。


(落ち着けオレ、これはあれだ、ナンパじゃない。あくまで警戒と調査だ)


 苦しい言い訳を心の中で繰り返しながら、清春は後を追った。

 柵をくぐり、物置の裏を回り、足場の悪い配管の隙間を抜ける。

 途中、空気が変わった。湿っていて、濃い。


(……魔力を感じる)


 鼻を突く鉄の匂いも、徐々に強くなっていく。

 通路にうっすら浮かぶ赤いシミに嫌なものを感じる。段々ときな臭くなってきた。

 彼女の姿は視界にもうない。だが、彼女が通った痕跡は残っていた。真新しい靴跡が見える。通路の最奥。まるで使われていない非常口のような鉄扉。鍵は壊されているように見えるが、魔術印が光り輝いていた。


「……おいおい、何の施設だよ」


 魔術印に触れると、意識が一瞬ブれた後に視界が再び広がっていく。

 選別のようなものを感じた。選ばれた人間だけがこの景色を見れるような、そんな印象を感じる魔術だった。――だだっ広い地下空間。部屋は広い。コンクリートの打ちっぱなし。むき出しの配管からは蒸気が漏れ、異臭が漂っている。

 そして床のあちこちに、痕跡が残っていた。

 それだけではない。手術台のような台座。拘束具。

 使用済みの注射器。血のこびりついたチューブ。子供用のスニーカー。

 嫌な想像が嫌悪感と共に清春の背筋を這い上がった。


(……子供? いや、まさか……)


 だが、嫌な予感は確信に変わる。

 壁の一角には、魔術印が光る加工装置のようなものがある。

 人間から何かを抽出する目的で組まれた術式。医療魔術で似たようなものを見たことがあった。


(魔力の抽出……それだけじゃねェ)


 恐らく人体実験。おおよそ何がここで行われていたかは予想がついた。その時──


「今日もお疲れさん」


 声がした。即座に物陰へ身を潜める。

 現れたのは、派手なスーツの男。煌びやかな指輪を光らせ、夜の街特有の笑みを浮かべている。追ってきた少女の頭を撫で、飴玉を与えて送り出す。その背中が闇に消えると、笑みは冷たく剥がれ落ちた。


 「……戻れねぇんだよな」


 独白は短く、乾いていた。後悔とも諦めともつかぬ声。

 清春は男の顔を知っていた。夏目諭吉――ようやく会えたぜ、と心の中で笑みを漏らす。こいつを締め上げてこの場所の正体を吐かす。場合によっては、嘉納や在原の力を使わなければならないぐらいの闇が広がっているのだ。


 「……誰かいるな」


 夏目が不意に呟くと同時、工場内に魔術印が浮かび上がり、清春の周囲が燃え閃光が地下を裂いた。清春は反射的に氷の壁を張り、身を守った。火花と氷が衝突し、爆ぜた蒸気が視界を覆う。


 「見えねえ幽霊か。……いいぜ、嫌いじゃねぇ。サンキュー!」


 諭吉の声は笑っていた。だがその魔術の威力は重い。

 清春の血継魔術が押されていた。氷壁が音を立てて軋む。ただの人間に扱える出力ではない。何かのからくりで力を増幅している。──と清春は即座に察した。自分の女にコイツが売っていた薬だ、とも。


(にしたって、血継魔術じゃねェ相手に、ここまで押し返されるとは……)


 女体化してから魔術の威力にも自信がない。

 夏目に押される形で次々と爆発する魔術印を避けていく。

 正面からでは不利だった。体も男の時よりスピードが出ない。力でも間違いなく劣る。


(勝てるのは、血継魔術のみ。──頼むぜ」


 時間を凍らせる魔術の使用は簡単に見えて難しい。

 世界全体を止めるわけではなく、あくまで空間を限定的に止める魔術だ。

 その空間に清春が入れば当然清春の動きも止まってしまう。"あの時"は戦いの集中していたので、完璧に発動できていたがこれを意識的に行うとなるとまた難しい。だが、今なら──


「この匂い。さては女だな──っ!」


 清春が動こうとした瞬間、夏目が再度魔術を発動させた。


(展開速度が速ェ──ッ!」


 敢えて遅く展開していた策略にまんまとハマった清春の防御が遅れた。

 転がって爆発を避けた先に追加の魔術印。何とか身を守ったものの物陰から転がり出てしまった。


「氷の魔術なんてわざわざ使うって事ぁ、お前が立科の男か。──あれ? でも女の子だな? もしかして在原の妹……? まぁ、なんでもいいか!」


「バレちまったなら仕方ねェか」


「あいつレズだったのかよ。どーりで、ヤらせてくれなかったわけだ。お前がカプセル買う金やらなかったせいで、あの女、ガルバで働きずくめだったんだぞ。風俗やりゃあ、もっと楽だったのにな」


 立科に金を無心された事なんてなかった。言えばよかったのになんて思う。

 どちらかというと自分のコネクションが欲しかったように思える。いい魔術師になっていいとこに就職したい。東京魔術大学の生徒にしては普通過ぎる女だった。ガルバなんてやるガラじゃなかった。


「バカな女だぜ。でもまぁ、いい客だったよ」


「そうだな。言えば金なんかいくらだってやったのによ。でもな」


 変な所で頭の固い奴だった。生真面目ないい女だった。


「──テメェみたいなクソバカが、オレの女を笑うんじゃねェよ」

 

 空間凍結。その後に氷柱を全方位に展開。止めた時間は4秒。

 夏目が気づいた時には、防御が間に合わない速度で無数の氷柱が自身めがけて襲い掛かってくるという状況だった。ろくに防御もできずに、氷柱が体を貫いて壁に磔にされたような状態になった。


「この場所。テメェらが流してるカプセル作ってる場所だろ? しかも、材料は魔術の才能があるガキだ」


「……見たまんまよ」


「そうかよ。女衒だけならまだしも、ガキ相手にこんな非道な事よくやるぜ」


「応援してくれた女とその腹におったガキが死んじまったら、後は何人殺しても一緒だろ」


 チャラい外見からは想像できないどろりと濁ったような目で夏目が清春を見る。

 初めてこの人間の本音が出たように清春は思った。


「なんだガキが居たのか」


「おう。毎回ピルは飲んでたんだけどな。俺、薬嫌いなのに」


「お前が飲んでたのかよ」


 そういうレベルの知識しか持たない人間は社会に少なくない。

 夜の世界ならばその比率は大きくなる。だが、彼らも彼らなりに一生懸命生きている。善悪の区別もつかず。倫理観もない。誰もそれを教えてくれる人間がいなかったから。優しい人間ばかり損をする世界だから。


「まぁいいや。あの世で家族三人楽しくやってくれ」


 情報を引き出す気にもならなかった。

 一歩間違えば自分もこいつらみたいになっていた。そろそろ楽にしてやりたい。この負の連鎖を断ち切りたい。そんな気持ちから完全に凍らせて落とし前をつけようとした時だった。


「────ッ!」


 清春の肩に熱い痛みが走った。熱いものが掠めて部屋に突き刺さる。

 とっさに振り向くと、闇の中から無数の鳥──鴉が音もたてずに羽ばたいてくるのが見えた。


(あの女か──っ!)


 美晴達を助けた手練れの魔術師。清春が氷柱を展開して鴉を撃ち落とそうとするが氷柱に怯まない。女体化して威力が落ちているのもあり、数本当たってようやく鴉を一羽撃ち落とせるといった感じだ。展開力はほぼ互角。そしてあの鴉には熱線を吐く能力がある。氷結魔術との相性も悪い。


「逃げよ」


 広い範囲指定での時間の凍結。男の体よりも魔力消費が少なく頭痛も起こらない。使い勝手がいいので出し惜しみせずに鴉の動きを止めると、広い工場内を滑るように逃げだした。









 




 部屋の空気が、鈍く湿っていた。

 カプセルの詰まったバッグを前に、美鈴はじっと座っている。

 言葉では言い表せない重さが、身体の芯に染みついている。

 視線の先では、まぁたそがぼんやりと煙草をふかしている。


「これからどうしよっか」


 まぁたその声は軽い。

 でも、その軽さの裏に、何かを試すような響きがあった。


「もしかして、あのお友達を助けに行こうっていうの?」


 美鈴は答えなかった。

 咄嗟に触れた手のひらの中で、バッグのファスナーの金具が微かに震えていた。


「バカみたいだよ、りりたん。何でそこまでやんの? あの子、もうきっとマワされてるよ。多分もう表には帰ってこれないんじゃないかな?」


「……違う。アイラはそんな事──」


「あいつらは人だって殺すよ」


 美鈴がまた俯いた。まぁたそはゆっくり立ち上がる。

 そして美鈴の隣に座り、優しく身を寄せて触れ合った。


「私と逃げよ。東京から離れればきっと何とかなるって。大阪にツテあるし、そっちに行こうよ」


 それは冗談のようでいて、どこか本気だった。

 こういった事態が初めてではないまぁたそは、生き残ることに真剣だった。

 

「もう、綺麗ごとが通じる世界じゃないんだよ」


 美鈴はゆっくり首を振る。言葉に詰まりかけたが、美鈴は続けた。


「私には……見捨てられません」


 まぁたそは、しばらく黙っていた。


「……そっか」


 それだけ言って、もう一度煙草に火をつける。

 その横顔には、寂しさも怒りもない。

 ただ、「理解した顔」と、「選ばれなかった顔」が重なっていた。

 しばらく黙っていた後、まぁたそは片肘をついて寝転がりながら、煙草を咥えたまま目だけで美鈴を見た。


「……じゃあ結局、りりたんはどうしたいの?」


「美晴さんだけではありません。アイラも……救いたい」


「へえ、あんたが?」


 まぁたその笑いは乾いていた。小馬鹿にしているわけではない。ただ、ほんの少しだけ呆れていた。


「今のアイラ達の生き方は正しくありません。昔はもっと──」


「……正しさ?」


 まぁたそは煙草を灰皿に押し付け、ゆっくりと上体を起こした。煙が顔の前で揺らめきながら、すっと消えていく。


「何年も顔見せなかったくせに、いきなり現れて人の生き方を間違ってるって? 随分とご立派なご意見だねぇ」


 美鈴の顔がこわばった。その言葉は、まっすぐに彼女の胸を突いた。


「……それは。私も西園寺の家で生きるのに必死でしたので……」


「救いたい? 正したい? 偉いね、ほんと。でもさ、あの銀髪の"正しさ"はあんたの"正しさ"とは違うんだよ。わかってる?」


 まぁたそは、ゆっくりと言葉を選びながら続けた。


「あの女ががどれだけのことを飲み込んできたか、見てないでしょ? 殺りたくて殺ってんじゃないの。そうするしかなかった。それでも、生きていくために。……あたしらみたいなゴミの中でさ」


 美鈴は何も言い返せなかった。まぁたそがここまで感情的に喋っている事に気圧されてしまっていた。


「ねぇ、りりたん。あんた、あの女の居るとこまで堕ちれる?」


 まぁたその声は、少しだけ低かった。冷たくも、どこか寂しげでもあった。


「クソの掃き溜めみたいな場所まで這いつくばって、泥水すすって、歯ぁ食いしばって、それでも生き続けた、あの女と同じ目線に立てるの? ……立てもしないくせに、正しさ振りかざしてんの?」


 美鈴の目が揺れる。言いたいことはあった。でも、それを口にする資格が自分にあるのか、わからなくなっていた。


「正論なんか、こっちじゃただの棍棒なんだよ。あたしらを殴る道具になるだけ。あんたがここからどれだけ綺麗な言葉を吐こうと、地獄にいる奴には届かない」


「……そんなつもりでは」


「じゃあ、汚れてみなよ。正しさも希望も、下水に沈めてさ。あんた自身が、泥にまみれてみせなきゃ、何も届かない」


 まぁたその視線は、まっすぐだった。

 アイラと同じくこういう生き方しかできなかった。こういう生き方でしか誰かに必要とされなかった。美鈴の正しい所からの正しい言葉に何の意味がないとわかってしまう人生を送ってきたのだ。


「アンタみたいな"まともな子"には、わかんないよ。暴力を当たり前にされて、助けを呼んでも誰も来なかった時があった? 屋上で寝てたら凍えて死にかけた朝があった? 信じた大人に売られて、笑って見送られたことがあった? ──あたし達は、そうやってしか生きられなかったよ……ッ!」



 まぁたその言葉が揺れた。涙が零れていた。

 美鈴も何も言い返せなくて泣き出した。

 しばらくすすり泣く声が続き、部屋を陰鬱な空気が彼女達を圧し潰すようにしていた。誰も望んでこの場所にいるわけじゃない。でも、誰も逃げられなかった。







 ベッドの上、美鈴は泣き疲れて安らかな寝息を立てていた。

 首にひっかけた薄いタオルケットを、まぁたそはそっと直す。

 薬は、冷蔵庫にあったオレンジジュースの中に混ぜた。見た目も匂いも、まったく変わらない。

 薬を盛る事への罪悪感なんてずっと昔に置いてきた。


 「……バカだなぁ、りりたんは」


 思わず出た言葉に、自分で笑った。

 感情を表に出すなんて自分も相当バカな事をしたという自嘲があったからだ。

 どうしてか。

 戦いの時。自分を庇った美鈴に気持ちを揺らされてばかりだった。

 あの瞬間、怖くなかったと言えば嘘になる。けど、それ以上に──あんな風に誰かに守られたのは遠い昔の出来事だった。


「でもあたしは、この辺でとんずらさせてもらうよ」


 美鈴とは一緒に居れない。生き方がまるで違うからだ。

 ここで一緒に眠って、明日を信じて、そんな真っ当な人間にはなれない。


「……この地獄で、誰よりも上手く立ち回ってやるから」


 口の中で噛みしめるように呟いて、まぁたそはバッグに目をやった。

 カプセルの詰まった黒いナイロン製。

 これで何人の人間が壊れるか、何人の女が売れるようになるか。

 その代償を、もう知ってしまった。

 持って行こうと思えば、いくらでも金になる。


 けれど──

 彼女は手を伸ばさなかった。


「恩なんて感情、捨てたつもりだったけどさ……。あんた良い奴だから今回だけだよ」


 もう一度だけ、美鈴の寝顔を見た。

 これで借りは返したとばかりに、生意気な世間知らずのお嬢さんの頬を優しくつねってマンションから出た。

 そして15分後。マンション近くの人気のない駐車場。

 ボロい軽自動車が、まぁたその前で止まった。運転席から顔を覗かせたのは、スーツの襟がヨレた中年男。


「よっ、乗りな。まったく、急に呼びつけやがって」


「ゴメンね♡ でもさぁ、おじだけは信じてるから……頼れるの、おじしかいないんだよ」


 まぁたそは、軽口を叩きながら助手席に乗り込む。

 男はニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべたが、それでも黙ってエンジンをかけた。


「とりあえずここから離れよ。変な奴らに追われててさー」


「ちょっと待てって。高速使って来たんだぜ。少し休ませろよ」


「わかったぁー……」


 苛立ちを隠しながらまぁたそはシートに身体を沈めながら、静かに息を吐く。

 このままうまく逃げられればいい。うまく立ち回って、また笑って、誰か騙して、稼いで、そして──幸せに。

 そんな未来を、ほんの少し思い描いていた。

 だが、助手席のドアが乱暴に開かれる音で、まぁたそは現実に引き戻された。


「……あーあ、そういう事」


 見慣れない男たちが数人、車を取り囲んでいる。


「あんま殴らないでくださいよ。この後、こっちも使いたいんすから」


 おじが男たちにかけた言葉で全てを察した。

 だが次の瞬間には、運転席のガラスが割れ、何か鈍い音が響いた。

 おじの頭が、ぐらりと揺れて動かなくなった。


(──やっぱりね)


 まぁたその思考は、驚くほど静かだった。

 逃げ切れるとは思ってなかった。

 けど、「ここまで来たら、もしかして」という期待を、完全に抱かなかったわけでもない。

 自分が一番よくわかっている。

 自分はそういう希望を信じて、何度も裏切られてきた。

 肩を掴まれ、髪を引かれ、引きずり出される。

 体は動かない。抵抗する余力もない。


 いつかこんな未来が来る事はわかっていた。


 わかっていた。

 わかっていたはずなのに、それでも——

 心のどこかで、ほんの少し──


(……りりたんに、言っておけば良かった)


 それは「ごめん」でも、「ありがとう」でもなかった。

 もっと別の、名前のつけられない感情だった。


(りりたんみたいな良い奴だったら、こんな時誰か助けてくれたのかな?)


 自分には、それができなかった。

 誰かを信じるってことが、どうしてもできなかった。

 信じても、壊れるのが怖かった。

 言葉は、声にならなかった。

 ただ心の中で、願いのように反響していた。


「善人は、善人に助けられる」


 そんな当たり前の奇跡すら、

 まぁたそは、人生で一度も手にできなかった。

 泣かなかった。

 喚きもしなかった。


 ただ、闇に連れ去られることを受け入れるように、

 目を閉じた。


面白かったらブクマ評価等お願いします。

暗い話が続きますが更に暗くなります。

第三部も終盤が近くなってきました。

あと10話ぐらいで終わらせて宇宙一頭の悪い話を書きたいです。

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